「前回の後書きで、今回はドタバタしない話だと言ったな? あれは嘘だ」
相変わらずゆっくり更新ですいません。バレンタイン編は今回が一応ラストになります。
小町さんと色々な話をしていたこともあって、少々長風呂になってしまったようだ。
ちょっと火照った身体に小町さんから借りたパジャマを身につける。きれいなグリーンの厚めの生地、見た目はちょっともこもこしてて、合わせの部分と袖のところにオフホワイトのラインが入った「ちょっとおしゃれな冬用の部屋着」みたいなデザイン。でも、腕通りもいいし、素肌への肌触りも良いあたり、やっぱりパジャマなんだなと思う。
サイズは……私にはほんの少しだけ大きい。でも、腕や裾を捲くらなきゃいけないほどでもない。
実は、うちでお泊りの準備をした時にはパジャマも持ってこようと思って準備したんだけど、小町さんが、
「小町のパジャマ一組貸してあげる。冬物は荷物になるしさ」
と言ってくれたので、結局家から持ってきたのは替えの下着・靴下と歯磨きセットぐらいで済んだ。
ふと見れば、小町さんも私のと同じデザインで淡いオレンジ色のパジャマを着ている。見た感じ私の着てるグリーンの物より気持ち大きいサイズに見えるかな。
「えへへ、うちはいつも、ららぽの同じお店で、家族みんな同じ柄のやつ色違いで買ってるんだー」
小町さんはそう言って、にこにこしながら私の肩を後ろから抱きかかえるようにして洗面台の前に引っ張っていく。
「小町さん?」
「ほら見て、お姉ちゃんと妹みたいでしょ!」
満足気な小町さん……。洗面台の鏡に映る、色違いでおそろいのデザインのパジャマを着た二人の少女は――確かに、とても仲の良い姉妹みたいに見える。
それから二人並んでリビングに戻ると……八幡は炬燵に足を突っ込んだまま、先程のソファに上半身をもたれさせた状態で静かに寝息をたてていた。
「ああもう、お兄ちゃんはしょうがないなあ。……小町、上からお兄ちゃんの着替え取ってくるから、留美ちゃんはそいつ叩き起こして、お風呂に放り込んじゃって」
「え……あの、……はい」
小町さんは、私が「あの」といってるあたりでもう階段を上り始めていた。
仕方なく、というわけでもないけど、八幡の肩を軽くゆすりながら声をかける。
「八幡、起きて。……コタツで寝たら風邪ひいちゃうよ……八幡ってば」
「…………ん……小町ちゃん、愛してるからあと五分……」
はあ、ダメだ。完全に寝ぼけてる。
でも……目を閉じてる八幡はいつもより少しだけ幼く見える。整った眉、すっと通った鼻筋……こうして間近で見ると、意外に睫毛もけっこう長かったりして。……別にすごいイケメンてわけじゃないんだけど……うん、十分にカッコイイ男の子だ。
ふふ、……なんだかドキドキしてきちゃった。
あまりにも無防備なその姿を見て、私はちょっとしたいたずらを思いつく。
一つ咳払いをして、「あー、あー」と軽く発声練習。……よし!
『お兄ちゃん、とっとと起きないと、小町もう口聞いてあげないよ』
もう一度肩をゆすりながら八幡の耳元で言う。口調だけは真似たつもりだけど、どうかな……?
すると八幡は、目を閉じたまま、
「んっ」と正面やや上に両手を伸ばす。……引っぱり起こしてってことかな。ふふ、いつもこんな風に小町さんに甘えてるんだ。なんだかかわいい。
私が、八幡の両手を持って、よいしょっと勢いをつけて引っ張ると、八幡は寝ぼけたまま、でも引っ張られるままにゆっくりと起き上がり…………わ、私の身体に抱きつくように覆いかぶさってくる!
え、八幡? 何……いきなりそんな…………「ぐえ」
ちょ、重いっ。変な声出ちゃったでしょ。
何の事はない。八幡はただ、私の身体を手すり代わりに立ち上がっただけだった……んだけど、まだ完全に寝ぼけているらしく、私に抱きついたまま…………というか、頭と肩に
ちょっと八幡……肩はともかく女の子の頭に掴まるって失礼じゃない?
