私は家で、端末を独り握りしめていた。
画面には、メールが表示されている。
大規模侵攻の通知。
本当のことを言えば、このメールがくる数日前から、私は聞いていたのだ。これが起きることを、知っていたのだ。だけど、聞いていないフリをしていた。聞かなかったフリをした。
それを聞いてしまったら、もう、見ないフリはできないような気がした。
そう、今しかないのだ。
計画を実行に移すのは、この大規模進行の最中しか、ない。
戦闘中という極限の状態。市民を守る、侵攻を妨げるということに誰もが全力を注ぐ。風間隊などの本部の警備が最大限に緩む、この瞬間が何よりのチャンスだ。
そんなことは、明らかだった。だけど私は、ここに来て、迷っていた。
とんでもなく愚かでバカな話だ。今まで、私は計画の実行のため、綿密に下準備を進めてきた。どれも、"ボーダーからトリガーを盗み出す。"この一点を達成するためのものだ。膨大な時間、費用すら惜しみなく……。
それでいてさえ、私は……何の、何のことも分かっていなかった。ただ夢心地で、本当に計画を実行するときなど、永遠にこないかのように思っていた。
だから、いざ、その瞬間が近づいてくると、急に怖くなった。
本当に、私はトリガーを盗み出すのだと。失敗したら……いや、成功したとしても、私のボーダーへの裏切り行為は、白昼のもとへさらされることになる。想像しただけで、気分が悪くなる。頭の中で、ボーダーで出会った様々な人、嵐山さん、氷見さん、犬飼さん、辻さん、宇佐美さん、三雲くん、根付さん、小南さん、茶野先輩、藤沢先輩……そして、二宮さん。彼らが次々と現れて、私を責めるのだ。
俺たち(ボーダー)を裏切るのか、と。
それを考えただけで、血の気がひいてしまう。胸が誰かに鷲づかみにされたように、痛み、息苦しくなる。
私は、そっと唇に指をあてる。
本当は、本当は、彼らを裏切りたくなんてない。傷つけたくなんてない。
目を閉じて、二宮さんの穏やかな目を思い出す。
だって……私は、彼らのことが、二宮さんのことが、本当は、本当に……。
言ってはいけない二文字だった。
決して思ってもいけない二文字だった。
届かない声が、虚空に消え、静かに流れた涙が頬を伝う。私はそれを拭った。
その次の瞬間、私は冷酷なスパイに変わった。
その夜、私は家にある重要なもの、偽造した書類や、調べたデータ、使ったノートパソコンといった最低限のものを鞄につめて、帽子を深くかぶって家を出た。
もし、私が計画に失敗しても、成功しても、最も避けなければいけないのは、こちらの情報が漏れること。そのためにあらゆる情報につながるものは持ち帰らなければいけない。
今回の"待ち合わせ場所"は三門市の中心に位置する繁華街。そこで私は仲間にこの鞄を渡す。
行く道の途中、三雲くんとすれ違う。あちらは、気づかなかっただろうけど。多分方角からして、玉狛支部からの帰りだろう。
あの黒トリガー争奪戦のあと、簡単に言うと、迅悠一の介入により、実質、空閑くんはボーダーへの入隊及び黒トリガーの保持が認められることになった。その代わりに迅悠一が所持していた黒トリガー、風刃は本部所有になったけど。
空閑くんの入隊式も無事終わり、おそらく彼らはこれからランク戦を目指していくことになるだろう。ちょうど、半年前の私たちと同じように。
羨ましい。
私は思った。思わずにはいられなかった。
私と三雲くんの、何が違うのだろう? 三雲くんたちは半年前の私たちと同じ道を進もうとしているのに。
たぶん、何も知らない人から見れば私も三雲くんも、ただ一人のボーダー隊員であるのに……。なぜ彼はこれからも、ボーダーにいれて、私はいられないのだろう……。
自分で、なんて身勝手なことを言ってるのか、ということは分かっていた。ただ、そうとしか思えなかった。
何が違うのか。明白だ。
浅井サキはスパイで、彼らはボーダー隊員。
もう、高橋サキの仮面は捨ててしまわないといけない。
来るべき時が来たのだ。
そして私は女性とすれ違い、一瞬だけ横並びに重なる。
なんども練習したこの行為。
手を交差させ、全く同じ鞄の持ち手だけが入れ替わる。
そして何事もなかったかのように、歩き出す。
1つ1つ、課題が消化されていく。その安堵感が胸に広がり、すっかり気をぬけてしまった。そのせいで、私は気づかなかった。
ふっと視界が開ける。繁華街の眩しい光が目に飛び込んでくる。
「サキ、お前、こんなところで何してる?」
私がかぶっていた帽子を片手に、二宮さんはこちらを優しく睨んだ。
一瞬時が止まったかのような感覚のあと、ぶわっと背中を冷や汗が流れる。
いつから、一体いつから見ていた?
