そして、鶴見留美は   作:さすらいガードマン

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 読んでくださる方、お気に入り登録してくださる方、感想、評価を下さった方、いつも本当に有難うございます。やっぱり沢山の方に読んでいただけていると思うと書く時のテンションも上がりますね。

 それでは、デート回後編。

 留美の言う『思い出』とは?  いつもより少し長めです。
 
 





鶴見留美はふわふわと落ち着かない③ 入学祝い狂想曲

  

 

 女の子が憧れるシチュエーション。 壁ドン? あすなろ抱き? ――お姫様抱っこ……。

 

 好きな男の子にしてもらえたなら、きっと最高の気分のはず……なのにどうして私はこんなに惨めな気持ちなんだろう……。 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

「『思い出』って……これかよ……」

 

 食事を終えた私たちは、サイゼリヤがある南館から北館へと移動し、大きなゲームセンターエリアへとやってきていた。

 私に袖を引かれて移動する間ひどく落ち着かないような態度を見せていた八幡は、なぜかホッとしたような、それでいて戸惑うような顔をしている。

 

「? 何だと思ったの」

 

「い、いや、なんでもねーって」

 

 変な八幡……。

 

 

 

 私の目当ては、店内奥の一角にある、プリクラコーナー。

 

 実はこの前、ここじゃないお店で絢香たちと一緒にプリ撮ったんだけど、その時「カップルコース」っていうのを選べる機種があったの。

 その時は、「へー、こんなのあるんだ。 ……いつか八幡と一緒に撮ってみたいな」ってちらっと思ったぐらいだった。

 けど、さっきお昼食べながらららぽーとの店内マップ何気なく見てたら、サイゼリヤの結構近くにゲームセンターがあって……ふとその時のこと思い出しちゃったんだ。

 

 だから、もし八幡が「いいよ」って言ってくれたら一緒にプリ撮ってもらおうって思ったの。……もちろん「カップルコース」っていうのはナイショで。ふふ。

 

 そのまま八幡の手を引いてプリクラコーナーの方に進もうとしたら、彼が少し抵抗するような素振りをする。

 

「ダメ?」

 

「いや、駄目っつーか……ちょっと緊張してんだよ。こういうのあんまり慣れてねーし」

 

 あんまり、ってことは初めてというわけじゃあ無さそうだ。小町さんと一緒に撮ったのかな、それか……いつもの三人……。うーん、こんなこと考えてももやもやするだけだ。

 私は平静を装って聞いてみる。

 

「緊張って、別にやったこと無いわけじゃ無いでしょ?」

 

「おう、まあ一応はな……」

 

「小町さんと、とか?」

 

「いや…………」

 

 八幡は言葉を濁す。小町さんじゃ無いんだ……。だったら雪乃さん――は無いか。プリクラとか誘いそうなのは結衣さんか……いろはさんの方がありそうかな。

 

「ふぅん……誰と撮ったの?」

 

「……留美、なんでそこで怖い声になるんだよ……」

 

「え? き、気のせいだよ」

 

 ……ホント、そんな声出すつもり無かったんだけどな。

 

「そうか? あー、去年その、戸塚とな……」

 

「とつ……! そ、そうなんだ」

 

 びっくり。これはさすがに予想外の答えだ……。

 

「おう、いや、なんというか……成り行きでな」 

 

 成り行きって……。目の前にある注意書きには「女性のお客様及びカップルのみの御入場とさせていただきます」と大きく表示されている。

 

 カップル……そういうカップルも有りなのかな……。

 

 

 

 

 でも、八幡の答えを聞いてしまえば案外心は軽くなる。私の中で、「小町さん」と「戸塚さん」は、嫉妬をしても意味がないくらい八幡にとっての特別なんだとわかっているから。

 

 ――なんて、格好つけてはいるけど、本音を言えばきっとこの二人は「八幡の恋人」にはならないだろうと安心してるってだけかも。……「恋人」に……ならない……よね!?

 

 

 

 一抹の不安を抱えつつも、

 

「大丈夫だよ、私この前絢香や陶子ちゃんと撮ったばっかりだから教えてあげる。一応は男女二人なんだから入るのはOKでしょ。……それに八幡さっき、『俺に出来ることならやる』って言ってくれたでしょ。ね、入学祝い」

 

 そう言って再び彼の袖を引っ張る。

 八幡は、「ああもう」とでも言いたげにガシガシと頭を掻くと、

 

「まあ、確かにやるって言ったし……『入学祝い』だしな」

 

 そう言って抵抗を緩めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は八幡がキョロキョロと落ち着かない様子で居るのを構わず、腕を引っ張ったまま目的のプリクラ機の中に引き込むことに成功。

 

 八幡は「まあプリクラ撮るくらいなら……」とか言いつつも不安そうに周りを見回している。私が機械にお金を投入すると、

 

『こーすを、えらんでね~』

 

 可愛らしい声でガイダンスが流れ、目の前の液晶パネルにコース選択の画面が表示される。

「二人用コース」「三人用コース」「多人数用コース」……そして「カップルコース」

 

 私は八幡が何かを言う前に「カップルコース」のところにタッチする。

 

 

『とりたいぽーずを、3つえらんでね~』

 

 

「おい、留美今のって……」

 

「ん? 何、八幡」

 

 私は知らんぷりで次の作業を進める。

 

 

「いや、今カップルコースとか……」

 

 

 選べるポーズは結構たくさんある。肩を抱いてもらう『ぎゅー』とか、二人の手でハート型を作る『はーと』、後ろから抱きつかれるみたいな『らぶらぶ』、二人で小指を絡めて顔を寄せ合う『ゆびきり』それから、頬とか口に、……キ、キスしてる『ちゅー』とか……他にも沢山。

 

 『ちゅー』かぁ。クリスマスイベントの時の事を思い出す。今にして思えばよくあんなに大胆なことが出来たものだと自分でも思う。……あの頃は色々といっぱいいっぱいだったからなぁ……。迷っている間にもどんどん制限時間がカウントダウンされていく。

 

 

「だからコースがおかしいんじゃないかって…………」

 

 

 3つか……。最初は軽く、『ゆびきり』で、それから次は『ぎゅー』 もう一つ……『ちゅー』はさすがに……、でも『らぶらぶ』なら頼めばやってくれないかな……。うん、もう時間ないしこれにしよう。

 

『これでいいかな~』

 

 よし! と最後の決定ボタンをタッチする……ん?

