ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト   作:hirotani

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R-18タグをつけるべきかな~と、最近思っています。


第6話 支配には解放を

 月明りに照らされたトロールの棍棒が、群がる数人を虫のように薙ぎ払った。吹き飛ぶ彼等の体にはダメージを示す赤いエフェクトが貼り付き、HPのバーが短くなっていく。

「下がれ」

 セツナは彼等にそう告げると、支給されたロングソードを手に駆け出した。トロールが肉迫するセツナを捉えニタリと笑う。トロールが振りかざした棍棒を避け、動きが鈍いトロールに青いライトエフェクトを纏った刀身を叩きつけた。トロールがバランスを崩し、片足を浮かせて転ぶまいと体勢を整えている様は下手なタップダンスを踊っているように見える。

 セツナは剣を構えた。再び刀身がライトエフェクトを纏い、システムアシストに従ってその太鼓腹に片手剣技《シャープネイル》を放った。

 トロールが呻き声をあげながら倒れる。抉られた腹から血は流れず、そこに詰まっている内蔵も見えない。ただポリゴンの詰め物だけが、それが生物ではないことを主張している。

 SAOにダイブしたことで、殺すことに抵抗を感じなくなった者は多いと思う。セツナもその1人だ。だがもし現実に帰還したとしても、この世界で培ってきた猟奇性は向こうに持っていけるのだろうか。生物には血が流れ、その腹には内蔵が詰まっている。現実でもここと同じように殺し、空っぽではない生物の中身を知っても、それでも殺すことを止められないのだろうか。

 トロールの体が砕け散る。セツナとパーティメンバー達の目の前に加算経験値の数字が浮かび上がる。「やった」とガッツポーズする者がいた。レベルが上がったらしい。経験値が最も多く割り振られたのはセツナだというのに。セツナにとっては雀の涙ほどの経験値だ。

「あんたすげーな!」

「やっぱり攻略組はちげーわ!」

 興奮しているパーティメンバー達に、指揮する軍人が怒声を浴びせて黙らせた。

「貴様ら、さっさと立て! トラビアに戻るぞ!」

 軍人の言葉に従い、奴隷達は疲れた体に鞭打って立ち上がる。HPバーが危険域の赤になっている者と、全く減っていない者と極端だ。攻撃役と回復役に分かれているのだが、攻撃役でもあのトロールを撃破するには力不足であることを否めない。少し前まではじまりの街から一歩も出なかったとなれば、HPが高いだけで防御も敏捷度も大したことないトロールに苦戦してしまうのも無理はない。

「あまり大声を出すと見つかるぞ」

 セツナがそう言うと、軍人は口を噛みしめて槍を突き出してきた。顔の寸前で静止する槍が月明りに反射して鈍く光っている。ダメージを与えてオレンジ化してしまえば、転移門を使えなくなる。

「生意気な口を聞くなよ奴隷ふぜいが。貴様は我が軍の傘下にいることを忘れるな」

 高圧的なその軍人は槍を降ろすと、未だに座っている奴隷の肩を掴んで無理矢理立たせた。

「ロットー! ポーションを無駄遣いするな!」

 軍人はHPが危険域の奴隷にポーションを飲ませているロットーに怒鳴った。ロットーは危うくポーションを手から落としそうになりながら「すみません」と謝罪する。

 今にも泣きべそをかきそうな顔は、さっきとはまるで違って見えた。

 ♦

 

「セツナさんがいれば、村の人達は自由になれますよ」

 そんなことを口走ったのはロットーだ。村に連れ込んだプレイヤーをレベルが伴っていないモンスターと戦わせ、女に慰安婦じみたことを強要する《軍》に所属するロットーが。

「いいのか。あんた達にとってここは楽園だろう」

「何が楽園ですか!」

 ロットーはテーブルを叩いた。テーブルに置かれたカップがガチャリと音を立てた。

「軍は元々プレイヤーを守るために結成されたんです。それなのに、これじゃオレンジギルドと変わりませんよ!」

「ロットーさん。あなたの気持ちは嬉しいけど、それは無謀すぎるわ。セツナさんはともかく、他の人達は軍に逆らえないようにレベルを調整されているんだもの」

 セツナは視線をドアへと向ける。奴隷用の家は住人に対して狭すぎる。リビングのみならず廊下で寝ている者もいた。唯一セツナ達がいる客間は軍人用の寝室として開けられているそうだが。

「彼等のレベルは平均してどれくらいだ」

「全員30にも達していないわ。殆どの人がはじまりの街から出なかったんだもの」

「俺1人で軍を相手にするには分が悪い」

 奴隷に言う事をきかせるために、軍人達は安全マージンを取っていることだろう。そう考えれば、軍人達の平均レベルは40といったところか。セツナのレベルなら取るに足らない相手だが、また物陰から麻痺毒のダガーを食らったら一気に戦況が瓦解してしまう。

