柔らかな風雲に月が喉を鳴らす穏やかな晩。
ホークウッドは椅子に深く腰掛け、頭を抱えていた。
その表情は苦悩と安らぎが入り混じった複雑な物。
場所は先日助けた村娘、エンリの故郷だというカルネ村。その端にある空き家である。
あのオーガの襲撃後は何事もなく、一昼夜で村まで辿り着いた。
エンリと目を覚ましたその父親がしきりに頭を下げてなにか貰えと鬱陶しいので、どうせ長くは滞在しないからと空き家を一つ要求してみた。すると早速、村長なる人物へ交渉に向かったようで、その日の内に「長く空けているので少し埃が積もっているが」という添え言葉と共に空き家の鍵を握ることとなった。
それからホークウッドはその空き家の窓から村を眺めた。日が昇り、また沈むまでずっと。
(灰が夢を見るなど……一体どうなっているというのだ……)
ホークウッドは記憶を手繰る。
思い出せるのは心折れ、ただひたすら皮肉と諦めにすがって座り込んでいた頃の自分。
八方塞がりの末、絶望の奥に竜へ到る道を見出し、やっと前を向いた頃の自分。
そして自分を打ち倒し、事もなさげに去っていく強き灰。
最後に頭に浮かぶのは、かつての仲間たちの屍に加わる自分自身。
(逃げぬと決めて啖呵を切ってこの様だ)
複雑に思考するホークウッドの頭を取り巻く感情は二つ。
一つは道を失った弱き自分への情けなさ。
もう一つは、再び心折れることへの恐怖。それに伴う焦燥感。
ホークウッドは「何もしないこと」の恐ろしさを思い知っていた。
(前に進まなくては……なんとしても……)
ホークウッドは何者にもなれなかった。
竜にも薪にも、使命を追う灰にすら。
(使命から逃げ出し、竜になるという目的も失った空虚の身ではあるが、絶望はもう飽きた。足掻いてみようじゃないか……このままじゃあまた足に根が生えちまう)
もうへたれ込みたくはない。
ホークウッドは顔を上げた。
意識を過去から現在向ける。
日がな一日窓から外を眺めていたが、目に映ったのは農作業に汗を流す人々や無邪気に走り回る子供たち、部屋の掃除や食事を差し入れに来るエンリとなぜか楽しげなその妹。
この村で見たどれもが、あの灰に覆われた時代ではありえないこと。
しかしそんな光景にホークウッドは薄く胸懐を抱いてしまう。この村の営みに暖かな火を感じるのだ。
だがその温もりも、火の陰りを見たホークウッドにはあまりに儚いものと映る。
そして思う事はもう一つ。
自身のソウルの増大である。
それは大海に落ちた滴の如くほんの微量。
だが確かに分かる、エンリと出会った時殺したあの異形のソウルが、自身の内部で蠢いているのが。
エンリやその家族、村長などに話を聞き、周囲の地理などこの世界の事を幾らか把握した。しかしそこから、元の世界の痕跡は欠片も見つけることは出来なかった。
つまり、このソウルを取り込む感覚こそ唯一、見知った世界と今の世界との共通点。
ホークウッドは自らを取り巻く状況に一晩頭を悩ませた。
『ジェスチャー「へたり込み」を捨て去りました』
朝。
過去と自身に思いを巡らせ、一分の休息もなく悩む濃い夜が明けた。
東の空が白んだ頃、ホークウッドは薄っすらとだが、これからの行動の基本となる指針を定めた。
『強大なソウルを築き、もう一度強き力を望んでみよう』
また停滞へ堕ちることへの恐怖。前回で叶わなかった望み。そしてソウルを取り込むという、この世界で唯一確かな感覚。未だ情報の足りない現在ではあるが、ホークウッドはこれらをまとめて一先ずこの指針とした。
強き力を望めば、また修羅の道となるかもしれない。
だがそれでも、強き灰から叩き付けられたあの敗北を、早くなにかで塗り潰したかったのだ。
次の目的地は城塞都市エ・ランテル。
そのエ・ランテルで冒険者なる職に就けば、依頼という形で異形の情報を得られるのだそうだ。そして人の多い街ならば、この世界について知る機会も多いだろう。
街で冒険者となり、異形のソウルを取り込みつつこの世を見聞する。それがホークウッドの考えだった。
指針が定まったのなら次は行動だと、空き家の戸を開け外に出る。
右手には刀身だけで子供の背程もある大剣、バスタードソードを担ぎ。
左手には小盾を。
幾億と振るったファランの大剣を取らないのは、あの強き灰より叩き付けられた敗北が蘇るためである。
ホークウッドに不満はない。あれが竜であることに不満はなかった。
しかしやっと見出した竜へ至るという道。それをへし折られたのだ。強烈に焼き付いたその敗北の記憶が、ファランの大剣を握ることを許さない。
「ああ、これではまるで乙女のようではないか……フッ……フッフッ……」
まだ日が出たばかりであるが、村人たちは水を汲んだり土を弄ったりと忙しなく活動を始めている。
ホークウッドが一応村長に、街までの道でも尋ねておこうと村内を歩いていると、あちらこちらで働いていた村人たちが東に集まり始めた。
ホークウッドもそちらへ向かってみれば、東からは村に影を落とす銀の軍団。
朝日を背負って迫るその者らに、村人たちは困惑する。
村の者が何用かと呼びかけるもその軍団は応答の素振りなく、ひたすら歩を進める。
カルネ村の火を飲み込むように伸びる黒い影。
ホークウッドは懐に手を忍ばせる。
