私はさっそくEメールの下書き機能を使って、お父さんにサイドエフェクトのこと、そして未来視のことを報告書にして送った。しかしその実、その報告書を書きながら、私の心には一抹の不安がよぎっていた。こんなSFみたいな馬鹿げた話、信じてもらえないかもしれないというお父さんへの疑心ではない。むしろこんな困難な任務を、私に任せてもらえるだろうか、という不安であった。
ボーダーへの潜入、そしてトリガーを伴っての帰還という任務に、私が抜擢されたのはひとえに中学生という年齢が、ボーダーにもっとも入りやすかったからだろう。
スパイというものは、何に関しても人並み以上に優れている必要がある。潜入先に適応するためであったり、人から情報を引き出すためにより好都合だからだ。
私も自分の能力を客観視したとして、自分のことを同年代の他の子よりははるかに優れていると評している。パソコンの画面に自分の顔が映った。
器量、コミュニケーション能力、勉強、体術、情報収集、機械の操作。何にしたって、人並み以上できる。
それは、すべてがすべて最初から私が持っていたものではない。
お父さんに認めてもらうために、仕事を任せてもらうために、他の子が遊んでいる時間を費やしてきて得たものだ。
私はそれに確かな自信を持っている。
だけど、絶対的に自分の能力を認める以上に、その相対的な評価も、私は認めている。
私の能力は、所詮同年代より優れているというだけに過ぎない。
お父さんの会社ーー私がよく知る大人たちの中には、私より優秀な人がいくらでもいる。
そのことを知っているからこそ、私は自分の能力の限界によって任務を解任されるかもしれないという恐れを抱いていたのだ。
二十分後、私は携帯を起動した。
Eメールの下書きボックスには私が書いた覚えのない男らしい言葉が並んでいた。
【分かった。そういった危険性がある以上、こちらもお前を全力でサポートする。
想像以上に困難な任務だと思っているかもしれん。だが、お前になら絶対やれる。お前は俺の娘だからだ。
思考を止めるな。必ず突破口はある。】
私は画面に見入った。そして写真にも残せない、保存もできないその文字を頭に刻みつける。
やがて私は立ち上がり、カーテンを開く。
窓からは大きなボーダー基地が見える。私はそれを睨むように見つめた。
絶対に任務を成功させてみせる。その思いが、胸の中でただひたすらにこだましていた。
ーーーー
翌週、私はボーダーの一角にある休憩室に呼び出されていた。
呼び出した人物を待つ間、学校の宿題を終わらすためにペンケースとノートを取り出す。
淡々と文字を映しながら、漢字の書き取りとかいう小学校から続く悪習は廃止すべきだと、常々思っていることをため息にして吐き出す。こういった作業系のものはどうやっても時間を短縮できないので、あまり好きではなかった。
十分きっかりかかって、最後まで終えると、ちょうどそこに待ち合わせの相手がやってきた。私は立ち上がる。
「お待たせしましたね。」
上層部の一人である、メディア対策室長の根付さんだ。彼に初めて声をかけられたのが、今回の呼び出しの発端だった。
「いいえ、そんなに待っていませんよ。……後ろの彼らは、どうしたんですか?」
「それが今回の本題だよ。
ニット帽子をかぶった彼が茶野真くん。もう一人が藤沢樹くんだ。
二人とも、君の一つ上でーー最近、B級に昇格したばかりなんだ。」
私はどこか緊張した様子の二人に目をやる。
今の時期に昇格したということは、とても一般的なスピードだと言えた。
私は椅子をひき、根付さんに座るように進める。彼は頷いて席に着くと、後ろの二人にも、そうするよう勧めた。
私はまた椅子に座り直す。
「高橋くん、君はとても優秀だ。しかし、まだオペレートを担当する部隊が決まっていないと聞いたよ。」
「はい。既存の部隊に空きはありませんでしたし、新たなB級の部隊もできそうになかったので。」
「つまり、君自身に部隊の担当オペレーターをする意思はある、と。」
「もちろんです。」
ここまで言われて、薄々気がついてきた。根付さんが私とこの二人を引き合わせようとした理由に。
「先に言っておこう。」
根付さんは、ごほんと咳払いをする。
「これから言うことに対する決定権は、あたりまえだが、君自身にある。命令でもなんでもないし、断ることによって、君が不利な状況に置かれることもない。」
「はい。」私は深く頷き、肯定を示した。
外は梅雨を示す、暗い雲が空を多い、雨がしっとり降り続いていた。
そういえば、お父さんと初めて会った時も雨の日だったな。と私は回顧する。
根付さんが一つ、拍をおき、口を開いた。
「彼ら二人と隊を組んでみる気はないかい?」