 

 

 

「……お~い、留美さんや?」

 

「あ! ……な、なに?」

 

 八幡……全部見てたよね。さすがにごまかせない、かな。

 

「『あ!』じゃねえ……。なんで入学祝いでカップルコースなんだよ」

 

「だって……だって、『思い出』だから……ね?」

 

 思い出だから……って全然理由になってないけど、でもどうしてもこれがいいと目で訴える。

 しばし二人見つめ合う……というか、にらめっこみたいに我慢比べ。

 

 

 

「…………誰にも見せるなよ」

 

 少し考えるような様子を見せていた八幡だけど、結局最後は折れてくれて、しょうがないというように一つため息をつく。

 

「うんっ」

 

 

 

 

 

 

 

『さいしょは、このぽーず!』

 

 画面の端に、モデルさんによるポーズのお手本が表示される。

 最初は『ゆびきり』 二人で肩を寄せ合う様にして、いわゆる「指切りげんまん」をしているようなポーズだ。

 

「八幡、はい!」

 

 私が小指を差し出すと、

 

「えーと……こう、か?」

 

 画面を見て確認するようにしながら八幡も手を重ねてくる。……絡む指先、少しこそばゆそうな彼の表情になんだかキュンとしてしまう。

 

『さつえいするよ~  さん、にぃ、いちっ』

 

 パシャリ、と音がしてほっとして指をほどこうとする八幡。

 

「八幡、まだだよ」

 

「ん?」

 

『もういっかい、いくよ~ さん、にぃ、いちっ……』

 

…………。

 

 

 

 

 一つのポーズを2回撮影すると次に進む。

 

 2つめのポーズは『ぎゅー』

 

 お手本では、男の子が女の子の肩をしっかり抱き寄せるようにして、女の子の方は胸の前辺りでVサインをして笑顏を見せている。

 

「これは……」

 

 八幡はお手本を見てちょっと怯んでる様子。

 

「ほら、八幡早くっ。お手本と同じようにしないと、『やり直し』って言われちゃうよっ」

 

「え! なに? これってそういうもんなの?」

 

 ……ふふ、もちろん嘘だよ、ごめんね八幡。

 

 彼は私に言われるまま、気恥ずかしそうにしながら肩を抱いてくれた。……もっとも「肩を抱き寄せる」というより、「肩にちょこんと手をのせる」みたいな感じになっちゃったけど。

 

 

 

 

 ――そして最後のポーズ、『らぶらぶ』

 

 「あすなろ抱き」「バックハグ」などと呼ばれるポーズ。表示されたお手本では、男の子が女の子を後ろから抱きしめ、彼女の耳の上辺りに頬を擦り付けるようにしている。

 女の子は男の子の腕に自分の手を重ねてニッコリと笑顏。

 

  ……で、八幡はと言えば、両手で大きな輪を作って、それで私を囲むようにしてる。極力私に触れないように、というつもりなんだろうけど……なんか違う。まるで浮き輪を被せられてるみたい。

 

「八幡、そうじゃなくって、もっとぎゅって……」

 

「いやそれ無理だから」

 

「もう……」

 

 

『さつえいするよ~ さん、……』

 

「えいっ」

 

 私は八幡の両腕を外から巻き込むように引っぱり、そのまま彼の腕をぎゅっと抱きしめる。

 

「おわっ!……と」

 

 八幡はバランスを崩し、体重を私に預ける形になって……。

 

 ――結果、今私……八幡に抱き締められてる。画面のお手本よりもっとぎゅうっと。

 

 パシャリ、と撮影音。

 

「ちょ、留美お前……」

 

「ほら、八幡前見てっ」

 

 私はがっしりと彼の腕を掴んだまま離さない。

 

『もういっかい、いくよ~ さん、にぃ、いちっ』

 

 パシャリ。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 プリクラ機の横、落書きコーナー。並んで表示されてる二つの液晶画面、二本の入力用のペン。一本は手も触れられず置かれたままだけど、もう一本は絶賛大活躍中。

 落書きしてるのはもちろん私。背景は……ベタかもだけど、やっぱりハートが沢山のにしようかな。スタンプはこれとこれ。あとは……なんて書こうかな。

 

 でも……この3ポーズ目、『らぶらぶ』の写真……なんていうか……すごくいい。

 八幡は慌ててたせいかもしれないけど、作り笑顔じゃない自然な表情だし、私はいたずらが成功してすっごく嬉しそうに頬を染めて笑ってる。

 その、自分で言うのはどうかと思うけど、画面の中の私は、本当に素敵な笑顔をしている女の子だ。 ……ふふ、八幡の隣にいる私ってこんな顔してるんだな。

 

 撮影の間のほんの十秒くらいだったけど、八幡に抱き締めてもらって……うん、すごく嬉しかった。

 私はピンクの文字で大きく「大好き」と書き込む。他の人が書いてるのを見た時は、「バカップルだなぁ」なんて、ちょっと呆れたりもしてたけど……いざ自分の想い人とのプリクラを目の前にするとそう書きたくなっちゃう不思議……。

 

 

 

「ねえ、八幡も書いて」

 

