そして、鶴見留美は   作:さすらいガードマン

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 更新のペースが落ちてきました。申し訳ありません。 ……11月に忘年会ってなんなの? あと一ヶ月も残ってるのに、忘れちゃだめじゃん!


 いつも読んでくださる方、本当に有難うございます。


 さて、今回は…… オリジナル注意、です。

 過去編なので、ヒッキーもゆきのんもガハマさんも出てきません。そんなの俺ガイルSSじゃない! という方はバックでお願いします。

 留美は、八幡と出会う直前まで、どういう想いを抱えていたんでしょうか? というお話です。


幕間 ② 三枚の写真と

「こんにちはー」

 

「いらっしゃい、仁美ちゃん」

 

 玄関から仁美とお母さんの声が聞こえたので、私は座ったまま声を張り上げる。

 

「仁美、上がってきてー」

 

「留美、横着しないの!」

 

「あはは。それじゃあ、おじゃましま~す」

 

そう言って仁美は私の部屋へ。

 

「あれ、由香はまだ来てないの?」

 

「うん、少し遅れるって電話あった」

 

「そっか」

 

 今日は、私と仁美、由香の三人で、うちで宿題を終わらせ、その後みんなで遊ぶ予定。

 森ちゃんは、陸上の地区選抜の練習日で、友ちゃんはその応援に行くと言っていた。試合の応援には私たちも行くつもりだけど、練習の応援ってなんだろう? でも、本人はとても楽しそうだった。

 

 

 

  * * * * *

 

 

 私の学校では三年生に上がるときと、五年生に上がる時の二回クラス替えがある。

 仁美、由香、森ちゃん、友ちゃんの四人とは、去年、五年生に上がる時に初めて同じクラスになった。

 彼女たちは、いわゆる、「目立つ女子」で、五年生になったばかりの頃、仁美が中心になって私にも声をかけてくれ、何となく今の五人で一緒に行動することが多くなった。

 私はこういう、「クラスの中心グループ」に入るのは初めてで、最初は少し気後れしていたものの、いつの間にか一緒にいるのが自然になっている。

 

 

 仁美は、スラッとしていて髪も目も色素が薄くて、ちょっと外国人の血が流れてるっぽい印象を受ける。けど、本人に聞いてみたら「バリバリの日本人だよ」と言っていた。怒りっぽくて、ちょっとした事ですぐカッとなるところがあるけど、何にでも一生懸命だ。

 

 由香はちょっと調子のいいところがある子だけど、とにかくよく笑う。その笑顔がとってもカワイイ。空気を読むのがうまくて、ただ、その分人の意見に流されやすい。笑顔の効果か、男子にファン多し。

 

 森ちゃんは、私たちの中で一番背が高く、成績優秀、運動神経抜群で、今年は短距離走の千葉県代表メンバーの一人にも選ばれている。いわゆる完璧超人で、そのせいか、誰に対してもちょっと上から目線なのが玉に(きず)だけども。

 ただ、幼稚園からずっと一緒の幼馴染、友ちゃんに対してだけは激甘。傍で見てると、まるで過保護のお母さんみたい。

 

 そしてその、うちのクラスのマスコット、友ちゃん。この子は、身長も低くて華奢。髪の毛もふわふわ。言動も少し幼くて、何ていうかお人形さんみたいに可愛い。森ちゃんの事が大好きで、いつも彼女に付いていく。……森ちゃんが甘やかすのも分からないでもない。こんな可愛いのに懐かれたらしょうがないな、うん。

 

 初めてみんなをうちに連れてきた時は、みんなのオシャレで可愛い様子に、うちのお母さんが大興奮。「うちの娘をどうかよろしく」と選挙の応援みたいにみんなと握手していた。……恥ずかしいなぁ、もう。

 中でも仁美は、将来はモデルになりたいらしく、そういう世界に詳しいお母さんとは話が合うようで、そのせいか、時々一人だけでも家に遊びに来るようになった。その度に、

 

「留美のお母さんってカッコイイよね~。ホント、留美が羨ましい」

 