そうは言っても、私は八幡が倒れないようにバランスをとるのに必死で、身動きが取れず困っていると、
「お待たせー……って、ちょっとお兄ちゃん何やってるの! 小町にじゃないんだからそんなことしちゃダメ…………」
階段の中ほどで気が付いた小町さんが慌てて駆け下りてくる。
小町さんになら良いの!? という疑問は一旦置くにしても……慌ててたわりにはすぐに助けてくれる様子がない。
うぅ……八幡が近いよ……体温が、息が……近くて……。
「あ、あの、小町さん助けて…………?」
私が言うと、小町さんはようやく手を貸してくれた。
「あ、ごめん。留美ちゃんなんか嬉しそうだったから良いのかなって」
「そ、そんなわけ無い……です。重かったし」
「あはは」
バレてるなぁ。……それはその、嬉しくないこともなかったけど……。まあ、頬が火照っているのは決して風呂上がりだからというだけじゃない。小町さんから見たら、私の顔は面白いぐらい真っ赤になっていることだろう。
八幡を二人で両側から支えるような体勢になり、小町さんが肘で彼の脇腹あたりをけっこう遠慮なくグリグリっとやると、
「んがっ…………。あ? ……何?」
と、八幡はようやく目を覚ました。
「……へ、何この体勢……俺、どっかに連行されてんの? それに留美、なんで赤くなって……?」
「なん……」
「なんでも何も、ごみいちゃんのせいでしょーが、この馬鹿八幡。いいからとっととお風呂入ってきて」
私が何か言うより先に小町さんがキレた。二階から持ってきた八幡の着替えを彼に押し付けるように渡すと、片足を上げて足の裏で押し出すようにして八幡をお風呂の方へと追いやった。
彼は、「相変わらず扱いがヒデーな……」とかブツブツ言いながら、まだ少し寝ぼけているのか、フラフラとした足取りでバスルームの方に向かって行った。
「留美ちゃん、アホな兄がゴメンね」
「いえその……私も悪くて……」
私がボソボソとそう言うと、
「え? 何が」
小町さんが不思議そうに聞く。 ……これ、言うの恥ずかしいなぁ。
仕方なく、私が正直に「小町さんの真似をしたらさっきみたいな事になった」のを話すと、彼女はなんとも複雑な表情をして…………。
「うん、やっぱりお兄ちゃんはどうしようもなく八幡だなー」
と結論づけた。
「八幡」って悪口じゃないと思うけど……でも、小町さんの言い方になんだかすごく納得させられてしまった。 ……ふふ「どうしようもなく八幡」だって。
小町さんと二人、まだ湿っている髪にドライヤーを当てていると、玄関から、「ただいまー」と声が聞こえてきた。
どうやら八幡たちのご両親が帰ってきたようだ。……なんだか少し緊張する。この前お母さんの雑誌に、『カレの母親のアナタに対する好感度は、第一印象で九割決まる!』とか書いてあったし……。
「おかえりなさい、お父さん、お母さん」
「はいただいま」「ただいま」
「あの、お邪魔してます」
私は立ち上がり、ピンと背筋を伸ばしてご両親に頭を下げる。――第一印象、第一印象。
「あら、小町のお友達がお泊りするって…………ずいぶん可愛らしいお友達ね!」
「うん、小学六年生の子でね、夏にお兄ちゃんと行ったボランティアの時に仲良くなったの」
「鶴見、留美っていいます。よろしくお願いします」
「こちらこそ。八幡と小町の母です。今日は遅くなってしまってごめんなさいね」
「初めまして、二人の父です。
なんか……カッコイイご両親だ!
いつも八幡が、「社畜」とかヒドイこと行ってるけど、お父様もお母様も、スーツが似合ってて、すっごく「仕事が出来る大人」って感じがする!
