「お、いたいた。」
学校が終わり、いつものようにボーダー本部にやってきていた私は、連日の日課となって居るC級のランク戦を見に行こうとしていた。
しかし、道中これまたいつものように、にやけた顔をした犬飼先輩に止められる。
「……なんでしょうか。」
「そんな不機嫌な顔しないでよ、高橋ちゃん。」
少し離れたところに、辻さんもいるのがわかった。何か、嫌な予感がする。
「どこいくの?」
「……C級のランク戦です。」
「あっ、"ランク戦"?ちょうど良かった、俺ら、今から連携確認のために"模擬戦"するんだ。
うちの隊長と氷見さんはあいにく二人ともいなくて、相手はオペレーターを入れたチーム戦の確認したいらしいんだよね。」
私が見に行きたいのは"C級の"ランク戦です、というのをぐっとこらえて返答をする。
「……つまり。」
「俺らのオペレーターしてよ、高橋ちゃん。」
「申し訳ありません、お断りします。」
私は屹然とした態度で断りの意を示した。実を言うと、私は内心焦っていたのだ。ここ数週間、ボーダーの内部情報はとくに進展もなく、新しいことが出てきているワケではない。
そしてオペレーターとしても、連日C級のランク戦を見ている割にあまり収穫はなかった。
あまり物事がうまくいっていない今の状況で、時間を無駄にはできない、そう思って判断だった。
しかし、犬飼さんは全く諦める様子を見せない。
「断るのを断るよ。」
「その断りを断ります。」
私は前にたち、行く先を遮る犬飼さんの横を通り抜けようとした。しかし、犬飼さんも横にずれてきたので失敗をする。
「ちょっとだけだって。」
「絶対ちょっとじゃないですよね。」
そう言い合っていると、「……あのさ。」という声が聞こえた。思わず振り向く。辻さんだ。視線はあらぬ方向を向いているが、彼に必要最低限……つまり義務的な会話以外で声をかけられたのはこれが初めてだ。驚きで思わず目を開く。
「C級のランク戦に通いつめても、有力な戦闘員は突然には現れないと思うよ。」
そして、それ以上の驚きに、息を飲んだ。
この人はここ最近の私の行動を知っている、そして私がもつ焦りを半分見抜いている。
「……それに、俺たちの戦いをオペレートするのは、将来的に価値のないことじゃないよ。」
辻さんはそれだけを口早に言い残すと、さっさと離れて行ってしまった。その後ろ姿を唖然と見送る。
「……私、辻さんに嫌われてるのかと思ってました。」
目も合わせてもらえないし、話したことがなかったし。心の中でそう補足する。
そんな私を呆れたように、犬顔さんは見ていった。
「だから言ったじゃん、緊張しているだけだって。」
そしてにやっと笑っていう。
「で、辻ちゃんにあそこまで言わせて、行かないわけ無いよね?」
私はまだ混乱する頭をこくりと頷かせた。
模擬戦をするために、トリオンでできた戦闘室に向かった犬飼さんとは直前で別れて私はオペレーター室に入る。
そこには私以外にもう一人、オペレーターの人がすでに座っていた。
ドアを開けた音で彼女がこちらに気づく。
「高橋さんですね。わたしは三上美歌です。今日は、私たちに付き合ってくれてありがとう。」
「いいえ……。」
そういえば相手がオペレーターを入れた模擬戦をしたいって言い出したんだっけ……と思いながら、返事を返す。またドアを開けて奥に進み、設置されている椅子に座った。
そして、オペレーター室に来るまでに聞いた犬飼さんの言葉を思い返していた。
"「相手は、A級風間隊所属の菊地原くんと歌川くん。
それぞれアタッカーとオールラウンダー。風間隊だから、カメレオンを使う攻撃が得意。
あぁ、1番大事なのは……菊地原くんのサイドエフェクトか。」"
"「サイドエフェクト?」"私は聞きなれない言葉に顔をしかめた。
"「あー、説明されてない?後で全部教えるから、とりあえず菊地原くんは常人よりはるかに耳がいいって覚えておいて。」"
"「分かりました。ちなみに、そのはるかっていうのはどの程度ですか。」"
犬飼さんはにやり、と笑っていった。
"「俺ぐらい。」"
犬飼さんが言った俺ぐらい、というのはそのままの意味ではなく、犬のことだろうとおもう。
確か、犬は人間の6倍耳が良かったはずだ。
つまり、すごく分かりにくいが、菊地原さんは普通の6倍程度の聴力を持っている、ということでいいだろう。それがどの程度戦闘に役に立つのかは分からないが、用心するに越したことはない。犬飼さんはもっと親切に情報を教えるべきだと思う。