 落書きの残り時間が半分くらいになってもなんだか疲れたように立ったままの八幡にそう言うと、

 

「いや、俺はこういうのセンス無いし、それになんというか……見てるだけで照れる」

 

 う、確かに照れる……かも。私がはしゃいで「バカップルプリクラ」にしちゃったし。

 

「でも、『思い出』なんだから、八幡にもなんか書いて欲しい」

 

「なんかって言ってもな……」

 

「それにさっき誰にも見せないって約束したんだから、八幡がもし変なこと書いても……笑うのは私だけだよ」

 

「いやお前は笑うのかよ。そこは『誰も笑ったりしないよ』って言うところだろ……」

 

 でもまあそういうことなら、と八幡はようやくペンを握ってくれる。

 

「後悔するなよ」

 

 後悔って……大袈裟だなあ。そして八幡は画面にペンを走らせる。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

©達吉 *1

 

 

 

 ぷ、あははは……、八幡さいてー……でも、大好き!

 

 八幡は、画面の下の隅っこに、まるで漢字の書き取りみたいなしっかりとした黒文字で『祝入学』って書いたの! それも選択した三枚全部に。

 

 大笑いする私を見て、八幡は、

 

「フ、どうだ参ったか」

 

 とドヤ顔。

 

「うんっ、参った。あははは」

 

 ほんと、こんなやたら丸文字キラキラのプリクラに、硬い字で『祝入学』って……。でも八幡らしいっていうか、こういうところも……好き。

 

 ……私大丈夫かな? このまま八幡に染まっちゃったら、私のセンスまで斜め下にずれて行っちゃうかも。

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 

 

 しばらくして、プリクラ機のシール出口に、完成したシールシートがコトリと軽い音を立てて落ち、私はドキドキしながらそれを取り出す。

 

 全体的にピンクと水色を中心にした配色の、大小様々のシールたち。それぞれに私と八幡の顔、顔、顔。ぎこちない八幡、はにかむ私、照れてる八幡と嬉しそうな私……。

 

 ……そして、くっきり黒く、「祝入学」の文字。ふふ、結構目立つなぁ。でもこれ、なんだかとってもいい味になってる。

 

 

 

 備え付けのハサミでシートを半分に切り、八幡に渡そうとしたら、

 

「そんな危険物、迂闊に持って帰れねーよ」

 

 なんて言ってる。

 

「じゃあ、たくさんあるからみんなにおすそ分けしようかな~」

 

「おいバカやめろ」

 

「なら、八幡もちゃんと受け取ってよ」

 

 私は彼の上着の袖をくいくいと引っぱりながら言う。

 

「いやでもな……何処に隠すか…………」

 

 ガシガシ頭を掻きながらぶつぶつ言い始める八幡……。

 

 

 

 

 

 その時――。

 

「……っべーわ、隼人くん。最後のコーナーの抜け方とかぁ、もう神業っしょ」

 

「たまたま運が良かっただけだって」

 

「いやマジで、初めてやっていきなりランクインとか、レーサーとか超向いてんじゃね?」

 

「あれはただのゲームだろ。レーサーなんて、そんな簡単になれるようなものじゃないよ……」

 

 

 どこかで聞き覚えのある声が……。

 

 声の方を伺えば、葉山さん、戸部さん、少し遅れて三浦さん、海老名さんの四人がアーケードゲームのコーナーから連れ立ってやってくる。

 

 八幡が慌てて方向転換をしようとしたんだけど……。

 

 

 

「……って、あれ? ヒキタニくんじゃね?」

 

 間に合わず見つかってしまった。

 

 

「そんな名前のひとはしらない。人違いだ」

 

「またまた~。ヒキタニ君てば、冗談ばっかりー」

 

 八幡は、「いやほんと俺、『ヒキタニ君』なんて人知らないんですけど」とか言ってるけど戸部さんはちっとも聞いてない。

 

「あれ? その娘もしかしてカノジョさん? 俺もしかしてじゃましちゃったり…………お? おお?」

 

 戸部さんは私の顔をじっと見て……なんだかあ然とした表情。

 

「戸部、あんまり彼を困らせ…………比企谷、その子……?」

 

「ん、どうしたの戸部っち。 ……あ」

 

 追いついてきた女子二人もこちらに顔を向ける。

 

「ヒキオと……アンタ確か……」

 

 どうやら、他の三人も私の顔を思い出したようだ。

 

 

 

 ……私たちは、「私が八幡の袖にくっついた状態」でプリクラのコーナーから出てきたわけで……その上、急いで隠したものの、持っていたシールもちらっと見られたかもしれない。

 悪い事してる訳じゃない……けど、八幡は多分見られたくなかったはず。

 

 

 

 空気が重くなってしまったところで、

 

「ねーねー二人はどんな関係? だめだよ~ヒキタニ君、キミには隼人くんっていう大事な人が居るでしょ~」

 

 海老名さんが冗談めかして言ってくれる。

 

 

「関係って……別に()()()()()()()()。今日はその、入学祝いを買いに来ただけだ。……あと葉山とかいらん」

 

「ふっ、ヒドイなキミは」

 

「知るか。だいたい、いるって言ってほしいのかよ」

 

「いやそれは……」

 

 八幡と葉山さんが一瞬目を合わせ、二人同時に恐いものでも見るように海老名さんの方を向く、と……。

 海老名さんの目が妖しく光ったような気がした。

 

「腐、フヒっ……『俺にはお前が必要だっ!』……はやはちキマシタワー!!」

 

 そこで三浦さんがバシッと、結構遠慮なく海老名さんの後頭部を引っ叩く。

 

「だからちゃんと擬態しろし……」

 

 

 

 

 

 私は八幡がどこか言い訳がましく葉山さん達と話してるのを少し引いたところでぼんやりと見ていた。

 

 はぁ。…………別に恋人とか彼女って言ってもらえるとは思ってなかったけどさ、「何の関係もない」って言われたのは結構――ううん、凄くショックだなぁ…………。

 もちろん、八幡が照れ隠しとか焦りとかでそういう風に言ったってのはよくわかってる。『関係ない』という言葉の意味も、恋人とか()()()()()()()()()()という、それだけなのもわかってる。

 

 でも……でもさ。

 

 ふとそこまで考えて、改めて思う。

 

「私と八幡の関係」って一体なんだろう。

 

 家族でも恋人でもない。年も、住んでるところも学校も違う。

 林間学校で知り合って、クリスマスイベントを一緒にやって……それだけ?

