4月に殺せんせーがやってきたように、5月1日の今日から新しい先生がやってきた。
「イリーナ・イェラビッチと申します。皆さんよろしく!!」
まつげがバッサバサでとっても美人。今までに見たことがないくらい魅力的な雰囲気を放ってる人だ。名前からしてロシアとかの出身の人だろうか。どう見てもE以上は確実にあるダイナマイトボディである。うーん、FとかGくらいなのかな。
『スリーサイズはB97 W60 H91 ダナ。Hカップだ。マ、雇われノ殺し屋でハニートラップが得意だソウダ』
「え、Hカップ……」
なかなかお目にかかれないレベルの巨乳。マキナの分析が正しいのなら殺せんせーのストライクゾーンど真ん中のはず、と思って見れば案の定だった。
殺せんせーは今までにないデレデレ顔をしている。教職者としてアレだ。殺せんせーじゃけりゃ懲戒免職を喰らわせられるに違いない。そういえば殺せんせーってうちの学校から給料が出てるのかな。まあ流石に国がお金を出すのも違うしきっとそうだよね。となると理事長はもっと色々と国から説明されているんだろうか。うーん、そこらの暗殺者より理事長のほうが強そうだから参加してみれば面白そうなのに。
それにしても、ハニトラ専門かぁ。ハニトラ専門……なのに各国の要人に観察されてるであろうこの暗殺に参加していいのかな。あれか、これが仕事納め的な? 賞金百億だしね。それか、変装してて手口もいつも違うからバレても問題ないってこととか。
まあごく一般人の私が暗殺者の心配なんてするものではないし。闇の世界にも色々とあるんだろうな。
「へいパス!」
「へい暗殺!」
烏間先生が暗殺バドミントンを教えてくれたように、殺せんせーも暗殺対象のくせに何かと私達を鍛えてくれる。まあいつもの事だけど。曰くサッカーをしていたとき、殺せんせーが仲間に入れてほしそうだったので条件付きで入れることにしたらしい。条件とはもちろん暗殺だ。私達ひとりひとりがボールを持ち、銃やナイフを持つ。生徒の暗殺を交えたパスで殺せんせーがボールを取れなくなったときは、前にせんせーがチューリップ駄目にしたときみたいにハンディキャップ暗殺大会を開催する約束らしい。
休み時間にいつもやってるおかげで運動があまり得意でない私もサッカーやバトミントンに慣れてきて少しは球技も上手くなってきた。まあみんな上手くなってるから総合的には変わらないんだけどね。
「殺せんせー!」
いつもどおりの休み時間、暗殺サッカーも終わりに近づいたとき、イェラビッチ先生の甘い声が響いた。次の英語はイェラビッチ先生の受け持つ授業になったから、私達と殺せんせーの様子でも見に来たのだろう。
「お願いがあるの。一度本場のベトナムコーヒーを飲んでみたくて……私が英語を教えている間に買って来て下さらない?」
「お安いご用です。ベトナムに良い店を知っていますから」
……ベトナムコーヒー? ウィンナーコーヒーとかアメリカンとかは聞いたことあるけど、ベトナムのは聞いたことないな。そもそも私がコーヒー飲めないから詳しくないせいもあるだろうけど。
にしても、ベトナムかあ。中国の右下あたりだよね。殺せんせーにしては近場、と思う私は感覚が麻痺しちゃってるな。
「マキナ、ベトナムコーヒーって何?」
『簡単ニ言やァにっがいコーヒーダ。苦イの無理なオ子様舌のオマエにハ無理ダな』
「悪かったな、コーヒーもまだ飲めないお・子・様・で!」
まったくマキナはいつも一言多い。
みんなよくあんな苦いの飲めるよね……匂いはとっても素敵なのに、舐めただけで口が苦くなる。殺せんせーは大のお菓子好きで、給料日前に私達に買わせたのパクったり今日もいっぱい買ってきてたのに……よくコーヒーのお店とか知ってるな。美味しいお菓子も一緒に売ってたりするとかなのか。
あまあまな殺せんせーのことはともかくとして、オトナなイェラビッチ先生は私達の前で態度を豹変させた。こっちが本性ということなのだろう。さっきまで可愛らしかったけど、今はタバコを口にくわえてクールでハードボイルドな感じだ。
「授業?
