仮題・・・恋姫世界に幕末日本をぶち込んでみた。 作:3番目
ローマ帝国では時代では1つの軍団は10のコホルス(大隊)から構成され、騎兵200強を含めたおよそ5000人の軍団兵がいた。歴史の修正力とでも言うのだろうか、史実での最盛期の軍団数を軽く超える通算約50個の軍団が創設されていた、これは25万の兵士を抱えているということだ。ちなみにこれは正規軍軍団数であり、属州兵をからなる軍団は騎兵こそ抱えていないが正規軍団同様に5000の軍団兵を抱え50個25万人の軍団が創設されていた。これを補填する形で軍団の形を取らない奴隷兵がいた無論奴隷すべてを兵士にできるわけではないので、その数はおよそ10万程だろうか。それでもローマ帝国の総兵力60万もあるのだ。
とりあえず、ローマ帝国の強大さは理解さしてもらえただろう。
普通に考えればローマ帝国は史実以上に纏まっており数もあるゆえに世界は彼らのものになりかねないのだが・・・
そうならない理由があった、それはこの世界の特色とでも言えばよいのだろうか。主にアジア特に東アジア地域に多くいる「気」を使う者達の存在であった。
この「気」を使う者達は類に漏れず一騎当千の戦士なのだ。
地域的にこの気を使うものの少ない西・中央アジアでは必然的にローマ帝国が猛威を振るったわけであった。
そして、今回の戦いにおいて派遣された国は気の使い手を有する扶南国と室利仏逝王国、そして未来の技術を持った徳川日本国が前線に立ったのだ。
バルチスターンでは、激しい戦いが繰り広げられる。
彼ら連合軍の眼前には「Senatus Populusque Romanus」、「元老院とローマの人民」の意味を持つSPQRの赤い旗が目の前を覆いつくしていた。
チェインメイルを着て、大盾を横一列に並べた投槍・短剣を装備した重装歩兵ホプロマクス達が前進を開始する。
徳川日本軍は幕府陸軍大砲隊の国産アームストログ砲と諸藩保有の青銅製のカノン砲や臼砲から砲撃が始まるが彼らの進撃を止めるには至らなかった。
戦場には彼らの歩く音と、時たま聞こえる砲撃音だけが響いた。
ローマ重装騎兵エイテクスと軽騎兵アウジリアスが側面から迫る、
「騎兵隊掛かれ!!!」「「「続け!!!」」」
プリムス・ピルス(筆頭百人隊長)の突撃に始まり、他のケントゥリオン(百人隊長)
が続く。
伊達宗城もこれに応じて指示を出す。
「騎馬隊!!敵騎馬隊の横撃を遮断せよ!!」
両軍の左翼右翼のパルティア騎兵・サータバーハナ騎兵・騎馬武者の混成部隊が両翼で衝突する。
伊達宗城が軍扇を上げ叫ぶ。
「鉄砲隊・弓兵隊!!射撃用意ぃ!!!」
各国の士官や将達が号令を聞き命令を出す。
「引き絞れ!!」「良く狙え!!」
「構え!!筒!!」「狙え!!筒!!」
宗城が軍扇を振り下ろす。
「斉射ぁ!!!」
各国の士官や将達が号令が響く。
「放て!!」
「撃て!!」
パンッ!! パンッ!!パパッン!!
ヒュン!!ヒュン!!ヒュン!!
ローマ兵達が倒れていく。
ヒュン!!ヒュン!!ヒュン!!
ローマ軍弓兵の応射が始まる。
「ぐっ!!」
宗城の右肩に矢が刺さり、鎧を着こんだ宇和島藩士が駆け寄る。
「宗城様!!」
「大丈夫だ!!・・・・・・・・・これが戦か。」
藩士を下がらせた宗城は額に脂汗を貯めて呟く。
ギリギリまで銃射撃を続ける徳川日本軍と琉球陸軍の後ろにパルティアとサータバーハナ、扶南・室利仏逝の剣兵・槍兵・斧戦士・鎧武者達100~500規模集団が集まってくる。
突撃の命令が下るのを待っているのだ。
洋装の銃兵指揮官が伝令の言葉を聞き頷く。
「撃ち方止め!!!高台へ移動!!!」
他の指揮官たちも次々と命令を下す。
「高台へ移動!!!」「高台へ移動!!!」「高台へ移動!!!」
銃兵達が下がったのを確認した、この前線の指揮官柳川藩藩主立花鑑寛が声を張り上げ叫ぶ。
「全軍!!!突撃ぃいいいいい!!!」
彼の号令で徳川日本、扶南、室利仏逝、琉球、パルティア、サータバーハナの重軽様々な剣兵・槍兵・斧戦士・鎧武者達が突撃する。
ローマ帝国のピルス・プリオル(上級指揮官)も突撃命令を下す。
「突撃!!!ローマの勇猛を示せ!!!!」
「「「「「「「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」」」」」
一人の人間が、集団が、軍団が衝突する。
剣と剣が剣と刀が剣と斧が槍と槍がぶつかり合い。
斬撃、刺突、体当たり、ありとあらゆる攻撃手段が行使される戦場が広がったのであった。
高台に上がった銃兵や弓兵が支援射撃をする。
同様にローマの弓兵も高台を確保し高台同士で射撃戦が始まる。
一か月にもわたる戦いが繰り広げられ、ついにはローマ帝国軍をバルチスターンより追い出すことに成功したのだった。
この戦いでは射撃戦では徳川日本の砲撃銃射撃が、白兵戦では扶南・室利仏逝の戦士達の活躍が勝利に貢献した。
気を使える彼女たちの前線での活躍はすさまじく将官クラスでもない兵士でもローマ兵と3対1で戦えるほどであった。幕府高官は彼女達の気と言う力に力強さを感じたのだ。
一方で、連合海軍艦隊はオマーン湾完全に掌握、パルティア軍の一部がカタール、アブダビ、マスカットを制圧。これに呼応する形でアラブ諸民族が反乱を起こしたのであった。
そして、バルチスターン、ヘルマンド水源域を確保した連合軍にクシャーナ朝の使者が接触してきた。バルチスターン、ヘルマンド水源域での戦いでの勝利。
パルティア王国国王ヴォロガセス6世、サータヴァーハナ朝国王シムカ・サータヴァーハナは伊達宗城、立花鑑寛、黒田長知ら徳川日本の高官を王宮へ呼び出した。
彼らはクシャーナ朝の使者を挟み、長時間にわたる会談が開かれた。会議中の部屋から何度か徳川日本の外交官が何度も扶南国・室利仏逝王国・琉球王国の代表が控える部屋へと往復し協議した。
その結果、クシャーナ朝の軍を加えた7か国の連合軍でイラン高原での決戦を行おうということになったのだ。
第二次イラン高原の戦いが始まろうとしていた。
パルティア出兵編もうほんの少しだけ続きます。