みたいなことを言うので、お母さんはますます仁美が気に入ってしまった。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 遅れてきた由香と一緒に、三人で宿題を片付けたところで一息入れ、おやつの時間にする。

 リビングで、お茶を淹れてくれたお母さんと一緒に、四人でお菓子をつまんでいると、

 

「そうそう、あなたたち、ディスティニーランドとか好きよね?」

 

 お母さんが何かを思い出したようにそう言い出した。

 

「ん? 多分みんな、好き、だと思うけど……」

 

言いながら仁美たちに視線を遣ると、二人共うんうんと頷いている。

 

「あー……、実は、取引先の方から、微妙な優待券を頂いたのよね……」

 

「ビミョーってなんですかぁ?」

 

由香が聞く。

 

「それがね、タダじゃなくて、パスポートが十人まで半額になるってやつなの。しかも、ゴールデンウィーク・夏休み・年末年始の繁忙期には使えませんっていう……」

 

「確かに微妙かも」

 

私がそう言うと、

 

「それなら、十人で使えば、超オトクですよ!」

 

仁美がそう言ってテンションを上げる。確かに、十人が半額なら、金額で三万円以上割引になる。

 

「でも、十人て……」

 

「あたしたち五人と、みんなのお母さん五人で十人じゃん」

 

仁美は行く気満々だ。てゆーか、お母さんたちと一緒? 由香もそう思ったようで、

 

「えぇ~、ママ達と一緒ぉ~?」

 

そう言って渋る。

 

「あら、楽しそうじゃない。私、仁美ちゃんたちと一緒に行ってみたいわ。それに、みんなのお母さん達ともお話したいし」

 

「話って……、わざわざディスティニー行かなくたって」

 

「大人になると、色々ときっかけが必要なのよ……」

 

お母さんはわざとらしく溜息をつく。

 

「いいじゃん、なんか面白そうだし。あたし、今度森ちゃんたちにも聞いてみる」

 

「娘の友達と、女子だけのお出かけって、なんだか素敵よね……」

 

仁美とお母さんですっかり盛り上がってしまった……お母さん、自分のこと、女子(・・)とか言ってるし……。

 

「あはは、まぁいっか~。私もママに言ってみる」

 

由香も乗り気になって、結局、みんなの都合がいい時に十人で出かけよう、という話になってしまった。

 

 ……それが、四月、ゴールデンウィーク前の話。

 

 その後、なかなかみんなの都合が合わず、六月の第二日曜日か、その次の週ならみんなOKということで、出かける日はその日に決まった。

 最初はちょっと面倒くさいと思っていた私も、お母さんや友ちゃんなんかがものすごく楽しみにしているのを見ているうちに、私自身も段々楽しみになってきていた。

 

 だけど…… 心配事が一つ。

 去年の終わりぐらいからうちのクラスで始まってしまった、「気に入らない子をハブにする」ブーム、みたいなものの対象が、ゴールデンウィーク明け位から泉ちゃんになってしまった。

 彼女自身が何かしたわけじゃなかったけど、その時ハブにされてた子と、普通に仲良く話しちゃってたんだ。それで、その次は泉ちゃん。こうなると、もうゲームみたいなものだ。誰もやめるきっかけを見つけられずに未だに続いている。

 

 ……ホント幼稚でバカばっかだ。そう思う。けれど……、結局は私だって何も出来ないままだった。

 

 こういう時、誰かを無視したり、わざとらしく名字で呼んだり、っていうのをしたくない私は、とにかくその子と距離を置いてあまり関わらないようにしてきた。そうやってブームが過ぎるのを待つしかない。

 今回もそう。どうせすぐに終わる。そう自分に言い聞かせ、意識して彼女と距離を置いていた。泉ちゃんは悲しそうにはしているけど、しょうがないと諦めて、「自分の番」が終わるのを静かに待っているようだった。

 

 

 

  * * * * *

 

 

 その日、泉ちゃんは明らかに様子がおかしかった。

 

 最近の状況もあって、彼女が一人でいるのは当たり前。休み時間は、一人静かに本を読んでいるか、あるいは無地のノートに、5Bとか6Bとかの濃い鉛筆で何かその辺のもの――例えば自分の左手とか――を描いて過ごしているか、だった。

