ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト 作:hirotani
『第4層は軍の目がある。十分に警戒してほしい』
ヒースクリフからのメッセージには、最後にそう書かれていた。
確かに主街区には重苦しい金属鎧を装備した《アインクラッド解放軍》が街を巡回しているのを何度か見かけた。目を付けられたら面倒だが、任務を終わらせたらすぐにホームへ戻るつもりだったこと、任務の内容が簡単だったことから特に気にする必要はないと思っていた。
実際に任務はかなり簡単だった。内容は、4層で何度か目撃されたオレンジプレイヤーの暗殺。何人、何十人も殺さなければならないギルド殲滅よりは楽だ。ただ現場に行って殺して帰ってくればいい。それに目標のカーソルがオレンジなら、PKしても自分のカーソルはグリーンを保てる。
暗殺の対象としてヒースクリフに目を付けられたオレンジが殺人を犯したという証言はない。だがそのオレンジの装備した手甲に施されていたマークが、セツナを暗殺に寄越すに十分な理由だった。
目撃証言によると、マークは顔のついた棺桶の形をしていたらしい。そのマークは今や知らなければ命取りと言われるまでにポピュラーなものだ。その簡単な説明だけで、暗殺対象の所属は判明した。
そのポップかつ不気味さを醸し出す、映画「チャイルド・プレイ」を彷彿とさせるようなギルドネームが、連中の恐怖をプレイヤー達に植え付けていた。
連中の名がアインクラッドに知れ渡ったのは、今年2024年の元旦だった。ある者は新年の訪れを祝い、ある者はこの世界であと何回年を越すのかと怯え、またある者は行事など関係なしといつも通り攻略に励んでいた。そんな年初めに連中はアインクラッド中にギルド結成を宣言し、プレイヤー達の恐怖を煽った。
今年に入ってからセツナの仕事は忙しくなった。《笑う棺桶》結成以前にもオレンジギルドは存在していたが、犯行は生存目的の盗みや恐喝に留まっていた。それが連中の活動が始まってから一気に凶悪化した。アイテムを強奪したついでに殺し、新しい武器の切れ味を試すために殺し、ただ苛ついていたから殺しと、オレンジプレイヤー達のPKに対する心理的ハードルが下がっていく様をセツナは見てきた。
連中はまるで、殺しだけでなく人々の殺戮本能を刺激しているかのようだった。セツナは以前そんな内容の小説を読んだ気がした。人間が持つ虐殺の本能を刺激し、世界中を内戦やテロといった混沌の坩堝に放り込もうとする物語を。あの小説のタイトルは何といったか、現実世界で確認する術がない今となっては分からない。
今年に入ってから半年、《
セツナも何度か任務で《
贔屓にしている情報屋すら連中の情報を得ることができず、《
そんなわけで、簡単な任務で注意すべきは目標が《
セツナは《軍》を甘く見ていた。彼等がただの烏合の衆に成り果てたと油断していた。
それが、あの《トラビアの悲劇》を招いた。
♦
目標を発見したのは、セツナが第4層の主街区から遠く離れた北の森に入ってすぐだった。
オレンジカーソルにフード付きのポンチョ。手甲に施されたマーク。これほど分かりやすい特徴もない。
セツナはしばらく木々の中で身を潜めながら、目標を追跡した。どうやら同行している仲間はなく、1人で行動しているらしい。
それにしても、なぜ《
セツナは剣を抜き、一気に目標へとダッシュして奇襲をかけた。目標は身の危険を察知してダガーで応戦してきたが、セツナにとっては雑魚そのものだった。
いくら悪名高い《
セツナの《
相手がオレンジカーソルだったから、セツナのカーソルはグリーンのまま主街区に戻れる。セツナが剣を鞘に収め、帰路につこうと歩き出した時だった。
木々の間に、一瞬だが金属の反射光が見えた。セツナが地面を蹴ると同時に、森の暗闇から短剣が飛んできた。短剣は紙一重に、セツナのすぐ脇を通り過ぎて森の中へ消えていく。セツナは剣を抜いた。短剣が飛んできた方向へと走り出すが、右手からも短剣が飛んでくる。セツナはそれを剣で弾くも、また別方向から短剣が次々と飛んできた。
明らかに1人ではない。
いくら短剣を弾いても止む気配がない。セツナの周囲に大量の短剣が散らばっていった。
腰に衝撃が走った。避けきれずに1本食らってしまったのだ。しかしHPは数ミリ減っただけ。その攻撃力の低さに直感的な危機を感じた。セツナの直感は当たってしまった。全身の力が抜け、受け身も取れないまま地面に倒れる。倒れるまでに、もう2本短剣をくらった。HPバーが点滅するグリーンの枠に囲まれているのが見える。
