嬉しくて心が折れそうです。
ニグンには、その男が
有象無象の戦士共は部下たちに軽くあしらわせておき、ガゼフに戦力を集中する。それで十分。十二分。
ガゼフさえ落とせばそれで終わり。それが今回の作戦の大前提だった。
当然ガゼフを注視していた。あの馬鹿げたな特攻を目の当たりにしてからは釘付けと言ってもいい。
意識の外からいきなり現れて、天使を塵に変えたあの男が何者かも分からない。情報が全くない。今までこんな事はなかった。
法国が聖典を動員する程の計画で、ここまでのイレギュラーがあっていいのだろうか。
「助かる……!」
「死に急ぐな。お前に死なれては冒険者組合への渡りを失う」
「すまないなホークウッド殿。しかし貴公がいるから無茶ができるのだ」
ただ確かなのはガゼフが再び立ち上がり、二対の大剣が二輪となって暴れ始めた事だった。
ガゼフが我武者羅に剣を振る。疲労や隙など考慮しない、ひたすらに威力と速さを求めた攻撃。
思い切り速く、思い切り強く。
後先考えない子供の喧嘩のように単純な戦闘だが、人類最高峰の男がそれをやるのだから堪らない。
そんなことをしていれば、いずれ先ほどのように大きな隙、空白ができる。
しかし、それをホークウッドなる男が塗りつぶすのだ。
ガゼフが右を斬れば、ホークウッドは左に剣を向ける。ガゼフが膝を着けば、ホークウッドは盾を持ってこちらの攻撃を受け止めて、天使が近寄れぬよう剣を振り回す。
ガゼフが豪快な剣技で天使を押し切り、ホークウッドが老獪とも言える技術でそれをサポートする。
かと思いきや時にそれは、瞬時に逆転する。
ガゼフの剛力に天使が一瞬怯んだ隙を突いて、ホークウッドが一気に飛び出し、天使を補充していた魔法詠唱者に襲い掛かったのだ。
しかし魔法詠唱者の側も狩られる兎ではなく当然精鋭。両隣と合わせて動作の早い魔法による迎撃を行う。
《ショック・ウェーブ/衝撃波》
《ホールド/束縛》
《ホーリーレイ/聖なる光線》
真っ向から飛来する三種の魔法。
盾も構えず突き進むホークウッド。
全ての魔法が直撃すると思われた矢先。
「うおおおおお!武技《疾風走破》!!」
今度は《疾風走破》を用いて前に出たガゼフが、剣で全ての魔法を一気に打ち払い、ホークウッドの道をこじ開けた。
そのままの速度で突貫したホークウッドは、遂に魔法詠唱者を間合いに収める。
地面を這うような一振りでまずは両足首を切断。間髪入れぬ次撃で頭部をあっさり叩き潰した。
ガゼフとホークウッド。
二人の戦闘力は加算的ではなく、相乗的に飛躍する。
戦場の加減乗除がねじ曲がり、ニグンの式が崩壊。十二分だったはずの状況は一気に覆る。
「貴公もまたずいぶん無茶な戦い方をするじゃないか。人の事は言えないな」
「……放っておけ」
神に仇あだなす牙が二本。一人食らった程度では止まらない。
ニグンの予想を超える速度で天使削りつつ、魔法詠唱者も端から手にかけていく。
(彼らはこんな所で死んで良い人間ではないのだ……!人類の未来を担える逸材たちだぞ……!)
