城戸派による黒トリガー強奪作戦は、嵐山隊の加勢による複数人のベイルアウト、またトリオン量不足により撤退となり、失敗に終わった。
「くそ、もう一度だ。トリオンが回復し次第、もう一度玉狛を……いや、忍田本部長、なぜあなたが玉狛側に!」
「私は最初から、有吾さんの息子に危害を加えることは反対だと言っていたはずだ。もしもう一度玉狛を強襲するつもりなら……次は私が出るぞ。」
(これはダメだな。)
唐沢はたばこを口から外し、小さく息を吐いた。
忍田派は本部内の1/3の戦力をもつ。忍田本部長自身、本部におけるノーマルトリガー最強の男だ。それが玉狛支部とつながったということは、戦力の面に於いて、相手が完全に自分たち、城戸派を超えたということ。それは戦闘の結果が同じことを示している。
遠征帰りの精鋭、TOP3部隊、A級三輪隊に加え、それぞれがシューター、オペレーターとしてNO.1の技量をもつと言われる二宮、高橋ペアを投入してさえ、あの結果だ。
自分と同じ城戸派の鬼怒田、根付はもう一度戦闘することを推しているが、何も変えないままではいくら優秀な隊員たちとはいえ、同じ結末を繰り返す可能性が高い。
とはいえ、さらに人数を増やせばそれこそ全面戦争になる。
となると、この実力行使的な作戦は詰みだ。他の方法を考えるしかない。
そう考え、ちらりと視線を城戸司令に移したが、彼は指を額に当て、深く考えこんでいるようだった。
(……俺が提案するべきか?)
しかし、次の瞬間会議室の扉が突然開いた。
「失礼します。どうも、城戸さん、会議中にすみません。」
(迅悠一……?)
つい先ほどまで城戸派の精鋭部隊たちと戦闘を繰り広げていた迅悠一は、その疲れをまったく感じさせない様子で会議室に入ってくる。
左手に黒トリガー、風刃を携えて。
「すこーしだけお話し、してもらえません?」
城戸司令と迅悠一の視線はまっすぐに交わり、そして、会議室の扉が閉まった。
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ガラス張りの喫煙室、その中に慣れたスーツの後ろ姿を見つけ私はそこに入った。
ソファにもたれかかる二宮さんが私に気づき、顔を上げる。同時に顔をしかめた。私も怪訝な顔をする。
「……なんですか、そのカラフルなタバコ。」
机の上に置かれていたのは絵の具か、ろうそくか、さもなくばクレヨンか何かと見間違えそうなほど赤、紫、レモン色、エメラルドグリーン、薄桃色と綺麗に並べられたタバコが入った箱だった。
「未成年がここに入ってくるな。」
私はその言葉を無視して、机の向こうに行って、二宮さんの隣に座る。
箱に書かれた文字を読み上げた。
「ソブラニィ?」
「ソブラニーだ。」
なんなんだ、そのシャレオツなタバコは。心の中でそう突っ込んでいると、二宮さんが赤い色のタバコを手にとって口に近づける。
私は服の裏ポケットからライターを出して、火をつけた。
しかし、二宮さんはかすかに目を開いてそのライターの火を見つめたまま動かない。
そんな二宮さんを見て、私は自分のしでかした失敗を自覚した。……完全に無意識だった。
「……高橋、おまえ、タバコを吸っているのか?」
「……いえ。」
「正直に言え。」
「肺を検査してもらっても構いませんけど、吸ってません。……誓って。」
じゃあなんでライターを持ち歩いてる。
そしてなぜ相手のタバコをつけるような真似をした。
もしそう突っ込まれると、とても、とてもまずい……。
私は喫煙者ではないし、水商売の女でもない。これは父さんにやってあげる、癖のようなものだ。だがそんなこと、普通多分信じてもらえないだろうし、今お父さんと一緒に住んでいない以上、自分の家族に興味を持たれるような発言はダメだ。
「吸ってないんだな?」
二宮さんがこちらを睨むように見つめてくる。まるで学校の先生だ。
「はい。」
「……ならいい。」
二宮さんは眉間にしわを寄せたまま、「火。」と言った。
