東さんは年齢に見合わないほど、どこか老成したような、穏やかで余裕のある雰囲気をしていた。先生、という言葉が頭に浮かぶ。それは親のような温かみにも似ていた。
私はポツリポツリと話し始める。もちろん、私の本当の姿を知られるわけにはいかないから、そこには最大限気を使ったが、できるだけ本当のことを話すつもりだった。
「羨ましい人がいるんです。」
溢れる衝動を抑えるように、できるだけ冷静にはなす。だけど、その想いまでは抑えきれなかった。
「その人は、私と同い年なんですけど、私にできないことができる人なんです。」
東さんは私がぼやかした部分を察してくれているのだろうか、深くは尋ねずに、しかし深くあいづちをうってくれる。
「きっと、嫉妬してるんだと思います。そういう風になりたいとも思うけど、でも、なりたいと思ってるわけでもなくて……すみません、訳わかんないこと言ってますよね。」
「いいや、全然。それがきみの本心なんだろう?」
東さんはそう言って微笑んだ。私は小さく頷く。東さんはそれを見てから、ふ、と一度表情を消してつぶやく。
「嫉妬、か。」
その言葉は私を言っているようでもあり、どこかまた遠い昔に思いをはせているような感傷がこめられているようにおもえた。
それから東さんは私を見つめる。
「高橋はきっと、賢い人間なんだろうな。」
突然褒められて、少し驚いて困った。
「いえ……。」
「オペレーターとしても優秀だ。」
私の否定の言葉が聞こえていないように東さんは言葉を重ねる。
「それにかわいい。」
私は困惑してしまった。照れて、自分の顔が赤くなっているのがわかる。
「からかわないでください。」
「からかってなんかいないよ、全部本当のことだ。」
東さんは意地悪そうに笑った。それから間をおいて、口を開く。
「嫉妬。高橋にはきっと慣れていない感情なんだろうな。だから、少し戸惑ってるんじゃないか?」
そう聞かれて、過去のことを思い出そうとしたが、なぜか昔のことがあまりわからない。でも、たぶん東さんの言うとおり、誰かを妬んだりした記憶はない。
「でも、それ自体は決して悪い感情ではないんだ。」
想像もしていなかった言葉に、私は目を瞬かせた。
「時に自らを戒め、」
「時に自らを変え、」
「時に勇気をもたらし、」
「時に覚悟をくれる。」
「もちろん、高橋が想像するように悪い行動に変えてしまう人もいる。」
「だから大事なのは、自分がそれをどう使っていくか。俺はそうなんじゃないかと思うよ。」
私は言われた言葉を頭に染み込ませるために、なんどもなんども反復させる。
大事なのは、自分がそれをどう使っていくか。その言葉がじんわりと心に広がっていく感じがする。
私の表情を見て、東さんは「よし、もう大丈夫だな。」と言って立ち上がる。
「俺はもう行くけど、高橋はしっかり休めよ。」
そういいさっさと部屋を出て行ってしまうので、私は「東さん!」と慌てて呼び止めた。
「なんだ?」
言わなきゃいけない。いや、言いたい。ありがとうございますって。でも……どうやって言えばいいのかわからない。
「えっと、あの、ココアありがとうございました!」
とっさに出てきた言葉がそれだった。今気づいたけど、こういう急に何かを言わなきゃいけないことに私は弱いらしい。でも、東さんには言いたいことが伝わったらしかった。
「どういたしまして。また頼れよ。」
片手を挙げて去っていく東さんの後ろ姿が、少し、お父さんにかぶって見えた。
私は少し経ってから部屋を出て、作戦室に向かった。そこで待っていた根付さんに真剣な表情で"極秘任務"を下される。私は、しっかりと前を見て、頷いた。
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「お前、それがなにを言ってるのか、分かってるのか?」
「えぇ、もちろん。」
「違う。それがどういう意味なのか分かってるのか?」
「だから、分かってるって言ってるじゃないですか。」
「……本気か?」
「はい、本気です。」
「わかった。
一つ聞く。なぜそこまで肩入れをする?」
「そうですね……私、人情に厚いんです。」
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会議室の扉が開き、帰還した遠征部隊ーーーすなわち、A級1位太刀川隊、A級2位風間隊、A級3位冬島隊の隊長たちが入室してくる。とはいっても、冬島隊は隊長ではないようだが……。
「太刀川……。」
私にしか聞こえないほど小さな声が耳に届く。隣に座っている二宮さんの機嫌が一気に冷え込んだのが分かった。二宮さんは太刀川隊の隊長さんが嫌いなのだろうか。
風間さんが遠征の成果を報告する。
あちらの世界で獲得したらしいトリガーが目の前で差し出された。
少しある考えがあたまをよぎるが、任務に必要なのはボーダーのトリガーだ。これじゃない。
話は、玉狛のブラックトリガー、すなわち遊真くんが持つトリガーの話に移る。
三輪隊の人が遠征部隊に事の巻末を説明し始めた。遊真くんの発見、ブラックトリガーの確認とその能力、三輪隊の応戦。そして、玉狛支部の迅隊員の戦闘への介入と、遊真くんが玉狛支部に入隊したこと。二宮さんと私は事前にそのことを伝えられていたので、特に驚きはない。
むしろ驚いたのは、今夜決行すると太刀川隊長が言い始めたことだ。三輪さんが苦言を呈する。
私は横目で二宮さんに視線をやる。しかし、二宮さんはこの意見に反対するつもりはないようだった。
太刀川さんが理由を言うと、会議の雰囲気は一気に今夜決行に傾く。
私はそれに違和感を覚えた。本当に今夜でいいのか?
