ノック   作:サノク

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第10話 ためらい

「何か飲もっか。」

犬飼さんは歩きながらそう口にする。彼は一段と気配りが上手い人だから、言う通りにしたほうがいいだろうと思い頷いた。

自動販売機に彼が小銭を入れる。「好きなの選んで。」

「そんな……悪いですよ。」

「いいからいいから。これでも元A級隊員だったし、懐には余裕があるんだ。」

「じゃあ………ありがとうございます。」

がこんという音がして、カフェオレが出てきた。あたたかい。夜の気温にはちょうどいい温度だ。

犬飼さんは二つ同時押しをして、結局でてきたグレープジュースの蓋を開ける。そして、そのまま廊下に置いてある椅子に腰を下ろした。

私もその隣に座った。

 

カチッと、缶の蓋をあける。

 

「少し、話そっか。」犬飼さんは呟くようにそういう。この人には珍しく、こちらに視線をまったくくれない。ただ、手を前に組み、地面を見つめるように顔を俯かせていた。

 

「俺たち二宮隊がA級だったって話は聞いた?」

 

「はい、氷見さんから。」

 

「なんで俺たちがA級から落ちたかは?」

 

「……聞いてません。」

 

私の言葉を聞いて、犬飼さんはかすかに微笑んだが、それは穏やかなものではなかった。どちらかといえば、ひどく疲れたような、何かを諦めたような、そんな表情だった。

 

「A級の部隊がB級へ落ちる。その正規……って言ったらおかしいか。普通、A級部隊がB級部隊に落ちるのはB級部隊と入れ替わる時。つまり、ランク戦で負けた時っていうのは知ってるよね。」

 

私はこくりと頷いた。犬飼さんは続ける。

 

「だけど、俺たち、ランク戦で負けたわけじゃないんだ。負けて、入れ替わって落ちたわけじゃない。

ーー懲罰降格なんだよ。」

 

ちょうばつこうかく。不思議な響きだった。これ以上、二宮隊という部隊に似合わない文字もそうそうないのではないかと、私は思った。犬飼さんの雰囲気はあくまで冷静で、ほとんどいつも通りだったが、それが逆に、彼の言葉の違和感を引き立たせていた。

 

「二宮隊にはもう一人スナイパーの隊員がいたんだ。温厚で優しい……スナイパーのくせに人が撃てない、変わった女の子だった。俺と同い年だったよ。」

 

突然語られた新たな人物の存在に、そして犬飼さんの口調に、だんだんと話が不穏になっていくのを感じ取る。いい話では決してないのだろうと容易に予測できた。

 

「もちろん、人が打てないからっていってスナイパーとして動けないわけじゃない。相手の持っている武器を壊して、俺たちを援護してくれてたよ。多分、狙撃技術はうちでもトップだったと思う。」

 

その話ぶりに、私は密かになるほどと納得した。だから二宮隊の動きに何か違和感があったのか。スナイパーとして味方を援護し、敵を牽制する。そんな人物であった彼女がいて、二宮隊は初めて本来のA級部隊に戻り、完成していたのだ。だから、今の二宮隊では不完全で、違和感を感じた。

 

「その時のうちは結構強くて……でも、なかなか遠征部隊……つまり、3位に入るのは難しかった。ずっと4〜6位あたりをうろうろしてたよ。選抜試験はゲキムズだしね。

でも、ある日ようやく念願かなって、遠征部隊に決まったんだ。鳩原は、それを強く希望してた。」

 

遠征部隊は、確かネイバー側の方に行くボーダーの上位チームのことだったはずだ。私も最近知った話だが、それに選ばれるためにはかなりの実力、それもただ戦闘が得意というだけではなく向こうの世界に対応できるような人物やチームしか選ばれないらしい。それに選ばれるということはーーとくに、その鳩原さんという人物にとってーー並大抵の努力ではなかっただろうというのは簡単に想像できた。

 

「でも、その合格は取り消された。結果的に俺たちは向こうの世界に行く部隊には選ばれず、行くことも、叶わなかった。たぶん、そのあとだと思う。"あの事件"に鳩原が、計画、いや違うな、関わりだしたのは。俺たちは鳩原が関わった"その事件"での隊としての責任を取るために降格した。」

 

私は黙っていた。ただ犬飼さんの青みがかった目を見ていた。

 