……ああ、各自適当に自習でもしてなさい」
『そんなン授業じゃナイだロ』
まったくその通りだ。私はマキナに聞けば殺せんせーと遜色ない授業をしてもらえるとしても、他のみんなはそうはいかない。本校舎の人々と違って椚ヶ丘高校にいけない中3の私達は受験戦争に立ち向かわなくてはいけないのだから授業は重要だ。
しかも自習中に殺し屋が暗殺の準備をしてるともなれば、いろんな意味でとても集中できたもんじゃない。
「それとファーストネームで気安く呼ぶのやめてくれる? あのタコの前以外では先生を演じるつもりも無いし、『イェラビッチお姉様』と呼びなさい」
「お、お姉様……!?」
なんて素晴らしい響きなんだろう。私一人っ子だからそういう呼び方憧れてたんだよね。そんな仲のいい上級生もいなかったし。いや、いたとしてもお姉様なんて呼べたかどうかは怪しいけど。
『何喜ンでンのオマエ? バカにされてんダぞ』
「美しいからいいの! 美しさは正義!」
『ソコは美しさハ罪だロ……』
うるさいなあ。
イェラビッチお姉様はタバコを吸うところも美しかった。副流煙嫌だけど、お姉様のためならたまには我慢出来る……でもできれば喫煙所作ってもらってそこで吸って欲しい。
そしてタバコ、ツッコミで落ちた。あとで拾っとこう。タバコのポイ捨て、ダメ。でもお姉様の顔写真付きで売れば高値で売れそうだな。いや、やらないけどさ。
殺し屋オーラを漂わせているお姉様にビッチねえさんとあだ名をつけて煽った赤羽君もなかなかだが、渚君への濃厚すぎるディープキスからしてビッチの否定の必要はなさそうだ。ビッチお姉様って呼ぶべきかしら?
「にしてもあれ、ファーストキスだよねきっと」
『ファーストキスがタバコ吸ったアトの百戦錬磨のオネーサマってノ、中々ネェだろーな』
「ファーストキスはレモンの味ならぬ、タバコの味……」
渚君のこれからが心配である。おっぱいでパフパフされてたし、1人教員室に呼び出されたし。性癖歪んだりしないかな。純真なままの渚君でいてほしい。
「その他も!! 有力な情報持ってる子は話しに来なさい! 良い事してあげるわよ。女子にはオトコだって貸してあげるし」
良い事……だと!? ムフフでうふふでアハンなことまでしてくださるとでもおっしゃるのだろうか。え、理性がグラグラ揺れちゃう。
でもなー、クラスで殺せんせーの情報たぶん1番持ってるの渚君だしなー。新情報なんて話せないよ。次点で……次点、誰だろ。いないのでは。あれ、もしかしてうちのクラス、情報収集能力がだいぶ低めでは?
うーん、マキナは絶対いっぱい色々知ってるけど、教えてくんないしな。私に意地悪だから。教えてくれたら喜んでその情報をお姉様に横流しするのに……!
