数年前、甲斐。
甲斐の虎、武田信玄が収める国。
そこに建てられた屋敷で、
髭の生えた忍装束を着ている男と話していた。
一二三の視線の先には訓練中の忍達がいた。
「流石だね猿飛、いい育て方をしているよ。」
「恐悦至極に存じます。
猿飛一族が誇りし忍部隊、必ずや昌幸殿のお役に立ちますことでしょう。」
「あぁ、ありがたく使わせてもらおう。
・・・おや?」
一二三は一人の忍の少女に目をやった。
その少女はほかの忍に比べて随分と若く・・・というより子供にしか見えなかった。
「猿飛、あの子は・・・」
「ああ、あの娘は何を隠そうこの忍部隊の隊長にございます。」
「随分と若く見えるねぇ、歳はいくつだい?」
「拾ったのが二年前ですから・・・八つになりますな。」
「・・・猿飛。」
訝しげに自分を睨む一二三に、猿飛は笑って見せる。
「ご心配なされるな昌幸殿、あの者は我が一族の中で一番優秀・・・いや、化物、規格外と言った方がよろしいですかな。」
「あんな子供に人が殺せるのかい?」
「それは既に
「・・・そうかい。」
「こんな時代ですからな。
使えるものは使わなければなりませぬ。」
「・・・」
「凛、こっちへ来なさい。」
凛と呼ばれた少女はとてとてと猿飛の傍に駆け寄ってきた。
「なに?お父さん。」
「凛、こちらがおぬしらの主になる武藤昌幸殿だ、ご挨拶なさい。」
「うん!分かった!」
凛は一二三の方を見ると、
「凛は猿飛凛佐助!よろしくね!昌幸様!」
そう言って元気に挨拶をした。
あまりにも無邪気な笑顔に、一二三の頬が綻んだ。
「こ・・・これ!凛!無礼であろう!」
「いいんだよ猿飛、まだ子供なんだから。」
「しかし昌幸殿・・・。」
一二三はしゃがんで凛の頭にポンと手を置く。
「武藤一二三昌幸だ、呼ぶ時は一二三で構わない。
これからよろしくね、凛。」
「うん!よろしく!一二三様!」
これが、虎の目とも呼ばれる武藤昌幸と猿飛凛佐助の出会いであった。
#####
数日後、躑躅ヶ崎館。
その一室で一二三は親友である、
「それでそんな子供もらっちゃったんですか?
大丈夫ですか、一二三ちゃん。」
「私も最初は不安だったんだけどね。
使ってみるとなかなかどうして優秀でね。
それに面白い子なんだよ。」
「そ・・・そうなの?」
「せっかくだから湖衣も会ってみるかい?
今頃は粉雪と庭で遊んでる頃だろうからね。」
「う・・・うん。」
湖衣が一二三に連れられて付いていくと。
庭で二人の少女が一人は槍を持ち、一人は素手で睨み合っていた。
一人は凛、その対面で槍を構えているのは武田の将の1人
その側では粉雪と同じく将の一人、
「おりゃああああ!」
「とりゃああああ!」
ガンッ!
粉雪の槍と凛の拳がぶつかり会う。
武器と素手とかぶつかりあったとは思えない音が鳴り響いた。
「な・・・なにあれ!なんで拳が斬れないの!?」
慌てている湖衣に、一二三はクスクスと笑って言う。
「湖衣、凛をよく見てみるといい。」
「え?」
湖衣は言われた通りに凛に目を凝らす。
「・・・なにかで手足を覆ってる?
あれは・・・気?」
「ご名答。
猿飛一族の御家流、
一二三はよく出来ましたとばかりに説明を始める。
「気を手足に纏うことで鎧の代わりにしているのさ。
更にそれだけじゃない。
赤い気を纏わせれば岩をも砕く豪力を、
青い気を纏わせれば刀のような斬れ味を持った技を繰り出すことが出来る。」
「それだけの技をあんな子供が使えるなんて・・・。」
「ね?なかなか面白いだろ?