「一部の連中は、鳩原が相手の身体を撃てなかったことで見せしめ的に俺たちが懲罰降格されて、それを気に病んだ鳩原が消えたって思ってるけど、それは違う。

そもそも、順番が逆で、理由も外れてる。

今から一ヶ月と少し前の5月2日。俺の誕生日の翌日だったから、よく覚えてるよ。

鳩原は事件を起こした。

民間人にトリガーを横流しして、門の向こう側に、消えたんだ。」

 

私は、大きく目を開いた。一気に口の中が乾燥していくのがわかる。

 

「なんで、分かるんですか。そんなこと。」

 

「ボーダー本部内部の警戒に当たってる風間隊が追跡したんだって。それに、トリガー反応も同時に消えたから、間違いないって。」

 

笑っちゃうよね、そういい犬飼さんはへらりと顔をほころばせようとして、失敗する。そしできたぐしゃり、と歪んだ笑顔を見て、私は彼が泣いているように思えた。

そう犬飼さんを観察する裏で、有力な情報を頭に必死に入れる。

風間隊の役割。トリガー反応というおそらくはGPSに類似した機能。そして、トリガーを民間人に横流しして消えた鳩原という人物。間違いなくこれは任務に直接関係する情報だ。

 

深く、もっと詳しく聞かなければ。そう理性は囁くのに、私の口からは違う言葉がこぼれ出た。

 

「なんで、私にそんな話を……?」

 

犬飼さんは、会話を始めてから、初めて顔を上げこちらに向けてくる。改めて見つめる整った顔のパーツの一つ一つは、何か特別な意味を発しているかのようだった。彼の口が言葉を作る。

 

「高橋ちゃんに、二宮さんを支えてほしいんだ。」

 

予想もしなかった言葉に完全に不意をつかれた私の反応を待たず、犬飼さんは言葉を重ねる。

 

「俺、本当はさっき、作戦室のオペレーター室にいたんだよね。二人が入ってくるまで完全に机で寝てたんだけど……。もちろん、途中からは音が響いてたし起きたよ。でも、声が聞こえてたし、なんか雰囲気的に出にくくて。

ま、それにしても二宮さん、ひどい顔でしょ。」

私はこくりと頷いた。思い返しても、あの時に二宮さんは本当に、病人みたいな顔をしていた。本当にこの人はこの場にいるのだろうか、と思ったぐらいだった。

「二宮さん、独自に鳩原のこと調べてるみたいなんだ。俺たちには何も言ってくれないけど。

 

ボーダーの隊員、その部隊の隊長、大学生としての学業、上層部から鳩原の件で呼び出し、そして、鳩原の独自調査。 うちの隊長はすごい人だけど、それでも完全にキャパシティーを超えてるんだと思う。

疲労がたまって、あんな状態になってる。俺も気づいたのはごく最近だけどね。」

 

私は二宮さんの冷たい手を思い出した。心の温かい人は手が冷たいというのは、何かを成し遂げようとしてそうなるのだろうかと、迷信に重ねる。

これはどうでもいい話なんだけど、と犬飼さんは思い出したように言った。

 

「鳩原が消えてから、二宮さんはうちの隊に新しいやつを絶対入れてこなかった。そうするのが、俺たちの開いてる穴を補うために、これからを作っていくために、1番いい方法だっていうのは二宮さんが1番分かってたはずなのに。」

 

「………………。」

 

「だけど、高橋ちゃんだけは違った。知ってる?新人オペレーターの受け入れを決めたの、二宮さんなんだよ。今まで意地でも拒んできたくせに、自分だけでそんなこと決めちゃったもんだからあの時はびびったなー。」

 

私も犬飼さんたちにびびってましたよ、と心の中で呟いた。少し、あの頃が懐かしい。

 

 

「そういえば、高橋ちゃんに鳩原のことを話す理由だっけ。」

黙ったままの私に何も今もいわず、犬飼さんは続ける。

 

「今まで、二宮さんは鳩原の話題をめちゃくちゃ避けてた。うちの作戦室に鳩原の私物が、まとめておいてあるところがあるんだけど、絶対に二宮さん、そこに近寄らないんだ。

たぶん、高橋ちゃんにも鳩原のこと言わないだろうな。でも、高橋ちゃんには知っててほしいなって思ったのが理由かな。」

彼はその言葉に続けて、私に語りかけてくる。

 