『イヤ、食いツクなヨ。見ロ、周リの男子ですら冷や汗かいテンぞ』
ほんとだ。みんなどちらかというと恐怖や嫌悪感のが強いっぽく見える。E組のほぼ全女子を口説いたプレイボーイな前原君や、いつも落ち着いてる上に見た目がギャルゲーの主人公っぽい千葉君ですらだ。
特に茅野さんは敵愾心が燃えているのが伝わってくるし、ゆきちゃんもあんま気分がよくなさそう。飄々としてるのは赤羽君くらいだ。彼が煽ったせいでお姉様の態度が余計にキツいような気もするけど。少しは反省しろください。君の隣の席の私への被害、そこそこあるのよ? でも復学初日より多少は大人しくなったっぽいとはいえ怖くて本人には言えないのよね……。
そんな赤羽君が睨みつけている方を見ると、怪しい3人組の男が荷物いっぱいで歩いてきていた。その足並みは進軍と言ってもいいくらい、揃っている。でもたぶん雰囲気からして防衛省ではないだろう。と、なれば当然、お姉様のお仲間なのか。ビジュアル的に微妙なのだけど。なんかこう、できればルパン三世一味みたいな感じでいて欲しかった。人数も男女比も同じなんだけど全然違う。まあそもそも殺し屋だもんね。
「あと……少しでも私の暗殺の邪魔をしたら」
やってきたおつきの男のうちの一人から、お姉様にデリンジャーが渡される。まるで映画のワンシーンのような光景だ。その手つきは、目つきは、たたずまいは、明らかに慣れている者のそれだった。さっきはルパン一味と比べたけど、そんな陽気なもんじゃない。
「殺すわよ」
彼女の言葉は、紛れもなく本物だった。必要とあらば誰をも殺すことができるのだろう。脅しと理解していても、どうにも抑えきれない恐怖心で身体がすくむ。
けど、そんなお姉様たちの様子にどこか引っ掛かりを感じたのも事実だった。
「すごかったね、イェラビッチ先生」
「うん。激マブだけど激ヤバだったよ」
「激マブって……」
いつものように2人での帰り道。くすくすと笑うゆきちゃんはいつもながら可憐だ。イェラビッチお姉様が西洋人形のような美人なら、ゆきちゃんは日本人形のような美人さんだ。
でも西洋人形も日本人形も実物を見ると動き出しそうでなんか怖いのに人に対して使うと褒め言葉になるのはなんでなんだろう。不思議な感覚。
『マブい……容貌ガ美シイさまヲ意味すル語。主ニ美しイ女性を指シテ用いラレる。語源ハ形容動詞「まぶ」が転じタものトサれ、江戸ノ洒落本ニハ既に使用例ガ見ラれル』
「解説どーも」
まじか。ヤンキーが使う言葉とばかり思ってたのに意外と古い奥ゆかしい言葉だった件について。古典は得意なのに知らなかったのがちょっとくやしい。
ゆきちゃんにもこの知識を伝え、いや、いきなり何言ってんだって感じになったらいやだからやめとこう。ゆきちゃんはそんなこと思わないだろうけど。うーん、でもいつも天使なゆきちゃんはもちろん大好きだけど、ちょっぴりイジワルな黒ゆきちゃんもいいかも。ゲームする時のゆきちゃんとか。
天使といえば……
「渚君、無事でほんとよかったね」
「ね。あの後だから少し怖かったわ」
お姉様の英語ははじめの宣言通り自習だった。あんな風に言われたあとじゃ文句を言うのもあれで、とりあえずみんな自習してたんだけど、渚君だけは教員室に行っててお姉様に色々と情報を聞き出されたらしい。
帰ってきた時に思わずキスマークを探してしまったのは内緒だ。うーん、穢れ切ってるな私。渚君は無事でした。唇はちゃんとノートを盾にして懸命にガード、セカンドキスは死守したそーな。えらい、かしこいっ。
「今のとこ渚君へのキス以外は直接私達生徒に何かしたわけじゃないんだけどね。男の人達もいかつかったし、明日も続くと思うとちょっっと気が滅入るなー」
