「高橋さん。」
入隊式が終わり、白い制服の新入戦闘員を見渡していると声をかけられた。
「はい、なんでしょう。」
高橋サキ。それが私の今の名前だ。お父さんには絶対に言わないが、実はなかなか気に入っている。
まぁ、そんなことは置いておき、私に声をかけたのは入隊式にもいた、長く黒い髪をしたスーツの女性だった。
「私はボーダー本部の、本部長補佐をしている沢村響子です。」
沢村さんは明るい笑顔で話を続ける。
「まずは、入隊おめでとうございます。
オペレーター試験で非常に優秀な成績を収められたそうですね。」
「いえ、たまたまですよ。」
社交辞令のような返答を返してから、自分自身、それが中学生らしい回答でなかったような気がして少し間違えたかもしれないな……と思い、沢村さんの様子を窺う
しかし、予想に反して彼女は目を微かに開き、それからニコッと笑った。
「いいえ、高橋さんの実力ですよ。そうですね、少し歩きましょうか。」
私は沢村さんとC級隊員たちが残る大広間を出て行った。
去り際、ちらり、と視界の端に赤いジャージが見えた。あれは、お父さんに見せられた映像や街に流れるテレビによく出ている部隊だ。
それだけならば特に気にならなかったのだが、その内の一人がこちらを見ていたと感じたのは気のせいだろうか……?
そんな疑問を頭の片隅に置きながら、私は建物の様子をスパイとしても新入オペレーターとしても不自然ではないように観察する。ボーダーはその要塞のような外見そのままに、とんでもなく広い建物だ。
本当に、この建物を短い期間で作り上げたなんて信じられないな……。
そんなことを考えながら、私ははぐれないように沢村さんについていく。
「ここが食堂です。時間的にもちょうどいいから、何か食べましょうか。」
「はい。」
食堂は、ボーダー職員や隊員でそこそこ賑わっていた。C級隊員の証である白い制服の人も見かけたが、先ほどの新入隊員たちではなさそうだった。
彼らは今も別で何かやっているのかもしれない。
沢村さんとメニューを頼んで、向かい合わせに椅子へ座ったところで、足音がこちらに向かっているのが分かった。
「あれっ沢村さん、さっそく優秀な新人の囲い込みですか?」
「出水くん……。そんなんじゃありません。ちゃんとした城戸司令官の指示です。」
「なんだ、おれ"例の"オペレーターちゃんを忍田派が取り込もうとしてんのかと思いましたよ。」
足音の正体は、切れ長の目と薄暗い黄緑の髪を目をした高校生らしい男の人だった。色素が随分薄く儚い感じがするのに、わりと普通の男子高校生の雰囲気があって打ち解けやすそうな印象を受ける。
それに、気になる単語が出てきた。
いったい、ぜんたい、私がどう評価されているかも気になるが
忍田派?おそらく本部長で入隊式に挨拶していた忍田さんのことだろう。
彼は誰かと対立関係にあるのだろうか。
そう考えていると、出水と呼ばれていた彼がこちらを向く。
「おれ、出水公平。太刀川隊のシューター。」
「高橋サキです。よろしくお願いします。」
「おうおうよろしく、高橋ちゃん。それにしても、」
出水さんが何かを言おうとしたのを、沢村さんがこほん、とせきばらいして遮る。
「出水くん、太刀川隊はこの後任務がありますよね?」
「あーーそうだったかもしれないです。」
「そろそろ行く必要があると思うのですが?」
「ア、ハイ。」
沢村さんの雰囲気に押された出水さんは「じゃ、またね。」と言って食堂を出て行った。
食事をとりながら、私はボーダーについての軽い説明を受けていた。
「知っての通り、ボーダーは近界民から三門市を守る、という共通の目的を持った仲間が集まる場所です。
その主軸となる攻撃部隊の補佐をするのが、主なオペレーターの役目になります。」
沢村さんはそこで一旦区切り、ファイルから一枚の資料を取り出した。
私の顔写真が貼られていることや、その内容から
高橋サキのブリーフィングファイルだということが読み取れた。
「高橋さんのオペレーターとしての実力は、今のこの時期、つまり入隊時としては非常に高い水準にあります。」
彼女は資料をこちらが見やすいように動かしてくれる。
素直にその資料に目を落とすとこのようなことが書かれていた。
名前: 高橋 サキ 生まれ:1998年
