仮題・・・恋姫世界に幕末日本をぶち込んでみた。 作:3番目
家茂の精神はギリギリであった24時間監視され自由のない生活。プライベートが確保され娯楽も多かった現代人だった彼にとって、これは苦痛だった。
あまりにも娯楽が少なすぎて一部の勉学が娯楽に振り分けられるほどであった。
彼にとって勉学は娯楽ではない。現代人のほとんどの人はこの意見には同意だろう。自由がなくきつい職務を全うし、ようやく得た自由時間に勉強などさせられた日には発狂ものである。食事中にお膳をもって逃亡することが日常化し、小姓達に悪態をつき酒を飲んで悪絡みする事が習慣化しつつある家茂。
幕末日本を近代化した実績がなければ後の世では確実に歴代最悪の将軍として語られるだろう。
家茂の自由を求めての奇行は日に日にエスカレートしていた。
仕事中、戦国武将山中鹿之助になぞって厠から城外へ逃亡しようとして糞の中で溺れかける。出入り商人の荷台に紛れようとすること複数回。場内移動中に突如走り出し逃走すること多数。
幕臣や小姓達は家茂と仲のいい二人の大名に協力を求めた。
そう、松平容保と松平定敬であった。
頭脳派ではない容保は「女遊びでもさせろ」と一蹴した。
もう一方の定敬は元現代人であっても将軍である家茂の奇行はいろいろな方面で悪い影響をもたらすと考え早急に手を打った。
意外とありきたりであったがお忍びの外出であった。
将軍のお忍び外出は昔はよくあったのだが、準備や後始末が大変であったため最近では面倒ごとを嫌った幕臣たちが将軍の代替わりごとにお忍び外出を削っていき、家茂の代では完全に消滅していたのだ。
将軍にだって息抜きは必要である人間だもの
定敬主導でお忍び外出が再開されることに第一回は桑名藩邸である。
その道程で江戸の町を散策している。
そんなわけで大いに羽を伸ばせるようになった家茂、ハイテンションである。
「自由だー!定敬!!おー湯屋だ!!湯屋だぞ!!城では掛湯だから湯船に入りたいぞ!!」
湯船に入りたい一心で湯屋に入る事になった。
「う、上様・・・・じゃなかった徳田殿(偽名)。あまり、騒がないでくれ。浮いているぞ。」
異様なテンションの家茂、それに対して困惑している定敬。
「だってよー混浴だぞ。混浴!!ウヒョー!!」
興奮状態の家茂に付き添っていた定敬は引いていた。
結構芋洗い状態大浴場であったがこの時代に転生して初めての湯船。日本人なら湯船は正義なのだ。
そのあとも定敬と僅かな小姓の野郎の集団で稲荷寿司や天麩羅の屋台で間食して、絵草子屋(本屋エロ本もあるよ)で立ち読み等をして、最後に桑名藩邸で饗応の宴をして一泊。
翌日に登城する大名の籠(極々稀に輿や牛車・馬、徒歩なんってのも、家茂の代で規制が緩くなった。)に便乗して帰城した。
その後も月に2回程、江戸の町を徘徊してから、信用のおける藩の藩邸に泊まって帰城するという息抜きが行われた。
会津藩邸にも宿泊した。家茂は会津藩邸で信のおける家臣であり、友人である松平容保と宴を楽しんだのだが、TSした新撰組を侍らせてハーレムを築き上げていた。
金髪の近藤勇、赤髪の土方歳三、水色髪の沖田総司、紫髪の斎藤一、銀髪の山崎丞、総じて巨乳・美乳であった。
新撰組の男女比率は1:4である。つまり8割は女性である。200人程いる隊士のうち160人が女、しかも美女美少女揃いである。しかも強い、うらやましい…うらやましすぎる。
普段ならやらないが家茂が将軍の権威やらをちらつかせたり歯の浮くような言葉を口にしたが、彼女たちは一切振り向かなかった。
それどころか、容保と彼女たちの夜の営みを聞かされるなど、目の前でイチャイチャされて、嫉妬心燃え上がる。
翌日は会津藩の登城行列に同伴したが、家茂の乗った籠の中では歯軋りの音が聞こえたのであった。
そんなこんなで数年ほど経ち、徳川政権下の日本は文化面でも技術面でも大発展を遂げているのだがここでは割愛する。
そして、家茂はいつものように息抜きのお忍びで江戸の町を徘徊した後、信のおける藩主の下で宿泊する。
「上様、一献・・・」
「うむ、いただこう」
宴の後、就寝前に藩主と二人で降り始める雪を酒の肴に語り合った。
安政7年3月2日、彦根藩邸での一夜であった。