東方讃歌譚 〜Tha joestar's〜 作:ランタンポップス
鳥が鳴き、風はまた吹き始める。
街に漂う疫病のような沈黙は終わりを迎え、まるで眠りから覚めたかのように人々が路上から立ち上がる。奇妙な事だが、街の人々は眠っていたのだ。
コロッセオ前の石橋上、二人の男女の歓喜が喧騒を取り戻しつつある街で一際目立って聞こえている。
「あたしたちなのねっ! 勝ったのはっ! ついにっ!」
「おい! 急ごうぜ! コロッセオに戻るんだ!」
長き戦いより勝利を勝ち取ったかのような喜びを迎えつ、二人は川の前で厳粛な、されど戦士を讃えるワルキューレのような歓迎をもって佇むコロッセオの方へと走り出した。
「行くぞジョルノッ! ホレ、コロッセオに行くんだよ!!『ブチャラティ』を治療して故郷に帰ろーぜ!!」
男はまだ川を見下ろす少年に対し、催促をする。
全てが元通り、全てがまた凪へと戻り行く街の中、少年の表情には翳りが見えている。喜ぶ二人とは相対的に、悲しみと悔しさを滲ませた表情だ、それを押し殺さんと身体は震え、唇を噛む。
流れ流れて川は地中海へと、止まる事なく帰って行く。何年も何千年も何万年前からも。その様はさしずめ、諸行無常なる魂の顛末。
少年は、コロッセオで待つと言う『ブチャラティ』と呼ばれる人物の現在を知っていた。コロッセオで彼らを待っていやしない、彼は既に、遠い遠い場所へと旅立ったのだから。
「…………」
少年は押し殺す。彼にはまだ使命が残っている。ブチャラティとの約束が残っている。それを成し遂げなければならないのだ、打ち拉がれる余裕など、あってはならない。
「……あぁ……行こう……」
震える身体を何とか駆動させ、二人の方へ前を向いた。
「今……行くよ…………」
街には止まる事のない風が吹く。雲は風の僕として終わり無き旅を続けるのだ。
少年は空を見上げ、息を吸う。死に行った仲間たちが雲に移っているように見えた。時間は戻せない、失ったものは多い、だがこれで良かったのだ。苦難の先にあったこの勝利を掴めた事が、何よりの勝利なのだから。
「ん?」
足元でカランと、何かが落ちる音がする。見下ろしてみれば、一つの『矢』が落ちていた……自身の身体から分離したのか。
少年はそれを拾おうと、身体を屈めた。
「うっ!?」
その時、尋常ではない程の目眩が彼を襲った。頭の中を掻き回されているような錯乱と、全身が汚濁にて浸されているかのような嫌悪感が突然現れたのだ。
原因が分からない、ただ、意識が吸い取られて行くかのように消失して行く。究明の為に首を動かす事も愚か、目玉を動かす気力もない。
「おい急げよッ! おめーが先に行かねーで、誰がブチャラティの負傷を治すって言うんだ!」
男の苛立った声が聞こえたが、意味がない。
少年は対抗する事が出来ず、意識が消え行くままに身体を倒す。目眩で歪む視界の先には、白い光が見えたのだった。
「ハッ!?」
少年は目を覚ました。目眩は収まり、気分も良くなっている上、まるで悪夢からの目覚めのような唐突さを伴って彼はその場にいた。
倒れていたと思っていた身体は、しゃがみ込み屈んだ状態のまま。相違点として、目の前の光景が変わった事だろうか。
彼が立っているのは石畳みの上、矢が消失した。
「す、『スタンド攻撃』かッ!?」
少年は咄嗟に身体を動かし、辺りを見回す。
真っ先に視界に入るは、紅の館。直角と曲線美が入り混じる、デカダンスが好みそうなゴシックじみた造形で、アシンメトリーではあるものの逆に、それが館の雰囲気を醸し出しているかのようで邪魔になってはいない。そして館の最上の塔には、大時計が設置されており、現時刻は十四時十一分(太陽が出ているので午後だろう)である事が知れた。
「な、なんだ……ここは……!」
いや、時間なんてどうでも良い。少年はイタリアのコロッセオ前から突然ここへ飛ばされた事に、動揺を隠せなかった。
館の周辺に目を向けると、グルリと壁が建てられ、私有地である事を誇示しているかのようだ。そして丁度正面部には、立派な門がある。趣味の悪い変わり者貴族の豪邸と言った、そんな印象だ。
