思い付き短編ですので一話だけです。
十年の月日はどれだけ人を成長させるのだろうか?
昔と変わらず社会人として働いている人もいれば、結婚して子供も生まれた人だっている。
十年前、中学生だった子が社会人にだってなる。
きっとその十年間には多くのことが有っただろう。
失敗して成功して、怒られて褒められて、良いことや少し悪いこともして、泣いて笑って、恋をして……
それでも大人になった彼等は口を揃えてこう言う。
「気持ちだけはまだまだ高校生だったりするんだけどな」
寂しげな表情で、時を飛び越える。
その表情を見せる時、誰もが大切なものを過去に置き忘れてきたのだと思ってた。
でも、夢の中の彼女は同じ事を同じ目で言いながらも数瞬の内に過去から戻り今を見つめる。
そのときになって、俺はようやく気付く。
ああ、彼女の十年間にはやっぱり色々なものが詰まっていた。
大切なものを置き忘れてきたのではなくて、大切だと思いたいものを置きに行ったのだと。
なら、俺の十年は?
ただ、ただ平坦に生きてきた俺は何かが詰まって居たのだろうか?
どんなことが有ったのかを思い出すことは出来るが、記憶にフィルターが掛かっているのかその時の感情が思い出せない。
又聞きの情報を聞くかのように頭のなかを素通りしていく。
いや、一つだけ焼き付くように離れない言葉があった。
「きっとまた会いましょう。五年後でも十年後でも待ってます。……約束ですよ」
それは十年前、転校してく彼女が言った言葉だった。
小柄で可愛らしく、素直で前向きで頑張り屋で少し抜けてるとこもあり、将来の夢はアイドルになりたいと恥ずかしながら言う彼女はとても魅力的に映った。
それだけが映画のワンシーンの如く象徴化し使い回され、皆が前を向いて歩いている中、俺だけが大切なものを置き忘れたのを確認させられる。
目も眩む光から顔を背け、ベッドに置いてある時計を見ると針が止まっていた。
◯
「出向ですか?」
時計のせいで遅刻しそうになった俺を迎えた言葉は、美城プロダクションへ異動の内示だった。
通称346プロ。
俺が勤めている芸能プロダクションの親会社。
大手芸能プロダクションであり、俺のいる会社は派生会社として提携会社兼、子会社兼、支店といった立ち位置だ。
多くの芸能人を抱える346プロでは、機材や人材の移動費がかさむため、所々点在する支店にイベントの打ち合わせや現場のフォローの一部を任せるなどをして費用を削減している。
上からパシりにも似た扱いを受けることが多々あるが、地元の大学を卒業し、総合職として入っても本社には関連企業の合同入社式の際に一度行ったきりであった。
俺にとって本社はその程度の認識であり、生活するのに困らない位には給料を支払ってくれるお得意さんであるという存在だった。
「なんでも、本社の常務が帰って来たらしくてね。アイドル部門のプロジェクトを白紙にして新しく考え直すそうだ。そこで本社以外でも使えそうな人間が欲しいから君に来てくれと要請がきた」
もしこの業務で成果を挙げれなくとも、他から来た人間は時期を見て送り返すのが楽で、成功したらしたでいい引き抜きになるというのが本音だろう。
つまりは、体のいい実験台。
「何で俺なんです」
「イベントの企画から打ち合わせ、現場の指揮、取引先へのフォロー。全て出来て尚且つフットワークが軽いのはここじゃ君しかいなくてね」
悪かったな、扶養者がいなくって。
いいかけるが、相手は上司。さらに言えば相手は本社。決定権は俺になく、駄々をこねる意味も反論する意義もない。
「分かりました。いつ頃でしょうか?」
「すまないが、来月から行ってもらいたい」
俺が断ることを全く考えていなかったのか、逃げ道を塞ぐためなのかは分からないが、阿呆じみた超スピード異動を言い渡され思わずため息がでた。
「はあ。それは、随分と急ですね」