「キスって一大事だと思うけど。咲耶ちゃんはキス、したことあるの?」
「家族以外とはナッシングだよ。家族はノーカンだからファーストキスはまだだね」
『なんでファーストキスだけソンな神聖視するんだかわッかんネーナ』
なんか、こう、気持ち。うん、気持ちなんか大切なのよ。私からしたらお前が世界一の人工知能を名乗るのにこだわるのもいまいち理解しかねるからね。
ゆきちゃんのファーストキスなんてもう国宝級に大切だよね。マキナにはなんでわかんないのかなー、この気持ち。
「私もよ」
ふふっと微笑むゆきちゃんは女神の化身。マブい。マブすぎる。
絶対に守らねば。余計なお世話かもだけど、せめてゆきちゃんに恋人ができるまでは。いやだって少女漫画とかだとヒロインの唇って秒で奪われるし。あれイケメンじゃないとただの事案よな。実際あったらイケメンでも私なら訴えたい所存。まあお姉様レベルの美形だと文句も言えないのは渚君のことで体験済みなのだけれど。
あれ、まさかこのままだとクラス全員イェラビッチお姉様がファーストキスなんてことになるとか。まさかね。ないない、うん、考えすぎだろう。
◆
密かに唇を警戒してる私のことを思ってじゃないだろうけど、今日のお姉様は昨日より大人しめだった。授業が始まったというのにiPadをいじってるだけである。クスクス笑ってる姿はちょっとマヌケで可愛い。
「なー、ビッチねえさん。授業してくれよー」
あ、椅子ごとコケた。可愛い。
前原君を皮切りにビッチねえさんビッチねえさんと呼ばれるのにご立腹なご様子である。まあそうなるよね。
「あー!! ビッチビッチうるさいわね!!」
ちらりと横の元凶を見るとすっごいニヤニヤしてた。悪魔の角とか尻尾とか生えてそうなご様子だ。赤羽君、まだ先生ってものを嫌いなのかしら。烏間先生にもツンツンニヤニヤしてるし。まだ授業してないお姉様を教師とするかは微妙だけど。それともただ人が弄ばれてるのを見るのが好きなだけか。うーん、両方かな。
「まず正確な発音が違う!! あんたら日本人はBとVの区別もつかないのね!!」
『-
ほへー。わりと違った。
まあ日本人って確かにBとVとかLとR、苦手よね。私も得意じゃないなあ。
「正しいVの発音を教えたげるわ。まず歯で下唇を軽く噛む!!」
圧に押されてみんなが実践すると、教室はたちまちもとの静けさを取り戻した。さてさて、唇を噛んでからどうするんだろ。口角上げるとかだっけ確か。
お姉様が続きを言ってくれないとみんなこの顔のままなのだけど。もちろん赤羽君は除く。君もやりなよ。にしても中々シュールな光景だよね。お姉様の顔もほころんで、いやどっちかってとあざ笑ってる。
「……そう。そのまま1時間過ごしていれば静かでいいわ」
なんと。確信犯だった!? こやつ、できる……!
冗談はさておき、ちゃんと授業してほしいのじゃー。
『なんだヨこの授業ハ……』
マキナ、それたぶんみんな思ってる。
みんなの顔に怒りマークが浮かぶ中、しかしお姉様はその後もiPadをいじるだけで授業をする気はゼロだったので、結局こちらが諦めて自習タイムと相成った。
ダンダンダン、と今日の体育の射撃はみんな荒い。そう、ストレス発散である。いくら美人といえどもあそこまで馬鹿にされるとイラつきが勝るものらしい。
「おいおい。2人で倉庫にしけこんでいくぜ」
美女と野獣ならぬ美女と謎の生物。いやあのおとぎ話の野獣もわりと謎の生物だったか。ともかく、殺せんせーの姿が見えないと思ってたがどうやらお姉様の仕業らしい。
