剣と魔法の世界に転生するはずがB級パニック世界に来てしまった件 作:雫。
ケントの呼びかけに応えて共に街を目指す道を選んだのは、クラスメイトたちのうちのおよそ半数だった。残りは、キャンプ地で救助が来るまで立て籠もるつもりのようで、流石に今は亡きジャンのように強行帰宅しようと思う奴はあまりいないらしい。
十数人にもなる俺たち一行は円陣を組んで、どこからサメが飛んできても良いように警戒しながら行動し、実際アメリカの片田舎にありがちな広く交通量も少ない車道では、早期にサメを見つけさえすれば回避は難しいことではなかった。
だが、それはあくまでも、左右を麦畑に囲まれた広い車道に限った話だ。街までの道のりの三分の一を無事に踏破した俺たちは、一本の小さな橋に差し掛かっていた。
「さて、ここを渡るとかなりのショートカットになる訳だけど……どうする?」
橋の幅は自動車が一台だけ通れるほどで、長さは三十メートルといったところか。回避運動自体ができない訳ではないが、一度に何匹ものサメが同時に降ってきたら、全員が全てを躱すだけのスペースはありそうにない。
しかし、地図を見る限りはここを通れば、少なくとも二十分は街に早く到着できるのだ。
「行こう。今のところ、上空にこっちに向かって来ているサメはいない。今のうちにさっさと渡ってしまえば大丈夫なはずだ」
ケントは決断し、一同が賛成、俺たちは橋を渡ることにした。
実際、俺やケントの見立て通り、今はこちらにサメが飛んでくる気配は無く、すぐに渡りきってしまえば上空からの脅威に関しては心配する必要は無用であるように思えた。
そう、上空からの脅威は。
橋の真ん中まで渡ったところで、先頭を行く一人であった俺の耳に、背後から重々しいサメの咆哮が飛び込んできたのだ。
馬鹿な、頭上にサメはいないはず。俺はとっさに振り向いた。
だが、それもそのはずだった。そのサメは、頭上ではない、俺たちの足の下から来たものだったのだ。そう、この橋が架かった小川は既に、着水したサメたちによって占拠されていたのだ!
「キャァァアアアッ! ヤメテー!」
吠えながら川からジャンプしたサメが一匹、女子生徒に喰いつく。
「あああっ! この、ジェシーから離れろッ!」
喰いつかれた女子生徒の彼氏がサメを蹴るが、全く離れようとしない。そして彼はその後すぐに、勢い良くジャンプしてきた他のサメによって、橋の反対側に突き抜ける形で川に落とされてしまった。その段階で、女子生徒は既に息をしていなかった。
「ま、まずい! これは囲まれているぞ!」
橋の下を覗き込んで俺は叫んだ。
既に橋の下の川は、ますで産卵期のサケが遡上する時のように水面に背びれを露出した魚影で溢れ返っており、そのほとんどが時々その凶悪な牙を備えた顎を上方にいる俺たちに向けては殺気に満ちた咆哮を轟かせている。
「ど、どうする⁉ ライアン!」
自分の選択がまたしても皆を危険な道に誘ったのではと責任を感じているのだろう、ケントが普段の彼からは想像できないほど自信の無い視線を俺に向けてくる。
「ひ、引き返しても意味は無いぞこりゃ! このまま進むしか無い!」
銃も持っていない俺たちには、サメが進む先を塞ぐ前にがむしゃらに走り抜ける以外の選択肢は無かった。
「う、うおっ⁉ 来やがった!」
しかし前進を決めて早々、先頭を行くダニーが声を上げその歩みを止めた。
ジャンプして橋に乗り上げた一匹のサメが、俺たちの道を塞いだのだ。そしてサメは胸びれで器用に這いながら、俺たちとの距離を詰めてくる。
「う、後ろにも!」
そして俺たちの隊列の後方にもとうとうサメ部隊が展開した。既に後ろの方では三人もやられている。
「おいおい、前門の虎後門の狼って奴かよ!」
「四面楚歌とも言うな!」
ダニーが顔を手で覆い、マンガで覚えた諺をやけくそに叫ぶ。
だが、ここで一人だけ、敢えて前進、立ちはだかるサメに向かう者がいた。
「……逃げ道を奪われたけど逃げなきゃいけない。なら、自分で逃げ道を切り拓くだけよ!」
「キャ、キャサリン!」
それはキャサリンだった。彼女はナイフを片手に、迫り来るサメに向かってつかつかと歩み寄る。
「つまりそれはそう、戦うしか無いってことよ!」
キャサリンは、喰らいつこうとしてくるサメの牙を身を翻して躱すと、その動きのままサメの脳天にナイフを突き立て、体重をかけてねじ込む。そしてサメの動きが鈍ると同時にナイフを引き抜きながら回し蹴りを見舞って、橋の下に落とした。
「ガイドブックによればこの先に鉄砲店が併設されたホームセンターがあるわ。まずはそこを目指して、武器を調達するわよ!」
キャサリンは勇ましくナイフを掲げる。しかし、彼女のような強い心をいざという時に持てない一般人の生徒たちのほとんどは、互いに不安そうな顔を見合わせることでしか応えられなかった。
しかし、当然サメは彼らに決断の猶予など与えてくれない。すぐに新たなサメが橋に乗り上げてきて牙を剥く。
「ひっ……!」
「ハッ!」
キャサリンは今まさに一人の男子生徒に喰らいつこうとしていたサメの弱点である鼻づらに向かってナイフを投げつけ、その動きを止めた。
「迷っている暇は無いわ! とにかく今は走るのよ!」
橋の下ではまだ、数えきれないほどのサメがひしめいている。
しかしキャサリンが声を上げても、既に何人もの仲間を失った生徒たちは、どうしてもアクティブに動く勇気を燃やすことができない。
「……そうだ。キャサリンの言う通りだ。どうせここで立ち止まってたって、喰われるのに違いは無い! でも、行動を起こせば可能性は広がる!