「だいたい、他のギルドに頼もうとは考えなかったのか」

「情報が外部に漏れたと知ったら、ドナシアン大佐は皆さんを殺します。あの人ならやりかねない」

「やっぱり無理だわロットーさん。確かにここは酷いけど、それでも生きているだけまだ良い方よ。私達は衣食住が保証されているわけだし」

「あなたはそれで良いんですか!」

 ロットーが再び怒鳴った。目は怒りではなく、悲しそうだ。エステルは臆せず、いつもの静かな口調で言う。

「いつかゲームがクリアされるかもしれないわ。私はその日まで生きていたいの。他の人達だってそれは同じよ」

「でも、クリアされる前にこの村で死ぬかもしれないじゃないですか。俺は……」

 ロットーの言葉が途切れ途切れになっていく。痰を絡めたように、声がかすれていく。

「俺は…、あなたに幸せに生きて欲しいんです……」

 セツナはとうとう涙を流したロットーを見つめる。顔に焦点を合わせたことで、システムが働き頭上にグリーンのカーソルとHPが表示されている。

 正直なところ、今すぐにでも村を脱出してヒースクリフに報告をしたい。この村のプレイヤー達に死神の正体を知られてしまった以上、始末しなければならない。でも、それを許さない感情が自分の中に存在していることをセツナは自覚している。

 この泣き虫の軍人と、隣にいるすまし顔の慰安婦は死ぬべきではない。

「この村で軍による殺人は行われたのか」

 ロットーが「え?」と涙に濡れた顔をセツナに向ける。エステルも、この時ばかりは垂れ気味の目蓋を剥いていた。

「ええ、軍に逆らった人は広場でPKされたわ。他にも、憂さ晴らしのためにリンチされて死んだ人もいる」

「なら俺の仕事の範疇だ。アインクラッド解放軍はオレンジギルドとみなす」

 何も正義の味方を気取るつもりはない。ただ、この決断が少しでも良い方向へ進めばいい。

 これは任務ではない。セツナの勝手な私情だ。この2人に生きて欲しいというエゴでしかない。

「俺がドナシアンを殺す」

 ♦

 

 暗闇の森を月明りが照らしている。その明かりを頼りに、セツナ達は戦闘を歩く軍人について歩いていく。この第36層は森の他に草原、丘があるのだが、見晴らしが良い所では他のプレイヤーに目撃される。だからこうして隠れやすい森を経由して主街区まで行かなければならない。

「あんた、ついてないな」

 セツナの後ろを歩く男が話しかけてきた。年は近そうだ。

「あんた攻略組なんだろ? トラビアに連れて来られたら、もう前線には戻れねえよ」

「あんたはどうしてあの村に連れて来られたんだ」

「はじまりの街で徴税を拒否したら、懲罰だ言われて拉致られたんだよ。俺は男で良かった。女だったら自殺してたかもな。実際何人か犯されるのが嫌で自殺したが」

「酷い村だ」

「ああ、ひでぇよ」

 先頭を歩く軍人がセツナ達に怒鳴った。

「そこ、黙って歩け!」

 言われた通り、セツナと男は黙って歩いた。セツナは振り向き、最後尾にいるロットーに視線を向ける。ロットーはそれに気付き、僅かに頷いた。

 トラビアの村に戻った一行は軍人曰く「宿舎」に押し込まれ、奴隷達は睡眠を取った。軍人は眠っている女を叩き起こし、麻痺毒をかけて倫理コードを解除させていた。ひどく物音を立てるせいで寝付けない者は多くいた。セツナもその例に漏れなかったが、目を閉じると押し寄せてくる睡魔に誘われ、眠ることができた。

 次の日は朝早く起こされ、別の軍人の指揮によって第55層の氷雪地帯のクエスト攻略に赴いた。ろくに防寒装備を支給されず、皆歯をがちがちと鳴らしながら雪山を歩いた。奴隷達のレベルでモンスターを相手にするのは危険すぎるため、戦闘の際にはセツナが最前線に立った。普段なら55層のモンスターに苦戦などしないが、支給された下層のNPCショップで買える安物の剣ではあまりダメージを与えることができず、何度もソードスキルを放ってようやく倒せるという有様だった。

 ロットーはクエスト攻略には同行しなかった。ロットーは軍人と奴隷達の食糧調達を命じられ、街に行っていた。そのことを昨晩本人から聞いたセツナは、ロットーにいくらかのコルと武器屋のリストを書いたメモを渡した。

「買った武器は間違ってもギルドのストレージに入れるな」

 ロットーにそう言い聞かせ、自由に街を出歩けるグリーンカーソルの彼に武器の調達を頼んだ。

 クエスト攻略から戻ったその日の晩、買い出しから戻ったロットーは宿舎で奴隷達に呼びかけた。

「明日、ドナシアン大佐に反乱を起こします」

 こんな大声で言っていいものかと思ってしまう。宿舎にいる軍人はロットーだけだが、聞き耳スキルが高い者がドアの傍にいれば外にも聞こえてしまう。ロットー曰く軍でそんなスキルを上げている者はいないそうだが。