「本社から再来月には新クールの番組調整が局で忙しくなるから、それに間に合うように人間が欲しいとの通達が来たんだ」
まあいい。出向は決定事項のようだし、急だとしても決まったことに茶々を入れても良いことなんかない。
それより問題は、残っている打ち合わせやら何やらの振り分けをしたり、先方に挨拶回りと引き継ぎの顔合わせをしなきゃならないということだ。
「役職はアシスタントプロデューサーからプロデューサーになるから出世したと思ってくれて構わないよ」
「……ありがとうございます。私は引き継ぎをしなくてはならないのでこれで」
先々に待っていることを考えると、どうも陰鬱とした気分になり、電話をかける振りをして上司の席から離れた。
◯
あれから数週間にも及ぶ引き継ぎデスマーチをなんとか終えて、ようやく新幹線に乗り込み346プロへと向かっている。
挨拶回りをした所は皆、口々に「おめでとう」と言ってくれたり「これからもよろしく頼むよ」とパイプを繋ごうとしてくれた。
それ自体はいいが、ほぼ毎晩慣れない酒の席へと引っ張り出され肝臓をフル回転させなくてはならなかったので俺は勿論、後任の後輩達もグロッキー状態で出社してくる嵌めになったのが一番辛かった事だった。
会社から出る際に荷物を纏めたが、使っていた寝袋は処分しデータは幾つかのUSBに移動させ、細々とした小物やマニュアルを入れたら段ボール一つ分に満たなかった。
新天地へ向かう高揚感より、寧ろ自分が段ボール一つ分に足り得ない価値しかない人間に思えたことでやるせなさを感じ、上司からの「これから日の当たる所に行くんだから、もっとしゃっきりとして頑張んなさい」と有難いお言葉を頂戴したときも自分で分かるぐらい上の空になっていた。
「こんなんじゃダメだよなあ」
時間は進む。
川に流される木の葉のと同じ。どんなに望んでなくても、逆らうことは愚か、停めることなど出来はしない。
出来る人間がいたら会ってみたいぐらいだ。
ならば、前向きに流されてくのが一番良いじゃないか。
何時から俺はこんなにアンニュイなネガティブ思考になったんだ。
前向きになれ。前向きになれ。
と暗示にも似た自問自答を繰り返し原因にたどり着く。
異動の内示を受ける前に見た夢だ。
どんな内容だったかはぼんやりとしか覚えていないけど、多分これが今の気分の原因だろう。
「よし」
二回ほど両手で頬を叩き、気合いを入れ直した所で車内アナウンスが東京につくことを報せる。
広げていた資料やパソコンをしまい降りる準備をする。
窓に写る景色は地方都市独特の詰め込み感がなく、理路整然と高層ビルが建ち並んでいる。
ここに来てやっと東京に来た実感とこれから新しい生活が始まることの感慨が湧いてきた。
東京駅から乗り継ぎ本社のある駅を歩くと、目の前に京都大学と国会議事堂を足して二で割ったように見える建物が見えてきた。
他の建物は縦に伸びたビルが多く、それに比べてこの一角だけ広く敷地を使っている。
正面上部には大きな時計が飾られ、どことなく館と呼ぶのが似合いそうな建物だ。
そういえば、入社式の時は緊張のあまり周りを見る余裕なんて無かったなと思い、時間があったら一回社内でも見てみようと決意した。
警備員に社員証を見せ通して貰うと、遠くから見ていた時よりも一回り程大きく感じる建物に思わず
「ウッヒョー、すっげぇ、でっけぇ」
と語彙力の無い感想がこぼれた。
訝しげな警備員の視線を浴び、情緒不安定か。と自分でツッコミを入れてから玄関のドアをくぐる。
受付の人の話を聞いたところ、アイドル部門の部長、今西さんはどこにいるのか分からないが美城常務がいる所へ直接行って欲しいと詳しい場所を伝えられた。
それにしてもこの建物には色々入っていて、案内板を見る限りではレッスン場や撮影スタジオは勿論、カフェや大浴場、更にはエステもあるみたいだ。
アイドルだけでなく一社員も利用できるのだろうか?