 その様子は、じっと大人しく、嵐が過ぎ去るのを待っている小動物みたいで、なんとかしてあげたいという焦燥感に駆られる。

 

 ただ、そこで周りの空気を読まないような行動をすれば、きっと状況はもっと悪くなると、私も、多分泉ちゃんも分かっていた。だからこそ今まで、あまり目立つような行動はしないでいたはずなのに……。

 

 

 六月も中旬。その日は金曜日だった。朝から彼女は、授業中は気もそぞろ。休み時間になると机の上に画用紙を取り出し、青い色鉛筆で何かを一心不乱に描いている。シャッシャッというその音は少し離れた私の席にもはっきりと届いてくる。

 

 二時間目の後の休み時間、私は仁美たちと、明後日行く予定のディスティニーランドに何を着ていくかの相談をしていた。

折角(せっかく)みんなで行くんだから、何かテーマを決めてオシャレしよう!」と、今日になって由香が言い出したのだ。

 

「みんな白黒で、パンさんの耳とか付けて、目んとこに星のメークとかしたらかっこよくない?」

 

「う~ん、いいけど、みんなで写真撮るっていうには、なーんか地味じゃない?」

 

「そっかー…… じゃあ、イエローでくまさんとか?」

 

「あ、いいかも。上がイエローで下が普通の青いデニムならみんな持ってんじゃない」

 

「黄色のトップス、誰か持ってない子いる?」

 

「どうだったかな~、最近着てないからサイズが……」

 

「それに、デニムだと暑くない?」

 

「そっかー……」

 

 会話が途切れると、色鉛筆が紙をこするシャシャッと言う音が、少し耳障りに聞こえてきた。仁美がすっと席を立つ。

 

 まずい、と思った時にはもう、仁美が泉ちゃんから画用紙を取り上げていた。

 

「あっ……」

 

泉ちゃんは慌てて、取り返そうとするように手を伸ばすが、仁美はそれをサッと(かわ)す。

 

「ちょっと、音うるさいよ藤沢。 だいたい、なんでこんな気持ち悪い絵ぇ描いてんの?」

 

「う…………」

 

泉ちゃんは何も言い返せない。顔色が真っ青……というか青白い。体調が悪いんじゃないだろうか。風邪か、後はその、女子だし……。

 

「ほら、見てよこれ。変なの」

 

仁美はすぐ近くにいた子に押し付けるように泉ちゃんの絵を渡す。

 

「うわ、キモい」

 

一言大袈裟(おおげさ)に言ってすぐ、汚いものでも扱うように次の子へ。

 

「げー、真っ青じゃん。変なの」

 

「なんか怖い」

 

「呪われそう」

 

「てか、何描いてんのか分かんない」

 

「不気味ー」

 

「……」

 

 次から次へと押し付け合うように受け渡されるうちに、泉ちゃんの絵はあっという間にしわくちゃになっていく。

 こっちに回されてきた絵を森ちゃんが受け取り、由香と友ちゃんは横から覗き込む。泉ちゃんは自分の席で立ち上がったまま、絵がどんどんぼろぼろになっていく様子を目で追うことしか出来ないでいた。

 

「ほんっと、何これキモい。青い顔? 何?」

 

森ちゃんが言うと、

 

「うん、なんだかわかんない」

 

「やっぱ怖いわ」

 

友ちゃんと由香が応じる。

 

「ほら、留美も見てみ?」

 

 私は、押し付けるように渡された絵を手に、泉ちゃんの方を見る。彼女は、一瞬何か言いたげに口を開いたものの、何も言わず、ただ私の顔を見つめた。

 

―― 娘の友達と、女子だけのお出かけって、なんだか素敵よね ――

 

 一瞬、そう言ったお母さんの顔が脳裏をよぎる。

 

 私は、その絵をちらっと見て、

 

「別に……絵とか興味ないし。 ……こんなのどうでもいい」

 

私がそう言うと、泉ちゃんは大きく目を見開いて、悲しそうに目を逸らしてうつむいた。

 

