美濃、稲葉山城。
城内の一室で、飛騨は執務をこなしていた。
(墨俣に城が建ち、織田軍との決戦も間近。
兵の士気も下がってきている。
離反するものも出るだろう。
戦をしても、勝敗は明らかだ・・・。)
飛騨は筆を置くと、手を背後の床につき天井を見上げ、ふぅー、と力を抜くように息を吐く。
(長かった・・・やっとここまで来た。
待っていろ龍海、必ず龍興様も詩乃も助け出し、お前に会いに行く。)
バァン!
「飛騨さま!」
部屋の襖を兵士が勢いよく開けた。
「なんだ、騒々しい。」
「た・・・竹中半兵衛殿が謀反を起こしました!
既に城を包囲されております!」
飛騨は立ち上がり、声を荒らげる。
「なんだと!?貴様ら一体何をしていた!?」
「それが・・・何が何やらわからない内に・・・。」
「ええい!もういい!さっさと龍興様の安全を確保しろ!」
「はっ!」
兵が去ると、飛騨は横の壁を思い切り殴りつけた。
(クソ!あのバカ!何をやっているのだうつけめ!
考えろ・・・足りない頭で考えろ斎藤飛騨。
どうやって詩乃を助ける。
龍興様に土下座でもするか。
ダメだ、そんな事であの方がお許しになるはずがない!
考えろ!こういう時龍海ならどうする!
龍海なら・・・いや、違う。)
飛騨は考えるのをやめ、呟く。
「私なら・・・どうする。
私は・・・どうしたいんだ。」
「斎藤飛騨!」
叫び声に振り返ると同時に、飛騨の体は仰向けに押し倒されていた。
押し倒した相手は、詩乃であった。
脇差を構えて飛騨を睨むその表情は、怒りに満ちていた。
(詩乃・・・。
普段は冷静なお前が、感情に流されるほどに、私はお前を怒らせていたんだな。
なら・・・今の私に出来ることは・・・。)
「・・・殺せ。」
飛騨は、静かにそう言った。
「殺したいなら殺せ。
心の臓を貫き、一思いに殺すもよし、
首を裂いて苦しみを与えながら殺すもよし。
好きなようにするがいい。」
しかし詩乃は一向に動こうとしない。
「どうした?
龍海の仇を討つんだろ?
その為にお前は、全てを捨ててこんな事までしたんだろ?」
「・・・!」
詩乃の手が、震え出す。
「躊躇うな!竹中半兵衛!」
「うあああああ!!」
詩乃は叫びながら脇差を振り下ろす。
ザン!
だが、脇差は飛騨ではなく飛騨の顔のすぐ横に突き刺さる。
「どうした?私を殺すんじゃないのか?」
「・・・殺したいですよ、その為にここまで来たんですから・・・なのに・・・。」
詩乃は、悲しそうに顔を歪める。
「殺したいほど憎いはずなのに・・・あの日の記憶が邪魔をするんです!」
詩乃は顔を両手で覆って涙を流す。
「信じていたのに・・・どうして裏切ったのですか!?
裏切るならどうして最初から突き放してくれなかったのですか!?
どうして・・・どうして・・・。」
飛騨に馬乗りになりながら、詩乃は泣いていた。
(そうか、お前の為にと思っていた事が、
逆にお前を苦しめていたのか。
・・・ならば、私のすべき事は。)
「見つけたぞ!竹中半兵衛!」
兵士が怒鳴って刀を抜き、詩乃に駆け寄って来る。
「覚悟しろ!この裏切り者め!」
兵士が刀を振り上げる。
「そこを退け、詩乃。」
「え?」
久しく聞いた優しい声に答える前に詩乃の体は押し退けられた。
そして、声の主である飛騨は顔の横に刺さっていた脇差を抜き、振り下ろされた刀を紙一重で避けると。
ドスッ!