エレベーターで上の階へ行き常務の待つ部屋をノックする。
「入ってくれ」
「失礼します」
中に入ると、背が高く切れ長の目をしていて、ボリュームのある髪をポニーテールに纏めたいかにも切れ者といった風貌をした女性がいた。アメリカ帰りだからか濃い紫色のアイシャドウをしているが、ケバケバしい印象を与える訳でも似合ってない訳でもなく、彼女の理知的な雰囲気を引き立てているのに一役かっている。
「話はどこまで聞いている」
「アイドル部門の既存プロジェクトを白紙に戻した為に新しい風として機能してもらうためだと」
「君はアイドルのことをどう思っている?」
詳しい業務を聞くために来たはずなのに、いきなりアイドル像を聞かれてしまった。
前の会社では、アイドル専門というわけでなく芸人のイベントや歌手の巡業ライブ、俳優の地方ロケ等の企画もなりふり構わず回されてきたため、別段アイドルに対して思い入れが強いわけではない。
どう答えれば良いのか分からず頭を捻っていると、先に常務が話始めた。
「よく、アイドルを星に例える者がいるだろう。だが、星の輝きは永遠でなく、雲に隠れた星に意味などない。だから私は一つのスター性や物語性を持たせて彼女達を輝かせようと思っている」
随分と迂回した言い回し方をする。
つまりは、今のやり方では時間対パフォーマンスが釣り合っていないから、アーティスト性を持たせて彼女達の商品価値を高めましょうということだろう。
けれど、既存のキャラクター性を壊してまで全てをその方向に持っていくというのは些か難しい気がする。
それならばキャラクター性を持たせたままに意外性や二面性として押し出した方が、彼女達にとってもファンにとっても関係者にとっても住み分けや方向性的にも困らないと思う。
「……私はアイドル全員が星だとは思いません。彼女らは星であり、花であり、木であり、月であり、川であり、岩であると思っています。私達の仕事は企画を通して、彼女達に景色としての意義を持たせることです。切り取りかたで色々な風景に魅せる事こそが大切ではありませんか」
これで怒られたら怒られたで出向をとりけしで戻されてしまえばいいか、とやんわり常務の考えを否定する否定する形をとった。
帰っても俺の居場所が無ければ、その時はその時で346プロの力が届かない芸能プロに入り直せばいい。
「彼女達はあくまでも個人であり、個性を押し出すというの考え方か」
「昼に見る月も、月夜に見る向日葵もまた良いものですよ。そうでなきゃ私達がいる意味がないでしょう」
「……そうか。なら、それを仕事で見せてくれればいい。幸いといっていいか分からないが、白紙に戻すと言ったのにも関わらず新しい企画を持ってきたプロデューサーは一人しか居なくてね。ある程度は彼女達のスケジュールにも余裕が出来ている。私にも美しく感じる景色を君が写して持ってきてくれることを願っている」
常務の詩的なというかポエミーな言い回し方が移され、思わず恥ずかしい言葉を言った気がする。
まあ、それでも好きに動きなさいよ。と言ってくれたことは気が楽である。
そのあと細々とした業務の確認をしていたら少し不穏な方向に話がなりはじめた。
どうやら俺は誰かの担当プロデューサーではなく、アイドル全員を企画ユニットとして押し出す際に企画から選定まで行うプロデューサーだそうだ。
ちょっと幅広すぎやしない。
346プロのアイドルは俺が知ってる限りでも結構いる。
それに話を聞く限りでは埋もれているアイドルも相当数いるらしい。
頭が痛くなってきた。
「君は今日、有給を取っているみたいだがこれからどうするのだ?」
これからどうしようと考えていると常務から思いがけない言葉が飛んできた。
これはもしかして、飲みの誘いだったり?
個人的にはこの数週間で阿呆程飲まされたから、今月は全て休肝日にしたいところではある。何か適当な言い訳を考えなくてはならないかもしれない。
「とりあえず、アイドルや社内の他の部署の人間、スタジオスタッフに俳優部門やお笑い部門の人達にも繋がりを作っておきたいので挨拶回りをする予定です」
「なら、アシスタントの千川君に言っておく。先に千川君の所へ行き荷物を置いた後、アイドル達に挨拶をしてくるといい」
そりゃそうだよな。
一介のプロデューサー相手に常務が飲み会に誘うなんて事はほとんどないに決まっている。
最近の飲み会続きで無駄に警戒してしまったようだ。
大事な有給が潰れてしまったのは残念だけど、どうせすぐやることになる。
気分を入れ換えて働くことにしますか。
「それでは、私はこれで」
「ああ、期待している」
簡単に挨拶を済ませ部屋を出て一つの伸びをした後、常務に教えてもらった場所を確認すると窓のない倉庫だった。
嫌がらせか。