それに、なかなかの美男美女だ。 ……文句なしに可愛い小町さんと、ちゃんと見ればかっこいい八幡のご両親なんだから当たり前なのかもしれないけど。
「おう、お帰り。親父、お袋」
そこに、八幡がお風呂から戻ってきたんだけど……。
「あ……」「おい……」
二人して一瞬固まる。八幡は、私と色も柄も同じパジャマを着ていた。 …………八幡と、おそろいのパジャマ……。
八幡は視線を下に落として、なんとも落ち着かない表情。 ……きっと私も似たような顔をしてるんだろうな。
「えへへ、留美ちゃんには私が前に着てたのを貸してあげたんだけど、
小町さんは、私たち二人が照れているのを見て、満足そうにニヤリと笑った。
その後、あらためて八幡のお父様とお母様にごあいさつ。
私が、
『八幡さんと小町さんには、本当に、感謝しきれない位お世話になっているんです』
といったようなことを一生懸命お話したら、ご両親はうんうんと頷きながら聞いてくれた。
話の区切りがつくと、お母様はなんだか嬉しそうに、
「留美ちゃん、これからもよろしくね」
と仰ってくださる。 ……それに、その様子を見ていたお父様が、ニコニコして八幡に何か言いながら彼の背中をバンバンと叩いていたのが印象的だった。
八幡は 「いてーよ親父、ったく叩き過ぎだろ……」 とか言ってそっぽ向いちゃったけど、小町さんはそれを見てとっても楽しそう。
うん、八幡てばいつも、親父やお袋は小町ばっかりかわいがって……とか言ってるけど、全然そんな事無さそう。ちょっぴり拗ねてるみたいな八幡を見ていると、なんだか私まで嬉しくなってきちゃった。
**********
小町さんの部屋。彼女のベッドの横に敷かれた薄ピンク色のふわふわのお布団の中。
布団に入って暫くして……最初は少しだけ緊張していたものの、いつの間にかウトウトしていた私は、どこからか聴こえてきた「キイ」という微かな音に気付き、ゆっくりと目を開く。
……そして、足元の方向、部屋の入口から誰かが覗き込んでいる気配に気付いた。
背中がゾワリとし、一瞬で目が覚める。
僅かに開いたドアの隙間。常夜灯の明かりは弱く、その暗闇の先には届いていない。
え、八幡? でも、用があるなら声かけてくるよね……。 まさか、泥棒、とか……。
気付かれないように、寝返りをうつふりをしてそうっと周りを見回す。小町さんは全く気づかずに眠っているようだ。 ……ドアのところの気配はまだ動かずじっとしているみたい。私が目を覚ましたのに気付いたのかな? どうしよう。
「ん……」
小町さんが寝返りをうつ…………と、その侵入者は、
可愛らしく、「みー」と鳴いた……。
はぁぁ~。全身の力が抜ける……びっくりしたぁ。
気配の正体はカマクラくん。そういえばさっきから姿が見えなかったけど、今までどこにいたんだろう。
隣のベッドで寝てる小町さんが、「んんっ」だか「んなっ」だか言いながら布団の真ん中あたりを腕で持ち上げて隙間を作り、反対の手でポンポンとベッドの縁を叩く。カマクラくんはおっかなびっくりという感じに私のちょうど膝のあたりを布団ごと踏み越えると、そのままベッドに飛び乗るようにして小町さんの布団の中に潜り込んでいった。
ああ、そうか。いつもの通り道に私が寝てたから、カマクラくんは困ってすぐ部屋に入ってこれなかったんだ……ふふ、怖がったりしてごめんね。
でも、一安心はしたものの、私は今のですっかり目が覚めてしまった。
小町さん、今ので起きたのかな? もし目が覚めてるなら、せっかくだから聞いてみたいこともあるんだけどな……。
「……小町さん、起きてます?」
「…………う……ん。……どうしたの留美ちゃん…… 眠れない?」
やっぱりもう寝ちゃってるかな、と思った小町さんが、一呼吸遅れて返事をしてくれる。
「あ……なんだかその、目が冴えちゃって……」
「あはは。まあ、今日は色々あったしね。……留美ちゃんも小町も」
あー……私の場合、今まさに目が覚めるようなことがあったんですけど……。
でもそうだよね。小町さんは今日ようやく受験が終わって……。
「……もしかして今起こしちゃいました?…………小町さん、疲れてるのに……」
「ううん、いーよいーよ。――それで?」
「あ、あの…………」
「聞きにくいこと? ……もしかしてお兄ちゃんのことかな」
「いえ、そうじゃなくて……あれ、やっぱりそうなのかな……」
「んん?」
八幡のことって言えば八幡のことだけど……でもそうじゃなくて……。
「小町さん」
「うん」
「小町さんは……何で私のこと……その、手伝ってくれるんですか?」
「ん? 何でって……」
彼女は質問の意味がよく分からない、というふうに言って私の方に向けて寝返りをうつ。部屋の明かりは微かで、その表情ははっきりとは見えない。
「……友達に……小町さんは雪乃さんと結衣さんの味方をするだろうから、って言われてそれで……その」