とりあえず、私は戦闘室の準備が完了するまでの間、[犬 聴力]とスマートフォンで検索して情報を漁ることにした。画面をスクロールしながら、もう一個、ページを開く。
[サイドエフェクト 意味]
辞書には悪いものとは限らない副作用のことだと書いていた。副作用、そう聞いてパッと思い浮かぶのは白い病院、医療そして薬だ。菊地原さん、という人は何らかの病を患っているのだろうか。いや、それは違うだろう。トリオン体になれば、たとえ体が不自由なひとでも自由に動け、視力も回復すると聞いた。それに、もし病であったとして聴力が異常に発達する薬の症状など、聞いたことがない。
しばらくサイドエフェクトについて調べていたが、有力な情報を見つけることはできなかった。そのページを閉じてから、私は一つの考察をした。サイドエフェクトとは、トリオンに関係する副作用なのではないか、というものだ。もしそうならば、ネットで情報がでてこないのも納得が出来るし、トリオンについての研究はボーダーが得意とするものだろう。
考えがまとまり、携帯の電源を落とす。ちょうど、戦闘室も準備ができたようだ。
各隊員の転送が開始される。戦闘が始まった。
最初の配置がマップ上に表示される。あまり特徴がない市街地Aが選ばれていた上、初期の転送位置も、4人全員が中距離〜短距離を得意とするタイプなだけあり、互いにイーブンな場所であった。
それからバッグワームが展開され、双方相手の位置情報が掴めなくなる。
辻さんと犬飼さんに通信を入れる。
「相手側も互いの合流を最優先に動くと考えられます。しかし、思ったより辻さんに歌川さんが近かったので警戒はしておいてください。カメレオンが使われる可能性がもあると考えてもらって構いません。
レーダーマップを出しておきます。」
「りょーかい。」「了解。」
画面には戦闘室の様子が表示されている。レーダーにはまだ何も映っていない。
二人は無事に合流できたようだ。今回の目的は連携の確認と言っていたが、相手側のカメレオンを使った戦術はずいぶんそれの練習になるに違いない。なんたって見えない敵なのだから。
時計をちらりと見る。相手側の速度から考えて、そろそろやってくる時間だろう。
「来るね。」「はい。」
向こう側の空気が変わったのを、ヘッドホン越しに聞こえてくる声で感じとれた。犬飼さんは銃型トリガーを構え、辻さんが弧月を展開した。
レーダーを注視する。カメレオンはそのステルス性能と引き換えに多くのものを捨てている。バッグワームを併用できず、またトリオン察知反応を欺くこともできないのだ。まだ、そこには何も映っていない。
刹那、家の上から歌川さんが飛び降りてきた。彼のスコーピオンと辻さんの弧月がぶつかる。辻さんは弧月の頑丈さで押し切ろうとするが、それを察した歌川さんが後ろへ下がった。犬飼さんが彼を迷わず撃つ。
そしてそれと同時に画面の端のレーダーに、トリオン反応が映った。「犬飼さんの背後、4メートルにトリオン反応です!」
カキン、というトリガー同士がぶつかる音がする。私の言葉に反応したのは辻さんだった。菊地原さんは歌川さんに気をとられ背を向けていた犬飼さんをスコーピオンで刺そうとしたが、それを悟った辻さんが、菊地原さんが姿を現すのと同時に弧月で切る。しかし、相手もA級隊員だ。確実にトリオン供給器官を狙ったそれは、もう片方のスコーピオンで防がれた。重い一撃に耐えられず、スコーピオンが折れる。
そして、一瞬菊地原さんの攻撃に反応し視線がそれた犬飼さんを、歌川さんが容赦なくアステロイドで撃った。犬飼さんもとっさにシールドを貼るが、弾は左肩に掠る。
相手の狙いは犬飼さんだったのか、と顔をしかめる。とっさに動いた辻さんが、もう一度菊地原さんに斬りかかり、今度は左腕をとる。それと同時に画面では相手側の二人がカメレオンで消えたのが見えた。レーダーに映る二人の姿は離れていく。
追わない方がいいだろう、そう判断して伝えると同意が帰ってきた。
「辻ちゃんはナイスだったけど、俺肩痛いし。」
「……痛覚切ってますよね、犬飼先輩。」
「そうだけど。まぁでも、狭いところに移動した方がいいと思う。変な小細工はたぶん、菊地原くんの"耳"のせいですぐにバレるだろうし。」
「……そうですね。路地ぐらいがいいでしょう、相手に翻弄されないぐらい狭い。
おそらく腕を斬りとったことで、相手の方も短期決戦を望むでしょうから、待っていた方がいいですね。」
「決まり、高橋ちゃんルートお願い。」
「承知しました。」
言われた通り、マップにルートを送った。時計の音に、耳をすませる。おそらく、あと十数分で、この戦闘は終わる。