 私は絵を持ったまま泉ちゃんの席に近付き、かなりぼろぼろになってしまった絵を、彼女の机に放り投げるように置いた。……泉ちゃんの右頬を、つうっと涙が伝う。

 ……ごめん、泉ちゃん…… 私は、それに気づかないふりをして仁美や森ちゃんたちに声をかける。

 

「みんな、もうすぐ授業始まるし、話後にしよっか? 私、ちょっとお手洗い行くけど……」

 

多分、こう言えば……

 

「あ、じゃああたしも行く」

 

「わたしもー」

 

予想通り、仁美と由香がついてくる。

 

「しゃーない。じゃ、みんなで行って、も少し話そっか」

 

「うん」

 

 森ちゃんたちも来る。私達五人がいなくなれば、これ以上泉ちゃんに酷いことする子はいないはず。なんとなくみんな、ちょっとやりすぎたかな、という感じになってたから、たぶん丁度いいタイミングだったんだろう。

 

 ……あの絵は多分、『家族』だ、泉ちゃんの家に遊びに行った時、画集で見せてもらった事がある。彼女によれば、彼女のお祖父さんの、『苦悩』に並ぶ代表作の一つらしい。

 泉ちゃんの描いた絵は、色鉛筆ながらも絵の特徴をよく捉えていた。画集で見ただけの私が、すぐそれとわかる程に。

 なぜ今日彼女があの絵を描いてたのかはわかんないけど、本当は、すぐに割って入って泉ちゃんを助けたかった。だけど、明後日の事を考えると、どうしても空気を読んでしまう……。お母さん、すごくすごく楽しみにしてるし……。

 それに、一人の子をハブるのは、たいていそんなに長くは続かない。きっと、泉ちゃんのことだって、もうすぐ終わりになる。そう、自分に言い聞かせる。

 

 みんなで、あーでもないこーでもないと話しながら、休み時間ギリギリで教室に戻ると、泉ちゃんが居なかった。

 教室に残ってた子にそれとなく聞くと、保健委員の子が保健室に連れて行ったとの事。そういえば随分顔色が悪かったし……。すぐ戻って来ないようなら、あとでこっそり様子を見に行ってみよう。そして……みんなには内緒で、さっきの事謝ろう。

 

 

 

 三時間目も、四時間目も、泉ちゃんは教室に戻って来なかった。

 

 昼休み、みんなには、私は用事があるからと言い。少し遠回りしてこっそりと保健室に泉ちゃんの具合を見に来た。

 けれど保健室のベッドには誰もいない。行き違いになったかな? と思って保健の先生に聞いてみる。

 

「……藤沢さんなら、先程お母さんが迎えに来て、早退しましたよ」

 

「え、そんなに具合悪かったんですか」

 

 と聞くと、何故か少し変な顔をして、

 

「うーん、そうといえばそうなんだけど……。まあ、心配するようなことは無いから」

 と、それだけ言った。

 

 

 

 

  * * * * *

 

 

―― 日曜日 ――

 

「晴れてよかったよねー」

 

「ホント。日向(ひなた)はちょっと暑い位だけど」

 

「やっぱ、デニムじゃなくてよかったじゃん」

 

 私達は開門とほぼ同時にディスティニーランドの入場ゲートを(くぐ)り、アーケードのはるか向こう、青空を背景に輝くプリンセス城の幻想的な美しさに歓声を上げた。

 直前まで来れるかどうかわからないと言っていた友ちゃんのお母さんも無事に参加でき、小学六年生5人、その母親5人、女性のみ総勢十人と、なかなかの大所帯だ。

 インターナショナル・バザールを抜けた広場で、一応、はぐれた場合の集合場所とかの打ち合わせをしていると、

 

「あっ、留美~、仁美~、あっち。パンさん! パンさん!」

 

 少し先を歩いていた由香たちがパンさんの着ぐる……パンさんを見つける。ここは夢の国。中の人などいない。

 

「行こっ。写真写真」

 

 仁美が私の手を握り、二人で手を繋いで走り出す。

 

「うんっ。折角こんな格好してきたんだし……。おかーさん達も早くー」

 

 そう後ろに声を掛ける。

 

「お母さん、そんなに早く走れないわよ~」

 