 

 ううん、そんな事無い。八幡は私にとって特別で、その……片想いの相手で……。

 

 じゃあ――八幡にとっての「私」は……?

 

 

 

 悶々とそんな事を考えていると、なんだかまた足がじりじりと痛くなってきちゃった。

 午前中からけっこう歩いたし……それにこれ、疲れてるだけじゃなくて、多分靴ずれもしてる、かなぁ。……我慢出来ない程じゃないけどさすがに気になる。どこかで一度靴下脱いで見てみよう。

 

 どこか座れる所を探して……。

 つい足を気にして下を向いたまま歩きだしたせいで、すぐ前を横切る人影に気付くのが遅れた。

 

「あ……」

 

 目の前を通り過ぎたのは、すぐ近くで両替機を使っていたらしい体格のいい外国人の男性。慌ててよけ、ぶつかりこそしなかったものの、私は床を這っている配線カバーのようなものに(つまず)いてバランスを崩し、なれない靴と足の痛みもあってそのままぽてんと尻餅をついてしまった。

 

 その外国人の方はどうやら急いでいたようで、私には気付きもせず、何事もなかったように早足で行ってしまった。

 

 

 

「留美、大丈夫か」

 

 すぐ私の様子に気がついた八幡が駆け寄ってきて、心配そうに手を差し伸べてくれる。

 

「うん、平気……痛っ」

 

 八幡の手を掴んで、なんでもないことのように立ち上がろうとしたら、右の足首――(くるぶし)の下あたりに鋭い痛みが走り、思わず悲鳴のような声が出てしまった。

 

 捻ったりはしてないし……多分だけど転んだ拍子に靴ずれが酷くなったのかも。

 

「留美?」

 

「……あー……ちょっと靴ずれしちゃったみたい」

 

 

 

 八幡に肩を借り、とりあえず近くにあった格闘技ゲーム用の長椅子に足を伸ばして座らせてもらう。一度靴を脱いで……と。

 

 私たちの様子を見て、なんだか野次馬が集まってくる。三浦さんはチッと舌を鳴らし、私の靴を持って立ち上がった。

 

「ヒキオ、ボーっと突っ立ってないでその()連れて向こう行くから」

 

 彼女は八幡にそう声をかけ、顎で店の出口の方を指す。

 

「いや、連れてくって言っても……」

 

「はあ! ここじゃあ目立つって言ってんの。あんた男っしょ。女の子一人ぐらいとっとと運ぶし」

 

 三浦さんはそう言うとくるっと振り向き、野次馬たちをキッと睨みつける。彼女の迫力に彼らは慌てたように目をそらした。

 

「ちょっとだけ我慢しろよ」

 

 八幡はそう言うと片膝を突くようにして、私の背中と太もも、膝とお尻のちょうど間くらいのところにスッと腕を通して……ふわりと私を抱き上げた。

 

「あ……」

 

「留美、ちゃんと掴まってろ」

 

「……うん」

 

 八幡に言われ、私は彼の首に腕を廻した。靴を脱いだ状態でこういう風に抱き上げられていると、足元がスースーしているような感じがしてひどく落ち着かない心持ちにさせられる。

 

 

 

「ヒキタニ君、こっちだよ~」

 

 海老名さんに声をかけられ、ゲームセンターのエリアから離れる。

 

 

 触れる半身から八幡の体温が伝わってくる。私も女の子だし、「好きな人にお姫様抱っこしてもらう」というのにはもちろん憧れてはいた。

 

 ……でも、せっかくの「お姫様抱っこ」を私は素直に喜べない。

 

 ドキドキしないわけじゃない。八幡が私を気遣ってくれてるのが嬉しくないわけじゃない。――でも……。見上げると、時折心配そうに私を見る八幡の真剣な顔。なんだか申し訳なくなって私は視線を伏せた……。

 

 ふと周囲に目をやると、葉山さんや戸部さんがさり気なく私たちを野次馬からガードしてくれてる様子に気付く。

 

 

 

 ……あーあ。やっちゃた……今日はずっと楽しかったのに。背伸びして……無理して大人ぶってたからバチが当たったのかな。

 慣れない踵の高い靴なんて履いてカッコつけて……結局転んでみっともないとこ見せてたら意味ない……。

 それに、そのせいでまた迷惑かけちゃったし……八幡だけじゃなく、葉山さんたちにまで。

 

 

 ついさっきまでプリクラであんなにも高揚していた気持ちがどんどんと冷えていく。

 

 ……目尻にじわっと涙が滲んで来ちゃった……こんなことくらいで。打たれ弱いなぁ、私。……まあ、普段大人ぶってるけど実は結構泣き虫な方だという自覚はある。

 

 

 

 

「ヒキオ、こっち」

 

「おう」

 

 

 三浦さん達に先導されて連れてきてもらったのは、エレベーターの裏手、階段の上り口手前にあるベンチ。メインの通路からは陰になっている場所なので、さっきのように変に注目されることも無い。

 

「そこ座らせてあげて」

 

「ん……下ろすぞ」

 