 そんな一抹の不安を感じながらも、セツナはロットーに続いて言った。

「ドナシアンが本部に行くために村を離れたところを、俺が殺す。あんた達は軍と戦い、主街区まで逃げろ」

 奴隷達はざわつき、ロットーとセツナに訝しげな視線を向けていた。こいつは何を馬鹿なこと言っているんだと表情だけで反応が分かる。

「武器は全員分ロットーに用意してもらった」

 セツナはロットーが人数分買ってきた剣をオブジェクト化させ、テーブルに並べた。第27層のNPCショップで売られている《フェンサーソード》だ。

「これならあんた達のレベルでも装備できる。数の優位さを活かせば、この村の軍人相手でも戦えるだろう」

「ちょっと待ってよ!」

 奴隷達をかき分けて、女がセツナの前に出てきた。セツナが初めて村に来た時、軍人の相手をしていた女だった。

「軍に敵うわけないじゃない。全員殺されるのがオチよ!」

「でも、このままトラビアにいたって、あなた達はいつ殺されるかも分かりませんよ」

 ロットーが女の興奮を鎮めようとするが、セツナは構わず言った。

「あんた達では勝率は五分だ」

「じゃあ―」

「怖いならこのまま軍に虐げられながら生きればいい。そうなれば俺1人で村を出るだけだ」

 セツナの言葉で奴隷達の沸点が一気に臨界まで達した。一斉に罵詈雑言を喚き散らし、ロットーがなだめようとするも全く聞く耳を持たない。

 1人の奴隷の男がセツナの胸倉を掴んできた。奴隷はセツナを殴ろうと拳を振るってきたが、セツナはその拳を掴んだ。奴隷は掴まれた拳を引き剥がそうとするが、セツナは更に力を込めて、手の中にある拳を握りつぶした。奴隷の手首から先がぷっつりと途切れ、セツナの手の中でポリゴンの欠片を散らしていく。奴隷はなくなった手を抱いて絶叫した。その絶叫に他の奴隷達の声がかき消される。

 奴隷達の視線が手を潰された仲間からセツナへと移った。

「これが、この世界の現実だ。レベルによってプレイヤーの優劣が決まり、HPが尽きれば跡形もなく消えてしまう。俺はそれを数えきれないほど見てきた」

 手を潰された奴隷は息を荒げながら、怯えた表情をセツナに見せている。その手は既に再生していた。部分欠損は少ないがダメージが生じる。彼の手を潰したセツナのカーソルはオレンジに変わっていることだろう。圏外ではたとえプレイヤーホームでも、犯罪防止コードは適用されないらしい。

「俺は今まで多くの人間を殺してきた。大半がオレンジプレイヤーだが、グリーンでも証拠隠滅のために殺したこともある。俺はいつ死んでも仕方のない人間だ。でも俺はここで死ぬわけにはいかない。役目を終えたら始末されることになったとしても」

 いつの間にか、奴隷達は黙ってセツナの言葉に耳を傾けていた。耳には目蓋がないと、誰かが言っていた。セツナの言葉は否応なく彼等の耳孔に入り込んでいく。

「罪を抱えた俺がのうのうと生きようとしていて、何故罪のないあんた達は生きようとしない」

 セツナはテーブルに置いた《フェンサーソード》を手に取った。

「どうせこの村にいたって、死ぬのが先延ばしになるだけだ。生きたくないのなら、今ここで俺が殺してやる。死にたい奴は前に出ろ」

 奴隷達は黙ったまま、全員が数歩下がった。一番前にいる女が叫ぶように言った。

「生きたいわよ! 生きて現実に戻りたいに決まってるじゃない!」

「なら生きるために戦え。生きることを望んでいるなら、意地でも生きてもらう」

 黙って聞いていたロットーが奴隷達に言った。

「戦いましょう、皆さん! 戦って生きるんです!」

 空虚だった奴隷達の目に、力が宿っていくのが分かった。皆が口を真一文字に結び、1人、また1人とテーブルに置かれた剣を手に取っていく。

「勝つぞー!」

 奴隷達のリーダー格らしい男が声を張り上げ、他の者もそれに続いた。

 パゾリーニの「ソドムの市」は、ネット掲示板で見た感想によると奴隷達は散々凌辱された挙句拷問されて殺されるらしい。彼等は反抗する意思すら奪われ、さながら物のように扱われ使い捨てられていった。

 このトラビアの村には、あの映画の奴隷達と同じようなものを感じていた。確かにこの世界の物体は全てポリゴンだ。ポリゴンで構成されたアバターに血は流れず、その腹に内蔵は詰まっていない。

 でもそれでも自分達は空っぽでないと、このアバターには現実世界の体から送られる意思があると、セツナは信じたい。

 映画とは別の結末へと行けるのなら、そこに辿り着きたい。

 ♦

 

「名演説ね」

 奴隷達が寝静まった頃、客間でエステルがセツナにそう言った。

「よしてくれ、ああいうのは慣れてない」

 セツナとロットーが配った剣と防具を各々のストレージに納めた彼等は、その興奮が冷め止まないまま床についている。明日は大事な日だ。俺達の運命が決まる。皆、気張っていけよ。奴隷達が口々にそう言っていた。

 客間にロットーはいなかった。軍のミーティングに出席しなければならないらしい。客間にはセツナとエステルの2人だけだった。トラビアがアインクラッドの外周近くに位置しているため、層の天井から覗く月明りが部屋をおぼろげに照らしている。

 エステルは窓辺に佇んでいる。月明りを受けている顔半分の白い肌が反射して、自ら光を放っているようだった。それを見て、セツナは素直に美しいと思う。

「あなたは、彼等にとって英雄ね」

「その称号はロットーに与えるべきだ。俺はただ便乗していただけに過ぎない」

 セツナはそう言って、貧相な料理スキルで淹れたコーヒーを飲む。苦いだけで豆の香りも深みもなかった。インスタントコーヒーの方がまだ美味いと思える。

「あなたは、ずっと人を殺すために生きてきたのかもしれない。でも、今は人を救うために生きている。それは確かなことよ」

「成り行きだ。もしロットーが反乱を企てなかったら、俺はあんた達を見捨てて村から逃げるつもりだった。今回あんた達を救えたとしても、俺はまた人を殺すために生きる」

「悲しいのね」

 窓を背にしたエステルの顔が全て影に覆われた。セツナの索敵スキル補正で視認することができるその顔は、本当に悲しげだった。目蓋が瞳の半分を覆っている。その目を見るに耐えず、セツナはカップのコーヒーに視線を落とす。