トリオン 1 機器操作 9情報分析 10並列処理 7戦術 6指揮 6トータル 38
「特に、この情報分析が10というのは非常に素晴らしいものです。今いるボーダーのオペレーターの中でも、この数字を記録したのは高橋さんだけになります。」
そうにっこりと微笑みながら褒めてくれる沢村さんに、まさかその技術は日々のスパイ活動の賜物ですとは口が裂けても言えないな、と思いながら「恐縮です。」と返す。
「オペレーターを選ぶ権利は本来、攻撃部隊にあるのですが、この成績ならば引く手数多でしょう。頑張ってくださいね。」
そこまで言うと、彼女は辺りを見回し、声をひそめていう。
「できれば、その時選ぶ部隊は、忍田派の部隊であればとても嬉しいです。」
私は曖昧に微笑みだけを返し、沢村さんと別れて食堂を出た。
食堂から出て、少し中を散策した後、時計を見ればお父さんに報告すると決めている時間が、だんだんと近づいているようだった。私はボーダーの基地を、とりあえず出ようと出入り口へ向かうため、エレベーターに乗る。
一階のボタンを押してから、扉を閉めようと1番上のボタンの手を伸ばそうとした時、奥から少し急ぎ気味にやってくる人をみて、開ける、のボタンを押した。
「あ、ありがとう。」「いえ……。」
乗ってきたのは、入隊式でも見た赤いジャージの男の人だ。少し歯切れの悪い言葉に返答を返してから、私は彼から目を逸らした。
エレベーターのドアが閉まり、なんとも言えない空気が広がる。
いや、それ以上に……赤いジャージの彼がこちらを先ほどからちらちらと……隠す気がないのか疑うほど分かりやすくこちらに視線をよこしているのが、この空気を作っている要因だろう。
絶対、嘘がつけないタイプだ……と思いながらも、私はどうすることもできず、ただじっと階数の数字を見つめていた。
十分にも、二十分にも感じた長い時間が終わり、エレベーターを我先にと出て、私はボーダーの出口に向かった。
気持ち早足に外へと急ぎ、今にも扉が私を認証する、というところで私の足は止まる。
「待ってくれ!」
赤いジャージの彼が、私の腕を掴み引き止めたのだ。
当然、面識のほとんどない彼にそうされる理由が分からず、頭の中に疑問と訝しみを持ちながらも、彼と向かい合う。
「……なんでしょうか。」
そう聞くと、彼は悲痛そうに顔を歪める。
「どうして、そう他人行儀にするんだ?……四年ぶり、だな。久しぶり、雫。」
サキは奮起した。必ずしも、この黒髪イケメン赤ジャージに誤解だと伝えなければならぬと決意した。
私の頭の中をそんなテロップが駆け巡る。
一旦落ち着こう。私の名前は雫(しずく)ではない。この人とも知り合いではない。よし、大丈夫だ。私は口を開く。
「人違いではないですか?私の名前はサキで、アァーーその、雫さんではありません。」
「まさか!どれぐらい時が経とうとも、けっして見間違えはしない。
嘘をつかないでくれ。」
そんな捨てられる仔犬のような顔をされても、違うものは違う。
ホントに違う。そして、決められた報告の時間は刻一刻と迫っている。頼む、その手を離してくれ。
そういった強い思いを胸に抱えながら、赤いジャージの彼を何度も説得しようとしたが、結果はなしのつぶて、押し問答だった。
「雫、いい加減認めてーーなんでこの街から消えたのか教えてくれ。」
おっと新情報、雫さんは(おそらく)四年前に三門市から消えたらしい。
正直どうでもいい情報を、悲しいスパイの性で拾い上げながら、心の中でいや、普通に考えて街から逃げたんではないでしょうか、と返す。イライラが募っていく。
もちろん口では「だから、私は雫さんではありません。」と返したが、進展は全くない。
困り果てていたその時、天の助けが現れた。
「あれ、どうしたの?嵐山さん。」
そう赤いジャージの彼に声をかけた、これまた赤いジャージの眠そうな男の子に、彼なら話が通じる、と直感した私は、嵐山(?)さんが余計なことを言う前に彼へ説明した。
私の説明を聞き、嵐山(?)さんの説明を聞いた彼は、嵐山(?)さんに今日のところは私を帰すように言ってくれた。
「ほら、これ以上は人も集まってくるから。」
その言葉がトドメだった。
かくして、二人目の赤いジャージの彼のおかげで、私はようやく帰路につくことができた。