そう。さっき小町さんが言っていたように、もし私の気持ちに……私が八幡のこと本気で好きなんだっていう気持ちに気付いてるなら、あの二人とすごく仲の良い小町さんが私を手伝ってくれる理由が解らない。
……所詮私なんて子供だから、って、本気にされてないのかな。 ――全然、相手にもされてないのかな。
そんな風には思いたくない。ないけど……。
「ふんふん……なるほどね~ ……もしかして絢香ちゃん?」
「いえあの……はい」
まあ、隠すようなことでも無いし。
「あはは、言いそうだよね~ …………ねえ、留美ちゃん」
急に小町さんの声が真剣なものに変わり、私は一瞬息を呑む。
「は、はいっ」
「小町は、雪乃さんのことも結衣さんのことも大好きだけど……別にあの二人の味方ってわけじゃあないよ?」
「え……」
「それに、留美ちゃんの味方でもない。 ――小町はね、お兄ちゃんだけの味方なの」
「…………」
「お兄ちゃんはあんなだけど――でもね、小さい頃から、小町が寂しい時も辛い時も、どれだけ
息が詰まり、なぜかじわっと涙が出てくる。……きっと、いつもどこか
「まあ、うざいし面倒くさい時も多いんだけどねー」
「あはは」と、小町さんはいつもの話し方に戻って照れ隠しのように笑う。
「小町さん……」
「結局恋愛なんて本人同士の問題だからね。お兄ちゃんが誰かを好きになって……その人もお兄ちゃんを好きになってくれたなら……うん、小町はそれでいいと思うんだ」
「はい……」
「ただ……出来るなら――お兄ちゃんを
いつの間にか仰向けになっていた小町さんは、天井を見上げてそんなふうに言った。
「今の、留美的にポイント高い、です」
そう言って、私も小町さんと同じように仰向けになる。
「おー、留美ちゃんもなかなか言うね~」
二人で天井を見上げ、目を合わせないままクスクス笑う。
「ふふ、起こしちゃってごめんなさい。もう寝ましょうか」
「そだねー。……どう、もう眠れそう?」
「はい。なんだかぐっすり眠れそうな気がしてきました」
「ん、じゃあ……おやすみ、留美ちゃん」
そう言って小町さんは少しもぞもぞと動いて後ろを向いた。微かに、ゴロゴロというカマクラくんが喉を鳴らす音が聞こえてくる。
「はい、おやすみなさい……」
私は右耳を枕につけ、家で眠るときと同じ横向きの体勢になり、それから肩まで掛け布団を引っ張り上げた。小町さんとはちょうど背中合わせの向き。
そういえば……私の正面、壁一枚挟んだ部屋で八幡が眠ってるんだよね……なんだか変な感じ。
その壁をぼんやりと見つめながら、私はゆっくりと目を閉じた。
今度こそ、私はゆっくりとまどろみの中に落ちていく。
…………小町さんて、八幡のシスコン以上にブラコンだったりする……?
ふふ、もしかしたら私の恋の最大のライバルは……小町さんかも…………なんて……くだらない事を考えてるなぁ……私……………………。
…………お休みなさい…………八……幡……………………………。
*********
「ピンポーン」と、比企谷家のリビングにチャイムが鳴り響く。
「お兄ちゃん、ちょっと出て~。小町たち今、火ぃ使ってるから~」
「へいへい」
そう言って八幡は、一つ伸びをしてからゆっくりと立ち上がり、引き戸をあけて玄関に向かった。
土曜日の朝。私たち三人は、少し遅めの朝ごはんの準備をしているところ。
八幡たちのご両親は、まだお休みになられている。と言ってもお仕事がお休みというわけでは無いらしい。土曜日はフレックスという制度で、小町さんの話によると、ご両親は今日はお昼前位に出勤することにしたそうだ。 ……昨日もお帰りが遅かったし、大変だなぁ。
八幡がいつも、仕事なんかしたくないって言ってるのって……ご両親の大変そうな姿を見ているせいもあるんじゃないかな。
今朝の献立は、ご飯に豆腐とわかめのお味噌汁。豚こま肉を生姜焼き風に炒めたものと、玉子焼き、サラダ。それから、昨日のシチューの残りを電子レンジでチンしたもの。
小町さんに、朝はいつもご飯なんですか、と聞いたら、特には決まってないとのこと。
トーストのときもあるし、完全な和食の時もあれば、今日のように和洋折衷みたいなメニューの時もあるんだって。
小町さんが玉子焼きを焼いている間に、私は煮立ちかけたお味噌汁の鍋の火を止め、レタスをちぎって皿に敷き、トマトとブロッコリーを切ってその上に盛り付ける。
ドレッシングは……好みもあるし、まだ掛けないでおいたほうがいいかな。
八幡がなかなか戻ってこないので、私は玄関に続く戸を開けて顔を出し、
「八幡、もうすぐ朝ごはん出来るからこっちに……」
来て、と声をかけようと……。
「…………とにかくっ、昨日は奉仕部のお二人に先輩のことお譲りしたんですから、今日こそはわたしに付き合ってくだ…………へ?
