翌朝、朝食を終えた俺と山本が執務室でいつもの様に書類と向き合っていると突然ノックの音が飛び込んで来た。
「し、白雪です」
「どうぞー」
俺は視線を扉の方に向けて入室を促すと白雪は一言入れてから扉を開いて姿を現した。
あからさまに動揺する山本を横目に俺は白雪に声を掛ける。
「おはよう白雪。体の調子ばどうだい?」
「えぇ。昨日は大変ご迷惑をおかけ致しました」
そう言って白雪は深々と頭を下げたのに対して俺は慌てて宥めた。
「だ、大丈夫さ。困った時に支え合うのが仲間だろう?」
「で、ですが……」
「そ、それよりも今後の予定については深雪から聞いてるかい?」
「ええと、暫くは正面海域の出撃と遠征を回していくと聞いてますが……」
「そうだね、だから病み上がりで済まないが大丈夫そうなら遠征を頼めるかい?」
「それは一向に構いませんが……」
「ありがとう!じゃあ早速だけど電と龍田とザラを連れて四人で長距離練習航海に行って来てくれ」
疑いの眼差しを向ける白雪に俺は肝を冷やしながらも表情を崩さないよう努めた。
「まぁ、良いですけど。それでは行って参ります」
「ああ、気を付けて行ってきてくれ」
……ふぅ、原因の一端は俺にもあるからな……この事で白雪から謝られるのは流石に忍びないぜ。
俺への言及はせずに部屋を出ていこうとした白雪だったが不意に立ち止まる。
「あっ……や、山本司令……その」
「うぇい!?あ……はい?」
妙な声を上げて明らかに狼狽えている山本に背中を向けている白雪は気付く筈も無く、蚊の鳴くような声のままやっとの思いで続きの言葉を紡いだ。
「あの…………昨日は、あ……ありがとう……ござい……まし、た」
そして言うだけ言うと白雪はすぐ様部屋を飛び出して行った。
「あ……えと……どういたしまして?」
「はぁ……司令官、誰に言ってるんだい?」
「へっ……あ、あれ?白雪が居ない?」
「……兎に角、仕事を続けよう。ほら、手が止まってるよ」
「ああ、わりぃ……」
慌てて書類に手を付け始める山本を一瞥し、自分も書類に向き直りながら軽くため息を吐いた。
山本はともかく白雪なら公私混同しないだろうと思ってはいるんだけど……少し不安だな。後で龍田に様子を聞いてみるか。
そう頭の中の予定に組み込むと俺は目の前の書類を書き進めていった。
「ふぅ~、終わった終わった」
「お疲れ、司令官」
まだまだ規模の小さい鎮守府なので事務仕事なんてものはさほどなく今日のは二時間もあれば終わるものであった。
この後の予定としては昼食を摂った後、今日は出撃に行く事になるのだが時間を見るとまだ十時過ぎで昼には少し早い時間である。
こういう時いつもなら工廠に行って艤装の整備をしたり見回りに行ったりしているのだが、今日は少し聞きたい事があったので部屋を出ずに山本にお茶を出しながらあることを尋ねてみた。
「司令官、ちょっと聞きたい事があるんだけど良いかい?」
「お、さんきゅ。それで聞きたい事ってのは?」
一仕事終え明らかに気が緩んではいるが朝の時とは違い落ち着きは取り戻しているし今なら聞けるだろうか。
俺は椅子に座りお茶を一口啜ってから本題を切り出した。
「今日までずっと気になっていたんだけど、私達が鎮守府に戻った後白雪と何があったんだい?」
「んぶっ!?げほっ……!げほっ…………はぁ……」
「ちょっ、大丈夫かい!?」
「ん”ん”っ……ダダダダイジョウブ、問題ない……ぞ?あっははは……」
山本は俺が渡したティッシュを手に取り大げさに机を拭き始めた。
動揺を隠そうと引き攣った笑い声を上げているが俺は構わず問い詰める。
「それで?何があったんだい?」
「ななななにって?いやぁ別に何も無かったですよ?いや本当に!?」
「何も無かったのに白雪は飯も食わずに二日間徹夜したって言うのかい?」
「そ、それは……ほ、他に理由があったんじゃない……かな?」
「なるほど。ああそれからもう一つ、ここ数日間司令官が白雪という言葉に過剰に反応しているような気がしたんだけどそこんところはどうなんだい?」
「そそそそうか?白雪も大切な仲間だし気を配ってはいるが過剰にというのは気のせいじゃないか?」
「ふ~ん、じゃあ別に白雪の唇を奪った事については司令官は何とも思ってないんだね?」
「ふぁっ!?な、なんで知ってるんだ!?」
お?今の反応はもしや……
「ん?それは龍田から聞いている事は司令官も知っている筈だけどな……」
「あっ……」
おっと、どうやらビンゴのようだ。なら一気に畳み掛けるとしよう。
「……なるほどね、二人きりになった後にまた
「う”っ……いや……」
「私に振られた直後に司令官から迫ったのかい?」
