脱走者と篝火のない世界   作:THE饅頭

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第2話 気高い姫と勇敢な騎士

 

 父娘とゴブリン達との間に割って入ったホークウッドは、割り込み際に振り抜いた一閃で敵の戦力を見抜く。

 

 (なんてことはない。手間の掛からぬ異形だ)

 

 ひっくり返るように飛び退く残りのゴブリンたちを確認すると、父娘の方に目を向ける。

 見ればわかる。亡者でなければ灰でもない。この二人は火に陰り始めてから久しく見なくなった、真っ当な『人間』だった。

 

「話は出来るか」

 

「はい……」

 

 少女からは茫然自失から抜けきれぬ様子での弱弱しい返事。

 ホークウッドは刃に乗った人外の血を払い飛ばしながらもう一度静かに問うた。

 

「まだ生きたいか」

 

「は、はい……っ!」

 

 次は少々うわずった、だが確かな意志と願いの込もった返事だった。

 

 (口も利けるか。なんとも分からぬ事態だが、あの小さな異形共を排除した後に話を聞こう)

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 ゴブリンたちは美味しい獲物を前に現れた強力な敵に、押し引きの判断を下せずただ右往左往するしかない。

 そんなゴブリンの前でエンリの身の丈ほどもあるバスタードソードが片手でゆっくりと持ち上げられる。

 

 殺戮は次の瞬間から始まった。

 

 避けられない程の速さ、受けきれない程の重さ。

 振るわれる大剣は、なんの抵抗もなくゴブリンの肉体を破壊し、瞬く間に命を奪っていく。

 一匹のゴブリンが意を決して飛びかかるも、左腕の小盾に難なく叩き落され蛙のようにひっくり返る。

 無様な青天井に大上段から襲い掛かった猛速の切っ先は、ゴブリンの(はらわた)を瞬時に貫通。その下の地面まで易々と打ち壊した。

 

 二秒か三秒か。数瞬と呼べるような短い時間。

 それはエンリにとって、初めて目の当たりにする強者による蹂躙であった。

 縦横無尽に翻る大剣とぶちまけられる臓物に目を奪われるも、それは束の間。

 エンリは未だ震えの止まらない足で立ち上がると、横転した荷馬車のささくれ立つに木ぎれにスカートの裾を引っかけ、迷いのない動作でビリビリとスカートを引き裂いていく。そうして得た、布切れ数枚を父の目立つ傷跡に当て縛り、何とか止血を試みる。

 

 さらに街では時期が悪く買い取れないと押し返された薬草類が少量荷馬車に積んであったことを思い出すと、エンリはあちらこちらに散乱する薬草類から外傷に効果がある葉を探し、一枚ずつ摘まんでは小さな掌に乗せていく。

 地を這いずること厭わずに行われる必死の作業。露出した膝からは血がにじむ。

 ようやく一握りの薬草を集めるも煎じる道具もここにはなく、自らの手ですり潰して患部に塗り広げる。

 人体や医療の知識など、薬草に関わるほんの一摘みしか持たないエンリのできる精一杯の処置だった。

 

 一心不乱の手当てを終え、息をはずませるエンリがふと顔を上げると、殺戮を済ませた黒衣の男。

 

「あの、ありがとうございます!」

 

 エンリは息を整える間も置かず、荷馬車に腰を据える男に向けて身を伏せ、頭を下げる。

 

「終わったなら話を聞こうか……まずお前は何者だ」

「はい、私はカルネ村のエンリ・エモットです。村娘として畑を耕したり薬草を集める生業をしております。騎士様のお名前は……」

「騎士?……ハッ……ハッハッ……よりにもよって俺を騎士とはな」

「し、失礼しましたっ」

 

 笑われてエンリは少々目線を伏せる。

 お姫様の危機に見参する勇敢な騎士、という少女らしい妄想が自身の心にチラついていた事を自覚をして、こんな事態ではあるが恥ずかしくなったのだ。

 

「ホークウッドだ。……道を失した流浪人といったところか」

 