 そう言ってるけど、そもそも走る気がなさそうだ。森ちゃんのお母さんと話しながら、ペースを変えずに歩いてくる。

 

 

「先行って、順番取っとくねー」

 

 森ちゃんが、艶のあるボブカットをふわりと揺らして一気に加速する。速っ! さすがなんでもこなす女。100メートル走千葉県三位は伊達じゃない。

 

 ……一人、また一人と、列に並んでいる森ちゃんに追いついて、ようやく全員が揃った。写真撮影の列が私達の番まで回ってくるのに、あと5、6組というところかな。これぐらいなら、パンさんと写真を撮れずに終わりなんていう悲しい事は無いだろう。

 

「森ちゃんさんきゅ。やっぱ速いね~」

 

そう私が言うと、

 

「だって森ちゃんだもん!」

 

と、何故か友ちゃんがドヤ顔で胸を張る。

 

「ぷ。なんであんたが威張んのよ」

 

由香が笑う。

 

友佳(ともか)はいいの」

 

そう言って森ちゃんは友ちゃんに後ろから抱きつく。身長差があるので、友ちゃんがすっぽり包まれたみたいになる。

 

「……ホント、森ちゃんって、友ちゃんには甘いよね……」

 

仁美が、誰に言うともなく呆れたように言った。

 

 

 

 今日の私達五人の服装は全員パンさん仕様。白のトップスに黒のスカートかキュロット。頭にはしっかりパンさん耳カチューシャ装着。アクセントに、全員同じ、白いレースで縁取られた、幅の広い赤いリボンを、めいめい好きな所に付けている。

 私は、フリルの飾りが付いた白いカットソーに黒のミニスカート+細かいパンさん柄のレギンス、黒のスニーカー。ポニーテールに例の赤いリボン。このリボンは、この前みんなおそろいで買ったもの。

 仁美と由香は、アイライナーで目の周りに星まで描いている。

 

 私達の順番が回ってきた。五人でパンさんを囲んでポーズをとり、お母さんたちが何枚も写真を撮る。順番待ちをしている人達からも、「すご~い」「カワイイ~」などと歓声が上がっていた。

 

 

 

  * * * * *

 

 

「たっだいま~」

 

「ただいまー。 ……はぁ、疲れた~。もう年かしら? あなた達にはついていけないわね」

 

 一日、遊び倒してしまった。 ……花火こそ見なかったものの、午後七時半スタートのパレードまでしっかりと見てしまったせいで、お母さんと二人で家の玄関をくぐったのはもう九時近かった。明日学校も仕事もあるのに……。

 

「夕ご飯、(はい)る?」

 

「うーん、少しなら」

 

「じゃあ、今日はちょっとずるしてレンジのやつにしちゃおっか?」

 

 お母さんは、冷凍食品のことを「レンジのやつ」という。よく考えると変な言い方だけど、「意味が分かるんだからいいでしょ」だって。

 

「じゃあ、エビピラフにしようか、半分ずつ。あとポテトサラダ」

 

「うん」

 

 お母さんがご飯の準備をしている間にお風呂のスイッチを入れ、カーテンを閉める。テレビを付けると、もう九時のニュースが始まっていた。

 

『……による、今後の株価の動きが注目されます。……以上、報道フロアからお伝えしました』

 

『では、次のニュース。 ……訃報です。世界的に有名な画家の、藤澤誠司さんが昨夜亡くなりました。藤澤さんは、青の巨匠などの名で海外でも広く知られ…………』

 

 

 

 

 

「   …………み、留美、どうしたの? 大丈夫?」

 

「……あ」

 

 目の前に心配そうなお母さんの顔。肩を抱かれている。気が付くと私は、床にへたり込んでいた。

 

「大丈夫、ちょっと疲れただけ。やっぱりご飯とか、あとにする。……部屋で少し横になるね……ごめんなさい」

 

「それはいいけど……平気なの?」

 

「うん……。何かあったら、呼ぶから」

 

「そう……」

 

 

 ……ドアを閉じ、私は着替えもせず自分のベッドに倒れ込む。

 