 エステルはセツナの横に座り、テーブルに置いてあるカップの中身を啜った。

「ねえ、何かお話してくれる?」

「何を」

「あなたが殺し屋になった理由とか」

「断る」

 セツナは簡潔に言った。それは不可侵領域だ。誰にも話すつもりはない。誰かに吐露することで、思考を言葉として自らの耳に入れることが怖かった。言葉が音としてセツナ自身の耳に入ったとき、もしかしたら自分は迷ってしまうかもしれない。

 セツナは迷うわけにはいかない。

 セツナは立ち止まるわけにはいかない。

 セツナは殺して殺して殺し続けなければならない。

 エステルは「残念」とだけ言って、再びコーヒーを飲んだ。こんな不味いものをよく顔色を変えることなく飲めるものだ。

「じゃあ、私のお話を聞いてくれる?」

「ああ」

 

 昔、ある所に1人の美しい女がいました。女は自分が美しいことに幼い頃から気付いていて、たくさんの人から愛される術を知っていました。

 成長した女は、街で出会った見知らぬ人の勧めでファッションモデルの仕事を始めました。そんなに忙しくはなかったけれど、仕事はある程度貰えて女は充実した暮らしをしていました。

 でも、同業の人達に女は嫌がらせを受けていました。化粧品を盗まれ、仕事を貰うために男と寝ていると、根も葉もない噂を周囲に吹き込まれていました。

 女は別の顔になりたいと願いました。そして、女は別の顔で生きるために、仮想世界で全く違う顔になることを決めました。でも、仮想世界でも女は現実と同じ顔で生きることになりました。

 男たちは女を守るために進んで魔物と戦い、女にプレゼントをくれるようになりました。それを面白く思わない同性の人達に、女は人気のない森の中へと連れ込まれ、リンチされました。女をリンチした人が言っていました。あんたの美しさは罪だと。

 皮肉なことに、女をリンチしていた人達は魔物に襲われて影も形も残さず死にました。女は死んだ彼女達が落とした転移結晶で街に逃げました。

 女は今、罪を償って生きています。男の欲望に、自分の体を差し出しています。それが、美しい顔に生まれてしまった、女にできる贖罪です。

 

「お終い」

 エステルの語る物語が終わった。長く話したエステルは、カップに残っているコーヒーを飲み干した。

 言葉を差し込まなかったセツナは黙ったまま。空になったカップを見つめるエステルの、物憂げに目蓋が垂れた目を見ている。セツナは何も言わない。エステルの語る物語の意味を理解していても、語られた罪を掬い取る言葉を投げかけることができない。

 たとえ言葉を向けることができたとしても、それは無責任な妄言でしかない。

 セツナに誰かの罪を赦すことはできない。セツナも罪を抱えている。セツナに罪のない天使のように、誰かに「赦します」と判決を下す資格はない。

「そういえば、これロットーさんからあなたに渡すよう頼まれていたの」

 エステルはウィンドウを開き、選択したアイテムをオブジェクト化させた。テーブルの上に、細身の剣が現れた。

「さっき渡しそびれちゃったみたい」

 セツナは指で宙を叩いた。剣の上にポップアップウィンドウが浮かび上がり、剣の名前が表示されている。《ホロウブレイズ》と載っていた。

「ロットーさんが持てるだけのアイテムとお金で、鍛冶屋さんに頼んで作ってもらったんですって」

 セツナはメインメニューを出し、剣を装備する。ソファから立ち上がると、剣を振って使い心地を確かめた。パラメータの数値は、奪われたリーパーズエッジより大きく劣っている。軽すぎるし、攻撃力もそれほどのものではない。

「悪くない剣だ」

「良かった、ロットーさん喜ぶわ」

「あんたは、ロットーの気持ちに応えてやらないのか」

 エステルが垂れた目蓋を少しだけ上げた。

「あなたは、そういうことに興味が無いと思ってた」

「興味は無い。ただロットーが分かりやすいだけだ」

 「確かに」とエステルは微笑む。

「女っていうのは、気持ちを知っていても言ってくれるまで待つものなのよ。相手がそのことに気付いていない様子を笑いながらね」

「酷いな、女は」

「ええ、女は酷いわ。だから私も、彼の気持ちに応えるかどうかは、彼が自分から言ってくれるまで待つつもり。その時まで、生きていたらだけどね」

 エステルはソファから立ち上がった。その顔を再び月光が照らした。

「そろそろ行くわ。ドナシアンが待っているから。お話に付き合ってくれてありがとう」

 エステルはドアへと歩き出し、ノブに手を掛けた所で止まった。ノブを捻ることなく、セツナへと振り向く。

「セツナさん、あなたは生きてね。あなたの力は人を殺すだけじゃなくて、救うこともできるはずだから」

 エステルは寝ている奴隷達を起こさないよう、物音を立てずにドアを開け、その奥に広がる暗闇の中へと消えていった。

 彼女は今夜も、罪を償いに行くのだ。

 ♦

 