迷うことなく、兵の心の臓に脇差を突き刺した。
兵士は自らに起こったこともわからぬまま崩れ落ちる。
飛騨は兵の亡骸から脇差を抜くと、それを詩乃の足元に放り投げ、自らの刀を抜く。
「飛騨・・・殿?」
目の前の光景に、詩乃は唖然として声を漏らす。
「・・・まったく、お前という奴は。」
飛騨は背後で尻餅をついている詩乃に溜息を吐いて言う。
「感情に流される軍師がどこにいる!
お陰で策が全て台無しだ!」
飛騨は戸惑う兵士に刀を向ける。
「こうなればヤケだ!
私は私のやり方でお前を助け出して、龍興様も助け出す!」
「私を・・・助ける?」
飛騨は背後の詩乃に微笑みかける。
「お前には、後で色々と説明しないとな。
・・・だがその前に。」
「貴様!血迷ったか斎藤飛騨!」
斬りかかってきた兵士の背後に、滑るように回りこむと、背中を斜め上から切り裂く。
二人目が突きを放つと飛騨はそれを下から斬り払う。
「突きとはこう放つものだ。」
飛騨は肺、首、腹の3点に素早い突きを放つ。
瞬く間に二人を斬り捨てた飛騨に、兵士が狼狽する。
「貴様、いつの間にそこまでの技を!?」
「おかしなことを言う。
私はあの斎藤龍海の懐刀だぞ?
貴様ら一兵卒の刀など届かんよ。」
飛騨はそう言って兵士を睨みつける。
「ひ・・・ひぃ!」
兵士は悲鳴を上げて逃げていった。
飛騨は刀を納めると、詩乃に再び笑いかけた。
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「そ・・・それは真ですか!?」
「ああ、そうだ。」
詩乃に今までの事情を全て話した飛騨は、室内で頬杖をついてため息を吐いていた。
「本当なら織田が攻めてきた時、
騒ぎに乗じてお前と龍興様を助け出し、
龍海と合流するつもりだったんだ。
それを良くもまぁ台無しにしてくれたものだな。」
「も・・・元はと言えば飛騨殿が最初から事情を話してくれていればこんなことにはならなかったのです。」
「お前にこんな辛い役させたくないと思ったんだよ。」
「誰がそんなことを頼みましたか。
そう言うのを余計なお世話というのですよ?」
カチッ。
「あー、はいはいはい、そうかそうか。
そういうことを言うのか。」
飛騨の中で何かがキレた。
「なら言わせてもらうが!
お前も友なら私の演技に気づくべきではないのか!?」
「気づいて欲しいならもう少し手を抜いてはどうですか!?
なんですかあの迫真の演技は!
武士より旅芸人の方が向いているのではないですか!?」
「ふん、あの程度の演技を見抜けないようでは今孔明もたかが知れというものだ。」
「国中を3年間も騙し続けた演技をどう見抜けと言うのですか!
大体軍師の仕事は策を立てる事であって嘘を見抜く事ではありません!」
「相手の考えを読んで裏を書くのも軍師の仕事だろうが!
大体なんだ!人の策をぶち壊していおいてその態度は!
一言謝罪があって然るべきではないのか!?」
「だからそれも元はと言えば貴方がお節介にも私に気を使って何も話さなかったのが原因でしょ!
だいたい、裏切らずともあそこで私を押し退けて逃走すればよかったではありませんか!
すずむし程度の脳みそしかないからそんな簡単なことも思いつかないんですよ!」
「貴様今私のことをすずむしの脳ミソと言ったか!?」
「ええ言いましたよ、すずむしはすずむしらしくそこらへんでチリンチリン鳴いてればいいんですよ!
馬鹿みたいにチリンチリン鳴いてなさいよ!
ほら鳴いてみなさい!」
「貴様ァ!」
その後も2人は、日が暮れるまで醜い言い争いを続けた。
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「ハァ・・・ハァ・・・」
「ハァ・・・ハァ・・・」
二人は息切れするまで罵りあった。
「・・・ふふ。」
「・・・あはは。」
二人目を合わすとはお互いに笑い出した。
「お前との口喧嘩も、随分と久しぶりだ。」
「ええ、そう・・・ですね。」
詩乃の頬を涙が伝う。
「よかった・・・本当に・・・本当に・・・」
「詩乃・・・」
飛騨は黙って詩乃の体を優しく抱きしめる。
詩乃も、飛騨の体を抱きしめ、静かに泣いてるいる!