しかも粉雪と互角に渡り合ってるんだから。」
「で・・・でも粉雪も結構手加減してるんじゃ・・・。」
「凛は子供だから加減を知らなくてね。
手を抜くと怪我じゃすまないんだよ。
だから粉雪も割と本気だと思うよ?」
一二三の言葉に湖衣が呆然とする。
「いったぁ!」
声をした方を向くと、粉雪が尻餅をついていた。
「くそぉ!負けちまったんだぜぇ!」
「やったー!勝てたー!」
悔しがる粉雪の前で凛は両手を上げて無邪気に喜ぶ。
「凛。」
「あ!一二三様!」
凛は呼ばれると、一二三に駆け寄り腰に抱きついた。
「粉雪に遊んでもらっていたのかい?」
「うん!あのねあのね!粉雪様結構強かったけど!凛勝てたよ!」
「そう、良かったね。」
「うん!」
無邪気に微笑む凛の頭を一二三が優しく撫でる。
「どうだい粉雪、うちの忍はなかなか強いだろう?」
「ちっちゃいくせになかなかやるんだぜ!」
「凛!もう1回兎々と戦うのら!
こんろは絶対に勝つのら!」
「えー、兎々様弱すぎてつまんないからヤダー。」
「なんらと!」
兎々が詰め寄ると、凛は一二三の後ろに隠れる。
「一二三様ぁ、あのちっこいのめんどくさいー!」
「ちっこいやつに言われなく無いのらー!
それに
「だって凛子供だもーん、にっげろー!」
「待つのらー!」
目の前で始まった兎々と凛の追いかけっこを、見ながら一二三は湖衣に語る。
「不思議だろう?」
「え?」
「普通は無礼討ちされてもおかしくないはずなのに、誰もそうしようとはしない。」
「・・・あ。」
「まだ子供というのもあるかもしれないけど、きっとアレはあの子の才能だと私は思うんだよ。」
「才能?」
「ああ、人に好かれる才能。
あの子にはそれがあると私は思えて仕方ないのさ。」
一二三がそう語っていると、体力が尽きてバテた兎々を背に、凛が満足そうな顔で帰ってきた。
「ふぅー、遊んだ遊んだぁ。
ん?一二三様、隣の人は誰?」
「ああ、彼女は私の友人。
山本勘助湖衣晴幸だよ。」
「へぇ、そうなんだぁ。」
凛が手を挙げて挨拶をする。
「私!猿飛凛佐助!よろしくね!湖衣様!」
通称で呼ばれたのにも関わらず、不思議と嫌な気分にならなかった湖衣は、不思議に思いながらも微笑み、凛の頭を撫でた。
「うん、よろしくね、凛ちゃん。」
凛は気持ちよさそうに目を細める。
「おや、どうやら懐かれたようだよ湖衣。」
「懐かれたって・・・犬や猫じゃないんだから。」
「まぁ、犬のようなものだけどね。」
「一二三様ひっどーい!」
凛が抗議の声を上げると、一二三は笑い、それに釣られて湖衣と凛も笑い出した。
#####
それは、小さな戦だった。
その最中、凛が単身で敵の群れに突撃したと聞き、一二三は湖衣と共に、現場に向かっていた。
「まったく、前線で大暴れする忍なんて聞いたことがないよ。」
「い・・・急がないと凛ちゃんが危ないですよ!」
「もしもなにかあっても、自業自得だよ。」
「・・・と、言いつつ結構焦ってるように見えますよ一二三ちゃん。」
「・・・」
湖衣の言葉に返事を返さず、一二三は走り続け、そして。
「な!?」
「・・・え?」
到着した場所で一二三は思わず驚愕した。
そこには、無数の死体の山があった。
首が折れているもの、体を刃のようなもので切り裂かれているもの、腹が貫かれているもの。
どれも無残なものだった。
そして、その中心に少女は立っていた。
その手足は血に染まっていた。
「り・・・ん?」
名前が呼ばれると凛は、返り血のべっとり付いた顔をこちらに向ける。
「あ!一二三様!湖衣様!」
凛がとてとてと寄ってきた。
「あのね!あのね!凛いっぱい殺したよ!
褒めて褒めて!」
いつも通りの無邪気な笑顔でそういう凛に、
一二三は薄ら寒いものを感じた。
「・・・どうしてだ?」
一二三の漏らした言葉に凛は不思議そうに首を傾げる。
「なぜ君のような子供が簡単に人を殺せる?」
「・・・だって、お母さんの為だもん。」
「母親の?」
「うん!」
凜は元気いっぱいに頷いく。
「あのねあのね!凛のお母さんはね!悪いことしたから殺されたの!
でもね!凛がいっぱい敵を殺せば、仏様がお母さんを許してくれて蘇らせてくれるってお父さんが言ってたの!