「何があったんだ……全く、理解出来なかった……!」
少年は理由が分からず、あぐねている。彼は合理的な人間だ、その合理に似合わない事象に当惑しているのだった。
「そ、そうだ……!『ミスタ』!『トリッシュ』ッ!! 何処だ!!」
先を催促させていた男と、同伴である少女の名を呼ぶ。
返事はない上に、気配もなかった。まるでこの屋敷が眠りについているかのような、不気味な静けさだけが場を支配していた。
「まさか『ディアボロ』の……いや、奴は確かに僕のスタンドが……それに、『キング・クリムゾン』にこのような事象を引き起こす能力はない……」
冷静に少年は、可能性である事柄を一つ一つと当て嵌めて行く。
まず、認知しなかった『親衛隊』による攻撃かと疑うが、どうにも考えられない。あの時、『チャリオッツ・レクイエム』の騒動が元通りになった瞬間のハズ、とてもすぐに攻撃を開始出来る精神状態を持っていた敵がいたとは考えにくい。
次に、この出来事は夢なのではとの疑いだが、吹きそよぐ風の感触と草の匂いは夢と決め付けるには愚昧な程、リアルであったのだ。夢だとは考えられない。
「……『矢』は……何処へ……」
少年は拾おうとした矢を探しに、自身の周囲を見渡す。見渡したとて、綺麗に手入れされた中庭風景のみで、何も無い。
いや、見つけた。言えど見つけたものとは、無機物ではなく有機体であるのだが。
「……む……」
少年の前方の草むらに半身を突っ込み仰向けに倒れる、黒い服を着た人間を見つけた。
もしや敵ではと彼は警戒したのだが、見えるその人物の下半身部は重傷だらけで、血が流れている事に気が付く。
「……! あの、そこの人!」
少年の呼び掛けに対し、応答なし。この場にて唯一発見した生物と言う事で、近付く事を彼は決めた。
「…………」
恐る恐る近付き、間近でその存在を確認する。
倒れていて分かるが、かなり大柄な人物だと認識出来る。そして図体の良さから男性であると判別された。頭部から右半身にかけてが草むらにかかっており、どんな人物かは分からないものの、身体はまるで爆撃を受けたかのような無残な怪我をしている。少年さえも、何が理由なのかが分からなかった。
「一体、どんな事が起きて……こんな……」
不意に、彼の幼少時の記憶がフラッシュバックする。それは、自身が助けた人物でもあり、自身の人生を希望あるものと変えてくれた恩人の記憶。その恩人もまた、負傷して草むらに倒れ伏していた。
黒い服、無残な怪我、草むら……少年は理性的な人物でロマンとは程遠い性格であったのだが、どうしても今の状況が、その時の状況と被って見えて仕方なかったのだ。
兎にも角にも、この大怪我は異常だ。流血も進んでおり、放っておけば数分の命だろうに。
「貴方、大丈夫ですか? 意識は、ありますか?」
倒れる彼に近付き、怪我を刺激しない程度に身体を揺する。だが、反応は無し。予想通りだが、気絶しているようだ。
すると、男に触る少年の手が黄金の光を一瞬散らせたように見えた。
「……生命はまだある。辛うじてだが、まだ生きている……なんて生命力だ!」
少年が何をしたかは別として、倒れる負傷者はまだ生きている事が分かった。
この場所が何処か分からないが、目の前の怪我人は助けなければならない。もしかするとこの男もまた巻き込まれた者であり、事情を知っている可能性もあろう。どんな人物かは分からないが、少年には何故かこの男が敵とは思えない確信があったのだ。
「……何だか分からない……が、僕はこの人を知っているような気がする。まるで兄弟のように、ずっと一緒にいたかのような……奇妙な感覚だ」
草むらに身体が隠れた状態で『治療』は出来ない。少年は男を手当てする為、彼を草むらから引き摺り出した。
出て来た頭部に、少年は思わず二度見してしまう。
軍艦と言うかバルコニーと言うか、そんな形容が入る程の髪型をしていたからだ。後ろ髪を全て前へ前へと結集させたかのような髪型で、完全に鼻先より先に突き出ていた。
「…………」