 風に揺れる草がセツナの頬をくすぐってくる。その細く痩せた葉に焦点を合わせれば、現実と遜色ない細かな造形をシステムが見せてくれる。葉に通っている筋も、葉に紛れている花のおしべに付着している花粉まで。

 草原の中でうつ伏せになって身を隠していると、幼い頃友達とかくれんぼをしたのを思い出した。服が土と枯草にまみれながら草の群れに隠れていたセツナは、鬼に追われる側だった。今、あの頃と同じ状況にいるセツナは逆に鬼の側へと立場を変えている。鬼に追われる立場の目標は、隠れることなく堂々と草原を歩いている。

 今朝ドナシアンが外出してから30分後に、セツナは巡回している軍人の目を掻い潜ってトラビアの村を出た。消音スキルを上げていたおかげで簡単に出ることができた。主街区の近くまで行ったはいいが、昨晩奴隷の手を握り潰したせいでカーソルがオレンジになったセツナは圏内に入ることができない。NPCの衛兵が出てこないギリギリの線で、セツナは草に隠れてドナシアンが街から出て来るのを待った。

 トラビアに駐屯している《軍》の指揮を任されたドナシアンは、1日おきに第1層の本部へ報告をしに行くとロットーから聞いた。仕事熱心なことは感心する。その変わり映えしない報告を小まめに行っているから、《軍》の上層部メンバーはドナシアンを信頼するし、ドナシアンが指揮するトラビアの村が平和な村だと思っている。

 本部での報告はすぐに終わったようだった。セツナが村を出てから1時間もしないうちに、ドナシアンは部下2人を引き連れて主街区から出てきた。

 セツナがドナシアンを殺し、ギルドメンバーリストで彼の反応が消滅したことをロットーが確認したら、武装した奴隷達が反乱を起こし主街区まで逃げるという予定だ。ドナシアンを殺したら、セツナは転移結晶でトラビアに戻り奴隷達に加勢することになっている。

 村にいる軍人はロットーを除いて8人。グリーンはドナシアンと、彼に同行している部下達の計3人のみで、後の村にいる者は皆オレンジだという。だとすれば村にいる軍人をPKしても、奴隷達はオレンジ化することなく圏内に入れる。

 完璧な作戦とはお世辞にも言えない。村の奴隷達はセツナを除いて17人。内4人の女達は戦闘要員ではない。実質的な戦力が平均レベル30以下の13人で、恐らく10以上はレベルが高い軍人5人を相手にしなければならない。

 だからセツナはドナシアンを殺したらすぐに村へ戻らなければならない。戦力に関してはほぼセツナに依存した作戦だった。

 ドナシアン一行が主街区から離れてしばらく、彼等の姿が草原の彼方へと消えた頃にセツナは草の群れから出た。フードを被り、追跡スキルによる補正で地面に浮き出た3人分の薄緑色の足跡を追った。

 敏捷度にものを言わせた全力疾走で、すぐに一行に追いついた。消音スキルを発動させたセツナの足音は彼等の耳に届くことなく、ライトエフェクトを纏ったホロウブレイズで部下の腹を突いた。片手剣技の《ソニックストライク》は部下の体を吹き飛ばし、一気にHPをゼロにした。宙を飛ぶ部下の体が色彩を失い、地面に衝突したと同時に砕けた。

 突然の出来事にドナシアンともう1人の部下が呆気に取られている内に、スキル発動後の硬直が切れた。セツナはすかさず跳躍し、《月弧刃》でもう1人の部下の首を落とす。

 部下2人の消滅を見届けたドナシアンにセツナは剣を突き出した。ドナシアンは持っていた長槍で剣戟を受け止める。金属がぶつかり合い、2人の間に火花が散った。

「死神がとうとう軍に介入してきたか。これは君の仕事なのかな?」

「ボランティアだ」

 ドナシアンは剣を弾き、長槍のリーチを活かした突きを放った。セツナは迫り来る先端の刃を剣で弾き軌道を逸らす。

「いいね! そういう奉仕精神は持つべきだよ。社会に出たらサービス残業なんて当たり前だからね」

 武器を交えれば分かる。ドナシアンは部下よりは強いが、セツナにとって取るに足らない相手だ。向こうもそれは分かっているはずだ。にも関わらず、ドナシアンは笑っていた。

「村の皆を解放して、英雄にでもなるつもり?」

「そんな賞賛はいらない。ただ彼等には生きてもらう。それだけだ」

 ドナシアンが長槍を突き出してくる。セツナは刃を蹴り落とし、それを踏み台にして跳躍するとドナシアンの胸に蹴りを入れた。攻撃のヒットでHPが減るも、ドナシアンは笑みを崩さなかった。