だから凛はいっぱいいーっぱい、敵を殺さなきゃいけないの!」
無邪気な笑顔でそう言った凛。
「何を・・・言ってるんだ?」
一二三は凛の肩を掴んで怒鳴りつける。
「死んだ者が生き返るわけないだろ!」
「で・・・でもお父さんが・・・。」
「そんなもの出鱈目だ!
君を騙し、戦わせるために作り上げた嘘だ!
人の命は1度きりだ、私達は殺した者達の屍を背負っていかなくてはならないんだ!
だから凛・・・こんなふうに人を殺すのはやめろ。」
「全部・・・嘘?」
凛が一二三の側から離れると後ろに後ずさる。
「嘘・・・全部・・・嘘・・・。」
その時、凛の頭に浮かんだのは忘れもしないあの日の記憶、血の海に沈む、母親の姿。
「ああ・・・ああ・・・。」
頭の中に父の言葉が蘇る。
『殺せ・・・敵を殺すのだ凛。
さすれば全ての業は許され、お前の母は蘇る。』
凛の両目から、涙が溢れ出す。
「り・・・ん?」
「凛ちゃん、どうしたの?」
凛は一二三達の方へ目をやる。
『ねぇねぇ一二三様!凛頑張ったよ!
撫でて撫でて!』
『ふふふ、凛は甘えん坊だね。』
凛は頭を抱える
「ああ・・・あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
突然叫びだした凛に一二三と湖衣が近寄る。
「凛!どうしたんだ!」
「ああ・・・ああ・・・。」
「凛ちゃん!凛ちゃん!」
凛は虚ろな瞳を一二三に向けると、
「おかあ・・・さん。」
そう言って糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
一二三が凛の体を支える。
何が何だかわからないと言った様子で、湖衣と目を合わせる。
「・・・とりあえず、凛ちゃんを連れて帰りましょう。」
「・・・そうだね。」
#####
躑躅ヶ崎館。
「凛ちゃん、大丈夫でしょうか。」
湖衣が心配そうに声を漏らす。
「心がそばで見てるから心配いらないよ、
きっとすぐにでも目を覚ますさ。」
「・・・うん。」
心配する湖衣を一二三が慰めていると。
「一二三!」
粉雪が焦った様子で部屋に入ってきた。
「どうしたんだい、粉雪。」
「凛が・・・凛が大変なんだぜ!」
「なにがあったんだい?」
「えーっと・・・とにかく来て欲しいんだぜ!」
そう言って駆けていった粉雪を、一二三と湖衣が追う。
そして、凛が看病されている部屋に入ると
「いやあああああああ!!」
凛の悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「お母さん!どこにいったの!?お母さんに会わせて!!」
「凛ちゃん!落ち着いて!」
先程まで凛の看病をしていた少女、
「いい加減おとなしするのら!へぶっ!?」
兎々が取り押さえようとするが、暴れる凛の裏拳が額を直撃し、兎々は額を抑え畳の上を転がりながら悶絶する。
「なに・・・これ。」
「目が覚めてからずっとこうなんだぜ。
一体何があったんだぜ?」
「・・・」
三人が唖然としていると、凛がこちらを向き、一二三と目が合う。
するとどうした訳か、凛は笑顔になった。
「お母さん!」
凛は一二三に駆け寄ると、腰に思い切り抱きついた。
「な!?」
「え!?」
「は!?」
抱きつかれた一二三、そして、そばにいた湖衣と粉雪は間抜けな声を上げる。
「おかあさん・・・おかあさ・・・うう・・・うわぁぁぁぁん!」
何がなんだかわからない一二三は、自分に泣きつく凛の頭を撫でることしか出来なかった。
#####
「暗示、で御座います。」
「暗示?」
翌日、呼び出された猿飛は一二三と湖衣の質問にそう答えた。
「凛はまだ子供、人を殺すことなど普通なら到底無理というもの。
しかし子供というのは疑うことをあまり知りませぬ。」
「だから嘘を教え、その嘘を植え付け殺しに躊躇がなくなるように仕立てあげたという訳か。」
「左様でございます。
凛は自分が敵を殺せば母親が蘇るものだと心の底から信じていた。
それが嘘だと分かり、心が耐えられなくなったのでしょうな。」
猿飛の言葉に湖衣が激昂する。
「何を他人事のように・・・、
元はと言えば貴方達がそんなことをしなければあの子は苦しまなくてすんだんでしょ!?」