少年は頭を見るのをやめ、顔を見る。知っている人物かと(言えど髪型のインパクトに覚えがない為、知らぬ人物とは思うが)確認したかったのだ。
男の顔は整った顔立ちだ。だが何処か幼さの残る顔からして、年齢は自分とそんな変わらないのではと推理する。存外、若い青年であった。
次に服装を見る。何だか、自分の着ているような、胸元の襟をはだけさせたようなセンスの似た服を着ていた。少年は男の着る服が学校制服であると思い、それもイタリアでは無く、彼の古い記憶にある『日本学生』の制服ではないかと気付く。
「……と、すると……日本人か?……しかし、日本人にしては顔が濃いか……ハーフだろうか」
彼は何だか、自分と似ている。そう少年は彼に、ある種のシンパシーを感じ取っていた。
ある程度、彼の特徴を見た少年は観察を取り止めて治療をする。『材料』を集めに、地面を見下ろした。煉瓦を並べた道だが、凸凹は少なく自身の知る街と負けず劣らずな程に見事な石畳みである。
「これだけあれば……後は『パーツ』を作るだけだ……」
少年は足元の煉瓦を触り、再びそれを持つ手に黄金の光を____
「動かないで」
____放つ前に、女性の鋭い声が背後から聞こえた。
「なにッ!?」
少年は振り向こうとするが、首に冷たい気配を感じる。
銀に輝く鋭利なナイフが、喉元に突きつけられていたのだ。
「いっ……!?」
「お嬢様が突然、見回りを命じたから侵入者かと思えば……案の定ね。ここに、鼠が入り込んでいた訳よ」
少年は全く理解出来なかった。
男の治療に夢中になっていた訳ではない、ずっと警戒心は辺りに向けていた。不意打ちを意識しての事だ。だが背後に立つこの謎の女性、まるで突然現れたかのように少年の後ろを取っていたのだ。気配を察知する前に、それを、切り抜けて突然に。
(馬鹿な……! 足音も、呼吸も物音もしなかったのに……!)
動揺する少年に、女性は鋭い刃のような声で質問をする。
「しかし、今日は珍しく起きていた門番の目を掻い潜って……どうやって侵入したの?」
「一体、何が……!」
「質問を質問で返さない。質問者は私で、回答者は貴方。もう一度言うわよ」
「……いや、言わなくてもいい、です……待ってください、説明をします……」
少年はこの女性に対抗する事は危険だと、判断する。何が起こったのか分からないのに抵抗行動をすれば、悲惨な結末になる事を誰よりも理解している。
それに、女性は敵意を示しているものの、「侵入者」として少年を見ている事も理由の一つ。明確な殺意があるのならさっさと殺すハズだが、侵入者と決めてかかっている事はまだ話し合いの余地がある事。向こうは自分を『知らない』からだ。
質問をしている事は自分を知りたがっている証拠。圧倒的不利な状況下とは言え、余地があるのなら戦闘をする必要もない。
「しかしまず、この人の治療をしなければなりません。経緯は必ず話します、まずは……」
丁寧な口調で、男の治療を申し出る。例え正直に「いきなりここへ飛ばされました」と言えど、信じてくれるハズがない。ならばまず、目の前の現実を提示する必要があった。
彼の意図を察した女性は、少年から倒れている男と方へ視線を向ける。
「酷い怪我ね……生きているの?」
「辛うじて、ですが」
「でも尚更、貴方たちが分からないわ。動けない重傷者を連れて、どうやって浸入出来たのやら……」
彼女は『浸入』に拘りを置いている口調だ、それにかなり悠長。このような怪我を前に、まるで日常茶飯事とも言わんばかりな言い方。
(……言い訳を考えなくてはならないか……)
追求した軽蔑の言葉でも来るかと踏んだが、女性は考え込んだように少し黙り、また口を開く。
「貴方、ここが何処か分かる?」
「え?……いいえ、全く……初めて見ました、このような屋敷は」
「ここは『紅魔館』と言う所よ」
「コウマ……?」
「……どうやら、本当に知らないようね」
女性はチラリと、倒れている男性へ再び目を向けた。
「……所でこの男は、貴方の知り合いかしら?」
「……いえ、初対面です」