 八幡はベンチの上にそうっと私を下ろしてくれた。

 

 

 

「ちょっと靴下めくるね~」

 

 海老名さんが優しく私の靴下を爪先残しで脱がせてくれる。両足とも、(くるぶし)の下あたりがかなり赤くなっていて、特に右足の方は傷口にじんわりと血が滲んでいるのが分かる。

 

「あ~、切れてはないけど……これ、痛かったでしょ」

 

「えーと……ちょっとだけ、です」

 

 本当はかなり痛いけど……。

 

 それが表情に出てしまったのかもしれない。海老名さんと一緒に傷を見てくれていた三浦さんが立ち上がり、八幡に詰め寄るようにして声を荒げる。

 

「ヒキオあんたさぁ……連れてる子がこんなになるまで気付かないとか、マジありえないし! だいたい……」

 

「ごめんなさい! 八幡は悪くないの。……私が自分で勝手に無理しちゃっただけなの!」

 

 私が慌てて言うと、彼女は少し驚いたような顔で私を見る。 

 

「…………けど……」

 

「優美子、留美ちゃんがそう言ってるんだし、ね?」

 

「……まあ、あーしは別に……」

 

 海老名さんのとりなしで、どうやら三浦さんは矛を収めてくれたようだ。三浦さんはくるっと私の方に向き直ると、

 

「アンタもさぁ、痛いんなら早く言うし」

 

 そう諭すように言って指先で私のおでこをちょこんとつつく。

 

「……はい……」

 

 う……なんだか小さい子がお母さんに叱られてるみたい……。

 

 

 

 それから三浦さんはバックのファスナーを開け、小さな箱を取り出して海老名さんに渡した。

 

姫菜(ひな)、ほらこれで」

 

「ほいほーい。お、大きいのもあるんだ」

 

 見れば、パステルカラーの絆創膏セット。ピンク・ミントグリーン・オレンジの三色で、サイズも三種類ぐらいあるみたい。

 

「右足は大きい方。こっちは……中サイズで大丈夫だね…………と、出来たよ。どうかな」

 

 海老名さんは傷と絆創膏のサイズを見比べるようにしながら、優しく絆創膏を貼ってくれた。

 

 ピンクとオレンジの絆創膏で覆われた傷口にそっと触れてみる。

 ……うん、少し押すとさすがに痛むけど、すごく楽になった。ちょっと触るぐらいなら多分平気だろう。

 

 海老名さんが三浦さんに向かって「大丈夫」というように頷くと、三浦さんはホッとしたように厳しかった表情を緩める。

 なんというか……「お母さん」と「お姉ちゃん」みたい……なんて、ちょっと失礼な想像をしてしまう。

 

 

 

「あの、ありがとうございました」

 

 私が彼女たちにお礼を言うと、

 

「俺からも……その、色々助かった。ありがとな」

 

 そう、八幡も一緒になって頭を下げてくれた。

 

「んふふ~、どういたしましてだよ~、留美ちゃんにヒキタニ君」

 

「まあ、礼とかいいし。……けどさ、この靴今日はもうヤバいっしょ」

 

 三浦さんはそう言って私の靴をヒョイと持ち上げてみせる。

 

「あー、ヒール高いし……たぶんまた痛くなっちゃうねー」

 

 そうだよね、踵が高い靴履いてるとどうしても爪先とか甲に負担がかかるし。

 

 すると今まで離れて様子を見ていた葉山さんが、

 

「じゃあ、今日のところは安いサンダルでも買って、とりあえずそれで帰るのがいいんじゃないかな。たしかこの向かいあたりに靴屋あっただろ」

 

 そう解決策を提案してくれる。

 

「ああ、そういやあったわー。それか、上のゼビ○とかでもよくね、シューズサンダルとか」

 

「そうだな……いやでも女の子だし……」

 

 

 

 

「靴屋……か」

 

「八幡……?」

 

 葉山さんと戸部さんが話しているのを聞いていた八幡が、

 

「なぁ、留美のこと少しだけ頼んで良いか?」

 

 そう彼らに声をかける。

 

「比企谷?」

 

 

 

 八幡は葉山さんと何か小声で話をしてる。なんだか指差したりして……何かの場所を確認してる……のかな。

 話を終えたらしい八幡は、こちらに振り向くと、

 

「留美、すぐ来るからちょっとここで待ってろ。 ……その、足……気が付かなくて悪かった」

 

 ピンクとオレンジの絆創膏、爪先だけちょこんとかぶってる靴下。見た目だけならちょっと可愛くなってしまった私の足に目を向け、申し訳なさそうにそう言う。

 

「そんなの……」

 

 八幡は全然悪くないのに……そんな顔、させたくなかったのに。

 

 

 

 

 

 

 八幡が何処かへ行ってしまい、私が心細そうにしているように見えたのかもしれない。

 

「大丈夫だよ~。お姉さん、留美ちゃんのこと食べたりしないからー」

 

 隣に座ってくれている海老名さんが冗談めかしてそう言ってくれる。その優しそうな表情に、私も思わず頬が緩む。

 

「でさでさ~、もしかして留美ちゃんて、ヒキタニ君の事……」

 

 彼女は私に顔を寄せ、興味津々、みたいな感じに小声でそう聞いてくる。一応、男性陣には聞こえないように気を使ってはくれているみたい。

 

「それは……あの…………」

 

 私はなんだか恥ずかしくて答えられなかった。けど、

 

「ごめんごめん。無理して答えなくていいよ~。でも、だいたい分かっちゃったかな♪」

 

 そんな風に言われてしまった。まあ、急に聞かれて思わず頬が熱くなったし、態度もぎこちなかった。……そういうのって、見てれば分かってしまうものなのかもしれない。

 

「……ったく、結衣といい、あんなのの何処がそんなに良いん?」

 