だが、人というのは周りに流される生き物だ。みんながキャサリンの後に続かないのは、そこにキャサリン一人しかいないからだろう。だから俺は、率先してキャサリンへの同意をはっきりと声にした。
「ああ、何もしないでくたばるなんて御免被りたいぜ。無駄死にするくらいなら、せいぜい走って脂肪燃焼させてサメにマズイと言わしめてやりたいもんだ」
「……みんな行こう。何もしなきゃ、どんな道も拓けない」
ダニーとケントも俺に呼応する。
すると流石に、互いに顔を見合わせている生徒たちも、その表情に肯定的な応えを浮かべるようになってきた。
「決まりだな」
「よし、みんな走れ!」
だんだんと前向きな勇気を解凍しつつある生徒たちに向かって、ケントが絶妙なタイミングで号令をかける。すると彼らは、すぐに反応し、我先にと駆けだした。
ジョックというのは単純だからこういう時には助かる。
しかし、それを黙って見過ごすサメではない。頭上の獲物たちの動きが活発化したことを悟ったサメたちは、より一層狂ったようにその牙を剥いて、橋の上の獲物に向かってその想い身体を跳ね上げる。
「キャッ!」
俺たちの半数以上が対岸辿り着いた時、大型のサメの体当たりで橋が振動、最後尾の女子が倒れてしまった。サメは手負いの獲物を狙う!
「ライアン、後を頼む」
ケントは俺にそう言うと、来た道を戻ろうとした。
「こうなったのは、俺の責任でもある。だから俺は彼女を責任を持って助ける」
ケントは倒れた女子のもとへ駆け寄り、手を差し伸べて引き起こす。
だが、そこに丁度サメが降ってきた。
「ケント! サメだッ!」
「危ない!」
ケントは立たせた女子生徒を突き飛ばすようにしてその背中を押し、サメの牙の餌食となることから回避させた。
だが、ケント本人は――
「ケント!」
女子生徒の身代わりとなったケントは、サメによって左腕を肩から根こそぎ食い千切られてていた。全てが流れ出すまで止まらないであろう鮮血が、橋を赤く染める。
「……がはっ、ライアン……残念だが俺はもう無理のようだ。……みんなを、頼むぞ……!」
「ケントォォオオオッ!」
ケントは俺に後のことを託し、よろけながら橋から落下してしまった。大量のサメがケントの落下地点に群がる。
俺は昔なじみのあまりにも唐突であっさりした最期に、どうもすぐには現実味を感じることができなかった。
「おい! 何突っ立ってんだよ、お前も早く来い!」
つい数秒前までケントが立って息をしていた虚空を茫然と眺めていた俺の腕をダニーが掴み、足の力が入らない俺を力づくで退避させる。
思えばこの世界に転生してから、少なくとも親しいと言える間柄の人間を目の前で亡くしたのは、これが初めてだ。
二年前に初めてサメ事件に遭遇して、そして今回の事件でも人が喰い殺される局面は何度も見た。資料映像のような空間の中で、様式美の如くジョックから先に命を落としてゆくのを何度も見た。神が手を抜いて作ったようなシュールな事件を何度も見た。
そして今までの俺はその都度、心の内外で第三者視点を気取って、事件の奇妙さにツッコミを入れていた。
だが、親しい者を、例えサメが降ってくるなんておかしなこと極まりない事件であっても目の前で失うと、こうも今までの冷静さ――いや、冷淡さを失うとは。俺は改めて、この世界が今の自分にとっての紛れも無い現実なんだと再認識する。