体育倉庫は危ないから今日は近づくな、とマキナが言ってくれてたことからしてあそこが暗殺者たるイリーナ・イェラビッチの狩り場なのだろう。体育の時間は眼鏡もヘッドホンも外していることが悔やまれる。マキナが暗殺の様子を監視してたとしても今聞くことは出来ない。今度から眼鏡だけは着けて受けようかな。
ドドドドド、と私達の射撃が大人しく思えるくらい激しく重い音が響く。当然、体育倉庫からだ。
流石にもう授業どころではない。烏間先生を含め、みんな倉庫に釘付けになった。
「いやああああああ!!」
お姉様の悲鳴とともにヌルヌルという音が聞こえる。暗殺失敗か。まあ、だよね。正直失敗するとは思ってた。
「いやああああ」
ヌルヌル。ヌルヌル。
そういえば先月、メジャーリーガーの有田投手が殺せんせーの触手責めにあったらしいけど、おんなじようなことが行われてるのだろうか。うーん、音だけじゃわからないや。
「いや……あ……」
まだヌルヌルしてやがる。ほんとに中の様子が見たかった。いや、マキナに見せても大丈夫なものなのかこれは。すっごくr18な気がする。エロ同人みたいなことが起きてるのではなかろうか。いや読んだことはないけど。岡島とか絶対読んでそう。音への反応も一番速かったし。あいつ、ゆきちゃんによくセクハラするのは何とかならないものか。
「めっちゃ
「行ってみよう!!」
武士の情けで見るのはやめるべきか、それとも好奇心のまま見に行こうか。葛藤は一瞬だった。
みんなと一緒に駆け出しました。いやだってめっちゃ気になるもん。好奇心には勝てない。
「殺せんせー!! おっぱいは?」
「いやぁ……もう少し楽しみたかったですが」
渚君が堕天してしもた。殺せんせーのニヤケ顔はいつも通りだけど。
そのおっぱいはイコールお姉様なのか、イコールお姉様のおっぱいなのかが気になる。どっちにしろ扱いひどいけどね。あれかな。実は渚君、ファーストキスの件、わりとかなり根に持ってるのかな。
「皆さんとの授業の方が楽しみですから。六時間目の小テストは手強いですよぉ」
小テストのことは忘れてくれてもよかったのに。殺せんせーへの信用とともにみんなのテンションもダダ下がりである。
そんな感じで平然としている殺せんせーとは裏腹に、フラフラとおぼつかない足取りで出てきたお姉様は色々と変わり果てた姿だった。健康的でレトロな服、すなわち体操着に着替えさせられているのだが……胸の位置にある名札といい、なぜか巻かれているハチマキといい、超短い短パンといい、ただのコスプレにしか見えなかった。ってか殺せんせーはいつどっから入手したんだこの体操着。
「肩と腰のこりをほぐされて、オイルと小顔とリンパのマッサージされて、早着替えさせられて……その上まさか、触手とヌルヌルであんな事を……」
パタリと地面に顔面ダイブするお姉様。ほんと大丈夫?
そしてどんな事されたのお姉様!? あとマッサージは素直に羨ましい。道理でお肌がつやつやになってるわけだ。
何したの、と渚君に白い目で見られながら聞かれて、殺せんせーは('-' )という顔をして言い放った。
「さぁねぇ。大人には大人の手入れがありますから」
「悪い大人の顔だ!!」
全く同意見である。
この後の小テストは通常通り難しくてなんとも腹立たしかった。
◆
タン、タンッとiPadを叩くように操作する音がしーんとしている教室で響く。
昨日のお姉様の暗殺失敗、原因の一つは対先生弾を使わなかったことらしい。殺せんせーの体内では鉛が溶けるんだとか。どんな体の構造してんだか。
それを聞いて私が抱いていた違和感の正体がわかった。お姉様達は対先生弾やナイフを持ってる様子が全然なかったのである。あのデリンジャーも実弾のプレッシャーを放ってたし。
おそらく政府側は殺し屋へ渡す情報を制限している。もちろん烏間先生達へも。だからお姉様は対先生弾を信じられずに実弾を使って、あっさり返り討ちにあった。