 三浦さんが誰に問うでもなくそんな風に呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 彼自身の「すぐ戻る」という言葉どおり、五分ほどで戻ってきた八幡。

 

 その手には……鮮やかな真っ黄色のプラスチック?サンダル。クロックスサンダルとかいう、あの柔らかくてボコボコ穴が開いてるデザインのサンダルだ。 ……でもさすがに真っ黄色って……。

 

 葉山さん達も同じことを思ったらしい。

 

「比企谷……安いサンダルとは言ったがさすがにそれは……」

 

「うん……」

 

「無いわー、その色は無いわー」

 

 と一様に渋い反応。でも、せっかく私のために用意してくれたんだし、ちょっと恥ずかしいのさえ我慢すれば…………。

 

「八幡、私それでいいよ。…………それなら、足痛く無さそうだし、ありがと……」

 

 すると八幡は、

 

「待て待て。勘違いしてんじゃねえよ。留美も悲壮な覚悟みたいな顔すんな」

 

 そう言って私の前にそのサンダルを並べる。よく見れば、油性ペンで『△△シューショップ・Sサイズ』と書かれている。

 

「事情を話して、靴屋から借りてきただけだ。……向こう行くまでずっと抱っことか、目立ってしょうがないからな」

 

 

 

 

 

 **********

 

 

 

 と、いうわけで……靴屋さんにやってきた八幡と私。試着用の椅子に腰を掛けた私の前に、ズラッと20足ほどの運動靴が並べられている。

 ニコニコした店員さんが、

 

「お客様のサイズで白系の物ですとこのあたりになりますね」

 

 と説明してくれる……って多すぎでしょ……。

 

「ちょっと八幡……お店の人になんて言ったのよ」

 

 私が小声でそう尋ねると、

 

「いや、ちょっと怪我してるとは言ったが……。しかし、ここまでしてもらって買わないわけにはいかなくなったな。 ……もしかしてそれが狙いか?」

 

 八幡も小声で返す。なるほどそうかもしれない。商売上手? 押し売り?

 

 

 

「でも、さっきサンダルって言ってなかったっけ?」

 

「それなんだけどな、俺からの入学祝い、これにしようと思ってな」

 

「え?」

 

「通学用のシューズって、この辺の中学校はみんな、『白地の運動靴、ただしラインやワンポイントはカラーが入っててもOK』みたいな感じだろ。だから店の人にはそういう条件の靴を出してもらった」

 

 まさかこんなに持ってくるとは思わなかったが、と言って頭を掻く八幡。

 

「でもさ、入学祝いならさっきプリクラを……」

 

「いやあのな、俺と小町で留美に入学祝いを贈るっつう話は小町以外にも、雪ノ下や由比ヶ浜たちも知ってんだよ。……まあ二人だけで買いに来るとは言ってないが……」

 

「うん……?」

 

「だからもし、『入学祝い、何を選んだの』と聞かれた場合、アレはその、非常にまずい」

 

「……私は構わないのに……」

 

 ちゃんと「祝入学」って書いてあるし。

 

「俺が構うんだよ。……それになんというか、『通学用シューズ』のほうが入学祝いらしいしな。まあもちろん留美ん家でも用意はしてるだろうが、洗い替えが一足ぐらい増えても困らんだろ」

 

「それはそうだけど……でも私、また八幡たちに迷惑かけちゃって…………ちゃんと大人っぽくするつもりだったのに……だからこれ以上……」

 

 うん、これ以上迷惑かけられないよ……。

 

 

 

 うつむいた私の頭に、優しく温かい重さがかかる。

 

 ちらっと見上げれば八幡の優しい目。頭を撫でてくれるやさしい手。ベレー帽を気にしてか、撫でるというより手をのせたまま指だけ動かしてさすさすしてくれる感じ。……ふふ、帽子の生地越しの指がなんだかちょっとくすぐったい。

 

「なあ留美、俺は迷惑だなんて思ってねえよ。たぶん葉山たちだってそうだ。……だからそんな顔するな」

 

「……うん」

 

「とにかくアレだ。俺が靴を買うのは『入学祝い』だ。……留美が足を怪我したのはたまたまなんだから、余計なことは気にするな」

 

「…………」

 

「……留美」

 

「ん?」

 

「あー、なんだ。無理して大人っぽく、とか考えなくても良いんじゃないか」

 

「私……無理してた、かな。こんな服、似合わないかな」

 

「いや、お前は今日みたいな大人っぽい格好も似合うとは思うが、そういうことじゃなくてだな……。どう言ったらいいのか分からんが、今のままの留美が一番留美らしくて良いと思うぞ……ってやっぱり何言ってんだか分からんな……」

 

 八幡はう~んと唸って首を捻る。

 

 ふふ、ホント何言ってるか全然分からない。

 

 

 

 ――けれど、伝わってくるよ。八幡が私のことをちゃんと見てくれてるってこと。私のために一生懸命考えてくれてること。八幡の声が、手の温もりが伝えてくれたよ。

 

 

 

「八幡」

 

「ん?」

 

「ありがとね」

 

「…………おう」

 

 うん、おかげでなんだか肩の力が抜けた。元気も出てきた。

 

 私は私のままでいいって、八幡がそう言ってくれたから。

 

 

 

 って、そういえばさっきからずっと靴出してもらったままで全然選んでない! お店の人にすごい迷惑かけちゃってるんじゃ……と、さっきの店員さんを見れば、なぜか少し頬を染めてほっこりした笑顏でこっちを見てる……というか見守ってる!?