私は、横目で茶野さんと藤沢さんの表情を窺った。
より、緊張をしているように見えるが、そこに驚きはない。私を隊のオペレーターにするというのは、前もって聞かされていた話なのだろう。距離感を見るに、二人は旧知の仲のように思える。推測すると、彼ら二人が隊を組もうとしていたところに、根付さんが介入したというところだろう。
そして私はその根付さんに視線を戻した。
上層部の派閥は、明確に分かれている。同時に、その所属派閥に大きな力をもつ。そしておそらくは最もその争いに興味関心があり、実行権を握っている立場でもある。これは、周知の事実だ。
忍田本部長は忍田派の筆頭。本部長長補佐の沢田さんも同様だ。
林藤玉狛支部長は、当然ではあるが、玉狛派。
その3人以外は城戸司令を筆頭とする城戸派にあたる。
つまり、派閥の頂点である城戸司令、鬼怒田ボーダー本部開発室長、唐沢外務・営業部長、そして目の前の根付さん。
彼らは城戸派だ。
そして、茶野さんと藤沢さん。
城戸派の上層部である根付さんが、隊の結成に一枚噛もうとしているその隊員である二人も、おそらくは城戸派なのだ。
根付さんが彼自身の影響力が強い隊を作ろうとする明確な意図は、まだわからない。ある程度の推論のみだ。
だが、確実にわかることはある。この隊に入るということは、根付さんの下に置かれるということであり、間接的な城戸派の証明になるということだ。
打算が頭の中を駆け巡る。
これは、大きなチャンスだ。単純に城戸派の部隊に入ることができるというだけではない。その後の目標であったより、組織の意思決定プロセスに関わる立場ーーすなわち、上層部の一人である根付さんに近づくことができる。
しかし、それはうまくいけば、の話だ。
私はしめた、これは任務達成の突破口になる、と思う一方で、疑心が頭の一部の支配していた。
何か、騙されていないか。うまくいきすぎてはないか。これは、罠ではないのか、と。
少し前に数週間を無駄にした。先週得られた成果は、サイドエフェクトという未知の能力のみだ。それも、トリオンはもともと依頼人の方から情報のタレコミがあったので土産になるような大きな成果とはいえない。せいぜい、私自身の潜入をより円滑にする手段になるだけだ。
そういった歯がゆい思いをしていた最中に、これだ。あまりにも、この提案はわたしにとって"都合が良すぎる"。
私が黙ったままでいた。雨の音が部屋に響く。
判断が、できない。
誰もが私の答えを待っていた。しかし、私にはそれを示すことができない。
わたしの口は、なにも音をつくらなかった。沈黙が部屋を支配する。
しかしその中で、突然、ニット帽の彼ーー茶野さんが口を開いた。
「俺たち、B級に上がったばっかりで、弱いし、足りないことばっかだけど、努力は絶対に惜しまない!必ず、強くなる!」
私は目を見開き、彼を見つめる。茶野さんはこちらを見据えるように、私と視線を合わせた。そして、頭をさげる。
「だから、俺たちの部隊に入ってくれませんか。」
隣の藤沢さんも、「オレからも、お願いします。」と言って頭を下げた。
この人たち、馬鹿みたいだ。私は思った。
私は年下で、礼儀なんて払う必要ないのに。私が考えていたのは利害関係だけで、この人たちが頑張り強くなるとか、そんなことは一切関係ないのに。
そして私は悟った。根付さんが二人を選んだ理由を、隊を作る目的を。それは確信の域に達していた。
この人たちには、見る人を信じさせるような雰囲気がある。
率直で、純真で、盲目で一途な言葉と性格。それを心の奥底から思っているからこそ、そう振る舞うことができる。真面目、と言い換えてもいいかもしれない。信じるべきものを単純に信じる彼らの姿は、一見愚かにさえ思えるかもしれない。しかし、それをできる人物はそう多くない。だからこそ、人々は彼らを信じる。
根付さんは彼らに第二のメディア用部隊になってほしいのだろう。嵐山隊のように、二人は特段目を引く華をもっているわけではない。だけど、人を安心させるという才能がある。二人がメディアに出るようになれば、今以上にボーダーは人々から信頼を得ることができるだろう。
わたしが選ばれたのは、彼らに欠けているものを補うためだ。器量や能力。そういったものを付加させるために、私をこの部隊に入れようとした。
正しいですよ。心でつぶやく。その人選。
いや。正しかったですよ、根付さん。
「サキです。」
二人がゆっくりと顔を上げる。
その顔を見つめ返す。
「私の名前は、高橋サキです。
サキで構いません。」
そして、根付さんの方に体の向きを直した。
「そのお話、お受けさせて頂きます。」
ポト、ポトという滴の跳ねる音がした。
どうやら、通り雨が過ぎ去ったらしい。