「分かってるのかな? 俺は寧ろ皆を生かすために努力してきたつもりなんだよ。皆がしっかり働いてくれれば、俺は部下に殺すよう命令なんてしないさ」

「働かなければ殺すのか。随分と両極端な評価だ」

「俺達に生かしてもらってるのに、税も払わず攻略に協力もしないんだ。ただの穀潰しに生きてもらっても迷惑なだけだよ」

 セツナはソードスキルの構えを取った。

「ここであんたと議論する気はない。あんたには死んでもらう」

「俺を殺したところで無駄さ。俺に逆らった時点で、皆死ぬことに変わりはないんだから」

「何」

 セツナの体が逡巡する。システムアシストに逆らってしまったため、スキル発動後の硬直時間に移行してしまった。

 ドナシアンの突き技が発動した。ライトエフェクトを纏った刃に抗うことができず、腹に直撃する。セツナの体は宙を舞い、草の上に落下した。HPはあまり減っていない。

 ドナシアンは少年のような笑みを浮かべている。目を細めて、ほうれい線が出た屈託のない笑顔を。セツナは背筋に悪寒が走るのを感じた。

 幼い頃、虫の羽や脚を笑いながら千切っていた友人がいた。彼の目に悪意はなく、純粋に虫を痛めつけることを楽しんでいた。彼の目と同じ光を、ドナシアンは宿している。子供が持つ無垢な残酷さを、ドナシアンは成長しても残していた。

 セツナはポケットの中から転移結晶を取り出した。

「転移、トラビア」

 セツナの視界が青白い光に覆われていく。セツナの視界から消えるその瞬間も、ドナシアンは笑っていた。

 転移結晶を使った移動は、街や村の中央広場に転送される。草原にいたセツナのアバターは消滅し、トラビアの村の中央広場にて再構成される。

 ダイヤモンドダストでも起こっているのだろうか。転移した直後の光景を見て、そう思った。

 氷の結晶だと思ったそれはアバターを構成していたポリゴン片で、それが村のほぼ全域で撒き散らされていた。1人に軍人が数人がかりで槍や剣を刺し、反撃の隙も与えずHPを削っている。奴隷達の宿舎から、髪を掴まれた全裸の女が引きずり出され、その乳房に槍を刺されている。村には悲鳴と怒声が入り混じっていた。

 《アインクラッド解放軍》の戦闘服を着た軍人は、ざっと十数人はいた。既に何人か殺されたのか、地面にオブジェクト化されたフェンサーソードが何本も転がっている。

 不謹慎に美しいと思ったセツナの視界に、横から人影が入り込んできた。艶のある髪を振り乱し、地面に倒れようとするその人影をセツナは抱き留める。

「エステル……」

 腕の中にいる彼女の名前を呼んだ。エステルはフードの中にあるセツナの顔に、目蓋で半分隠れた瞳を向ける。そのHPバーは急速に短くなっていき、色が緑から黄色、赤へと変わり、消滅した。

 自分の身に何が起こるのか知ってか知らずか、エステルは微笑んだ。穏やかに、物憂げさはなく、至上の幸せを享受しているかのように。

 エステルはゆっくりと目蓋を閉じた。その表情を固めたまま、色彩を失っていく。彼女の幸せそうな表情が消えた。腕の中の重みも消えた。この世界の、彼女の存在が消えた。

 セツナは腕の中で起こったダイヤモンドダストを見つめていた。光になったエステルだったものの欠片が宙に霧散していく。

 セツナは立ち上がり、ホロウブレイズを握る手に力を込めて走り出した。悲鳴と怒声、そして金属がぶつかり合う混沌の中へと突っ込んだ。

 

 1人、2人。

 

 セツナは砕いた3Dオブジェクトを数える。

 

 腹を貫き、胸を貫き、目を貫き、口を貫く。

 

 3人、4人。

 

 腕を落とし、脚を落とし、首を落とし、上半身を落とす。

 

 5人、6人。

 

 途切れることなくソードスキルを繰り出し、剣だけでなく体術技も繰り出し、セツナはPKした人数を数えていた。

 任務でPKする時は必ず数を覚えるようにしている。ギルド殲滅の際に、事前に調べたメンバーの数と殺した数を照らし合わせるためだ。

 軍人達が何人いるのかは把握していない。数えたところで無意味だ。それでも数えずにはいられない。思考を働かせ、冷静になって沸き起こる衝動を鎮めなければならない。これは効果があった。軍人達をPKしていくセツナは冷静だった。右手で剣を振り、左手には解毒結晶を常に握っておく。何度か麻痺毒のダガーを食らっても、すぐに回復して戦闘に復帰することができた。

 15人。

 それが、セツナが拘束されるまでに殺した人数だった。

 持っていた解毒結晶を全て使い果たしたところで麻痺毒のダガーを食らい、手を縄で縛られた。フードがはだけ、地面に這いつくばるセツナを1人の軍人が抑えつけている。村に戻ったドナシアンがそんなセツナを見て無邪気な笑みを浮かべている。

 ドナシアンとその部下1人とセツナ。村にいるプレイヤーはその3人だけだった。さっきまでの喧騒が嘘のようだ。ただ、村のあちこちで散らばっている剣と槍が、ここに多くの人間がいたことを示していた。

「ドナシアン大佐、こいつはどうします?」

 セツナを抑えつける軍人がドナシアンに聞いた。この軍人は麻痺毒で動けないセツナを殺そうとしたが、その頃には村に戻っていたドナシアンに制止された。

「彼はこの村を襲撃した犯罪者だ。その罪状を大衆に知らせた上で処刑しよう」

 ドナシアンは揚々と言う。楽しそうだ。新しく買ってもらったゲームをプレイする子供のように。

「彼は本部に連れていこう。上に報告しなきゃね。村を襲撃した賊の一味として」

 セツナは軍人に縄を引かれ立ち上がった。既に麻痺毒は切れていた。歩き始めるドナシアンに続き、セツナと軍人も足を踏み出す。

「ん?」

 セツナの縄を引いていた軍人が、縄を握っていたはずの掌を見つめた。手の中の感触が消えて、代わりに光るポリゴン片が舞っている。軍人はセツナの手に視線を移す。腰のあたりで縛られていたはずのセツナの手には剣が握られていて、その周辺にもポリゴン片が舞っていた。