なっ……え、えぇ~~っ!? ちょちょちょっとぉ、どゆことですかせんぱいっ!!」
と、早口でなにかをまくし立てていた、特徴のある甘い声の女の子が驚きの声を上げる。
「あ、いろはさん……。おはようございます」
「あ、うん。留美ちゃんおはよー……じゃなくてっ! こここここれは一体……」
いろはさんは、私と八幡にせわしなく視線を走らせ、なぜか両手をブンブン振り回して半分パニックになってる。……そんなに何か変だったかな?
えーと? チャイムが鳴って、まず八幡がパジャマ姿のままで玄関へ対応に出た。
で、戻ってこない彼に、
「八幡、もうすぐ朝ごはん出来るよ」
と、声をかけに出ていったら、八幡はまだ来客であるいろはさんと話をしていた……。
……あ、もしかして、小町さんも八幡のご両親も顔出してないから、八幡と私、二人っきりだと思われちゃったのかな? そういえば私、八幡と同じパジャマの上にエプロンを着けた格好だし……うん、これは変な誤解させちゃったのかも。
小町さんを呼んで誤解を解かなきゃ、と思った時には、
「…………だから、ちょお大変なんですよう。 …………そうです、留美ちゃんをお家に連れ込んで…………。 はい…………。 …………その、おそろいのパジャマなんか着ちゃっててですねー…………」
いろはさんは、もう誰かに電話(通報)をしている最中だった…………。
**********
数時間後…………。
比企谷家のリビングは法廷と化し、被告人である八幡が、無実の罪で裁かれようとしていた。…………よくニュースでやってる冤罪って、こんな感じなのかなぁ。
法廷(仮)に、八幡の正面に陣取った裁判長の凛とした声が響く。
「…………では結論として、被告人比企谷くんが、小学生女子を自宅に連れ込み、その、いかがわしい行為に及んだ、ということで間違いないわね」
「ひ、ヒッキーがそんな…………ヒドイよ……」
「ホントです。 ……せんぱいが……せんぱいがこんな変態だったなんて……」
「だから違うっつーの。…………ねえこれいつまでやるの? お前らわかっててやってんだろ」
周りを女子三人にぐるりと囲まれて正座させられていた八幡がぼやくように言う。ちなみに小町さんと私は少し離れたソファ(傍聴席?)に座っておとなしく様子を見ている。
「……そうね、さすがに人様のお宅でいつまでもこんな悪ふざけをしているわけにもいかないわね。ここらでお開きにしてお茶にしましょうか」
直前の台詞とは別人のような柔らかい声で雪乃さんが言う。
「よし、それじゃ、ヒッキーは有罪ってことでいいよね」
「ですねー」
「いやよくねーだろ?」
どうやら裁判ごっこの決着はついたらしい。――八幡の弁明は届かなかったみたいだけど。
「じゃあ、小町お茶淹れてきますよ」
「あ、私も行きます」
隣ですっと立ち上がった小町さんに続いて私も席を立つ。
ふと、結衣さんと目が合う。私のことを見てたみたいだったけど……。
「結衣さん?」
「あ ううん。ゴメンゴメン。ただ、ずいぶん小町ちゃんと仲良くなったんだなーって」
それは……うん。昨日からたくさん話せて、八幡――「お兄ちゃん」に対する強い想いも聞けて……。
今回のことで私、小町さんと前よりずっと仲良くなれたんじゃないかなって思う。……小町さんの方もそう思ってくれてたら嬉しいんだけどな。
**********
実は、朝のあの後すぐに、変な誤解自体は解けたんだよね。……小町さんが私たちの様子を見に来てくれたから。
でも、どんなやりとりがあったのかは分からないけど、いろはさんの電話の相手だった結衣さんと雪乃さんがここに来ることになった。なんでも八幡に話したいことがあるんだとかで。
しばらくしてご両親がお仕事に出かけられて――起きて来たらリビングにいる女の子がもう一人増えてるのに目を丸くしてたけど――そして、程なく雪乃さん、結衣さんが到着。
で、さっきの裁判になりました、と。
「…………ひどい目にあった……」