「人を殺せぬ草など笑い話にもなりませぬ。
我々は忍、武士のご立派な矜持とは無縁のもの。
例え外道に落ちようと、使えるものは使う。
それが猿飛でございます。」
「この!」
掴みかかりそうな湖衣を一二三が手で制す。
「一二三ちゃん?」
「・・・猿飛、一つ聞いておきたい。」
「何でございましょうか。」
「君は凛を二年前に拾ったと言っていたが、
本当は君の実の娘ではないか?」
「・・・なぜ、そう思ったのですか?」
「あの子の御家流だ。
あのような芸当は鍛錬で身につくものではない。
血の繋がりがなければ不可能な代物だ。」
「・・・さすが、虎の目と呼ばれるだけはありますな。
ですが拾ったというのは真でございまする。
凛の母、つまり拙者の妻は八年前凛を連れて逃げ出しましてな。
それを始末しに行った先で凛を拾ったでございます。」
「・・・殺したんですか、あなたの奥さんだったんじゃないんですか?」
驚愕する湖衣に、猿飛は淡々と答える。
「裏切りは死、それが忍の掟でございます。」
その場をしばらく沈黙が支配したが、やがて猿飛が口を開く。
「凛はもはや使い物にならない様子、
こちらで回収し、代わりの者をよこしましょう。」
「凛はこれからどうなる?」
「・・・猿飛の血は絶やすわけには行きませぬからなぁ。」
猿飛はやはり他人事のように告げた。
「
#####
「本気なの!?一二三ちゃん!
本当に凛ちゃんをあんな外道に返すの!?」
通路を歩きながら、湖衣が一二三に聞く。
「しょうがないだろう?私たちにはどうにも出来ないよ。」
「でも・・・」
湖衣が言葉を続けようとすると。
「一二三!」
廊下の向こうで、鬼の形相を浮かべた粉雪が怒鳴った。
後ろには心の姿も見える。
粉雪は一二三に近寄って睨みつける。
「凛を猿飛に返すってのはほんとうなんだぜ?」
「・・・本当だ。」
「ざっけんな!」
粉雪は一二三の胸ぐらをつかむ。
「こなちゃん!」
「止めんなココ!」
粉雪は一二三を睨みつける。
「なんで今のアイツがお前を母親と間違えてると思う!?
アタシやココや湖衣でもなく、なんでお前なのかを良く考えるんだぜ!」
「・・・」
無言で自分を見つめる一二三に、粉雪が続ける。
「お前を一番信頼してるからだろうが!
だからアイツを助けられるのはお前しかいないんだぜ!
そのお前がなんであいつを見捨てるような真似するんだぜ!?」
そう言った粉雪に。
「・・・たかが忍1人に、少々感情的になりすぎてはいないかい?粉雪。」
一二三は呆れたようにそう言った。
「・・・なんだと?」
「確かに凛は優秀な忍だった。
日の本中を探してもあれだけの逸材はいないだろう。
それでも私からすれば沢山いる忍の1人だ。
使えない忍をこれ以上ここに置いておく理由はない。」
一二三は粉雪の手を払う。
「君こそよく考えればどうだい。
私達は誰のための将だ?
誰に忠誠を誓った?
たかが忍1人に構っている暇があるのか?」
淡々とそう告げた一二三に、粉雪は未だ瞳に怒りを滲ませる。
「・・・それがお前の答えなんだぜ?」
「たかが忍とたった1人の主、秤にかけるまでもない。
人が鬼になるのが今の世なら、私は喜んで鬼になろう。」
「・・・見損なったんだぜ!」
粉雪はそう言って一二三の横を通り過ぎて言った。
その後をココも急いで追いかける。
「・・・一二三ちゃん。」
友人が強く握った拳に血が滲んでいるのを、
湖衣は見逃さなかった。
#####
翌日
一二三は何かを振り払うように執務に励んでいた。
『凛は本当に甘えん坊だね。』
『うん!凛ね!一二三様大好き!
優しい人の匂いがするもん!』
『ふふふ、そうかい。』
一瞬よぎった情景を頭を振って振り払う。
そんな一二三に。
「一二三、いる?」
引き戸の向こうから声がかかった。
その声の主に、一二三は驚きを隠せなかった。
「お、お館様!?」
「・・・入ってもいい?」
「あ、はい、少々お待ちを。」
一二三は戸まで歩いて行くと、跪いてゆっくりと戸を引いた。
そこに居たのは武田軍総大将、
その人であった。
光璃は部屋の中に入ると、一二三の正面に座る。
「凛の話、聞いた。」
「・・・お館様にもご迷惑をおかけして、申し訳ごいません。」
「見送りに行かなくてもいいの?