狭い路地裏で背中合わせの状態で、犬飼さんと辻さんは待機をしていた。既にバッグワームは解いている。レーダーに相手のトリオン反応が映る。かなり近い。
二人の方にもそれはわかっているはずだ。
犬飼さんはレーダーを見てから顔を上げると、ニヤリと笑った。
「結構単純で、俺、好きだよ。そういうの。」
そして銃を空に向けて、思いっきり撃つ。まさか、と思い画面を見ると、レーダーに映っていた反応が一つ消える。バッグワームを使ったわけではないだろう。相手が一人落ちたのだ。
「残り一人、辻ちゃん。」「はい。」
こうなればあとはこっちのものだった。挟み討ちの心配がなくなった二人は一転広い場所にでて、そこで背中合わせになる。
辻さんの弧月が、スコーピオンとぶつかった。
「やっぱ残ったの歌川くんか。」
「……ここで辻さんを落とせなかった。なら、もう詰みですね。」
「正解。」
にっこりと笑った犬飼さんが、歌川さんを撃ち抜く。トドメに辻さんが思いっきり体を斬り倒した。歌川さんのトリオン体が崩れる。
戦闘終了、私たちの勝利だ。
「ほんと、意味わかんないんですけど。なんであそこで上だって分かったんだよ。」
「勘だよね、勘。」
「うわ、犬そのもの。」
「菊地原。」
「いいよ、歌川くん。
いやでも、犬並みの聴力してるやつには言われたくないな。」
模擬戦が終わり、三上さんとオペレーター室をでて、ロビーに向かうとそんな会話が聞こえてきた。
私たち二人の足音に、菊地原さんが振り向く。そして、顔を顰めてボソッと「生意気オペレーター。」と呟いてきた。その言葉で、残りの3人も私たちに気がついた。
「お疲れ様でした。」「お疲れ様です。」
「お疲れ。あと高橋ちゃんありがと。」
「いえ、構いません。割と、楽しかったので。」
「辻ちゃんの言った通りな感じ?」
そう犬飼さんが辻さんに話を振ったので、彼に目を向ける。そっと目は伏せられたが、顔をこちらに向けて「よかった。」といってもらった。顔はかすかに赤く染まり、黒い髪が揺れている。
なんだか、この人かわいいな。
「そりゃ、勝った方のオペレートするんだから楽しいでしょ。」
それに水を差すような、不機嫌そうな声が入ってくる。菊地原さんだ。
「菊地原。付き合ってもらったのはこっちだぞ。」
歌川さんがそれを咎めてくれたが、私の興味関心は別のところにあった。
「耳、すごい能力ですね。」もちろん、彼のサイドエフェクトだ。常人の6倍の聴力なんて、かなり超人的だ。そう思っての言葉だったのだが、彼は嫌そうに顔をしかめる。
「何それ。学習機能みたいな利便性も、 未来を見るサイドエフェクトみたいな派手さもない僕に対しての嫌味に聞こえるんだけど。」
「未来……?」菊地原さんの言葉に思わず呟く。なんだそれは。
「あ、そういえば高橋ちゃん、サイドエフェクト知らないんだっけ。」
ポンと、手を合わせた犬飼さんが思い出したように言う。
「サイドエフェクトは……なんだっけ?」
「トリオン量が特に多い人に稀に現れる、一種の能力ですね。」隣にいる三上さんがそう説明してくれる。私の考察はあながち外れていなかったらしい。
「 念力とか空を飛ぶみたいに漫画みたいな能力ではなく、人間の能力の延長線上のもので、ランクごとに上からS超感覚、Aの超技能、Bの特殊体質、Cの五感強化と分けられています。」
そう説明されて悟る。菊地原さんの能力は言葉通り五感強化にあたるのだろう。だから何か卑屈にしていたの
だ。まぁ、自分の能力が最低ランクに位置付けられて嬉しいはずがない。
私はさらに、気になったことを尋ねることにした。
「未来を見る、っていうのはなんですか?」
「玉狛のS級隊員である迅さんがもつ能力ですね。超感覚にあたるもので、未来視と言われています。確か……見たことのある人の未来を見ることができるようです。」
それが人間の能力の延長線上にあるものという範疇に収まるのだろうか。私は心の中で、そう毒づいた。
There is no knowing what will happen in the future.
ーー誰も、将来に何が起こるかわからない。それがすべての物事に存在する前提のはずだ。
学校のテストや、人間関係そして、仕事。何が起こるか分からないから私たちは足掻くのである。それを知るということは、つまり、全てに対する対策である。そんなものがあるとは信じられない。
しかし。私はスパイの頭に切り替える。もし、そんなものが存在するならばこの任務ーーそうとう難しいことになりそうだ。