第17話 丘
苦肉の策、という言葉がある。これは本来、敵をあざむくため自分や味方を苦しめるという意味だ。人は自ら傷つけることはなく、他人に傷つけられるものなので、傷つけられた人を信用してしまうといった心理を逆手にとった考えといえる。それが言葉の感じから転化して苦し紛れ、と同意義になったのだ。
そういう意味で言うならば、私が深夜考えて頭から絞りだした作戦もそう言わざるを得ないだろう。登校しながらそう思う。
屋内に誘い込みカメレオンを利用して接近し、ギリギリまで近づいたところで解除、そしてトリオン器官または脳を狙い撃ちという暗殺作戦だ。
でもそんなの相手だって屋内に来た時点で警戒するだろうし、トリガーの種類を考えると弾の種類が減ってしまう。つまり穴だらけと言える。自分のオペレーターとしての腕を疑うわけではないが、あのファイルの通り、私は戦術が苦手な分野だ。10のうち6という数字がそれを証明している。
そもそも私の適性を考えると二宮さんの言う通り"茶野隊に向いていない"のは否定できない。自分の得意な多人数オペレートが活かせず、苦手な戦術を考えないといけないのだ。それでも茶野隊を選んだのは自分だし、それ相応の理由がある。弱気にならず、もう一度考えようと決め、ふぅと軽く息を吐く。
教室に入るとみんなの視線がこちらに集まった。なんだか、こんなの前にもあったな、と思いながら「おはよう」と声をかける。
「おはよう!サキ、すごいね!」
「何が?」
「何がって……実力テストの張り出し、見てないの?」
「……実力テスト?」
すっかりボーダーと任務のことで忘れてしまっていた。友人に引っ張られて教室を出ると、廊下の真ん中に上位者の張り出しがされていた。総合の20位以内の名前と点数が出ている。一番下を見ると、20位三雲修 380点と書いてあった。正直、もっと張りだすレベルは5位以内とかにしたほうがいいと転校してきたときから思っている。
「どこ見てんの?上だよ!一番上!」
そう言われて見上げてみると、高橋サキの名前と一緒に482点と書かれていた。二位は464点だから、私としても満足な結果だ。
「はぁ、いいなぁサキ。志望校やっぱあの進学校にするの?あそこはボーダー提携校だったよね?
あ、でも忙しい隊員とかは頭良くても普通校に行くんだっけ?」
「私はまだ全然決めてないよ。そっちこそどうするの?」
「えっ私?私は一応、進路希望には普通校って書いてるけど……。あっ、ボーダー提携校じゃないほうね?」
夏休みを終えて、三年生は受験ムードがそろそろ漂ってきていた。とりあえず、教室に戻ろうと歩きながら話していると、友人が男の人にぶつかってしまった。
「あっ、ごめんね。」
「ううん、大丈夫だよ。」
メガネをした同級生らしい人だ。私が顔を向けると、急いだようにいってしまった。
「なんか、さっきの人変じゃなかった?」
その背中を見送ってから友人に言う。
「えっ?そうかな?あれじゃない、サキ有名人だから恥ずかしかったんじゃない?」
「有名人って……。」
「学校でただ一人のボーダー隊員で雑誌とかテレビにめっちゃでてるじゃん!」
「あれは……。」
根付さんのせいだ……とは言えず、「そういえば、例の彼とはどうなったの?」と話をそらす。とたんに照れ始める友人を軽くからかいながらも、私はボーダーの事を考えた。
そういえば根付さんがいたか……。きっと根付さんは暗殺作戦なんかよく思わないだろうな、と思いそっと溜息を吐いた。
▲
ボーダーに来て少しすると、作戦室に茶野さんと藤沢さんがやってきた。相変わらず仲が良い。
お二人にまだ作戦ができていないことを伝え、謝ると快く許してもらった。それからいつも彼らは揃ってC級ブースに向かい、私は一人作戦室にこもるのだが、お二人方の動きを見るのも大切だろうと思いついていくことにした。
C級ブースのロビーについて、私は前に来た時に比べ白い服を着たC級隊員が多いと感じた。少し考えて、そういえば少し前にボーダーの入隊式があったのだと気づく。そして同時、やけに見られているとも。
確かにB級隊員がC級ブースに来るのは珍しいように思えるかもしれない。ここにいるのは実際多くはC級隊員だ。でもそれにしても見られている。そう思っていると、ロビーの入り口が開く。私は目を見張った。
嵐山さんに、隣の人は……風間さん?