今日、連れていかれるんでしょ?」
「私がそばに居ると愚図りますから、これでいいんですよ。」
「・・・一二三。」
光璃は、一二三の目をまっすぐ見て言った。
「一二三が私のために頑張ってくれてるのは知ってる。
だから・・・たまにはわがままになってもいいよ。」
「・・・」
「話したかったのはそれだけ、じゃあね。」
光璃はそれだけ言うと、部屋から出ていった。
「わがままに・・・か。」
一二三は、一言つぶやくと、己を嘲るように微笑む。
(どうやら、鬼にはなれそうにもないな。)
#####
湖衣と粉雪と心は凛を連れて門の前で猿飛の到着を待っていた。
「湖衣、一二三は?」
粉雪の問いかけに湖衣首を横に振る。
「・・・見送りにもこないんだぜ。」
「こなちゃん・・・」
心配する心に、粉雪は悔しそうに言う。
「分かってるんだぜ、アイツが言ってたことは全部正しいってことくらい・・・。
でも・・・それでも割り切れないんだぜ。」
粉雪は、自分と手を繋いでいる凛を見下ろす。
「なんで・・・何でこいつがこんなに苦しまなきゃいけないんだぜ。
まだ・・・小さい子供なんだぜ?
なのに・・・なんで・・・。」
堪らず粉雪が涙を流すと凛が服の裾を引っ張る。
「どうしたの?粉雪お姉ちゃん。
なんで泣いてるの?どこか痛いの?」
「・・・凛。」
粉雪はしゃがんで凛を抱きしめる。
「ごめん・・・ごめんな凛・・・守れなくて・・・ごめん。」
それを見て湖衣と心も瞳に悔しさを滲ませる。
「お待たせいたしました。」
猿飛が現れ、湖衣達に近寄っていく。
粉雪が凛から離れると、猿飛が凛の手を掴み乱暴に自分の元に引き寄せる。
「それではこれにて。」
そう言って猿飛は凛の手を引いて行こうとするが。
「いや・・・いやあああああああ!!」
凛が必死の抵抗を始める。
「ええい!大人しくせんか!」
「嫌ぁぁ!お母さん!お母さん!」
「この!」
バシン!
暴れる凛の頬を、猿飛が強く叩く。
「この野郎!」
粉雪が掴みかかろうとするのを湖衣と心が二人で引き止める。
凛はしゃがみこんで叩かれた頬を抑え、小さく震えていた。
「ほら、行くぞ。」
猿飛が再び凛の手を引いていくが、
先程より凛の抵抗が小さくなっている。
「いや・・・お母さん・・・助けて・・・。」
その様子を粉雪達3人は、悔しそうに見つめていた。
と、その時
「りぃぃぃぃぃぃん!」
突如聞こえた叫び声に、その場にいた全員が振り返った。
「お母さん・・・。」
そこには、必死の顔を浮かべ息を切らしている一二三がいた。
一二三は、猿飛に歩み寄りながら言う。
「猿飛、やはり凛は私が預かろう。」
「昌幸様・・・ですが。」
何かを言おうとする猿飛の腕を粉雪が掴み、
睨みつける。
「凛はウチで面倒見るって言ってんだぜ。
さっさとその手を離すんだぜ。」
粉雪の剣幕に、猿飛は言われた通りに凜を離す。
離された凛は、ゆっくりと一二三の方へ歩いて行く。
やがて速度が上がり、最後はしゃがんで両腕を広げている一二三に勢いよく抱きついた。
「お母さん!お母さん!」
一二三は凛の頭を優しく撫でる
「大丈夫だよ、凛。
私はここに居る。
もうどこにも行ったりしないから」
「う・・・ひぐっ・・・えぐっ・・・。」
一二三の腕の中で凛は、しばらくの間泣き続けた。
#####
凛を寝かしつけ室内に入ってきた一二三を、
粉雪、心、湖衣の三人が出迎える。
「いやぁ、やっと寝てくれたよ。
子供の世話というのも大変だねぇ。」
そう言った一二三の顔を、湖衣はニコニコと微笑みながら見ていた。
「な・・・なんだい?その顔は。
言っておくけど、別に情に流されたわけじゃないよ?