本当にここで良いのかと何回も確認をしたがやはりここであっている。
出向早々、窓際族ならぬ倉庫族とは、退出際の期待しているは皮肉の意味だったのかもしれない。
落ち込みながら扉を開けると、出迎えてきた人は鮮やかな緑を纏っていた。
「お待ちしてました。プロデューサーさん。アシスタントをしている千川ちひろです」
髪の毛を三つ編みにして横に流し朗らかに微笑む姿は、実はアイドルでしたと言われたら納得する容姿でもあった。
千川さんに挨拶をして中を覗くと小学生程の年の女の子二人が、とてとてとこちらにやって来た。
こんな幼い子達も倉庫族にさせるとは情操教育的にどうなのだろう。
「ねえねえ。だれー?」
「新しいプロデューサーさんですよ」
「新しいって、Pくんプロデューサー辞めちゃうの?」
俺が今いるプロデューサーの代わりにやって来たのだと勘違いした彼女達は、そんなの嫌だと頭を振りながら悲しそうにする。
別にその人の代わりにプロデューサーになるわけではないけど、そこまで拒否しなくても。
俺の立場は飛び道具みたいな存在だし。
だからこそアイドル部門の人だけでなく、お笑いや俳優部門の人間にも繋がりがなくてはならなかったのだが。
否定して安心させようと口を開くが、結果的に開いた口が塞がることはなかった。
「そんなことは無いですよ。私はあなた達のプロデューサーを続けます」
と、奥からにゅっと出てきたのはちょっと強面の男だった。
特徴的な低い声も相まり圧迫感がある雰囲気をしている。
「挨拶が遅れて申し訳ございません。私はシンデレラプロジェクト担当の武内と申します」
その風貌からは想像できないほどの丁寧な挨拶に我に返り、こちらも自己紹介をした。
しかし、彼がシンデレラプロジェクトのプロデューサーだったとは。
346プロの大型プロジェクトとして、名前は地方都市にあった前の会社まで広まっていた。
デビューから数ヶ月立て続けのCDラッシュとサマフェスの企画は並大抵の忙しさじゃなかっただろうに、それをそこまで年の変わらない彼が一人でプロデュースしていたのは正直驚いた。
相当有能な人物であるはずだけれど、何故こんな僻地に飛ばされてしまったのか。
それに比べ俺がこれからやろうとしているのは、下地のできたアイドルの違う顔を見せることであり、ある意味良いとこのつまみ食いとも言える。
既存プロジェクトとは違い、スポット的な企画ユニットを社内のアイドルで幅広く使うから仕事を頼むことはあっても引き抜きとかはない。と説明していたところ、気が付けば俺の回りにアイドル達がゾロゾロとやって来てコソコソと話をしている。
「じゃあ、あれかな?フリーランスってやつ。ロックだね」
とヘッドホンを提げた少女
「よかった。解散とかしなくて良いんだ」
と呟く儚げな雰囲気の少女
「ふっふっふっ、新たな契約を交わし彼の地へと降り立つこともまた一興」
とゴスロリファッションの少女
多分、彼女達は多田李衣菜、緒方智絵理、神崎蘭子だ。それで先程の子達は赤城みりあに城ヶ崎莉嘉だろう。その他にはニュージェネの三人とラブライカ、諸星きらり以外のメンバーが室内にいた。
直接仕事をする機会こそ無かったけれど、彼女達がこちらに来るときもあるかと幾つか企画書を提出していたから間違ってはいないはず。
それに、高垣楓や川島瑞樹などの個人やブルーナポレオン、happy princesなどのユニット単位でも有名な処は何度か仕事でお世話になったり行きの新幹線内でも確認をしている。
しかしながら、埋もれているアイドルの資料にまで目を通す余裕がなかったので、今頭の中に出来かかっているフワフワとした企画案を纏めるためにも、彼女達に会いに行かなくてはならない。
「ええ、私が企画した物が通れば何ヵ月かの間、今のユニットと同時進行で活動してもらうこともあるかもしれないですね」
彼女たちとも仕事をする日はそう遠くない日にやって来るだろう。
「それはそうと、常務からここに荷物を預けて置きなさいと言われましたが、間仕切りの奥に置いといても大丈夫ですか?」
「はい。今日の夕方には机も届くので、とりあえずはその仕切りの奥をプロデューサーさんの席にしていただけると助かるのですが」
申し訳無さそうにちひろさんが言ってきたが、確かにこの状況は島流しにあったあと、流された先で村八分にされたといった感じでもある。
だからといって武内さんと向き合いながら仕事をするのも精神的に安らげるかといったら違う話になってくるが。
「構いませんよ。もともと倉庫っぽい所に行けと言われた時点である程度は覚悟してたんで」
「申し訳ございません。千川さんやアイドルの皆さん、それに貴方にも迷惑をかけてしまい」
首に手を当て、頭を下げて謝る武内さん。
描写だけなら剽軽な人にも思えるが、やはり迫力が違う。
