第1話 ボーダー無きスパイ
ジャラジャラ、という華やかな鐘の鳴る音に私は入り口の方向へ足を進めた。
ドアの前に立っていたのは欧米人らしい若い男性だった。普段はあまり話さないような相手に緊張しながらも
彼の美しいブルーアイににっこりと微笑みかける。
「How many ?(人数は?)」
「One.(一人)」
そう答えたあと、男は私から視線を外し、扉の鐘に目を向けると、口を開く。
「Did you buy this bell in Kyoto ?(これ、京都で買ったの?)」
「Yes. That is a good sound , isn't it?(はい、いい音でしょう?)」
「Hahaha……yes,yes.(ハハハ……そうだね。)
It makes me remembered hydrages.(その音は僕にあさがおを思い出させてくれるよ。)」
私は、冬の寒さが厳しいこの時期に季節ハズレな花の名前を口にしたこの男性をとくに揶揄するわけでもなく、最上級の笑顔を浮かべる。
「お客様、二階へどうぞ。」
絶対、この人日本語が分かるだろうし、話せるに違いないと思いながら。
「そう怒らないで、かわいいお嬢さん。」
私の笑顔はからかった男からすれば、わざとらしかったようだった。彼は微かに笑いながら、ウインク一つを残すと奥の階段へ消えた。
その背中を見送りながら心の中で舌を出す。
「絶対、カトリック系でしょ。」私はぼやいた。
このアンティーク調の喫茶店に入ってくる客は、二種類いる。
一つは名物のコーヒーとケーキ、紅茶や安らぎを求めてやってくる"表"の客。もう一つは二階へ上がるための入り口とする"裏"の客。もっと言うならば、この店の裏の顔である諜報会社の依頼人だ。青い瞳のあの人はもちろんこちら。なぜ私がからかわれたことに気づいたかというのも、依頼をする人は一人で来ている場合日本語が話せないなんてことはないからだ。
諜報。日常生活ではそうそうお目にかからない言葉かもしれない。
英語にするなら、スパイ、エージェント。例えを挙げるなら、アメリカのCIAが諜報機関の筆頭だろう。
相手の懐に潜入し、情報を手に入れて有利に立ったり、逆に流したりして相手を撹乱する。
私の父は、そういった諜報活動と引き換えに金銭をもらう諜報会社を営んでいる。簡単に言うと、どこにも所属しない民間の諜報機関だ。
産業スパイ、調査など民間からの依頼や、国家の名の下では行えないようなことを請け負うことを主な仕事にしている。
ボーダー無きスパイ。私の父は自分の会社をこう称した。
客を探らず。
情を移さず。
そこに国家への忠誠も、殉ずるべき思想もなく。
ただ、契約によって諜報活動を行う会社、と。
今、中学二年生の私は表の顔である喫茶店を手伝いながら、何度か諜報員になったことがある。
その時に培われた勘が言っていた。
"何かが起こる"と。
しばらく喫茶店の接客をしていると、あのブルーアイの男性が店を出て行くのが見えた。
「ありがとうございました。」
そう言うと同時にポケットに入れている携帯が震える。私は常にマナーモードにしている。
メッセージの相手はお父さんだった。
私は台所にいる同僚にこの場を任せて、一人階段を上った。
ドアを急いで開け、部屋に顔を覗かせると奥にいるお父さんがにんまりと笑う。
「仕事だ、サキ。」
黒い髪、力強い目、しゃれたヒゲ。多分、年齢は40後半か、50ぐらい。筋肉はしっかり付いていて、背が高いからすごく頼もしい。
ファザコンではないけど、お父さんはダンディだと思う。
「やっぱり?そんな気がしてた。」
「女の勘かな、まったく。お前は向いてるよ、この仕事に。」
「イヤな女みたい。失礼しちゃう。」
お父さんは、私の本当のお父さんではない。
だけど、身寄りのない私に「うちに来るか。」と言ってくれた時から、本当の家族のように思っている。
こんなぶっちゃけ危ない感じの仕事を手伝ってるのも、そのときにお父さんから受けた計り知れない恩を返すために自分から申し出たことだった。
自分の年齢を生かして、相手の情報を探るのが今までの私の仕事で、ちょうど歴史で習った平家のスパイであった 禿髪(かむろ)みたいな役割だ。
「お前、三門市って、知ってるだろ。」
「ニュースとかでよく出てくるところ?門(ゲート)がどうとか、ネイバーがどうとかやってる……。」
「……あぁ、その三門市だ。これを見ろ。」
父さんは真剣な表情でプロジェクターに映像を映し出す。私もそれに目を移した。
「これが三門市……ニュースでもよく見るネイバーつぅーーま、敵だ、敵ーーがやってくる場所だ。」
映し出されたのは川の向かいにある都市だった。そこを大きな街だと思う人もいれば、田舎と思う人もいるだろう。大都市ではないが、発展した地方都市に近いという印象を受ける。
「そしてこれが約四年前、突然現れた現代兵器が通じねぇ敵さんから市民を守るため、これまた突然現れた組織ーー界境防衛組織"ボーダー"だ。」
映し出されたのはやけにスタイリッシュなイメージの、私と同世代の少年少女たちが赤いジャージのような服装で写っている広告だった。
"ボーダーに入って街を守ろう!"