凛ほどの忍を手放すのが惜しくなっただけで・・・」
「うんうん。
わかってるわかってる。」
「・・・なんだかすごく腹立たしいんだけど。」
一方粉雪は腕を組んで自慢げに言う。
「アタシは一二三はなんだかんだ言ってこういう奴だって知ってたんだぜ!」
「こなちゃん、調子良すぎ。」
隣にいるココが苦笑いを浮かべる。
「それで一二三ちゃん、これからどうするんですか??
このまま凛ちゃんを娘として育てるつもりですか?」
「・・・策はある。
だが、成功すると確約はできない。」
「どういうことなんだぜ?」
「やること自体は至極簡単だ。
だがその結果、あの子は元に戻るかもしれないし、さらに壊れるかもしれない。」
「壊れるって・・・今よりですか?」
「そうだ。」
声を震わせながら聞いた湖衣に一二三は淡々と答えた。
「だがそれは、このまま放っておいても同じことさ。
それなら私は、例え失敗する確率があるとしても、この可能性に賭けてみたい。」
一二三は三人の目を見て告げる。
「大博打の始まりだ。」
#####
数日後。
一二三と湖衣は凛を連れてとある街に来ていた。
「わー!すっごーい!大きい!」
凛は街の中を駆け回る。
「こら凛、あんまり離れると迷子になるよ?」
「大丈夫だもん!」
「・・・まったくもう。」
「フフフ。」
「ん?なんだい湖衣、何がおかしいんだい?」
「一二三ちゃんもすっかりお母さんだね。」
「な!?そ・・・そんなつもりはない!」
湖衣の指摘を一二三は顔を赤くして否定する。
「うわぁぁぁぁん!お母さぁぁぁん!何処ぉ!?」
「あぁもう、言わんこっちゃない。」
口では否定しつつも、凛に駆け寄っていく一二三の姿を、湖衣は微笑んで眺めていた。
#####
一二三と湖衣は凛を連れて街の一角にある家にやってきた。
「一二三ちゃん、ここが?」
「あぁ、凛とその母親が住んでいた場所だ。」
「ここに来れば、凛ちゃんがお母さんのことを思い出して、元に戻るの?」
「さぁ、それはわからない。
でも、やらないよりはマシだ。」
そう言って一二三は凛を連れて家の中に入る。
中は完全に廃れていて、とても埃っぽかった。
そして畳の上にはべっとりと血の跡が残っていた。
「2年間、気味悪がって誰も近づかず、手付かずの状態だったみたいだね。
死体を回収されてるだけましか。」
一二三と湖衣が部屋の中を眺めていると、
凛が二人から離れて家の奥に歩いていく。
「凛ちゃん?」
一二三は追おうとする湖衣を手で制す。
凛は畳の上に転がっていた鞠を拾い上げる。
『凛!ほうら、鞠買ってきてあげたよ!』
『わーい!ありがとうお母さん。』
『よし、じゃあ早速お母さんと一緒に遊ぼうか!』
『うん!』
凛の頭の中に、母親との思い出が流れる。
『ねぇ、凛。』
『なに?お母さん。』
『この先、色々辛いことが凛を待ってる。
だけど・・・凛はずっと笑っていてね?