「あら、そうなの。てっきり兄弟かと思ったわ」
冗談混じりな口調で、彼女はそう言う。
少年本人も「兄弟みたいだ」とは思っていたものの、喉元にナイフを突き付けられている身として、突っ込まない。反応がないので、女性はつまらなさげに次の質問をする。
「どうしてこんな怪我を? 妖怪にやられた?」
「……? 妖、怪?」
「妖怪よ。まさか貴方、知らないの?」
「……何を、仰っているのか……」
また彼女の冗談かと思われた。確かに不可解な怪我とは言え、ファンタジーを持ち出すこの女性に怪訝な気持ちが現れる。
少年の様子を察したのか、女性は質問を変えた。
「貴方はここへ来る前は何処にいたの?」
「え?」
いきなり趣旨の変わった質問になったので、少年から拍子抜けした声が漏れる。何を言っているんださっきからと思った時に、女性は彼へ返答を急かす。
「良いから答えなさい」
「……イタリアの、ローマ」
質問の本位が掴めないものの、少年が飛ばされる前の所在地について言った時、彼女から納得したような声がかかる。
「イタリア、ローマ……あぁ、貴方たちやっぱり『外来人』ね。成る程、理解したわ」
すると、首元に立てられたナイフが突然消え上に、背後の女性の気配も消えた。
突然霧のように消えた気配に驚き、思い切って振り返ってみたのだが誰もいない。
「拘束は解いてあげるわ。浸入はともあれ、敵意は無いようだし」
「えっ!?」
「それでこの青年……手当てでどうにかなる傷じゃないわよ。どうやって治療するつもりでいたのかしら、貴方医者じゃないでしょ?」
再び前を向けば、倒れた男性のしゃがみ込んで状態を見ている女性の姿があった。
銀髪の女性で、服装はメイド用のもの。この屋敷のメイドなのだろうか。そして妙なオーラを纏った、只者ではない雰囲気を醸し出している。知的で瀟洒で、それなのに絶対的な威圧のあるオーラ。
(スタンドの気配が無かった……こ、これは一体……! 瞬間移動とか、そう言うチャチなものじゃあないぞ……!)
彼女の移動に、予兆が無かった。何の前触れもなく突然消えて、次にずっとそこにいたかのように別の場所で姿を現しているのだ。とても自然で、変な表現だが違和感のない瞬間移動だ。
呆然とする少年を前にして、メイドは言う。
「まるで弾幕を複数受けたような怪我ね……『外の世界』に、弾幕を使える存在でもいたのかしら?」
「外の……世界……?」
「説明なら後よ。そうね……外の世界から来たのなら、お嬢様に気に入られるかも……ね」
「…………?」
彼女の言葉に……特に『外の世界』と言うワードが引っかかる。まるでここは、自分たちが知る世界では無いようなと、そう思わせる曖昧な表現に感じた。
一体ここは何処で、自分に何があったのか。一先ず、分からない事は今は置いておこう。手掛かり無しでそんな事を考えるだけ、無駄なのだ。
「待っていなさい。お嬢様に許可を聞いて来るわ……すぐに」
「その必要はないわよ、『咲夜』」
その時、少年の頭上にて幼い声が聞こえて来た。
ばっと上を向けば、屋敷のテラスより日傘をさしてこちらを見る人影が確認出来る。
「お嬢様!」
メイド……咲夜と呼ばれる女性は彼女の存在に気が付くと立ち上がった。どうやらテラスからこっちを見る彼女が、この屋敷の重要人物なのだろう。その顔は、日傘による影で良く見えないのだが、声と背丈からしてかなり幼い事だけが分かる。屋敷主人の娘だろうかと、まずは予想した。
「へぇ……面白そうな珍客の来訪ね。『外来人』なんて滅多に見ないわ」
「ッ!?」
ならば、これは何だろうか、この幼き少女から溢れる成熟したような妖しい色気は、腕を首筋に絡めてくるようなこの色気は。それ程の形容されるまでに言葉の一つ一つに魅力が込められているような、引き寄せられる口調をしていたのだ。とても自分より年少の人間とは思えない。
少年は無意識に、その少女に対して恐れを抱いている。彼女には他者を屈服させる何かを持っている事に気付いた。
(なんだ、この……魅力……は…………これは! これが、『カリスマ』なのか……!)
