ザザッ……ヘッドフォン越しに聞こえてくる音が耳を通り抜ける。
がれきをおしのけ、走る音。
茶野隊のお二人が目的地についた。
ガンの音が聞こえた。顔をあげる。
「hit」
反射的に口が動いた。
「やっぱこいつ、ボーダーじゃねーぞ!! 人型近界民だ!」
「交戦を開始!」
私は画面越しに二人に”人型近界民”と呼ばれた相手を見て、目を見開く。
遊真くん……? 心の中でつぶやく。トリオン体に換装しているらしい。身にまとった黒トリガーを見て、彼が結局黒トリガーとして動くという私の予想が外れなかったということを知る。そして、彼が父親の形見だといっていた黒トリガーを所持し続けられているという事実を再確認した。
二宮さんに頭を下げ、私が勝手に彼を守ろうとした日のことを思い出す。そんなに日はたっていないのに、はるか遠い記憶のように思えた。
その幻想を振りほどくのように頭を振る。
なにはともあれ茶野隊のお二人は遊真くんのその姿を見て彼が人型の近界民だと勘違いしたようだ。
画面越しにいぶかしんでいる顔の彼の目がこちらをじっと見据えてくる。
私は壁にかけられている時計をちらりと見た。
まだボーダー側に余力がある。けど、新型の情報が風間隊からもたらされたことから、彼らが今出撃しているのは確認できている。彼らが本部内にいないうちに動きたい。風間隊が緊急脱出して、あるいは任務を終えて本部まで戻ってくる時間は予測できない。今すぐかもしれないし、ずっと先かもしれない。そう考えると猶予はない。できるだけ早く動き出すべきだ。オペレートの任務を外れたい。
今が一番絶好のチャンスだ。遊真くんが人型近界民と勘違いされている点を含めて。
二人にはここで死んでもらおう。
私はマイクをonにした。
「人型近界民との戦闘に移ります」
画面には新型のトリオン兵が近づいてくるのが映る。これを利用すればいけそうだ。私は二人を緊急脱出させるべく、口を開きオペレートを始めた。
▽
革靴の音がボーダーの廊下に響く。ふふん、と鼻歌を歌いながら犬飼は冷たいジュース片手にもう片方の手はスーツのポケットにいれ、自分たちの隊の部屋に戻ろうとしていた。
そして廊下の先に見えた人物に目を開く。
「あれ、高橋ちゃん? 制服なんて珍しいね。トリオン体じゃないんだ」
「……犬飼さんですか。まだ進学校組は高校にいるかと思っていましたけど」
少女は美しいかんばせでこちらを見上げてくる。
「あ~ね? ちょっと体調が悪くて、俺は学校休んでたんだよね」
「なるほど。仮病でさぼっていたら丁度大規模侵攻がはじまって呼び出されたんですね」
「俺の話ぜんぜん信じてくれないね」
まぁ、本当のことをいうと彼女の言う通りなのだが。いや、本当に学校に休むって電話をしたときまでは調子が悪かったんだけど、なんか休むって決まったら元気になっちゃっただけだから。と心の中で犬飼は言い訳をした。
高橋ちゃんは賢すぎるところが玉に瑕だ。でもそういうところも含めて、なんとなく二宮さんに似てるんだよなぁとぼやく。
「そういうわけで、俺たちの隊、まだそろってないんだよね。だから本部から待機命令がでてる」
「ま、この侵攻がどれほど長引くかわかりませんし、追撃がある可能性だって残ってるんですから全部隊投入は避けて、余力を残しておく意味合いもありそうですよね」
「そういうこと。茶野隊は出撃してたと思ってたけど、高橋ちゃんがここにいるってことは……」
「犬飼さんの想像通りです。お二人とも新型と交戦中、緊急脱出に」
「あちゃー」
犬飼はおでこに手をあてた。
「諏訪さんもキューブにされたらしいし、けっこう手ごわい相手かもね」
「キューブに?」
「うん。本部から新型交戦時に緊急脱出を奨励する指令がきてたでしょ?」
高橋サキは頷いた。
「隊員をキューブにするっていうのはなかなか面白いよね。けど」
犬飼の言葉をサキは引き継いだ。
「ボーダーには幸いそれを避ける手段がある……それが緊急脱出ってわけですね」
犬飼は「そういうこと」と肯定してから「でも」と続けた。
「緊急脱出をできるのはその本人だけだから。ちゃんとオペレーターがパニくって錯乱状態になっている可能性もある隊員に指示するのが大事ってこと。まぁ、周りのやつらが勝手にそいつを緊急脱出させるっていう手もあるけど」
犬飼は手でピストルの形をつくり、うつような真似をして少し笑った。
「本部からは緊急脱出の命令を入力することはできないんですね」
サキは考え込むように手をあごにあてて、目をふせる。そして小さな声で「あぁだからあの時……嵐山隊は緊急脱出させられずに戦えたのか……」とつぶやいた。
「え? なんて?」
「いえ、ただの独り言です」
顔をあげた少女は微笑んだ。
「じゃあ、私はこれで」
「あ、うん。じゃあまたね。お疲れ様」
「はい。犬飼さんも、ご武運を」
サキの歩いていく後ろ姿を見ながら、そういえば彼女はどこにいくのだろう。と犬飼はぼんやりと思った。あの先には自動販売機と倉庫ぐらいしかない。茶野隊のオペレートを終えたと言っていたし、飲み物でも買いに行くのだろうか。
犬飼は歩き出しながらも、なにかが頭に引っかかるような気がした。
自分たちの隊室のドアが開く。
「二宮さん、買ってきましたよ」
「ん」
手をこちらに差し出され、机の上に水滴に濡れたジュースを置いてから犬飼は胸の裏ポケットから二宮から預かった財布を返そうとして気づく。
高橋ちゃん、財布持ってたっけ。
「どうした」
財布を渡す前に動きをとめた犬飼を、二宮は不機嫌そうに見上げる。
「あ、いや、なんでもない、んですけど」
犬飼は些細な違和感に首をかしげる。不思議だ。彼はこの感覚を知っているような気がした。本当に小さな異変から今までの日常のすべてが変わってしまう。そういう感じの違和感を前にも経験したことがあるような気がした。
胸に巣くう不安感を払しょくするために「そういえば、さっき高橋ちゃんと会って」と二宮に報告し始める。
「アイツか」
二宮の不機嫌そうだった眉間のしわが、分かりやすく緩まっていくのを見て犬飼は笑いを作った。なぜか痛み始めた胸の古傷を無視するように。
感想がすごくすごくうれしいのでたくさん感謝を伝えたいんですがありがとうの言葉以外に見つからず次の話を書くことにしました