「なっ―」

 驚愕に満ちたその顔に、セツナは刃を滑らせた。

 背後で起こった異変を察したドナシアンが振り向く。そこにはセツナ1人だけが佇んでいた。部下の消息を、セツナの隣で拡散していくポリゴンから理解する。

「何で……」

 ようやく、ドナシアンの顔から笑みが消えた。

「アイテムには耐久値がある……」

 拘束に使われた《リストリクションロープ》は雑魚モンスターなら有効だが、30層以上のモンスターに使ってもすぐに耐久値が削られて拘束が解けてしまう。プレイヤーでも筋力パラメータを少し上げるだけで破壊できてしまうものだ。

 セツナは装備フィギュアを操作して武器を切り替える。腰の鞘に収めたホロウブレイズが消滅し、小ぶりなダガーが現れた。

 ドナシアンはポケットから青い転移結晶を取り出した。それを掲げようとしたところで、セツナは地面を蹴った。ほぼ一瞬と言ってもいいスピードでドナシアンの懐に飛び込み、黄色のライトエフェクトを纏った拳を腹に打つ。ドナシアンはぐぱぁと奇妙な声を上げながら宙に飛び、地面を転がった。手から零れ落ちた転移結晶が近くに落ちている。

「お前―」

 睨むドナシアンの顔面を蹴飛ばす。何か言おうとしたようだが、知らない振りをする。ドナシアンの肩を掴み無理矢理立たせて、その顔に何度も拳を打ち付けた。

 ほぼ一方的で、それでいて最も原始的な暴力だった。剣で刺すわけでもなく、ソードスキルを使うわけでもなく、ただ拳で殴り、足で蹴るだけ。この剣の世界で、こんな野蛮な戦いは無粋というものだ。

 ドナシアンは地面に転がる剣の1本を掴み反撃してきた。剣を振るよりも速く、セツナはドナシアンの口に肘打ちを決め込む。軽いジャブのつもりだったが、ドナシアンにとってはどの一撃も重かったようで、HPが残り4割まで減っていた。

 いくら顔を殴っても、痣はできず唇は切れず歯も抜けない。だが腫れ上がっていないその顔は、見事な恐怖の表情を作ることができていた。

「良い顔になったじゃないか」

 セツナはドナシアンの襟首を掴んで放り投げる。

 地面に四肢を投げ出して衝突したドナシアンはすぐに立ち上がり、癇癪を起こした子供のように叫びながらセツナ目がけて走り出した。

「うああああああっ!」

 セツナは装備した短剣を抜き、それを投げた。短剣は吸い込まれるように、ドナシアンの腹に突き刺さる。

 ドナシアンの体がビクンと痙攣した。HPバーを囲むグリーンの枠が点滅している。ドナシアンは身の異変を悟り、目を剥いた。

 セツナは多くのオレンジギルドに潜入してきた。そこで彼等の犯罪手段を見て学んできた。拘束用アイテムも、麻痺毒を仕込む技術も。

「あんたは十分楽園を楽しんだ。次は地獄を楽しんでこい」

 セツナは走り出した。目標に達する直前で跳躍し宙で体を反転させ、麻痺毒で倒れようとするその胸に、閃光を帯びた右足を叩き込んだ。

 体術脚技《ゴルドブレイク》はドナシアンの残りHPを一気にゼロにした。吹き飛んだドナシアンの体は地面に戻ることなく、宙で砕け飛散していった。

 欠片が光の粒となり、蒸発するまで見届けたセツナは村を見渡した。

 完全な静寂だった。セツナ以外誰一人いない。軍人たちはNPCすらもPKしたようだった。NPCはPKされても復活する。何事もなかったように、村を訪れたプレイヤーにクエストの依頼をするのだろう。システムに従って、村に与えられた役目をこれからも果たすのだろう。

 猛烈な眠気と空腹が襲ってきた。レストランで食事をして、宿で眠りたい。そんな生理的欲求が思考の大半を占める。カーソルがオレンジだから、カルマを回復しなければならない。

 面倒くさいと思いながら、セツナは静かな村を出ていった。

 ♦

 

 あれから1ヶ月が経とうとしていた。

 セツナはあの後、カルマを回復してすぐにグランザムの血盟騎士団本部へ行き、ヒースクリフに突然ギルドを抜けた理由を全て余すところなく説明した。

「生還者が君1人ならば、隠し通すに越したことはない」

 それがヒースクリフの判断だった。

セツナがトラビアにいる間にもヒースクリフのもとにはたくさんの案件が飛び込み、休む間もなく再びギルドに入り仕事に戻った。

 仕事はあまり上手くいかなかった。ホロウブレイズは軽いが力不足が否めず、目標に止めを刺すに至らず取り逃すミスを連発した。おかげでたった1人の標的を仕留めるのに1週間も山籠もりする羽目になった。

 《軍》はトラビアの件について公表した。その内容は連日アインクラッドで発行されている新聞の一面を飾っていた。

 

 トラビアの悲劇。

 