私は嘘つき、と思った。さっき話された"どうでもいい話"は全然どうでもいい話などではなかった。あれは、犬飼さんがこの理由を話すための伏線だったのだ。

上手な人だった。何も考えていないように自然に振る舞いながらも、裏では綿密な計算がされている。そして、そうと気づいても嫌悪感を抱かない。そんな説得と犬飼さん自身の魅力があれば、きっと誰の心でも動かせるだろう。そう思った。

 

「高橋ちゃん、ダメかな。」

犬飼さんはそうダメ押しのように頼みを口にする。一瞬、頷きそうになったがそれに呑み込まれてはいけない。私は焦りを感じながらそれをやんわりと突き放そうとする。

 

「話はわかりましたが、二宮さんは……。」

 

そのあとに続く言葉が出てこない。くそ、こんなの後から冷静に考えることができれば、いくらでも良い案がでてくるのに。しかし、それは今出てこないから問題なのだと分かっている。言葉につまった私に犬飼さんは「二宮さんが、なに?」と優しい口調で問いかけてくる。

私は口をかすかに開けたり、閉じたりするだけだった。

 

その様子を見た犬飼さんがさらに畳み掛けてくる。

 

「高橋ちゃんさ、ほんとは、もう分かってるでしょ?うちの隊長が、高圧的で容赦ない鬼なだけじゃないって。怖いけど、それ以上にいいところもあるんだって。

……何をためらっているの?」

 

核心を突かれたような気分だった。一瞬、体が固まる。

いや、違う。実際に核心を突かれたのだ。だって、私が犬飼さんの頼みを受け入れられないのは、どんな言い訳を並べようが、奥にたったひとつの理由があるからなのだ。私が、スパイだという、決定的な理由が。

 

頭を必死に回転させる。そう、私はこの頼みを引き受けるわけにはいかないのだ。

 

「わたし、ここに来てからまだ日が浅いですし、他に人が」「いない。」

絞り出した私の抵抗は、はっきりと力強く否定される。

 

「いないよ。今二宮さんの変化に気付けるのも、今気遣えるのも、今二宮さんが心を許すのも。全部、高橋ちゃんだけなんだよ。きっと俺たちじゃダメなんだ。

過去を思い出させる俺たちじゃ、きっと、だめなんだ。むしろ、高橋ちゃんじゃないと、だめなんだよ。」

 

それでも私じゃだめだ。

 

私は、鳩原さんのような人ではない。そんな優しい、温かい人間ではないのだ。

きっと、スナイパーになったら、武器を狙うよりはるかに良いという理由で私は容赦なく相手を撃ちぬき、傷つけることができるだろう。この話を聞いた今でさえも。

 

おそらく。二宮さんが呼び止めたのは、行くな、と言ったのは……言いたかったのは、そして言うべきなのは、そんなことができる、冷酷な人間ではない。

 

そして何より、私は二宮さんを、ボーダーを、裏切ろうとしているーーいや、より適切に言うならば最初から裏切っている。

 

なぜ、鳩原さんが裏切ったのかは分からない。門の向こう側に行くということが、きっとなによりも大切だったのだろうということしか。

しかし、私はそれ以上に酷い理由で、冷たく無機質な理由で彼らを既に裏切っているのだ。

 

「高橋ちゃん、お願い。」

 

犬飼さんの青い目が私を射抜く。同時に理性が私に囁いた。

 

 

何を躊躇しているんだ。所詮、最初から嘘で作られた上辺だけの関係なんだから、頷けば良い。

 

そんな嘘、いくらでも吐いてきただろう、と。

 

 

私は顔を強張らせ、とてもゆっくりと顎を首元に押し付けた。演技とはとてもじゃないがいえない拙い行動だった。もしかしたら、心のどこかで嘘だということに、気づいてほしかったのかもしれない。

 

しかし、犬飼さんはその青い目をキラキラと輝かせ、喜色満面の笑みを浮かべた。

ついぞ裏切り者の大嘘に気づくことなく、「ありがとう。」と口にした彼の目に、私はどう映っているのだろうか。そんな普段なら気にもしないことばかりが、私の心を占める。気がつければ、カフェオレはすっかり冷めてしまっていた。

 

 




今日のハイライト

・主人公ちゃん鳩原の事件を知る。
・おや……?主人公の様子が……?
・しかし結果的にそんなことはなかったも同然になる

トリガーについているGPS→トリガー反応に変更。

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