少年は出会った事のない圧倒的カリスマの前で、危うく平伏しそうになっていた。それ程までに、彼女の存在感またはオーラと、言葉で尽くせない魅力を持っているのだ。
何とか気を整えて、少年はその得体の知れない『お嬢様』に対して声をかける。完全に屈服しなかったのは、彼の高尚な自我によるものだろうか。
「この屋敷の主人ですか?」
「えぇ、如何にも。私がこの紅魔館の主よ」
年齢的に有り得ないが、それを有り得させるに十分な素質が滲み出ている。彼女のカリスマは、幼少の娘が屋敷の主人であると言う現実味のない話に現実味を帯びさせていたのだ。
動揺や常識的観念を、少年は全て抑圧し、尚平然として謝罪をする。
「勝手に入った非礼をお詫びします。この屋敷の敷地内にいる間は貴方の言葉に従います」
「あら、なかなか立場を弁えた人間じゃない。媚び諂う様子も無いし、そこの所は好感が持てるわね」
「……感謝します」
こちらを見下ろす主人を真っ直ぐに見る。日傘の影の下の主人は、表情こそ見えないものの楽しんでいるような風に思えた。身体を揺らし、少年の様子を観察して楽しんでいるようだ。
重傷者を前にしてこの慌てなさ。強大なカリスマとこの咲夜と呼ばれるメイドからして堅気の者では……いや、堅気かどうかの物差しなど意味を持たないのではと思わせるような、人外じみた雰囲気がある。
「そうね……少し気に入ったわ。咲夜、屋敷の一室を貸してあげなさい」
「よろしいのですね? お嬢様」
「私が言っているのよ、咲夜。客人として持て成しなさい」
息が抜けたような妖艶な口調で、主人は寛大にも屋敷を少年らに使わせて貰える許可を得た。テラスの手摺に寄り掛かり、日傘をくるくる回して、こちらから目を離さない。メイドも主人に「畏まりました」と一礼し、方針に異議なく従うようだ。
何だか分からないが、あっさりと御目通りが下りる。だが寧ろそれが少年に警戒心を与える。メイドの咲夜もこの主人も、只者では無いとは既に気付いていたので、何かの思惑を感じずにいられないだろう。特に降り注ぐ主人の舐めるような目が、少年にとって悍ましいと言う言葉で表現しきれない負の感情を抱かせている。果たしてこの感情を悟られているか否か。
(……しかし、一先ずこれで良いか……僕の『切り札』は隠しておきたい……気掛かりなのは、ここが何処かと言う事のみ)
頻りに頭の中で繰り返す、『外の世界』の違和感。ここは何処か、果たして彼女らは何者なのか、自分に何が起こったのか……常識で捉えられない疑問だらけだ。
それに、彼女らの腹の中は分からないものの、一応は良い選択だったのかもしれない。分からない以上は、事情を知る者の懐にいた方が良い。
「室内に運ぶ前に、まずは止血だけでもしておきましょう」
「…………」
いつの間にか咲夜の手の中には、止血パッドや包帯やらが抱えられていた。やはり何も兆候がない、ずっと前から持っていたかのような自然な不自然。彼女もまた、『切り札』を持っているようだ。
しかし彼女の口調が丁寧になっている、今の少年らは『客人』だからだろう。有能で律儀、一体この女性を心酔させる『お嬢様』とは何者なのだろうか。
「……分かりました。応急処置を手伝います」
「いえ、包帯の事は大丈夫です。運搬をお願いしたいのですが」
「あ……!」