ようやく被告人席から開放された八幡がお茶をすすりながらホッとしたように言う。
「比企谷くん、貴方がいけないんでしょう。昨日電話で話した時、留美さんのこと一言も言わなかったじゃないの」
「そーだそーだ、ヒッキーが隠すのが悪いんだー!」
「いや、あれはその、言うタイミングを逃したっつーか……だいたい、留美のこと連れてきたのは小町だし」
「それでも、よ。折角……これからは何でもすぐ話せるように、と連絡先を交換したというのに……最初から隠し事みたいなことをされるというのは気分が悪いわ」
雪乃さんが、珍しくほんの少しだけ拗ねたような声を出す。
「うぐ……それは、……スマン、悪かった。……ただ、ああいう話の流れだと言いづらくてな……」
八幡が頭をガシガシ掻きながら言い訳のように言う。
「ええ……確かに分からなくもないけれど……」
「えへへ、でも……やっぱりゆきのんも、あの後ヒッキーに電話したんだね」
結衣さんが嬉しそうにポツリと言う。
「それは……その、緊急時のためにもちゃんと連絡できるか確認しておかないといけないでしょう」
「いや、昨日は別にそんな話しなかっただろ。お前の…………
「黙りなさい比企谷くん。例え私が
雪乃さんは微かに頬を染めた表情でキッと八幡を睨む。
「お、おう……」
「でも……そんなふうに言われると、雪乃先輩がせんぱいとどんな話したのか逆に気になりますね……」
「――一色さん?」
いろはさんの言葉に、雪乃さんが氷の視線を向ける。
「ひゃい、な、なんでもないですー……」
雪乃さん……最近は彼女の事「いろはさん」って呼んでるのにこういう時は……ふふ、怖い怖い。
「あはは……」
なんていうか……お互い言ってることはアレだけど、八幡たち三人といろはさん……絡み合う視線は優しく、そして楽しそうで……いいなあ。
過ごしてきた時間の、積み上げてきた絆の差を見せつけられ、胸の奥が鈍く痛む。
きっと、これが八幡が守ったもの。 ――失いたくなかったもの。
八幡は「欺瞞」とか言うけど、私から見えるのは、ただ眩しくて、遠くて……どこまでも優しい世界。
でも……でもいつか、私もこの世界の内側に入ることが出来たなら、きっと…………。
「……とにかく、留美さんはあくまで小町さんのお客さんで、比企谷くんにやましいことは何も無かったというのなら、最初からそう言えばよかったでしょう」
雪乃さんの言葉にドキッとする。……別にやましいこと、じゃないけど……昨日、私は八幡に「好き」って伝えて…………思い出しただけで頬が熱くなる。
思わずそっと八幡の方を見てしまう――と、八幡とまともに目が合ってしまった。彼もなんだかバツの悪そうな、照れたような
「…………」「あ…………」「…………あれ?」
はっと気がつくと、雪乃さんたち三人が私と八幡の様子をじぃっと見ていた。
「…………比企谷くん、今のは何かしら?」
「ヒッキー……?」
「……せんぱい……。これはもう一回裁判ですかね…………」
「あのっ、八幡は別に……
「留美さん……貴女もそこに座ってくれるかしら?」
私の弁明は、雪乃さんの平坦で――でも有無を言わせぬ声に遮られた。
さ、さっきの訂正。八幡が守ろうとした世界は、優しいだけではないみたい……。
鶴見留美は想いを贈りたい 完
バレンタイン編はこれにて終了です。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!
留美たちは第二審を無事に乗り切れたんでしょうかww それは皆様のご想像に(以下略
留美から見える「眩しくて優しい世界」は……八幡たちにとっては、もしかしたら「優しいけれど停滞した世界」なのかもしれませんね。
次回についてはまだ細かいところは未定です。ただ、おそらく次のお話で「小学生留美」は最後になると思います。
ご意見・ご感想お待ちしています。
7月2日 誤字修正。報告ありがとうございました。