 助けてくれたこの人物が、騎士ではないと聞いてエンリは少し警戒すると同時に安心した。

 なぜならエンリは格式を知る人間への口の利き方などまったく知らない。

 今の敬語だって礼儀正しい行商人や役人と話している時の村長の下手な見真似だ。

 

「ここはどこだか答えてもらおうか」

「ここは……」

 

 この先の展開がふと頭に浮かんだエンリは言葉に詰まる。

 

「おい、どうした」

 

「ここは、エ・ランテルから辺境の村々まで続く街道です」

 

 エンリが答えると、ホークウッドは荷馬車から散らばった真新しい農具や工具へざっと視線移し、察したように言う。

 

「ふん……なるほど、お前は村娘だったな。そのエ・ランテルと言う場所は街か」

「……はい」

 

 言いたくなかったのだ。

 近くに街があると知れば、この流浪の強者は当然、辺鄙な村なんかよりそちらへ足を向けるだろう。

 そうなればエンリと父の命はあまりに危うい。

 荷馬車も隊も失った今の状況。

 ゴブリンの集団は勿論、野犬の一匹にもエンリと父は容易く命を奪われる。

 

「街と言うと、そこは栄えているのか?人は多いのか」

「私から見ると凄く栄えていて人も多いです……」

「……多いというのはお前のような人間がか?」

「? はい、私のように村から出て来ている人も沢山いると思います」

 

 ホークウッドは考え込むように口元に手を置くと、荷馬車の轍が残る方向へ顔を向ける。

 

「そう……か……」

 

「ま、待ってください!お願いです、村まで一緒に来てください!」

 

 ホークウッドが腰を上げる前に、ホークウッドが次の言を紡ぐ前に、エンリは地に伏して口を開いた。

 

「村に着けば出来る限りのお礼をさせて頂きます!どうか……どうかお願いします……!」

 

 交渉を挑む経験もなければ手札もない。

 なんとか引き止めなくては、エンリはその一心で頭を下げる。

 

「……村娘、顔を上げろ」

 

 身を縮めていたエンリが恐る恐る顔を上げる。

 下から乞う者と上から見下ろす者の視線が交差した。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 命。生への執着。

 ホークウッドはエンリの潤んだ瞳の奥に、生きる者のみが持つ正しい火を垣間見た。

 それは火の無い灰が求めてやまないもの。

 

「……いいさ、どうせ急ぎでもない。その村まで付いていってやろう。どうせ浮いて漂う身の上だ、流されてやろうじゃないか」

「ありがとうございます!このお礼は村で必ず……!」

「お前に差し出せるものなどない事くらい分かっているさ」

「そ、それでも……!」

 

 ホークウッドに無学の自覚はないがエ・ランテルの名にはまったく覚えがない。

 そして何よりホークウッドのいた灰の時代には、目の前の村娘のようにまともな命を持つ人間など消え失せて久しかった。

 それが街を賑やかすほど存在しているなど。己にはまったく理解不能な現象が起こっている、という事だけは分かる。

 

 ホークウッドは思う。

 ああ、まったくどうしろというのか。

 次はそのエ・ランテルという街へ赴いてみるのが自然なのだろう。しかし少女の宿した小さな火に妙に惹かれる。

 これも火の無い灰故なのだろう。

 

 皮肉気に顔を歪めたホークウッドが腰を上げたその時。

 微かに地面から震えを感じた。

 人ならざる者の気配。

 

 

 ホークウッドが振り向くと街道の前方。荷馬車の向いている方向から、明らかに人を逸脱した巨体が一つ現れた。

 凶悪な顔面に丸太のような四肢と血で染まった恐ろしい口元。

 人外の相貌はホークウッドたちを確かに見据えている。

 

「え……あれは……オーガ……」

 

 人食いオーガとも呼ばれるその怪物は、村々の人間にとって恐怖の象徴。

 迫るオーガに、エンリは血が凍りついたように青くなる。

 

 そんなエンリの前にホークウッドが立つ。      

 

「迂闊だったな、血の臭いに惹かれたか……。死にたくないならお前は鍋でも被って震えていろ」

 

 獲物を射程に捉え、走り出すオーガ。強まる地響きは弱者を恐怖で釘付けにする。

 だがホークウッドはずるりと滑るように前へ出た。

 