 やっとわかった。どうして泉ちゃんがおかしかったのか。遅すぎたけど。

 泉ちゃんは多分知っていたんだろう。大好きなお祖父さんがもうすぐ亡くなってしまうという事を。

 あの、『家族』の絵を描くことは、彼女にとって死に(のぞ)むお祖父さんへ捧げる、祈りにも似た行為だったのかもしれない。

 

 ……それを、私は……。

 

―― 泉にはいい友達が居るな。どうかこれからも泉と仲良くしてやってくださいね ――

 

―― はい、もちろんです。今日はお招きいただきまして、ありがとうございました ――

 

 ……わたしは……。 

 

―― 別に……絵とか興味ないし。 ……こんなのどうでもいい ――

 

 ……わたし、はっ……。

 

 あの絵を投げ返した時の泉ちゃんの涙が、いつまでも流しきれない(おり)のように、わたしの心の深い、深い所に沈んでいった。

 

 

 

  * * * * *

 

 

 月曜日、朝のホームルームで、泉ちゃんが忌引で数日休む事が伝えられる。

 

 昨日のディスティニーランドの興奮を引きずっている仁美たちは、いい気分を邪魔された、みたいに感じているようで、なんだか不満気だ。

 

「藤沢のお祖父さんってさー、あの真っ青な怖い絵描いてる人でしょ。図工の教科書に乗ってるやつ」

 

 森ちゃんが言うと、

 

「あーあれ、ゾンビみたいでなんかコエーよな」

 

「そーそー」

 

「なんかグロいし」

 

 一緒になって騒いでいた男子がみんなで言う。

 確かに今年の図工の教科書に、『苦悩』が載っているけど、あんな、A4の教科書の四分の一ほどのスペースの平面的な写真では、あの絵の迫力の一万分の一も伝わらないだろう。

 

 

「あんなヤバイ絵なんか描いてるから、呪われて死んじゃったんじゃない?」

 

仁美が笑いながら言ったその言葉を、私はどうしても聞き流せなかった。

 

「やめなよ。人が亡くなってんのに。呪いとか幼稚なこと言って、ばっかみたい」

 

 つい、きつい口調になってしまった。空気が凍りつく。森ちゃんも友ちゃんも目を丸くしてる。仁美は一瞬、言われたことが理解できない、みたいな顔をした後、真顔になって私を睨む。

 

「はぁ。何いってんの留美。よく聞こえなかったからもう一回言ってくんない?」

 

「幼稚だって言ってるの。クラスメイトのお祖父さんが亡くなってるのに、呪いとか。下らない」

 

 わかってる。こんなのただの八つ当たりだ。自分が肝心な時に何もできなかったのを、誰かを非難することで自分の心を紛らわしたいだけなんだって。他に角の立たない言い方がいくらでも有るのに、どうしても自分が押さえられない。

 

「仁美も、留美もやめてよ」

 

「やめてって。留美がいきなり突っかかってきたんじゃん」

 

「うん。いまのは留美の言い方が酷いでしょ。仁美に(あやま)んなよ」

 

森ちゃんにそう言われる。ほんとその通りだ。だけど、

 

「…………」

 

「ふーん。そう。 ……わかった」

 

仁美の声の温度が一気に下る。

 

「あんた、今までもあたしたちのことそうやって馬鹿にしてたんだね。何となく、ノリ悪いなって思うことあったけど、そういうことでしょ」

 

 わからない。けど、どっかで、みんな幼稚だって、思ってた。でも、だからってそれが嫌ってことじゃなかったんだけど……。

 

「悪かったわね、私たち馬鹿で幼稚で。だから、鶴見さん(・・・・)の友達続けるの、無理だわ」

 

「仁美ちゃん! それは……」

 

友ちゃんが何か言いかけるのを、森ちゃんが止めた。

 

「友佳やめな。鶴見(・・)が悪い」

 

 ……ああ、これは宣言だ。次にクラスでハブにするのは、「鶴見留美」だっていう事をみんなに伝えるための儀式みたいなものだ。

 

 このクラスでだれかをハブにする時の、暗黙のルール。

 