A級の二人がなんでここに……対戦でもしに来たのだろうか?と思っていると周りが騒がしくなった。
「A級の嵐山さんと風間さんだ。」
「B級の茶野隊もいるし……なんかざわついてんな、今日。ちょっとこええし。」
「はぁ?お前"茶野隊なんか"にびびってんのかよ。」
私はピクリと眉を動かした。そしてこの異常な注目の原因にも気づいた。これだ。
「ばっかだなぁ、知らないのかよ、お前。茶野隊は顔だけで選ばれた実力がない部隊なんだよ。」
「えっ?でもB級に上がってんじゃん。」
「なんかそれも上層部のおかげでB級に上がれたらしいぜ。」
「まじで?じゃあ茶野隊めちゃくちゃ卑怯じゃん。」
私はチラリと前を見た。お二人の様子を見るに、多分これに気づいていないとはいえないだろう。舌打ちしたい気分になる。こんな噂デタラメだ。そんなのは私が一番よく分かっている。お二人は馬鹿ではない。そんな"手心"があればすぐに気づく。C級からB級にあがるにはポイントを稼がなければならないのだ。最初に割り増しでポイントが降られていたとしても、ランク戦や訓練で重ねてきたポイントがあればこそ昇格できるのだし、ランク戦であればそれは実力そのもので訓練だったとしてもそれはお二人の努力だ。決して他人の力ではない。そんなの少し考えれば誰だって分かる。引っかかるのは馬鹿の証だ。だけどこんな悪意に晒されるお二人の心を考えると、デタラメだとしても胸糞悪い。
「サキ、ごめん。」
私がそんな風にイライラしていると、茶野さんがそう言ってきた。
「何がですか。」
「俺らのせいでお前までああいうこと言われてるだろ。」
「違うでしょう。」
私は強く言った。
「お二人のせいなんかじゃないです。絶対に。
お二人に実力がないなんてことはぜったいにないです。天地がひっくり返ってもないです。
……私がオペレーターなんですよ?そんな部隊が弱いわけないです。」
一息で言う。私は強く二人を見つめた。
「早く行ってきてください。お二人の強さ、見せてください。」
私は軽く二つの背中を押す。それから、振り返らずに入り口近くの壁にもたれた。
始まる。
ロビーの大きな画面に表示されたのは、茶野さんとーー犬飼さんの戦いだ。
私は口元を緩めた。
「頼みましたよ。犬飼さん、辻さん。」
▲
ーー遡ること、二週間前。
私は二宮隊の作戦室に来ていた。
なぜかというと、犬飼さんからSOSの連絡が来たのだ。私も忙しかった……もとい、犬飼さんの相手をしたくなかったので最初は無視をしていたのだが振動音がうるさくなり、着信を拒否してから辻さんの端末を使って連絡され、思わずとってしまったところで諦めた。
曰く、「二宮さんをなんとかして欲しい。」と。
夏休みはもう終盤だった。
来て数秒で私は後悔した。二宮さんの機嫌は最悪だったのだ。詳しく話を聞くと二宮隊の戦闘に関する本部のデータが、ミスで吹っ飛んでいってしまったらしく、それを全て入力しなおさないといけなくなったらしい。もちろん、二宮さんが。とばっちりとか不運とかいうレベルではない。それを聞いて深く同情した。大学生だから大丈夫だろうと思われたのだろうが、貴重な時間を消費しないといけない二宮さんにとってはたまったものではないだろう。
これに困ったのが犬飼さんと辻さんだ。お二人は夏休み明けのテストのために勉強しなければならないらしいのだが(ボーダー隊員は授業もちょくちょく抜けるため、単位獲得のためにテストが重要らしいということは後で聞いた)、いつもは二宮さんに質問していたらしい。だが、データの入力とともに勉強を教えるというのは大変……というわけでもなく、ダメだったのは二宮さんの機嫌だ。いつもは顔をしかめられながら教えてもらえるらしいが、今回は質問しにいこうとすると、は?自分でやれという威圧が飛んでくるらしい。すでに辻さんは被害にあったらしく少しへこんでいる。それを聞いて、ちょっと辻さんをかわいいなと思っている私は哀れみを抱いた。
その気持ちからしょうがない、と決意する。
「教えましょうか。」
「え?高橋ちゃん中3だよね?」
「それ数学ですよね。私、前は私立にいたんで数Iと数IIなら教えられますよ。」
「高橋ちゃん……神かな?」
「違いますね。教えてもいいですけど、代わりにやって欲しいことがあるんですよ。」
「なになに?」犬飼さんは体を近づけて聞いてくる。隣を見ると、辻さんも期待しているようだ。
「うちの隊のメンバー、特訓してくれませんか?辻さん、犬飼さん。」
「あ、そういうことか。俺は大丈夫だよ、辻ちゃんもOKだよね?」
辻さんを見るとこくりと頷いた。
と、すると……
二宮さんを見る。
「好きにしろ。」
「ありがとうございます。」
「高橋ちゃん早く早く!」
「今行きますよ。」
こうして、藤沢さんと茶野さんの特訓が決まったのだった。
▲
あれが二週間前だから、特訓を始めて一週間と少しがたっている。
画面には二人の対戦の様子が映っているが、茶野さんの方の動きはまるで見違えるようだった。
始まって、十数分後。茶野さんの撃ったアステロイドが犬飼さんを貫いた。それは心臓付近にあたり、犬飼さんはベイルアウトした。
これには私も驚いた。特訓の様子は前から聞いていたが、粘れはしてもまだ一度も勝ったことがないと言っていたはずだ。犬飼さんのシールドの展開が遅れたようにも見えたけど……。
だが、辺りは騒めきだす。
「茶野さん、普通に強くね?」
「うん。相手B級一位だろ?」
端末の着信に気づく。それを見てからボソッと呟いた。「ホントに気遣いが上手い人ですね。」
私は歩き出した。
唖然としている、先ほどから目についたC級隊員の人の前で止まる。
「一つ言っておきます。私たちの隊員を貶めることは、自分の所属する組織を貶めること、すなわち自分を貶めるということです。
訂正してください。私たちの部隊は、顔だけで選ばれたのではありません。
努力で、信念で、なにより、実力で選ばれたんです。」
相手は自分より年上だった。男の人で、自分より力が強そうだった。だけど、そんなのは、関係なかった。私は怒っていたのだ。あの二人を侮辱したこの人に。
男の人は少しひるんだように、退き、そのままロビーを出て行った。