というか、ぶっちゃけると怖い。
「いえ、仕事ですからこういうこともありますよ。それより武内さんも大変だったんじゃないんですか?常務に反発したらここに移動させられるなんて」
「いえ、常務の仰った事も全く分からない訳ではありませんし。それに、仕事ですからこういうこともあります」
武内さんはそういうと、顔を少し歪めた。
笑おうとしているのだろう。そう気付いたら、何だか可笑しな気持ちになり少し笑ってしまった。
きっと彼とは仲良くなれそうだ。
○
武内さんや千川さんの所から出て色々と回ってみたが、この芸能プロのアイドル部門はアイドルだけでなく社員も個性が豊かじゃないと勤まらないのかとツッコミをいれたくなった。
ポエミー常務から始まり、極彩色アシスタントに強面の武内さん。それに、個性豊かすぎるプロデューサーの面々。
特に危ないと感じたのは浅利七海と星輝子のプロデューサーだった。
前者は、アイドルがレッスン中らしくプロデューサーにしか会えなかったが、「浅利七海の声聞きたくない?」を開口一番に、左右の耳に「仕事を企画すれば君にも聞こえるよ。浅利七海に君も会えるよ」と催眠術かよ。と言いたくなるように語りかけてきた。別れ際に、左の鼻から緑色の液体を出しながらカラフルとのたまっていたけど彼は人外かもしれない。
もしくは変な薬でも決めてるか。
後者のプロデューサーは星輝子と一緒に居たのを見ただけだったが、何やらテンションが上がったみたいで、ヒィヤッハァァァァと二人揃って奇声を上げ最終的にプロデューサーが喉を痛め吐血していた。
こっちは明らかに見た感じからヤバそうだったので声はかけなかった。
変なキノコでも決めてるんじゃないか。
上から下までぐるりと巡り、アイドル部門だけでなく他の部門にも挨拶周り兼企画の協力を取り付けていたら随分と日が陰ってしまった。
まだプロダクションの夜は長いだろうが、折角の有給。定時に帰宅しても文句は言われないだろう。
帰り支度を済ませ一階に降りると、野外のカフェスペースがあった。
人も殆ど居ないが、営業はしているのか注文をする場所にも灯りが付いている。
これからは打ち合わせで使用するかもしれない。一応挨拶だけでもしようと、手頃な席に座ると店員さんがやって来た。
辺りは薄暗く、上に付けられた照明だけが手元を照らしていて店員さんの影だけしか確認できない。
それでも、小走りでこっちにくる小柄な店員さんを見たときに、この時が来たのだと確信した。
この仕事についた頃から、調べようと思えば直ぐにでも彼女の事を調べられたはずだ。でも、彼女ならばきっと自分の力で売れて皆に伝えたいのだろう。なら俺がするべきことは彼女がここにまで名前が届くアイドルになった時に、大手を振って迎えることの出来る人間になることだと、そんな独りよがりな考えで自分のプライドや羞恥心のようなものにコーティングを重ねて気が付けばここまで来てしまった。
「もしかしてプロデューサーさんですか?」
駆け寄ってきて放った彼女のその一言が、ちっぽけなプライドに重ねたものをゆっくりと包み込んで溶かしていく。
「ああ、そうだよ」
声は震えてなかっただろうか。手から出る汗はどう止めたら良いのか。歪んだ顔は暗いから多分見えてないと思いたい。
「お久しぶりですね。ここに居た娘達が話してましたよ……私より先に有名になっちゃいましたね」
笑って言う彼女にどう答えれば良いのだろう。十年前ならどう答えただろう?少しふざけて?それとも真剣な顔で?プロデューサーとして?一個人として?
いや、今はそんなことはどうでもいい。
もし、彼女が今もシンデレラに憧れているならば、側に他のプロデューサーが居ようと常務の方針だろうと、ねじ曲げてしまおう。
側に居れなくても、方針が違ってもやりようはある。きっとその為に今日までやって来たのだから。
「……貴方の夢は何ですか?」
ダメだ。自分でも声が震えてたのが分かるし、手の汗は止まらないまま。ここまで近くに来たら顔も見られてる。
彼女の頭の上にあるウサギの耳がふるふると左右に揺れる。
何往復かした後、彼女は手をぎゅっと握りしめ口を開いた。
「安部菜々17才。歌って踊れる声優アイドル目指して頑張ってまーす!これからよろしくお願いしますねプロデューサーさん。キャハッ」
自己紹介を聞いたとき、色々な感情からくる涙と一緒に止まっていた時計が動き出した気がした。
「ああ、よろしく。俺の名前はーー」
俺の十年間はこれから始まる。
菜々さんと自転車で二人乗りしながら帰りたかっただけなのにどうしてこうなった。と言っても好きだった人が十年たったらこうなってたら絶対泣きたくなるよね。
続きません。もし続くとしたら私がよしのんかシュガハをあんたんした時だと思ってください。