葉が擦れる音がする。セツナは重い頭を上げ、周囲に視線を這わせた。ざっと4人の男が、セツナを囲んでいた。全員が濃緑の服に金属鎧を装備している。この統一された装備は主街区で見たことがある。《アインクラッド解放軍》だ。
「しぶてぇ野郎だな。こんなにダガー使ったのは初めてだぞ」
「急がねぇと麻痺毒が切れる。さっさと運ぶぞ」
1人がセツナのポケットやポーチに手を入れ、中に入っている結晶アイテムを取り出し自分のストレージに納めた。
《軍》の集団はセツナを担架に乗せて森の中を歩いた。途中で麻痺毒が切れる頃合いを見計らい、担架を持つ1人が麻痺毒を塗った短剣をセツナに突き刺しながら。モンスターと何度か出くわしたが、彼等はその度にセツナを担架ごと放り出し戦闘に臨んだ。戦闘中でも、麻痺毒が切れないようセツナに短剣を刺すのを忘れなかった。
何度も短剣で刺され、セツナのHPが8分の1だけ減ったところで村に辿り着いた。小さい村だった。セツナに攻撃したことでカーソルがオレンジになっている彼等が入れるということは、圏外の村なのだろう。
のどかな田舎。と形容するには語弊がある。セツナを運ぶ集団と入れ違いに、長槍を持った軍人を先頭に一列に並んで歩く集団がいた。《軍》の所属というには装備が粗末だった。革製の胸当てに飾り気のない片手剣と、はじまりの街で買えるような安物ばかりだ。
狭い路地に目を向けると、男が女にのしかかっているのが見えた。女は何も身に着けていない。四肢をだらりと投げ出した裸の女に、男が何度も突き入れていた。男の顔は見えないが、女の苦悶に満ちた表情が見えた。路地の近くを通りかかった軍人はそれに気付いていないのか、すぐ傍の情事を一瞥もせず通り過ぎていく。
セツナは村の民家に連れ込まれた。居間の椅子に座らせてもらえることはなく、家の物置らしき狭い部屋に押し込まれた。
「まず所属だ。ギルドに入っていたら居場所がばれる」
《軍》の1人が麻痺毒で横たわるセツナの指を手に取り、ウィンドウを呼び出すアクションを無理矢理起こさせた。セツナのメインメニュー、アイテム欄、ステータス欄を見ると、その軍人は目を見開いて「おい」と背後にいる仲間に呼びかけた。
「こいつ《KoB》だ。レベルも76までいってやがる。スキルだって結構な数マスターしてるぞ」
後ろにいる3人もセツナのウィンドウを覗き込んだ。アインクラッドにおけるセツナの情報が次々と開示されていく。
「俺をどうするつもりだ」
微かに怒気を込めて、静かにセツナは問う。その剣幕に《軍》の面々は一瞬だけ怯えた表情を見せたが、セツナのウィンドウを出した1人が脇腹を蹴り上げてきた。「うっ」と上ずった声を出し、アバターの体なのに腹から胃液と吐瀉物がこみ上げてくるようだった。
「立場をわきまえろよ。我々はいつでもお前を殺せるということを忘れるな」
セツナは軍人の顔に焦点を合わせる。その頭上には犯罪者であることを示すオレンジのカーソルが浮かんでいる。
「お前の処遇は我らの上官に決めてもらう。明日に上官が戻るまで、変な気を起こすなよ」
セツナはもう一度麻痺毒をかけられ、無理矢理ウィンドウを操作させられてアイテムと武器を軍人に譲渡した。貴重な結晶アイテムも、愛用していた《リーパーズエッジ》も《軍》のギルド倉庫に納められてしまった。ギルドからも脱退した今、ヒースクリフはセツナの居場所を知ることができない。セツナがこの状況に置かれていることを悟っても、彼が助けを寄越してくれるとは思えないが。
麻痺毒が切れてもセツナは部屋から出ようとは思わなかった。部屋の外にはドアの前で2人の軍人が見張っている上、使える武器を奪われて体術スキルのみで乗り越えるのは無理がある。しかもドアは開け放たれていて、セツナがウィンドウを開けば効果音で気付かれる。
セツナは部屋の固い床に寝そべり横になった。だが眠ろうとはせず、天井の染みを数えて時間を潰した。SAOは細かいディテールがよく出来ている。
「何だ?」
不意に、ドアの奥から軍人の声が聞こえた。声はどうやらセツナにではなく、ドアの前に立っている女に向けられているようだ。
「食事、彼にもと思って」
女がセツナに視線を向けながらか細い声で言った。声量は小さいが、よく通る声だった。耳孔にするすると、まるで蛇のように入り込んでくる。
「まあ、食事くらいならいいだろう」