この人の波の中、私を見つけたのか、この人は。
「友達と遊んでいて、遅くなってしまって。」
私はとっさに繕う。だが、その言葉を無視して、二宮さんは私の顔のふちを片手でとる。そして、目尻からツーと指で触れる。
「泣いたのか。」
「少しだけ。」
「なぜ泣いた?」
二宮さんは先ほどより、凄みを増した表情で詰問する。
「友達と、喧嘩して。」
目をそらさないように、意識したまま答える。
それでも、まだ二宮さんは納得していないようだった。
このことから分かることは、たぶん二宮さんは何かを気にしている。そして、先ほどのやり取りはおそらく見られていないだろうということだ。
後者は私にとって好都合だが、それならなぜ二宮さんしつこく質問をしてくるのだろう。何を、気にしているのだろう。
その答えはすぐわかった。
すぐ目の前で、私と同い年ぐらいであろう若い女の子と、明らかに20歳をすぎた……40代ぐらいだと思われる会社員風の男が建物に入っていく。つまり、売春……。
私は自分の状況を思い返す。年齢、場所、時間、格好……。そう疑われても、仕方がないかもしれない。二宮さんはライターの件を知っているぶん、よりそう思うだろう。
「二宮さん、私、家に帰っても?」
黙りの二宮さんにそう声をかけると、彼は少し悩んだ様子を見せて、「送る。」と言った。
もう、住所をしられても、どうということはない。私は頷いた。
「女がこんな時間に不用意に外を歩くな。」
「今回は違いますけど、ボーダーの仕事で遅れることもありますよ。」
「……なら、その時は俺を呼べ。」
「……え?」
「お前がきちんと帰宅するか、見張ってやる。」
二宮さんは尊大にも、腕を組んでそういった。
私は、素直に頷いて、「じゃあ、次からは、そうします。」と言って、微笑んだ。
家の前に来ると、私たちは立ち止まった。一度、ポケットに入れている鍵を取り出そうとして、やはりやめて、二宮さんの服の袖を引っ張る。
「なんだ?」
少しだけ膝をかがめてくれる、それだけでいい。
私は精一杯背伸びをして、二宮さんに口付けた。
心の中でそっと呟く。
さよなら、高橋サキ。あなたはここで死んだほうが、きっと幸せ。
背伸びをやめると、私は二宮さんを突き飛ばすように離れて、家の中に入った。
私たちの関係はなんだったのか。
きっと誰にも答えられないし、誰もが答えうるだろう。
恋人ではなく、先輩・後輩でもなかった。なんとも言えない関係だった。
出会わなければよかった。そうと断言はできる。こんな苦しい思いをしなければいけないのなら、あなたがこんなに私の邪魔をするのなら、会いたくなかった。
結局、私は二宮さんをどう思っていたのか。
その二文字だけは、言えなかった。
(´・ω・`) 大規模侵攻の前書きです。
サキは自分なりに思いにケリをつけました。(とりあえずSAN値ひでぇ。)ただ一切口には出してない(出せない)ので二宮さんは今すごく混乱してます。
二宮(この前の喫煙所でのアレは抵抗はなかったから大丈夫だったと考えて、今日のはなんだったんだ?あいつから俺にしてきた、つまり成立か?じゃあなんで最後俺突き飛ばされたんだ。やっぱこの前の喫煙所の……)(以下無限ループ)
時たま情けない二宮さんを書きたくなります。ただ、本文では仮にでも(!?)ヒーローで書けない