 どうやら私と八幡のやりとりをしっかり見られていたらしい。八幡がたまに言う『生暖かい目で見守る』ってこんな感じなのかな……うう、なんだかすごく恥ずかしい……。

 

 八幡も今の状況に気付いたらしく、場を取り繕うかのように

 

「あー。さて、と。留美、どれがいい?」

 

 と訪ねてくる。 

 でも私の答えは决まってる。

 

「八幡が選んで♪」

 

「……何か条件は?」

 

「私に似合うこと♪」

 

「留美お前な……」

 

「ふふ♪」

 

 

 

 

 八幡は並べられたシューズを一通り手にとって見ると、その中から自信なさげに一足のシューズを私に差し出した。

 

「これなら、軽いし、ここも柔らかいし……それに留美に似合う、と思う」

 

 八幡が選んでくれたのは、白いレディーススニーカー。サイドに黒とグレーのギンガムチェック柄のキルトでうさぎの横顔のシルエットがデザインされている。内生地とインソールも同じギンガムチェックで、タンの部分にも黒いうさぎのロゴマーク。

 うん……デザインはすごく可愛いけど、白黒のモノトーンだからか格好良くもある。それに派手じゃ無いから十分通学にも使えるだろう。

 

「どうだ?」

 

「うん……これにする」

 

「いや、一回履いてからにしろよ」

 

「だってこれ、すごく可愛いし格好いい」

 

 私がすっかりその気になっていると、彼は呆れたように言う。

 

「……あのな、履いてみて足痛かったら意味ないだろ」

 

 あ、そうだった。靴ずれのことすっかり忘れてた……。

 

 

 

 で、実際に履いてみたら履き心地もすごく良かったの。足首周りが肉厚で柔らかい。……八幡はもしかしてこれで選んでくれたのかもしれないな。サイズは少しだけ大きめだけど、紐靴だし、これからのことも考えれば丁度いいかもしれない。

 紐を縛り直し、少し歩いてみたけど、ほとんど痛みを感じない。

 

「うん、大丈夫。 ……じゃあ、これで。……でもほんとにいいの?」

 

「おう、じゃあ決まりだな。他のやつは片付けてもらって……」

 

 

 

 

「……じゃあ、あーしら帰るけど……って何これ? なんでこんなに並べてるし……」

 

 ちょうどそこに、いつの間にか自分の買物を終えたらしい三浦さんがやってきて……ズラッと並べられたシューズに目を丸くしてる。

 

 そう、実は三浦さん達も靴屋さんまで付いて来てくれたんだよね。で、八幡がお店の人と話を始めると、

 

「あーしも自分の靴見てくる。隼人も一緒に見てー?」

 

 と言ってそのまま店の奥に入ってったんだけど……結構時間経ってたんだな。ホント、お店には迷惑かけちゃったかも……。

 でも、ちゃんと「お買上げ」したんだからいいよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はその、サンキューな」

 

「ありがとうございました」

 

 真新しい靴に履き替えた私は、八幡の隣で葉山さんたち四人に向かって頭を下げる。

 

「はは、気にするなよ。こういうのはお互い様だろ。……それにキミのなかなか見れない表情(かお)が見れて面白かったしな」

 

「うっせ。何それ口説いてんの? ごめんなさい無理です」

 

 八幡が両手を突き出すようにしてそう言うと、

 

 葉山さんはもう一度「ははは」と笑って、三浦さん達と一緒に帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と……俺らも帰るか」

 

「うん」

 

 名残惜しいと思う気持ちもあるけど、靴ずれのこともあるし、無理はしないでおこう。……それでも、一抹の寂しさは拭えず、隣に立つ八幡を見上げる。ヒールの高さ分だけ視点が下がり、ほんの僅か遠くなってしまった八幡の横顔。

 でも、これは彼がプレゼントしてくれた、等身大の視点。――だから私は無理して背伸びしなくてもいいんだ。

 

 

 

 不意に、目の前にスッと八幡の手が差し出される。

 

「え……」

 

「まあ、一応怪我人だし、また転ばれても困るからな」

 

 ぶっきらぼうな言い方だけど、彼の声は優しい。

 

 もう痛くないから転んだりしないよ――なんて野暮な反論はしない。だって今のは、彼自身の優しさに対する照れ隠しだってちゃんと解ってるから。

 

「ありがと、八幡」

 

 私はそう言って差し出された手をきゅっと握る。

 

 

「……駅までな」

 

「……うん」

 

 

 

 私たちは、ここへ来たときと同じように手をつなぎ――けれど決して同じではない気持ちで――ゆっくりと駅への道を歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *********

 

 

 

 

 

 

 中学校に入学して数日経った朝。

 

 私はまだ生地に硬さの残る制服に身を包み、ようやく馴染み始めた通学路をのんびりと歩いている。

 登校時間にはかなりの余裕があり、私と同じ制服を着た学生はまだまばらにしか歩いていない。

 

 家と中学校のだいたい中間位の場所にある、大きくはないけれど枝振りの良い桜の木。今年はやや開花の時期が遅れ気味だったせいか、満開の時期こそ過ぎたものの花はまだまだ残っていて、時折道行く人々の頭上からひらひらと薄いピンクの花びらを撒くように降らせている。

 

 

 その舞い散る桜の向こうから、ゆっくりとこちらに歩いてくる総武高の制服を着た男女――八幡と小町さんを見つけた。

 

 あれ? どうしたんだろう、いつもより早い。始業の時刻は高校よりも小学校や中学校のほうがやや早く、普段であれば登校時間が被ることはないんだけど。

 

 

「八幡っ、小町さーん!!」

 

 私が二人に向かって手を振ると、彼らはすぐ私に気付き、小町さんは手をブンブンと大きく振り、八幡は軽く片手を上げて応えてくれる。

 

 私は二人に向かって自然と駆け出す――弾むように、()()()()()()

 

 

 

 

 

「おはよう、八幡、小町さん。今朝は早いんだね」

 