 私たちの学校では、元々男女とも、下の名前か、あだ名で呼びあうことが多い。けれど、ハブりが始まると、基本は無視し、何か必要があって話す時は必ず名字(みょうじ)で呼ぶようにするのだ。

 そのルールを守らない者がいると、クラスの中心である森ちゃんや仁美、由香たちを含むみんなが、視線でプレッシャーをかける。その視線はこう突きつける。

 

『ルールを守らなければ、次はお前だ』

 

 と。

 

 私はこの日、生まれて初めて「ハブられる側」になった。

 

 

 

  * * * * * * 

 

 

 

 いままで、「留美」「留美ちゃん」と、親しげに話しかけてくれた友達から一斉に無視され、どうしても必要な時でも、クラス全員があだ名や下の名前で呼び合う中、私ひとりだけが「鶴見」「鶴見さん」と呼ばれる。

 誰が思いついたか知らないけど、本当に幼稚で下らない。でも、単純だからこそ、真っすぐに心を(えぐ)ってくる……。

 今まで、泉ちゃんも、他の子達もこんな思いしてたんだな。……こんな思いさせてたんだな。ほんっと、幼稚でバカばっかだ。みんなも、私も。

 

 

 

 木曜日。無視され始めてから四日目、重い足を引きずりながらも教室に着くと、久しぶりに泉ちゃんが自分の席に座っていた。ほんの一瞬、自分の置かれた状況を忘れて駆け寄る。

 

「泉ちゃん、もう……」

 

大丈夫なの? と聞こうとした時、泉ちゃんは顔も上げずに、

 

「おはよう、鶴見さん(・・・・)

 

周りの全てを拒否するような、冷たい声でそう言った。

 

 

 ……その後の数分のことは何も覚えていない。気が付くと私は、トイレで朝食べたものを全て吐いてしまっていた。

 

 

 

 

  * * * * *

 

 

 今、私の部屋の机に、三枚の写真が飾られている。三面鏡のように折りたためる木製の写真立て。

 

 壊れてしまったもの。失ってしまったもの。新しく見つけたもの。今なら、……そう、今になってようやく分かる。どれも全て、私にとって大切なものだって事が。

 

 

 

 一番左は、デスティニーランドで仁美たちと撮った、パンさんと一緒に五人でポーズを決めている写真。

 

 夏休み明け、もう、クラスで誰かがハブられることは無くなった。ただ、私は、みんなとの距離を計りかねている。

 あれから由香とはわりとよく話すようになった。いつも一緒にいるってわけじゃないけど、今、一番話をするクラスメイトかも知れない。

 仁美は、私を「留美」と呼ぶようにはなったけど、二人で話すことはほとんど無い。

 友ちゃんはいつものようにクラスのマスコットで、なんだかんだいって森ちゃんとはいつも一緒だ。あの二人は変わらないなぁ。彼女たちを見ていると、八幡たちと河原で、小学校からずっと付き合っていける友達は百人にひとり、というような話をした事を思い出す。

 でも……もう、五人で仲良くって事は二度とないんだろうなって事はなんとなくわかってる。多分、みんな。

 

 

 

 真ん中の写真は、藤澤先生の左右に私と泉ちゃんが立っている写真。

 

 泉ちゃんとは、「鶴見さん」と呼ばれたあの日から、夏休みに入るまで一ヶ月以上、一言も口を聞かなかった。あの、何もかもを拒絶するような声が怖くて、目を合わせることさえ避けていた。

 

 私たちが、私があの日彼女にした事を考えれば、簡単に(ゆる)されないのは分かっている。

 だからか、私は、彼女の代わりにみんなに無視されることで、彼女に償っているという自己満足に浸っていたのかもしれない。彼女は別にそんな事を望んではいないんだろうなと頭では理解しているのに。それでも。

 

 泉ちゃんは林間学校の最初の日、聞き間違えじゃなければ、私を「留美ちゃん」と呼ぼうとしてくれていた。夏休みに入って、彼女にどんな心境の変化があったのかはわからないけど、もしかすると誰かから、なぜ私がハブられるようになったかを聞かされて、責任を感じて話しかけようとしてくれたのかも……。