最初、一瞬何を言ったか理解できなかったが、すぐに慌ててまたライターの火をつけた。
赤いタバコが火に絡みついてから、二宮さんがそれに口をつける。
私はそれをじっと見ていた。
不意に二宮さんはタバコを灰皿に押し付ける。赤い綺麗な色が黒に変わる。もったいない、と思った。
それを見るのに集中していたせいだろうか。私は、二宮さんの手が顔に近づいてくるんのに気づかなかった。
気づいた時には、冷たい手がアゴに触れ、二宮さんがすぐそこにいた。
目をつぶる余裕すらなく、唇が、触れる。
「……まずいです。」
「どうやら、タバコを吸っていないのは本当らしいな。
吸ってるやつで、この味を嫌いなやつはいない。」
私は未だ混乱したまま、二宮さんの顔を見上げた。
その表情はひどく穏やかで、愛おしげで。
私は、動揺した。
▲
失礼します、とボスの部屋に入る。部下が入ってきたのにもかかわらず、部屋の主は椅子に寄りかかり、窓の外から目を外さなかった。
確かあっちの方向は……と考えて答えに至る。あぁ、三門市の方向か。
ボスの机の上に広げられているのも、そのことに関する資料のようだった。
レプリケーター作戦。意味は、複数起点。コードネーム、テロメアーー本名、浅井サキーーつまり、ボスの娘が担当している任務だった。
その内容は、トリガーという潜入先の機密物を持ち出すもの。難易度はBランク……だったが、報告により格上げしてAランクになった。
「サキちゃん、元気ですかね。」
賢い部下は、ソファに座り、書類を整理しながらボスに言った。
ボスは、娘がいる間はしていなかった厳つい銘柄のタバコを灰皿に押し付ける。
「ま、報告書が上がっている間は無事なんだろ。」
「無事ねぇ……。」
部下はまとめおえた書類をトントンと机に当てて揃える。
「それにしても、どうして彼女にこんな高ランクの任務を?」
ボスは何も言わずこちらに視線をやった。
部下は続ける。
「今まで、スパイごっこみたいな任務しかやらせてこなかったじゃないですか。」
この親バカめ、と言外に含ませた言葉だった。
ボスはタバコを口から離し、煙を吐く。
「……お前、なんでうちに女のスパイが少ないか分かるか?」
部下は考えた風に手を顎に当てる。
「身体能力で劣るから、とか?」
「いいや、違う。」
ハッキリと否定される。
ボスは目を伏せた。それを見て部下は過去を思い出しているかのようだ、と思った。やがてボスの口は開かれた。
「女は感情で動くからだ。
情や憎しみといった、取るにとらないもの捕らわれ、裏切り、あるいは任務を失敗する。」
それを聞いて、優秀な部下はヒステリックな元カノを思い出し、あぁと納得する。そして、うちにいる女社員たちを思い出してーーまた納得した。どいつもこいつも可愛くない、冷血ばっかりだ。ただ一人、あの少女を除いては。
そしてふと疑問が湧き、尋ねる。
「……ではなぜうちの会社に……もとい、"彼女"に任務を?」
それを聞いて、フッ、と目の前の男は軽い笑みをこぼした。
「お前、馬鹿か。"あいつ"は俺の"子ども"だぞ。」
「子どもにおつかいを任せない親などいない。」
それを聞いて、部下もまた暖かい気持ちになった。
子ども、ね。娘じゃなく、子ども。そうか、ボスは信じてるのか。性別を超えて自分の子どもを、信じている。
「へぇ……。ボス、ずいぶんと信頼してるじゃないですか、"あの子"を。」
部下が揶揄するように言うと、ボスは顔をしかめた。
「信じてるんじゃない、分かっているんだ。」
それを信頼と言わずに、何を信頼と呼ぶのだろうか。彼は思った。
そして窓を見る。その先には、三門市がある。
部下は心で呼びかけた。
サキちゃん。……早く、戻って来なよ。
君の帰る場所は、ここにある。
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そしてその三週間後、ボーダーに所属するすべての隊員に近い日、大規模侵攻が起こることが通達された。