悲鳴を上げずに殉職していく部下。
ただの魔法詠唱者ではない。法国のいや、人類の宝である最精鋭たちがである。
そんな彼らが木っ端のように命を落とす。
ニグンは己の身が切られる思いであった。
「分からんか貴様らああああ!我が部下らはこれから先、多くの人類を救える英雄たちであるぞ!貴様らは死んだ部下たちが未来で救えるはずだった、何千人何万人という人々を間接的に殺害しているのだ!良心という幼稚な我が儘にしたがってな!」
人類という概念が血を流していく。あってはならない光景に怒声を発すニグン。
部下から命令を求める声が届く。
もう出し惜しみなど考えられなかった。
「戦応陣形
ニグンの指示が飛ぶと、意を得たりと天使たちの武装が変化する。
光の剣は短くなり、そして約半数の天使たちがその翼を折った。
代わりに現れたのは身を覆うような巨大な大盾。翼を捨てた天使たちは地に足を付け、寄り集まる。
固まって大盾を並べる正面部隊、その上空で中盾も持って機動する応変部隊、その後方で魔法を唱える遊撃部隊を持って完成する防御的な構えである。
この陣形では前に出られず急ごしらえと言えばそうだが、しかし短時間で局所的にでも要塞に近い防御力を得ることができる陣形だった。
「ホークウッド殿、なにかする気だぞ!」
「ああ、だがやっかいだな……」
天使たちは持ち前の機動力を失い、攻撃の射程も半減している。
積極的な攻撃が減った分、戦士たちの被害は減ったが、ガゼフたちの足は大きく鈍る。
正面部隊は地面に脚部がめり込むほど、ひたすた受けに徹す。遊撃部隊は強引な突破を妨げるように、上から後ろから角度を問わない攻撃を仕掛ける。そしてその隙間を縫うように飛んでくる強力な魔法。
天使たちも盾の扱いに慣れている訳ではないため、確実に数は減っていく。ガゼフたちが壁を削り切るのも時間の問題だ。しかし陽光聖典は時間さえ稼げればそれでよかった。
自ら手を下さずとも良いのである。
なぜなら後数分も待たず、絶対なる神の審判が下る。
それまで生き延びれば勝利なのだ。
そして時は訪れた。
神話世界の存在。
魔神をも屠る最高位天使。
それは翼に翼を重ねた巨大で異様な姿。
太陽すらも掻き消すほどの不自然な光が、傲慢に全てを照らす。
呼び出したニグンでさえ跪きたくなるほどの畏れ。その正体は背後に纏う神聖な威光にあるのか、それとも人類では太刀打ちできない圧倒的な暴力にあるのか。
「
こうなればもう全ては無意味。
敵の強者が二人だろうが三人だろうが関係ない。
敵戦力が二乗だろうと三乗だろうと関係ない。
全ては誤差の範囲に収まる。
「ガゼフ、そして黒衣の剣士。愚かな貴様らを私は生涯忘れんよ」
収束する光。
神の御業の顕実に、誰もが縛られたように動けない。
絶対者への畏れに敵も味方も関係ないのだ。
それがこの世の摂理。
「神の審判だ」
神の威光を無視できるのは、この世の
「
雲を消し飛ばし、ガゼフとホークウッドに向けて一方的な善が降り注ぐ。
途端、強い衝撃と共に、ガゼフの身体が宙に浮く。
我を失っていたガゼフは、ホークウッドの剣を無防備に食らったのだ。
ガゼフは剣の腹で大きく弾き飛ばされ、光の射程外へ逃れる。
そして直撃。
抉れる大地。
見れば目を焼かれるほどの力の奔流。
ホークウッドただ一人に襲い掛かるのは、明らかに人に向けて放つべきではない途方もない威力。
本来は対魔神に用いられるべきその攻撃は、羽虫に向けて大砲を撃つが如きであり、とても適切な使用法とは言えないだろう。
善はあまりに過剰な暴力を見せつける。
神の審判が下りた後、その後に残されるのはただひたすら徹底的な破壊の痕跡。
そこに居たはずだった、一人の男の亡骸すら見つけることは出来ない。
抉れて焼け焦げた地面に転がる鉄の欠片は、ホークウッドの装備の破片。
「ホ……ホークウッド殿……」
「ガゼフだけでも逃がしたか……。何者かは知らんが名くらいは名乗らせておくべきだったな、その力とその勇は認めよう。だが知がまったく足りん、やはり人類には害悪だ」
降り注ぐ人外の力。
天使を前に動けなかった自分の情けなさ。
そんな情けない自分を、命を捨てて救ってくれた恩人のあまりに苛烈な死に様。
衝撃的な事実の連続に、茫然と打ちのめされるガゼフ。
今の彼には、心酔する王の言葉すら届かないかもしれない。
だがそんなガゼフの耳が捉えた言葉が一つだけ。
「神に逆らう愚か者は土に還る事すらできんのだ。ガゼフよお前もせめて死後、王国の土となりたいのであれば……」
ホークウッドに対する侮辱の言葉である。
「貴っ様あああああああ!」
血を吐くような叫び。
ガゼフは血走った眼でニグンに突進する。
「……最高位天使の御前だ。皆、愚かな忠臣にせめてもの慈悲を」
ガゼフ全方位から襲い掛かるのは、
「哀れなガゼフよ。貴様は主を間違えているのだ……。なぜあのような王家に……」
(あれはただ愚鈍なだけではないぞ……)
何十と群がる天使たち。
満身創痍の戦士長。
士気の砕けた王国の戦士たちも一気に押される。
地を這う者たちの、血も精も根も、そして命まで尽き果てようとした時。
声が響く。
――ああ、呪いは……まだ…………。
塵も残さず消滅したはずの男が起き上がる。
その光景は天に降臨した神話と同様、いやそれ以上に人々の目を釘付けにした。
記念すべき一死目は、ニグンさんと最高位天使さんによる《聖なる極撃》でした。
ありがとうございました。