「ちがっ、俺からじゃな……あっ」
「そっか、なら良かった。司令官がそんな節操無しじゃあ白雪が可哀想だからね」
それにしても白雪も随分と積極的じゃないか。これなら白雪の方の後押しはもう必要なさそうだ。
後は……
「あぁ~、白雪に秘密にしてくれって言われてたのに……」
「それは申し訳ない事をして済まない。勿論誰にも言うつもりはないし、代わりと言っちゃなんだけど白雪との事で心配事や悩みがあれば私が色々と相談に乗るからさ?」
「響……」
二人が結ばれるように出来る限り協力するとしよう。
勿論打算的な考えは無いと言えば嘘になるがそれを除いても俺の親友と親友を好きになってくれた人が幸せになって欲しいと想う心は紛れもない本心だから。
そしていつか二人が結ばれた時には全てを打ち明けても問題は……別方面にあるからやっぱ山本と白雪の二人にだけ打ち明ける事にしよう。
それでも俺を認めてくれるなら……なんて先の話は今考える事じゃないか。
「別に今すぐじゃなくてもいいさ。相談したいと思った時にでも──」
「響っ……」
何時でも声をかけてくれ。
席を立ちつつそう言いかけた時、山本に真剣な表情で呼び止められた俺は再び席に着くと何も言わずに続く言葉を待った。
そうして数分が経った時、山本は意を決して話し始めた。
「正直、不安なんだ…………響達のおかげで白雪が俺の事を想ってくれている事に気付けた訳だけど……やっぱり俺にとって響、お前は特別な存在なんだ」
「……白雪の目の前でばっさりと切り捨てたのにかい?」
「ああ、だけどそれすらも俺と白雪を思っての発言だったんじゃないかって今でも思うし、そうじゃなくてもやっぱり簡単には諦めきれないんだ」
嬉し……違う!そうじゃない。俺は白雪を裏切るつもりもないしそもそも山本とは男同士の友情であってそういうつもりはないんだ!
だから今出かかったのはあくまでも理解してくれる親友に対する感動……うん、そういう事だ。
「それで、一体何が不安なんだい?……傷口を抉る趣味は無いからあまり何度も言いたくは無いけど私は男に興味が無いというのは間違いなく事実なんだ。諦めてくれないと困るな」
「うっ……それでも、そんなあっさりと割り切れる事でもないんだよ」
「はぁ…………それならどうするんだい?私を解体して別の響を建造でもするかい?」
「なっ、馬鹿!!冗談でもそういう事を言うな!」
声を荒げて叱りつける山本にムッとした俺はつい強めに言い返してしまった。
「冗談じゃないさ。私を引きずり続けて白雪と山本の二人を不幸にする位なら山本が別の響とくっついた方が幸せになれるし白雪だって諦めがつくだろ!」
「違うっ!俺はそういうことが言いたいんじゃない!!確かに響の事は簡単に諦めきれないが……俺が不安なのはこんな状態で白雪の気持ちに応えたら白雪をまた傷付けてしまうんじゃないかって事なんだ」
俺は俯いて肩を震わせる山本を見つめながら感情的に言い返してしまった事を恥じていた。
この男は恋愛事を除けば察しが良く気遣いの出来る奴だって事は昔から知っていた事じゃないか。
そんな男が自分に好意を寄せてる相手が居る事を知った上で何も考えない筈が無いだろうが。山本は白雪の想いに真摯に受け止めているからこそ中途半端な気持ちで答える訳には行かないと悩んでいるのだ。
そんな山本の悩みに対して俺はなんて答えてやればいい……いや、本当は解ってる。
ただ事実を伝えてやれば山本も諦めがつく筈…………だけど怖い……そう、本当は申し訳無いとかそんなんじゃ無かったんだ。
山本になんでお前なんだと失望されるのが、気持ち悪い奴だと軽蔑されるのが怖いんだ。
だけど二人の幸せを願うなら例え軽蔑されようと言わなければ。
それに山本なら聞いた後も前みたく接してくれる……そう思っている……のに……。
「………………どっちにしても私は司令官にそういう感情を抱く事は無いから嫌でも諦めがつくさ。だから今は白雪に確りと打ち明けた上で待ってもらうなり何なり二人で話し合えば良いんじゃないかな?」
「……そっか、解った。一度白雪と話してみるわ。さんきゅうな、響」
「…………うん」
最低だ……親友だなんだと言いながら結局俺は山本の事を信じられていないんだ。
感謝される筋合いなんか無い……俺はただ保身の為に当たり障りのない意見を述べただけでしかないんだから。
「……それじゃあ私は見回りに行ってくるよ」
「おう、気を付けてな」
執務室を後にした俺は鬱屈とした気分の中いつものルートを回り、その足で一足先に工廠へと向かったのだった。
自分に後ろめたい気持ちがあると人を信じるのも難しいですよねぇ……