「総員抜剣!任務開始!村人を殺せー!」
村の目前まで迫った兵士たちが指揮官らしき男、ベリュースの声と共に一斉に剣を抜くと、先頭の兵が慄く村人に躊躇いもなく凶刃を振り下ろす。
だがその時、兵士の顔面にナイフが突き立った。
もんどりを打つその兵士に、他の兵らも振り上げた剣を思わず止める。
それはホークウッドの放った投げナイフ。
「こいつらの相手は俺がしてやる。好きに逃げろ」
(フン……こんなちんけな村を守ろうとするなど無意味なことだ……。火への未練でも蘇ったか……。まぁ良い、半分は八つ当たり。強き灰を恨むんだな。それにどうせソウルをいただくついでだ)
驚愕によってこじ開けられた兵士たちの意識の隙間。
そこにバスタードソードが滑り込む。
その巨大さ故、直剣などとは比べ物にならないリーチも持つ大剣の切っ先。それは浮足立つ兵士たちを問答無用で押し退ける。
そして慄きから我に帰った村人らは大声で喚きながら散っていく。家や畑で仕事をする隣人家族らへ危機を知らせるために。
「おい、どうした! お前たち何をやっている早く行け! 村人どもを殺せ!」
何とか体勢を立て直し、武器を構える兵士たちとその後方から聞こえる喚き声。声の主はどうやら前線の様子が分かっていない様子。それは抜剣を指示した指揮官とおぼしき者の声だった。
相手は百に届こうかという規模の集団。この人数の相手に一人で全員を止めることは出来ず、村を殺戮から守護することは出来ない。
(ならば守りに入ってもらおう)
ホークウッドは前へ踏み出す。狙いは奥で指示を出す立場にいるあの男。
「何者だコイツ!」
「どういうことだ、村が冒険者でも雇っていたのか!?」
ただ蹂躙するはずだった村からの思わぬ反撃に浮足立つ兵士らを、ホークウッドは時に押し
ホークウッドの装備は黒革のベストの下にチェインを着込んだ軽装。それでこれだけの事をやってのける技量はまさに超一流である。
「強いぞ!止められん!」
「なんとか道を塞げええ!囲んで袋叩きだ!」
兵士たちの声もすでに後ろ。
そしてほどなく大将首に迫り、剣先を突き付けた。
これに凌辱するだけでロクな戦闘経験もなく、神輿として担がれるだけだったベリュースはたまらず腰を抜かして兵士らを寄せ集める。
「ヒ、ヒイイィィ!な、なんだお前は!貴様らあああ!守れ俺を守れええ!あいつを抑えよおおおお!」
(やはりこの無能に刃を向けている限り、この軍団を釘付けにできるようだ)
大将首を前にして足を止めたホークウッドを、兵士たちがぞろぞろと何重にも取り囲む。
奥に引っ込んだベリュースは恐怖と憎しみに歪んだ表情で声を上げた。
「神聖な任務を妨害する不届者をぶち殺せ!特別に金も出す!だから神の名のもとに!全員、切り掛かれえええ!」
尻を土で汚したベリュースの号令で、ホークウッドを取り囲んだ兵士らが一斉に殺到。
辺境の小さな村に大きな血の花が咲く事となった。
一人対軍団の戦闘は、殺到する兵士らと縦横無尽に動き回るホークウッドによりすぐに乱戦へもつれ込んだ。
ホークウッドは四方八方から襲い来る剣を、的確な盾受けと回避で避け切ったかと思うと、一瞬の隙を見つけては恐るべき速度で大剣を振り回す。その大剣の重量に兜ごと頭を叩き潰され、鎧ごと薙ぎ倒される兵士たち。
駆け回る黒い影と一人また一人と血飛沫を上げ倒れていく仲間に、練度のそう高くない兵士たちはやがてパニックに陥った。中にはやたらめったら剣を振り回す者も出て、終いには同士撃ちお構いなしの弓矢まで乱れ飛ぶ始末。
この乱戦の最中、ホークウッドは幾度か矢傷を受けるも、それを物ともせず
結果、二十を超える数のひしゃげた鎧と無残な骸が地面に転がることとなった。
このまま進めば
地面を鳴らす蹄鉄の音と鬨の声。
混乱の極地にあるこの場へ、大量の騎兵が雪崩込んできたのだ。
騎兵らは、ホークウッドにかき乱されて陣形どころか前後すらなくなった歩兵団を津波のように押しつぶす。
予想外の強襲に、一時離脱へと頭を切り替えたホークウッド。しかしある一騎が彼の足を止めた。
その一騎は一際強い、猛烈な勢いを持って歩兵団を鎧袖一触とし、真っすぐホークウッドへ突っ込んできたのだ。そして今、ホークウッドのすぐ横にいた兵士を蹴散らした。
高らかに上がる嘶き。
ホークウッドは反射的に死角へ潜り込み、大剣を振り上げ、次いで振り下ろす。
上段から袈裟への一振り。狙いは馬上の男。
両断の意思が込められた剛力の一刀。
しかしそれは阻まれた。
爆発と紛うほどの衝突音。
馬上の男は剣でもって、ホークウッドの一刀を阻んでみせたのだ。
偉丈夫はその衝撃に鐙からは飛ばされるものの、転がって血泥に塗れることはなく、超人的な身体能力とバランス感覚を持って両の足で着地してみせる。
この世界で初めてホークウッドの剣撃を受け止めた存在。
名はガゼフ・ストロノーフ。
床に伏せる翁から街を駆ける
ワインを舐める貴族から泥水啜る乞食まで。
人は彼をこう呼ぶ。
王国最強――。
オーバーロードのキャラクターはみんな好きなので
力の及ぶ限りみんなかっこよく書きたいと思っているのですが
ベリュースさんだけはどうしてもできませんでした
許してください
まったく描写してませんがベリュースさんは馬に蹴られて死んでます