「おう、おはようさん…………。今日は、『新入生歓迎会』ってのがあって、朝からその会場の準備だと」

 

 八幡は相変わらずのめんどくさそうな顔でそんなことを言う。

 

「小町は何もないけど、お兄ちゃんが出るなら一緒に出ようかなって」

 

 

 

 そういえばこの前、一色さんから新入生のための行事の準備の手伝いを頼まれてる……みたいなこと言ってたっけ。それが今日か。

 

「まあ、小町のための歓迎会だしな」

 

「……お兄ちゃん、その言い方じゃ小町のためだけの会みたいに聞こえちゃうよ?」

 

 小町さんが呆れたように言う。

 

「俺にとってはその通りだからな。むしろそうとでも思わんとモチベーションが保てん。全く、朝から働きたくないでござる。おまけに放課後は片付けまで……働きたくないでござる」

 

 八幡は、「大事なことなので二度言いました」とかブツブツ言いながも、表情を見ている限りそれほど嫌そうには見えない。

 八幡が今みたいにネット用語とかギャグとかをブツブツ言ってる時って結構表情明るかったりするんだよね。逆に本当に考え込んでいる時、悩んでいる時は黙りこくって人を遠ざけるみたいなところがある。

 

 

 

 わざとらしくがっくりと下を向いていた八幡がゆっくりと半身を起こし、そこでおやという顔を見せた。

 ようやく彼の視線が私の履くスニーカーを捉えたらしい。

 

「お、それ……」

 

 そう、私が今日履いてきたのは八幡にプレゼントしてもらったスニーカー。

 

「うん! ……どうかな」

 

 そう言って私はクルンと回ってみせる。

 

 白地に、黒とグレーのワンポイントが入ったスニーカーは、浜二中――私の通う中学の制服のデザインにも無理なくフィットしてると思う。

 制服姿でこの靴を履いてるところを八幡に見せるのは今朝が初めてだけど……。

 

「いやまあ……うん、制服でも変じゃないな。俺が選ばされた時はすごい不安だったが」

 

「そういう言い方しないで。私、これすごく気に入ってるんだから」

 

 そう言って、私はダンスの前ステップを踏むみたいに彼の前に右足を踏み出し、ちょっと得意気に胸を張る。

 

「ふむふむ、それがお兄ちゃんの選んだっていう靴かあ。……可愛いけど、子供っぽくはないし……うん。お兄ちゃん合格っ! 留美ちゃんの制服にも似合ってるし、さすがは小町のお兄ちゃん! ……あ、今の小町的にポイント高い!」

 

 

「じゃあ私もあらためて。……コホン。……八幡がプレゼントしてくれた靴、可愛くて履きやすくて、とても気に入ってます。本当に有難うございました」

 

 私は真顔でそう言うと、大袈裟なぐらい深々とお辞儀をして…………ぴょこんと身体を起こし、ペロッと小さく舌を出して片目を閉じる。

 

 

「こいつ……」

 

 「ふっ」と八幡が笑みを漏らす。私たち二人から褒められ、彼も満更でない様子で、その笑顏はいつもよりも柔らかだ。

 

 

 もちろんこの靴を気に入ってるのは本当だし、何よりこれなら今小町さんに見せたみたいにみんなに自慢できる。 …………だって、()()()()()()()()()の方は誰にも見せないって約束させられちゃったし。

 

 

 

 

 

 時折吹く南風が桜の枝を揺らし、また沢山の花びらが辺りを舞う。

 

 八幡は、ひらひらと落ちてくる花びらを見上げるようにしながら、

 

「そう言えば留美、足はもう大丈夫なのか?」

 

 と聞いてくる。ただの靴ずれだったのに心配症だなぁ。

 

「うん、まだ少し跡は残ってるけど……全然平気。ほらっ」

 

 私は彼に見せつけるようにぴょんぴょんと跳ねてみせる。スカートがふわりと広がり、道端に積もっていた桜の花びらがそれに煽られるようにひらひらと舞い上がる。

 

 ……ふふ、私……子供みたいなことしてる。でもそれがなんだか楽しい。無理して大人っぽくしなくたって、八幡はちゃんと私のことを見ていてくれる――だからきっとゆっくりでいいんだ。

 

 

 でも、うさぎの靴のおかげかな? 私はなんだか前よりも高く跳べるようになった気がしてる。昨日越えられなかった事をきっと今日なら越えられる。今日越えられない何かは明日にはきっと越えることが出来る。

 

 

 

 

 そうして少しずつ、いろんなことを跳び越えて――いつか、八幡の隣を自然に歩けるような「私」になるんだ。

 

 

 

 




*1 大好きな作家さんである達吉様に挿絵をご寄稿いただきました。人物の心理描写――特にいろはのモノローグが素晴らしい有名作品「そうして、一色いろはは本物を知る」の作者様です。
素敵な留美と八幡を描いて頂き、本当にありがとうございます。



 少しずつ、ゆっくりと近付いていく二人の距離。

 留美はついに中学生にになりました。

 
 次のお話はまだ未定ですが、次回は久々の「幕間」を予定しています。
 内容については、まだ、ナ・イ・ショですっ!(いろはす風)

 ご意見・ご感想お待ちしています。



― 蛇足 ―

 プリクラ機は特定のものでなく、色々な機種をごちゃ混ぜにしています。


 八幡が留美にプレゼントした靴は、

「プレイボーイ バニー ローカットスニーカー チェック」
で、画像検索していただくとイメージし易いと思います。家族が色違いの実物を持っているんですが、インソールが外せたり、靴紐が2色付いてきたりとなかなか良いです。

 まあ、あくまでもこれそのもの、というわけではなく「参考イメージ」という事で。
 
 



10月2日 誤字修正 報告ありがとうございます。
4月28日 一部表現修正

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