つまり、期待していないのだろう。私達生徒にも、殺し屋にも。政府側は本命を隠し持ってる。マキナだけじゃない。たぶんマキナより成功確率が高いと踏んでいる奴がいるのだ。うーん、前途多難。暗雲低迷。
「マキナ、隠し事、よくない」
『サクヤ、オレ疑う、ヨクナイ』
「ぶーぶー」
誤魔化しやがって。ずーっと口割らないのよな、殺せんせーのこととか。初日に見たおっさんの顔くらいしか情報ないんじゃぁ。それももうほぼ忘れたし。ちぇ、マキナのケチンボ。
もっと問い詰めてやろうと思ったら、唐突にこの静寂を破る猛者がいた。私の隣に。そう、赤羽君である。
「あはぁ。
必死だね、ビッチねえさん。ま、
あんな事とはどんな事を指してるのかね赤羽君。暗殺失敗のことを言ったんだよね? あと絶対本人にも聞こえちゃってるからねこれ。
「先生」
「…………何よ」
赤羽君をフォローするように、磯貝君がお姉様に声をかける。あんな状態の殺し屋に声をかけられるのすごい。磯貝君がモテる理由がよくわかる。
「授業してくれないなら殺せんせーと交代してくれませんか? 一応、俺等今年受験なんで……」
しかしお姉様はそんな磯貝君の真摯な願いを受け取ってはくれなかった。
ガキは平和、E組は落ちこぼれ、勉強なんて意味ない。さらには成功したらひとり500万渡すから従えとまで言い放つお姉様に、皆の怒りボルテージがマックスに達したのがわかった。たぶん怒りゲージが可視化されてたらパラメーター振り切ってるに違いない。
500万円かあ。今クラス27人だから、えっと……
『1億3500万。賞金ガ100億ダから、残リの98億6500万ハ着服する気ダナ』
結構がめついなお姉様。あの男たちみたいな協力者にも配分するにしろ、うん、がめつい。
「……出てけよ」
投げられた消しゴムとボソッとつぶやかれた言葉を皮切りに、交わされる暴言、ブーイングの嵐、紙くずやらペンやらがたくさん前方めがけて投げられる投げられる。寺坂君なんて中身の残ったペットボトルを投げてた。それは普通に危ないと思うよ。
茅野さんはいつの間にかつくったらしいカードを掲げて巨乳なんていらないと叫ぶし、赤羽君は地味に輪ゴムピストルで攻撃してるしもうめちゃくちゃだ。完全に学級崩壊してる。こんなの小学校以来だなあ。
ふと廊下の方をみると烏間先生が額に手をあてて疲れた表情をしてた。みんなの保護者、烏間先生……! いつも本当にお疲れ様です。
◆
今日はヤングジャンプとチャンピオンの発売日。ジャンプの月曜日ほどではないにしろ、
基本的にコミックス派の私にとって、こうして本誌を読ませてくれる優月ちゃんの存在はとてもありがたい。しかも読んだことのないコミックスもおすすめしてくれるし。
流石に本校舎ではこんな漫画を堂々と読んだりはできないから、これもE組に落ちなければできなかったことだろう。そう考えると、なんかちょっと優越感がわく。
「ビッチねえさん、どうするのかな」
「暗殺やめるなら先生もやめる、暗殺続けるなら先生のままだと思うけど……」
あ、ヤンジャンの新連載面白いな。今後コミックス見かけたら買おう。でも優月ちゃんも買うかな。したらどうしよう。特典次第か。
「お、やっぱ気になるかなそれが。今回の新連載面白いよね。
「優月ちゃんにはかなわないなあ。うん、バリ好み」
コミックス借りるたびに感想を言ってるから完璧に嗜好が把握されている。おかげで優月ちゃんが選んでくれる本はアマゾンのオススメよりマッチ度が高い。流石にマキナには負けちゃうけれど。
優月ちゃんはマンガソムリエとかにもなれそう。でも敏腕編集者も似合う!