 夏休みが終わって、ようやく彼女とは他のクラスメイトと同じように、朝や帰りのあいさつだけはするようになったけど、でもそれだけ。未だに、泉ちゃんの前だと緊張する。また彼女を傷つけることが怖いのか、傷つけられるのが怖いのか……、自分でもよくわかんない。

 

 

 

 右端の写真は、千葉村で、八幡たちと撮った写真。

 

 小町さんが八幡の目を隠しているあの写真だ。お母さんを心配させないために撮った写真。千葉村のことは、決していい思い出ばかりじゃ無かった。

 でも……林間学校で八幡に会えたことで、私の世界は随分と変わった。きっと、本当に変わったのは、世界ではなく私自身の方なんだろう。

 

 結局私は、「自分はあのへん(・・・・)と違う」なんて言いながら、私と違う仁美たちを受け入れられず、彼女たちと違う「私」も受け入れられなかった。それだけの事だったんだと今だから分かる。

 だからいつか、八幡があの時言ってたように、「自分と違う他人を認め、他人と違う自分を認める」そういう事が出来る「私」になりたいと思う。ただ、『正しいぼっち』っていうネーミングセンスはちょっとどうかと思うけど。

 

 小町さんが一人だけ中学生だったというのはあとから聞いてびっくりした。確かに小柄だけど、その割に大人っぽく見える。中学生でも、三年生ならそんなものなのかな。

 あの後彼女に、「お母さんのパソコンでメールを使える」という話をしたら、最終日の帰り際に、

 

「何かあったらいつでも連絡してねっ。お兄ちゃんはそういう時のためにある(・・)んだから」

 

と言って小町さんのメールアドレスが書かれたメモをくれた。

 

 

 

 

 私は、机の引き出しを開け、手帳の間に隠すように挟んだもう一枚の写真をそっと取り出す。八幡が木にもたれて眠る写真。

 

 プリンタの、セピアカラーモードでプリントしてみたら、本当にまるで絵葉書のような写真になった。木漏日の下で目を閉じて樹にもたれる八幡の姿は、何ていうか……知性的でかっこいい、みたいな感じで、見てるだけでドキドキする。

 男の人の写真を見てこんなふうに思うなんて、初めてかもしれない。目を開けてる八幡にはあんまりドキドキしないけど。ふふ。

 

 今はまだ無理だけど、いつか、写真立ての中の三枚の写真を、心から笑って見れる時が来たらいいな。なんて思いながら、セピア色の八幡のほっぺを軽く突っついた。

 

 

 

 




 ……少し重い話になってしまいましたね……。

 しかし、これは過去の話。未来は収束し、留美は、固有結界『無限のぼっち(Unlimited lonely works)』を持つ比企谷八幡という少年に救われるのです。

 ** 注:そんな壮大な話ではありません。 **


 今回は説明調の文章が多くて申し訳ありませんでした。言い訳させて貰えば、最初は仁美たちとの出会いとか、なんでこういう子と友達してるのか、とか、いじめ?の具体的な話とかきちんと書こうとは思っていたんですが、それを全部やろうとすると、八幡が出てこない話が五、六話続いてしまう、という事態になりそうだったので、そこはざっくり書かせて頂きました。

 前話を読まれた方から頂いた質問で、「下の名前で呼んだだけで(ハブにするのが)終わるの?」というのは、このクラスの暗黙のルールだから、ということで。(後付では無いです。一応一話にそれっぽいことを書いてますよ)

 さて、次回からクリスマスイベント編なんですが、更新まで少し開いてしまいます。あるキャラの出番を増やしたくて、プロットの再構成をしているんですが、見切り発車で書き始めると、先の話で辻褄が合わなくなりそうなので……すいません。

 その作業と同時進行で、辻褄合わせとかそういうのが必要ない、ライトな「俺ガイルクリスマスネタ」みたいのを一本書いてるので、そちらが先になるかもしれません。


 ご意見、ご感想お待ちしています。 ではでは。


12月1日 誤字修正しました。報告有難うございます

 同   一部、かな→漢字修正しました


12月2日 誤字修正しました。報告ありがとうございます。

12月7日 誤字修正しました。







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