もちろん、遊真くんのトリガーが学習型である以上、早い方がいいのは当然であるということは分かっている。
だけど……玉狛には、未来視を使える迅悠一がいるはずだ。なら、この未来は予測されているんじゃ?そうなら、深夜に帰宅するという遊真くんを襲えるはずがない。玉狛全員と戦うということもありうる。
だが、もし私の考えがあたっているのなら、それは好都合だ。私は黙っていた。
今回の作戦で、私の目標は城戸派でありながら、玉狛に遊真くんのトリガー奪還を阻止してもらうこと。でありながら、というのがポイントだ。
表立って、あるいは後々疑われるような行動はなしで作戦を失敗させる。
ただ、それをするにあたって二宮さんにだけはお願いをしたが。
「今夜決行でいいですか、城戸司令?」
「いいだろう。三輪隊、風間隊、冬島隊……そして、そこの二宮隊員と高橋隊員を含め、太刀川、お前が全体の指揮をとれ。」
城戸司令がそう言うと同時に太刀川さんと二宮さんの視線が交わった。
「へぇ……。」
「…………。」
私は頭上で太刀川さんと二宮さんの試合開始のゴングが流れるのをたしかに聞いた。
……私との約束は守ってくださいよ、二宮さん。
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「ボーダーの慣習で、その場の指揮を執るのは"一番ランクが高い隊の隊長"か"一番年齢の高い人物"だったっけ?悪いな、二宮。」
作戦を練るために移動した作戦室で、太刀川さんが笑いながら二宮さんを煽る。それはもう盛大に煽る。チラッと私は二宮の顔を窺って、一瞬で前を向きなおした。魔王がいる。
「余計なことを言うな、太刀川。」
「わかってるよ風間さん。」
分かってるならおそらく作戦室はこんなに緊張していないだろうな、と思う。ホントにやめてくれ、後で苦労するのは私になるやつ、これ。
ふと視線を感じて、そちらを見ると、驚いたようにこちらを見る菊地原さんと目があった。私の視線に気づいた菊地原さんは、一瞬でふい、と視線を外す。なんだったんだろう……?
それに気をくばる暇もなく、トントンと肩を叩かれた。
振り向くと右ほほに人さし指がささる。視線を上にあげると、不思議な髪色をした、そうだ……出水さんがにやにやと笑っていた。小学生かこの人。
「よう、久しぶり高橋ちゃん。」
「……。お久しぶりです。」
「冷たいなー。遠征から帰ってきた憧れの出水先輩だぞ?」
「……?すみません、近界民(ネイバー)語は分からないんで日本語か英語でお願いします。」
「英語できんのかよ!俺の代わりにテスト受けてくんない?」
「普通に考えて、テストの日は私も学校ありますよね?」
「俺が高橋ちゃんになる。」
「絶対にやめてください。」
そんなふざけたやり取りをしていたせいか、あちらで煽り煽られていた総合1位、2位コンビがこっちを向いた。
「出水、お前知り合いなのか?」
「高橋ちゃんとですか?そうですね……ただならぬ仲です。」
出水さんはそう言いながら小指をあげてみせる。何言ってるんだろう、この人。そう思っていると「合わせろよ。」と耳打ちされる。えぇーー……。
「マジで?そう言う仲なの?」
太刀川さんがこちらを見る。
「……半年前に運命的に出会いました。そして今日話したのが半年ぶりです。」
「……つまり?」
「赤の他人ですね。」
「赤い他人?白い恋人的な?」
「いやちょっと待ってください。」
マジかこの人。今ストレートを投げ込んだと思ったら、サッカーボールが帰ってきたぐらいの衝撃を受けたんですけど。
出水さんを見ると諦めたような目で太刀川さんを見ていた。
向かいの風間さんは額に手を当てて空を仰いでいた。
二宮さんは……ひっ!なんであの人あんな怖い顔してこっちを見てるんだ。気づかなかったことにしよう。
「?どうした?」
不思議そうな太刀川さんにそう尋ねられる。
「いえ、なんでもありません。作戦を考えましょう。」
私はパンドラの箱を開けなかったふりをして、三輪隊の人に全部投げた。
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時計を見る。12月18日。おそらく、忘れられない日になるだろう。
「時間になった。任務を開始する。」
風間さんの声が耳に響く。じわり、手に汗をかいているのが分かった。
「じゃ、始めましょうか。」
昼間とは打って変わって強者の雰囲気をまとった太刀川さんの号令で、全員が玉狛支部へと走っていく。
全員バッグワームだ。やはり、バッグワームはトリガー反応を消すのに役立つのだろうと確信した。
コンピュータに移る数字が機械音でコールされる。
「目標地点まで、残り1000メートルです。」
「高橋。」
「二宮さん?」
しんがりを務める二宮さんが、周りには聞こえない程度の音量で通信をしてくる。
「後悔はしないな?」
「えぇ……お願いします。遊真くんたちを、助けてあげてください。」
そして、二度目のコール音がなった。
「目標地点まで、残り500メートルです。」
私はレーダーに一つのトリオン反応が表示されているのを見た。画面を確認する。
私の髪色にも似た、薄い茶色。水色のゴーグル。ブラックトリガー、風刃をたずさえた玉狛支部の隊員。
彼が、迅悠一。
「よっ太刀川さん。みんなおそろいでどこまで?」
未来視を持つ男はそう不敵に笑った。