 一気に消えゆく両者の距離。

 

 オーガが巨腕を振りかぶる。太い腕に握られているのは木の幹を削っただけの棍棒。粗末な武器ではない、サイズに見合う十分な凶器だ。

 溜め、距離、タイミングを本能で見切った野生の一撃が振り下ろされる。村人であれば当然、絶命に到る速度と質量。

 ホークウッドは懐に飛び込むようにそれを躱すと、低い姿勢からすれ違いざまにオーガの左の膝裏を一閃。斬撃は骨まで達し、屈強なオーガの膝を折った。

 そして体勢を崩したオーガへ流れるように追撃が入る。

 ホークウッドはその膂力と技量で素早く大剣を翻すと、膝裏を切り払った勢いをそのまま遠心力へ変換。そして瞬時に刃先に力を乗せ、オーガの膨れた脇腹に叩き込んだ。

 奔る刃は分厚い筋肉と肋骨の林を粉砕し肺にまで到達する。

 

 気道で暴れる血液は口と鼻から噴出して、海を知らないオーガに溺れたような錯覚を引き起こす。

 自身の喉奥から湧きあがる赤黒いそれがなんなのか、オーガがやっと認識した時。

 ホークウッドは既に大剣を振りかぶっていた。

 

 膝をつき、片手は脇腹、片手は地面で頭を垂れるオーガ。

 ホークウッドは差し出されたそれを無遠慮に薙ぎ払う。

 その一振りで、オーガのシルエットが大きく欠けた。

 まさに致命の一撃。

 

 流水の滑らかさと、巨岩の重さを併せ持つ連撃は、オーガに死を実感する暇も与えず、無抵抗の沈黙をもたらした。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

「デカブツの相手も慣れたものだろう」

 

 返り血の上に返り血を浴びたホークウッドが、もう動かぬオーガに背を向けて言う。

 

 「お前もいずれ薬草を売りに街へ出る機会があるだろう」と言う父に連れられて、今回初めて村を出たエンリは強さの基準と言うものををよく知らない。それでも冒険者などは戦いを生業にしているのだからそれはそれは強いのだ、と何とはなしに思っていた。

 しかし目の前で見せつけられたホークウッドの戦闘はエンリに強い衝撃を与えた。

 

 想像を超える、という表現も生易しい。

 一般に身を置く者では想像する事すらできない境地。

 

 ホークウッドのあの戦闘を上手く表す語彙をエンリは持たない。

 だがまるで何万回と繰り返したかのような確かさで行われたあの動き。

 そして人は一体どれほど剣を振えば、あんな剣を修めることが出来るのだろうと思わせるあの技。

 

 まるで牙が生えているかのようなあの剣技は、ドラゴンにすら立ち向かえるのではないか。

 そんな幻想すらエンリは抱いた。

 

 まるで物語の英雄である。

 

 戦闘の知識や経験など塵ほども持たないエンリでも、あの戦いぶりの根本的な凄さというものは漠然と理解できた。

 

「ここに留まっていてはまた異形が寄ってくる。行くぞ」

「は、はい!」

 

 血に集まってくる者など、それはロクなものではない。

 

 被っていた鍋を脇に置いて立ち上がるエンリ。だが気を失っている父を放って行けるはずがなく、何とか背負う形で歩き始める。 

 しかし当然、うら若き乙女が意識のない成人男性を背負いきれる筈もなく、父親の足は地面に着いて轍を引き、その歩みは亀の如し。

 

 何とも言えぬ顔でその歩みを見ていたホークウッドは遂に折れるように溜息をつくと、エンリの父親をひょいと担ぎ上げる。

 

「え?あ、ありがとうございます。ホークウッド様」

 

 エンリは礼を言うと、一本道を広い歩幅で進むホークウッドの後を小走りで追うのだった。

 

 

 しばらく街道を行くと途中破壊されたいくつかの荷馬車と、食い散らかされた人間の赤黒い残骸が散らばっていた。

 エンリはそれを踏んで帰路を急いだ。

 

 




エンリちゃんだって怒るのです٩(๑`^´๑)۶プンスカ

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