今度は少年が見ている前で、男の身体中に包帯が巻かれ終わっていた。
信じられない光景だった、まるでビデオのコマ送りのように、応急処置は次の瞬間に完遂されていたのだ。やはり、何の兆候すら確認出来なかった。
何が何だか分からない。しかし、ともあれ男の流血はここで防がれる。
「わ、分かりました……」
「そこの担架に乗せてください」
「…………」
先程まで無かったハズの担架が、ご丁寧にもう男の隣に置かれていた。奇妙な感覚と謎の嫌悪感だが、少年はそれらを押し殺して男の運搬を行おうと近付く。
行動は慎重にする予定だ、この咲夜の謎が解けるまで。この屋敷にいる以上、彼女の管轄下だと肝に免じる。彼がつい先程まで死闘を繰り広げていたディアボロと言う男とは、ベクトルの違う脅威を感じ取っていた。
(目的に到達するハズだったのに……ブチャラティ、貴方との約束は遅れてしまいそうです)
心の中で親愛なる人、ブチャラティに謝罪をし、担架に乗せようと大柄で重量級の男の上半身を起こした。
少年が男を担架に乗せようとした時、上から彼らの様子を日和見していた主人が何故か身体を震わせている。
「……くふふ! ちょっと、ちょっと待って……」
「お嬢様?」
「あぁ、やっぱり堪えられない! あはははは!」
震えながら主人は突然笑い出した。高々しい、耳に残る笑い声。
少年は内心で、気でも触れたかと思ったが、そうでは無いらしい。面白いコメディアンに向けるような、本心からの笑いをかましている。先程までの威厳と色気が、どっか行ってしまった。
「…………どうかなさいましたか、お嬢様? 客人の前で突然大笑いとは、淑女としてかなりどうかと」
「煩いわね咲……いひひっ! あははははは!! ほ、本当に珍客ね! 金髪の方もだけど、どうやったらそんな頭にしようと考えるのかしら!!」
「……頭?」
笑って笑って、肩を上下させながら主人は担架に乗せられた男を指差し言った。
「だって、その人間の髪型! 壁から出っ張った、まるで燕の巣じゃあないの!」
「……今、なんつった?」
少年でもない、咲夜でもない、第三者のドスの効いた声が聞こえた。暗い海底より、眠れる猛獣が目を覚ましたかのような、凍てつく程に殺意の込められた一言である。
声は少年の真横より現れた為、誰が発言者かはすぐに判明する。「まさか」と顔を向けた少年の視線の先で____
「あ、貴方、目を覚まし……!?」
「……上のあの女はよぉぉ……」
「は……?」
____燃え盛る程に爛々とした目を見開いた、修羅なまでに激怒を表した男の表情があった。とてつもない怒りのオーラだ、地が震えている感覚に陥る。一度、極度に怒れる男を見た事はあるのだが、それさえ凌ぐ巨大な怒りが煮立っているようだ。
「ふふふ……あ、起きたの。凄いわね、人間にしては頑丈な____」
「そこの、おめぇ、今よぉぉぉ……」
「____え?」
男は理性の消えた、煉獄の炎を宿す獅子の瞳を主人へとぶつけた。
そしてそのまま、自らの髪に指を差し、遠く山々まで轟かせるような怒りの絶叫を放出する。
「今オレのこの頭の事、なんつったぁぁぁぁ!?!?」
『Get Your Wings』END
To Be Continued…………
次回は再び、ジョセフパートに入ります。投稿頻度がここまで高いのは、序盤部分を書き切ろうと言う帳尻合わせ精神からです(ゲス顔)