次いで、街の中心に位置している大きな箱のような建物が映る。それだけ未来からタイムスリップしてきてしまったかのような、はっきりとした異物感が私には感じられた。
最後に出てきたのはニュースでもよく見かける、ネイバーという生き物みたいな、機械みたいな見た目のネイバーという敵と、ボーダーの隊員と思われる人物が戦ってる動画だった。そこでお父さんの目が私の目覗いてくる。私もまたお父さんを見つめ返した。
「ボーダーは近隣の学生から隊員を募って、ネイバーと戦ってる。
しかし、ネイバーに現代兵器は通じやしない。
どういう原理でこいつらはネイバーと戦ってる?
なぜ、その技術を獲得できた?
目的はなんだ?
全てがほとんど謎だ。
始まりは四年半前、いや、きっとそれ以前に活動を始めてたんだろうが、公にこいつらが姿を現したのがその日だ。その日にこいつらは現れた。
ネイバーと同じく、ある日、突然、な。」
お父さんはプロジェクターにパワーポイントを表示させる。
そして、にやっと笑った。
「なかなか、どうして、怪しいじゃないか。」
「もしかしなくとも、今回の依頼目標(ターゲット)って……。」
「そう、ボーダーだよ。
ま、謎の多いやつらだけどな、今回の依頼はただ一つ【トリガーを持ち帰ること】だ。」
プロジェクターがまた切り替わる。
さっきの動画からボーダーの隊員が手に持っているものを拡大している写真だ。
ボーダーたちの手にはそれぞれ、銃や刀のようなものがある。
「これがトリガーだ。
こいつらの礎であり、実際のところすべてでもある。」
私は写真をじっと見つめた。私と同い年ぐらいの人たちが、これを使って戦っているのだ。なんだか、不思議な感じで、でもすごく興味をそそられた。
まじまじと見つめていると突然プロジェクターが真っ黒になり、投映していたモニターが上へ上へと上がっていき天井に収納される。驚いて振り返ると、お父さんの黒い目と目があった。
その視線に促されてテーブルを挟んで対面しているソファに座る。お父さんも向かいに座った。まだ座ったところは暖かく、さっきの青い瞳の彼が座っていたんだと気づいた。
「さっきも言ったが、依頼人は【ボーダーで使われているトリガー】を持ち帰ることを望んでいる。もちろん、破損なし。完全な状態のやつだ。
ボーダーは新しい隊員を常に募集している。ただし、それには条件がある。」
「年齢。」
お父さんは不敵に笑った。
「ご明察。お前を呼んだのは、そういうわけだ。」
それ以上お父さんは何も言わなかった。手を前にくみ、祈るかのように目を伏せる。何かに思いを馳せているかにようにもおもえた。私はそれから目を離すことができなかった。
お父さんには人をひきつける人だ。今、私がそうであるように、こういった動作の一つ一つが深い意味を持ち、それが魅力になっている。
瞼を開けられる。視線がぶつかる。そして、口は開かれた。
「サキ、お前がボーダーに潜入し、トリガーを持ち帰れ。それが今回の任務だ。」
自分の心臓がうるさく騒いでいるのが分かる。
こんな重大な任務、今までにやったことがない。
「どうやって。」
「とりあえず、お前は4月までに三門市へ引っ越しだな。
そのあと、依頼人の伝手でオペレーターとしてボーダーに入隊させる。
オペレーターは、この実働部隊の補佐役だ。トリガーを握って戦うことはない。」
普通に考えれば、トリガーを持つ機会が少ないオペレーターになるのは不利に思える。私はお父さんに尋ねた。
「じゃあ、どうして?」
「ボーダーのやつらは警戒が強いんだよ。下手に実働部隊にさせて、トリガーを持って時間取られて監視されるよりかはオペレーターの方が結果的に楽になる。」
そしてお父さんは「ま、お前を危険にさらしたくないつーのも本音だけどな。」と明快な表情で言った。
「もう、なるほどって思った私の気持ちを返してよ。」
お父さんの軽口に少し緊張がほぐれたのを感じる。
「こりゃ失礼。
名前のことだが、苗字は田中でも佐藤でも好きに名乗っとけ。下の名前はそのままだ。」
もーこういうところは適当なんだから、と思いながら話を聞く。
「オペレーターの入隊試験は適性が見られるらしいが、まぁ大丈夫だろ。」
「転校の理由どうするの?」
「そこまで探りを入れられるか分からんが……まぁ、お父さんの仕事の関係とでも言えばいいさ。本当のことだからな。」
「自分のことを話してないだけでね。」
「嘘はついてない。」
くくっと笑いながら、お父さんは私の頭を撫でる。
「転校、不安か。」
「全然。これまでの仕事と比べたら、学校での生活なんて楽勝よ。」
「さすが俺の娘だ。」
一ヶ月後、三月二十四日。私はZ市を離れ三門市にやってきた。桜の蕾がまだじっと閉じている寒い年のことだった。
そしてその二ヶ月後、五月二十四日、無事にオペレーターの試験を突破した私は、ボーダーに入隊した。