「あの日、最初は起こった事を認めたくありませんでした。
これは夢だと何度も言い聞かせました。
それでも結局、最後には受け入れるしかなくて、
あの日に戻りたいと、何度も思いました。」
泣きながらそう言った詩乃の頭を撫でながら、
飛騨は優しく語りかける。
「話したいことが沢山ある。」
「はい。」
「謝らなきゃいけないこともある。」
「はい。」
「そうだ、今度あの景色を見にもう一度あの場所へ行こう。」
「・・・はい。」
「それから・・・それ・・・から・・・」
飛騨の瞳に涙が浮かぶ。
「ひぐ・・・詩乃ぉ・・・」
二人は抱き合いながら、暫くの間泣き続けた。
#####
飛騨は詩乃を城の裏手にある倉庫まで連れ出した。
「飛騨殿、ここに何があるというのですか?」
「ああ、ちょっとな。
凛、いるんだろ?」
飛騨が呼ぶと、凛がどこからともなく現れる。
「凛!参上!
やっと出てこれたよ。」
「!?」
急に出てきた凛に詩乃が驚く。
「詩乃、こいつは凛だ。
龍海が送ってきた忍びでな。
龍海との連絡と、織田の動向を探ってもらっている。」
「凛だよ!よろしくね!」
「ど・・・どうも。」
元気に挨拶をする凛に、詩乃は戸惑う。
「いやー、それにしても驚いたよ。
書状を届けようとしたら城は包囲されてるし、
二人は仲直りしたと思ったら口喧嘩始めるし、
それが終わったと思ったら抱き合って泣き出すし、もう何がなにやら。」
「み・・・見ていたのですか。」
「うん、流石に口喧嘩は長すぎて途中で寝ちゃったけど。 」
「そ・・・そんなことより書状というのは龍海からか?」
飛騨が顔を赤くしながら尋ねると、凛は書状を取り出す。
「うん、はいこれ。
それじゃあ私は帰るね!」
「あぁ、苦労。」
凛は一瞬で消えた。
飛騨は書状を読むと、微かに笑顔になる。
「どうかしたのですか?」
「龍海がこちらに向かって出立したらしい。
数日もすれば着くそうだ。」
「そうですか・・・それで?
これからどうするのですか?」
「やることは変わらん、龍興様を助け出す。」
「・・・どのようにするおつもりですか?」
「それはこれから考える。
とにかく今は、この城に篭るしかないだろうな。」
「・・・そうですね。」
飛騨は倉の外に出ると、夜空を見上げる。
(私は、龍興様も、詩乃も助け出す。
そして絶対お前に会いに行く・・・だから。)
「私は生きる・・・生きるんだ。」
飛騨は自らを鼓舞するように呟いた。
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とある宿、その男は届いた書状を読んで嬉しそうに微笑む。
「なんというか、飛騨らしいね。」
そんな男に、そばにいた少女が不思議そうに声をかける。
「龍海、何をそんなに楽しそうにしてるでやがるか?」
龍海は書状を少女に渡す。
少女はそれを読むと、険しい顔になる。
「これは・・・面倒なことになったでやがるな。」
「なるべく急いだ方がいいかもねぇ。」
「その割りには、心配してるようには見えないでやがるよ。」
「そんな事ねぇでやがるよ。」
「真似するなでやがるよ!」
「あはは、ごめんごめん。」
龍海は、飄々として言う。
「心配はしてるよ?
でも、それ以上に俺はあの子を信頼してるからね。」
「・・・そうでやがるか。」
少女は顔を俯かせる。
「羨ましいでやがるな(ボソ)」
「ん?夕霧、なんか言った?」
「な・・・なんでもないでやがる!
それよりどうするでやがるか?
どうやって皆を助けるつもりでやがる?」
「うーん。」
と、龍海は窓から外を見る。
「ま、何とかなるでしょ。」
そう言った龍海に、夕霧と呼ばれた少女は深くため息をついた。