凛の笑顔は、人を幸せにするんだから。』
『うん!分かった!』
『・・・大好きだよ、凛。』
凛の両目から、涙が流れ出した。
「お母さん・・・おかあ・・・さん・・・ひぐっ・・・えぐっ・・・。」
鞠を胸に抱き泣き崩れる凛を、湖衣は後ろから優しく抱きしめた。
#####
甲斐、真田屋敷。
「そうですか、凛は正気に戻りましたか。」
「ああ、情報の提供感謝するよ、猿飛。」
帰ってきた一二三は屋敷の一室で猿飛と話していた。
「そのお礼と言ってはなんだが、受け取ってくれないか。」
一二三はそう言うと大きな包を取り出した。
「なんですかな?これは。」
一二三が包の結び目を解くと。
「な!?」
そこには、男の生首があった。
「この顔に見覚えがないとは言わせないよ?猿飛。
君はこの男と組んで私の暗殺を図ったそうじゃないか。
こいつが話してくれたよ。」
一二三は生首の頭をポンポンと叩きながら言う。
「目的は・・・私との縁を断ち切ってもっと稼ぎのいい所に雇われるつもりだったのかな? 」
「ぐっ!」
一二三はにやりと笑う。
「君は言ったね。
裏切りは死、それが忍の掟
なら言葉どおり命で償ってもらおうじゃないか。」
一二三がそう言うと、猿飛の背後の襖が勢いよく開く。
そこには、怒りを顔に滲ませた凛がいた。
「り・・・凛!」
猿飛は刀を構える。
「どうしたの?なんで御家流を使わないの?」
「な!?」
「使えるわけないよね、貴方は猿飛の血を引いてないんだから。」
凛は猿飛に近寄りながら語る。
「猿飛家に婿入りしたお前は、当時頭首だった凛のおじいちゃんを暗殺しその罪をお母さんに着せた。
だからお母さんは凛を連れて里を抜け出した。
その後お前は立場を利用して頭首の座に居座り、
六年後、逃走したお母さんと凛を発見したお前はお母さんを殺し、凛を里へと連れ帰り文書に書いている通りに凛に御家流を教え、人殺しの道具として育て上げた。」
凛の腕を赤い気が、足を青い気が覆う。
「暗示を簡単に解けるように掛けたのは、
いつか自分から真実を告げ、凛が壊れたところでそれを口実に始末して猿飛を完全に乗っ取るつもりだったんでしょ?
全部調べたよ。」
猿飛が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「馬鹿な!口止めをしたはずだぞ!」
「どうやら部下にあまり慕われていないらしいね猿飛。
安心しなよ、君の後は凛がしっかりやってくれるさ。
新たな猿飛一族の長として・・・ね。」
「くそ!」
猿飛が凛を睨む。
「ちなみに逃げようとしても無駄だよ、
凛の部下たちがとっくに包囲してるから。」
「ま・・・待て凛!お前は実の父親を殺すのか!?」
凛は普段とは違う冷たい瞳で猿飛を見つめる。
「凛には・・・お母さんがいた。
それに今は、一二三様や湖衣様、大好きなみんながいる。」
「待て・・・待ってくれ・・・」
「だからお前は・・・いらない。」
断末魔が、屋敷中に響いた。
#####
「いっくよー!兎々様!
そぉれ!」
庭で粉雪や兎々と蹴鞠をしている凛を見て、湖衣はつぶやく。
「もうすっかり元通りですね、一二三ちゃん。」
「一時はどうなることかと思ったけどね。」
「でも本当によかったんですか?
あのまま娘にしちゃえばよかったのに。」
「・・・まぁ、たしかに悪くなかったよ。
私に娘がいればこんな感じかなぁとも思ったし・・・でも。」
一二三はもう1度凛達を見る。
「もう兎々様ぁ、ちゃんと返してきてよ。」
「凛が強く蹴りすぎなのらぁ!」
「そもそも鞠を空中で蹴るやつなんて初めて見たんだぜ・・・。」
楽しく会話する3人を見て、一二三は湖衣に言う。
「あの子の母親になるのは、私には荷が重そうだ。」
「・・・そうですか。」
「でもあの子には母親が必要だと思う。
しかしそれは、あの子の全てを当然の様に受け入れられる人間じゃないと無理だよ。」
「それって、ほぼキ印じゃあ・・・。」
「日本は広いんだ、探せばそういう奴もいるかもしれないじゃないか。」
そう言うと一二三はクスクスと笑った。
#####
現在。
白狼隊長屋。
庭で凛は子供達と蹴鞠で遊んでいた。
「いやぁ、みんなまだまだだねぇ。」
「もう!凛姉ちゃん手加減してよぉ!」
「ふふん、私は子供とて容赦せん!
いてっ!」
急に後頭部をチョップされ振り返ると、手刀を構えている白がいた。
「何大人気ないこと大声で叫んでんの。」
「だって凛子供だもん。」
「白様ぁ!」
子供達が白に駆け寄ってきた。
「皆、何して遊んでたの?」
「あのね!凛姉ちゃんに蹴鞠教えて貰ってたの。」
「ああ、楽しいよね蹴鞠。
敵の群れを吹っ飛ばした時なんか特に。」
「あれ?おかしいなぁ、凛の知ってる蹴鞠と違う。」
凛が首を傾げていると、白がその頭を優しく撫でる。
「ねぇ、凛。
私も混ざっていい?」
そう聞いた白に
「・・・うん!遊ぼう!白様!」
凛は満面の笑みで答えた。