仮題・・・恋姫世界に幕末日本をぶち込んでみた。   作:3番目

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04話 桜田門外の変、直弼死なず

安政7年3月3日

「いや~、世話になったな井伊殿。反本丸、真にいい薬であるな。」

「いやはや、上様に喜んで頂けて恐悦にございます。」

 井伊直弼から重箱に入った反本丸を受け取った家茂は満足げに重さを確かめながら彦根藩の用意した籠に乗り込む。

「上様、例の件なにとぞ・・・」

「わかっておる、攘夷派の連中のことだろう。取り締まりは厳しくして構わぬ。」

 籠に乗り込む家茂に直弼が小声で話しかけていたのだが家茂は特に気にした様子もなく普通の声で応じる。

 これは暗に安政の大獄の延長が決定された瞬間でもあった。

 

「殿、今日は上様もいらっしゃいます。護衛の数を増やしたほうが・・・よろしいかと」

「うーむ、そうじゃな。しかし、今から行列を組みなおすと登城が遅れる故。景福、あとから合流する形でたのむ。後続の編成はそちに任せる。」

 直弼は腹心の宇津木景福の進言を受け入れ、家茂・直弼の行列が出立後、遅れて宇津木が第二陣の護衛を出すという即興の護衛計画を立てた。

 

 こうして、少しづつ歴史の歯車が狂いだす・・・

 家茂と直弼を乗せた駕籠は雪の中を、外桜田の藩邸を出て江戸城に向かった。供廻りの徒士、足軽、草履取りなど60余名の行列が桜田門外の杵築藩邸の門前を通り過ぎようとしていた時、関鉄之介を中心とする水戸脱藩浪士17名と薩摩藩士の有村次左衛門の計18名による襲撃を受けた。

 

 最初に短銃で撃たれて重傷を負った直弼は駕籠から動けず、供回りの彦根藩士は初撃の銃撃で狼狽してうまく機能せず、駕籠を守ろうとした者も多くが刺客に切り伏せられた。

 

「のわぁ!?な、なにごとだ!!」

 

 家茂が襲撃に気が付き慌てて籠から飛び降りる。

 あたりでは彦根藩不利の形で斬り合いが始まっていた。

 

「死ねー!!」

 

 直弼の顔が全く分からない一部の襲撃者が豪華な着物を着ている家茂を井伊直弼と勘違いして襲ってきた。

 家茂はヒーヒー言いながら襲撃者から逃げ惑った。

 家茂、素材は文武両道の名君候補と言われるほどに優秀な人間であった、おそらく本気で応戦すれば3・4人は返り討ちにできたであろう。しかし、中身は現代人の精神である。

 この状況ではヘタレる。変に暴れなかったからこそ、襲撃者に変に狙われなかった。

 

「ひー、あ、開けてくれ!!余は!!俺は死にたくない!!開けろー!!むしろ、助けろ!!」

 

 杵築藩邸の冠木門に取り付いた家茂は懸命に扉をたたいた。

 家茂は自分に迫る襲撃者がいないか頻繁にキョロキョロしていた。その際に、家茂は杵築藩邸の壁に梯子をかけて襲撃されている直弼達を見物している杵築藩士たちの中に藩主松平親良がいたのに気が付いた。家茂と親良は江戸城で顔を合わせたこともあるし親戚なので外様藩主以上にお互いに記憶に残っていた。

 

「あ、親良、親良殿!?ちょ、ちょっと!!助けてくんない!!」

「え、上様!?なぜに上様が!?」

「井伊殿のところにお忍で1泊してたら、運が悪かった!!助けて!!助けて今すぐ!!」

「えー!?わ、わかった!!わかり申した!!すぐに、お救い致しますぞ!!」

 

 偶然に偶然が重なった結果、歴史は変わったのだ。

 杵築藩の藩邸の冠木門が開かれ刀をもって着の身着のままの姿で襲撃者に切りかかる杵築藩士達、一時は藩邸内に家茂と直弼の二人を入れたのだが、門を守り切れず藩邸内で斬り合うことになってしまった。

 

 宇津木が到着したころには行列の半数が死傷しており残りのほとんどが何らかの怪我をしており、杵築藩邸内まで続いている血の跡と死体、まだ、斬り合いの音が聞こえているが何とか水戸藩士達を切り伏せ襲撃を退けた宇津木であった。

 藩邸内の奥の部屋で瀕死の重傷の井伊直弼とその横で軽傷ながらもがたがた情けなく震えている家茂、そして頭から血を流しつつも二人の前に仁王立ちし他の護衛達や杵築藩士達と守りを固めている親良の姿を見つけたのであった。

 宇津木は松平親良に礼を言うと江戸城へ向かうことを希望した家茂と直弼を連れてその場を後にした。

 

 

 

 

 

「ええい!!水戸の連中め!!藩主とあの爺を呼び出せ!!薩摩藩もだ!!」

 

 自身の身が危険にさらされた、たぶん初めてである。その時の恐怖が反動で怒りに変わったのであろう家茂は怒り心頭であった。

 将軍自ら問いただすと二藩の藩主と水戸前藩主を呼びつけた。

 直弼も江戸へ登城し傷の手当を受けて、詰問の席に同席することになった。

 

 水戸藩の失態を明るみにだし、反対勢力をことごとく失脚させ、家茂の改革の妨げはなくなったのだ。

 その後、水戸藩と薩摩藩は家茂の怒りにふれ水戸藩は厳封され近日中の参勤交代を命じられた。さらに、幕府から監査役が一定の期間で派遣される措置が取られた。

 また、水戸藩は将来的に領地替えが予定され、いまだに所在があいまいな布哈図(ハバロフスク)・沿海地方への領地替えが予定された。

 ちなみに、歴史のずれか何かでかろうじて生存していた徳川斉昭らも半年後に失意のうちにこの世を去った。

 もう一方の薩摩藩であったが主犯格でもなく一人だけの参加だったため、水戸に比べれば軽い措置であった。琉球に対する仕置きはすべて幕府が直接行うという仕置き下された。以後、琉球王国との交渉権を幕府が握ることとなった。

 

 水戸藩と薩摩藩に詰問というよりも沙汰を下した。あと、直弼は江戸屋敷で長期休養となり大老不在の期間が続いていくのであった。

 しかし、その後の体調の回復が思わしくなく、翌年には直弼は大老職を辞任し彦根へと静養のために戻っていった。

 

 井伊直弼が中央から下がったころから松平定敬ら将軍派が幕府中央で力をつけ始めていた。直弼のような性急な開国論者ではなく井伊直弼が中央から下がったころから開国論者であり富国強兵を重視した将軍派の台頭は幕府権威の強化につながり、桜田門外の変が未発に終わったりとさらに歴史の歯車は狂った。

 

 


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