好きを極めてるってほんとすごいし、かっこいいな。
「あと『キングダム』も安定して面白いよね」
「わかる! こういう歴史ものって勉強にもなるし、大好きだなぁ」
秦の始皇帝とか、授業で習った! ってなって嬉しい。歴史の授業は全然苦にならないんだよね。国語と社会が好きな私ってやっぱバリバリの文系だなぁ。
「でもジャンプってこういう歴史漫画があんまりないかも。『銀魂』はSF人情なんちゃって時代劇コメディーだし。ジャンプの歴史ものといえばやっぱり『花の慶次』と『るろうに剣心』よね〜!」
「うんうん。ジャンプ本誌にもこういう歴史漫画が出るといいね」
『ナンカるろ剣ノ連載がそのウチ再開する気ガスる』
「なんか南北朝時代の歴史漫画が登場するって電波が来たわ……」
2人とも預言者じみてること言っててちょっと怖いんだけど何かな。でも私もその新連載はとっても面白い気がするなぁ、なぜか。
『あ、ビッチが来たゾ』
まだ騒がしい教室にカッカと颯爽と歩きながらお姉様がやって来た。今は授業時間ちょい前なのに、珍しい。
一体今日は授業はどうする気なんだろう。
とりあえず優月ちゃんにバイバイして自席に戻る。みんな大人しく席に着きながらも、不安と不満の混ざった眼差しで前を見つめていた。
お姉様はそんな視線を物ともせず初めてチョークを握って何やら書き始めた。
『You're incredible in bed! ビッチ風ニ言うと「ベッドでの君はすごいよ……♡」あタリか』
「えっ……?」
「
「えっ」
大人しくみんなは言っているが、私は意味を知ってしまったためちょっと読む気になれなかった。
『オラ、ちゃんト読めヤ』
「つ、次は読むから」
また前みたいに嫌がらせ、と考えるにはお姉様の眼は真剣だった。もしかして、これがお姉様なりの授業、ということなのだろうか。
「外国語を短い時間で習得するにはその国の恋人を作るのが手っ取り早いとよく言われるわ」
あ、そうっぽいな。にしても恋人、恋人かぁ。流石はお姉様。
殺せんせーが受験英語の勉強を教えてくれるのに対し、お姉様は仕事で使ってきた外人の口説き方、実践的な会話を教えてくださると、今までとは違う表情でおっしゃった。
「もし……それでもあんた達が私を先生と思えなかったら。その時は暗殺を諦めて出ていくわ。そ、それなら文句ないでしょ?
あと悪かったわよいろいろ」
その顔は今は暗殺者のものじゃない。殺せんせーや烏間先生と同じ、先生の顔だった。
きっと、お姉様はこれからも暗殺と先生とを両立してくださるだろう。私達が生徒でありながら暗殺者であるように。なんとなくそう思う。
『暗殺教室ニ教師が1人追加ってカ』
「またにぎやかになりそうだね」
こんな調子でE組に人が増えていくのだろうか。まるでRPGで仲間が増えていくようだ。嬉しいしワクワクする。
もうここは「エンドのE組」ではなくなってきているのかもしれない。烏間先生に体育を教わり、授業は殺せんせーに、会話術をお姉様から教わる。暗殺のためとはいえ、すごく充実したクラスだ。
「もうビッチねえさんなんて呼べないね」
「うん。呼び方変えないとね」
そして先生となったお姉様のことはビッチねえさんともお姉様とも呼べなくなってしまった。そのことはちょっと悲しいものの、感動で泣いている先生を見るとまあ仕方ないかと思う。
「じゃ、ビッチ先生で」
赤羽君があっさりと言い放った。ビッチねえさんって呼んだのも君だったもんね。赤羽君のミーム力、やっぱ強いな。
固まったビッチ先生を見ているとお気の毒だが、たしかにイリーナ先生より正直しっくりくる。
ビッチビッチとクラス中から呼ばれるビッチ先生。うんうん、愛されてるね。
「キ────ッ!! やっぱりキライよあんた達!!」
頑張れ、ビッチ先生。負けるな、ビッチ先生。
『いじり甲斐ノありソうなヤツだな』
それな。
ともかく。ビッチ先生、どうぞよろしくお願いします。
ビッチが なかまに なった!