 《軍》が駐屯していた村をオレンジギルドが襲撃。村に滞在していたプレイヤーは全員PKされ、鎮圧にあたった《軍》の部隊も甚大な被害を被った。結果的にオレンジギルドはメンバー全員が《軍》にPKされ、事態は収束した。

 

 新聞に書かれていた記事はこんな内容だ。このことはプレイヤーの間にも話題となり、アインクラッド最大の悲劇と見る声もあるようだ。

 セツナは久しぶりの非番の日。どこの層かは覚えていないが街に出ていた。そこで偶然、彼を見つけた。彼も街で群衆に紛れるセツナに気付いた。

「お久しぶりです、セツナさん」

「久し振りだ、ロットー」

 再会の挨拶は素っ気ないものだったが、セツナは内心驚いていた。ロットーはあの虐殺で死んだと思っていた。反乱がばれて《軍》に殺されたか、もしくはセツナがロットーだと気付かずに殺したか。

 ロットーとセツナは街のベンチに腰かけた。ロットーはセツナにコーヒーを飲ませてくれた。とても香り高く美味だった。ロットーは《軍》で食糧調達だけでなく、給仕の仕事も請け負っていたらしい。料理スキルもそれなりに上げていたのだろう。

「その剣、使ってくれているんですね。どうですか?」

「悪くない」

「セツナさんは、まだ仕事を続けているんですか?」

「ああ」

「俺が生きているのを見て、腹が立ったでしょう?」

「いや、生きていて良かった」

 セツナがそう言うと、ロットーは泣いた。街行く人の視線に晒されながらも、ロットーは泣き続けていた。うれし涙、というわけではないらしい。むしろ、セツナの言葉はロットーに痛みを与えてしまったようだった。

「俺…、実はあの日の夜、ミーティングでドナシアン大佐にばれたんです。拷問されて…、死ぬ寸前まで追い詰められて、全部話したんです。セツナさんが大佐を殺しに行くことも……、皆が反乱を起こすことも……」

 セツナは黙って聞いていた。エステルの時と同じように、ロットーの罪の話を。

「それでも……、エステルさんだけは助けたかったんです。転移結晶で、2人で圏内に逃げようとしました……。でも、エステルさんがセツナさんに抱かれて死ぬのを見て……、何もかもがどうでもよくなって1人で逃げたんです。俺は裏切り者です……。結局自分のことしか、考えてなかった………」

 ロットーは散々泣いた後、トレードウィンドウを開きアイテム取引を求めてきた。ロットーのアイテム欄に次々とアイテム名が表示されていく。

 《スローター》、《ダンシングラム》、《タイタンイーター》、《リーパーズエッジ》。

「これは……」

「軍を辞める前に、ギルドストレージからかっぱらってきたんです。もしまた会えたら、返さなきゃと思って。本当に、また会えて良かったです」

 ロットーの欄にはまだ新しいアイテム名が表示され続けている。どれも見覚えがある。セツナが奪われていたアイテムと武器だ。

「アイテムは受け取るが、武器はあんたが持っていろ。そろそろ新調するつもりだ」

「いいんです。これはセツナさんが持っているべきですよ」

「俺がストレージに放置するよりも、あんたが使ってくれる方がいい」

「俺には使いこなせません。お願いします、受け取ってください」

 押し問答の末、折れたのはセツナの方だった。セツナがコルの金額もトレードするアイテムも選択しないまま、ロットーはウィンドウのOKボタンを押して取引を成立させてしまった。取引というより譲渡だが。

「エステルさんが言ってました。セツナさんは英雄って」

「俺は誰も救えなかった。そんな体たらくで何が英雄だ」

「でも、確かにあの時セツナさんは、俺達の英雄でした。セツナさんがいたから、皆戦おうとしていたんです」

「今更何を言おうと変わるものはない。彼等は結局死んだ」

 懸命に笑顔を取り繕うとしているロットーに、その事実を述べることは追い打ちをかけるようなものだ。ロットーの顔から僅かばかりだった笑みが消え、2人の間に数瞬の沈黙が流れた。

「さて、それじゃ俺は行きます」

 沈黙を破ったロットーはベンチから立ち上がった。セツナも立ち上がる。この後は予定もない。新しい剣を鍛えるために鍛冶屋を巡ろうかと考える。

 「それじゃ」と素っ気ない挨拶を交わし、2人は互いに背を向けて歩き始めた。

「セツナさん!」

 不意に背後からロットーの声が聞こえ、セツナは振り返る。

 ロットーは笑っていた。同時にどこか悲しそうだった。セツナはこれから彼が何をしようとしているのか分かった。でもそれを止めようとは思わなかった。

 ロットーは罪を抱えてしまった。あの月を物憂げに見ていたエステルと同じように。

 罪を抱えた人間がどう自分を罰するのか。それの一番手っ取り早い方法を、彼等と同じく罪を抱えているセツナは知っている。

「セツナさんは生きて下さいね! あなたはきっと、沢山の人を救えますから!」

 それだけ言うと、ロットーは街の中へと消えていった。

 

 ♦

 

 翌日。アインクラッド外周部から男性プレイヤーが飛び降り自殺したことが、新聞に掲載された。

 




 書いた後に、内容が「仮面ライダーエターナル」に似ていることに気付きました。反省しております。
 「次は地獄を楽しんでこい」とか、まんま「さあ、地獄を楽しみな」でした。

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