軍人の許可を得た女が部屋に入って来る。なかなかの美人だ。男女比に偏りがあるアインクラッドどころか、現実でもこんな恵まれた容姿の女に出会うことはそうあるまい。だが整った顔よりも視線が行くのは、その身に纏っているぼろきれの方だ。女はどうやら糸の綻びと穴だらけの布しか装備していないようだった。歩く度に、布の隙間から下着すら身に着けていない腰から足の付け根までの曲線が見え隠れしている。
「食事、持ってきたわ」
女はそう言って大振りなパンをオブジェクト化させた。NPCショップで売っている固焼きパンだ。
「あんたは」
「エステル。あなた私を見て驚かないのね」
「驚いている。まるでスラムの娼婦だ」
「そうね」と言いながらエステルはしゃがみ込んでセツナにパンを差し出した。しかしセツナはパンに目もくれない。その視線はエステルの目に向いている。2人の視線が交差していた。
「食べないの?」
「毒が入っているかもしれない」
「無いわ、そんなの」
エステルの手に乗ったごつごつとした生地の表面には僅かな焦げ目がついている。口にしたことがあるだけに、その発泡スチロールをかじっているような食感は思い出すだけで食欲が失せる。以前は空腹に耐えきれず仕方なく食べていたが、まともな食事にありつける今となってはそれを食べ物と認識することは難しい。
セツナは自分のストレージから干し肉をオブジェクト化させ、それをかじった。燻製の香ばしい香りも塩気もない。筋張った肉を噛み咀嚼する。
「強情ね」
肉の繊維を噛み千切るセツナを見てエステルが微笑した。
「この村は何だ」
「ここは、クエストのフラグを立てるトラビアの村。今はドナシアンの村よ」
「ドナシアン。《軍》のメンバーなのか」
「あなたは明日会うわ」
エステルはそれだけ言うと、パンをストレージに納めて部屋を出ていった。
♦
茶色い屋根が大半を占めている村の家々に、ひとつだけ屋根が赤い物件がある。遠目から見れば隣家の色に紛れて違いは分かり辛いが、近くで見るとそれはNPCが済むには造形が凝り過ぎているのが見て取れた。
朝、一睡もしなかったセツナの手に軍人たちは縄をかけた。本来ならモンスター捕獲に使用するものだが、プレイヤーにも使えるらしい。
赤い屋根の家の前で門番を務める軍人に、セツナを連れた軍人が敬礼する。向こうも敬礼を返すと、木製のドアを開けて中へと促してくる。
「入れ」
軍人に言われるまま、セツナは家の中へと入った。渋っても縄を引かれて無理矢理入らされただろう。ここで逆らっても仕方ない。
セツナには知るべきことがある。この村に駐在している《軍》は何なのか。場合によっては、セツナの仕事の範疇にあるかもしれない。
家はどうやらプレイヤーホームとして用意された物件らしい。《軍》の資金なら家くらい買えるだろうが、ただ生活の場としてではなく、まるで軍隊の司令部といった様相だ。リビングではソファに腰かける3人の軍人がせわしなく指を動かしウィンドウを操作している。
セツナを連れた軍人が、垂れ幕がかかったドアをノックした。垂れ幕にはアインクラッドをモチーフにした、《アインクラッド解放軍》のシンボルマークが施されている。
「何?」
ドアの奥から声が聞こえた。
「ドナシアン大佐、昨日捕獲した捕虜を連れてまいりました!」
家の中だというのに、不必要なほどに大きな声で軍人が言った。ほどなくしてドアから「うん、入って」と返ってくる。軍人は「失礼します!」とまた大声でドアを開け中へ入り、セツナもそれに続いた。
そこは司令室のような部屋だ。ようなという言い方はおかしいが、その部屋で行われているものは部屋の本来の用途と随分異なっている気がする。
部屋の様相だけ見れば、紛れもなく司令室であると分かる。応接用のソファと司令官が執務をこなすための机と椅子のみが置かれている。椅子には濃緑の戦闘服を着た青年が腰かけている。
そこまでは何も違和感が無かった。
セツナは椅子に座る司令官の、その机の右へと視線を移す。
床で裸の男女が情事にふけっている。昨日外で見たときと同じで、夢中で腰を振る男に女は抵抗しない。いや、抵抗できないが正しいか。愉悦に浸る男を女は恨めしそうに睨んでいる。男はその顔に拳をおみまいする。
左にも同じ光景があった。まるで右側を鏡で映したようだ。違いは男が服を着ているという点だけだ。
まるでパゾリーニの「ソドムの市」みたいだと、セツナは思った。
あまりのグロテスクさに半分も観られなかった映画だが、ここはあの映像の中で繰り広げられていた快楽と背徳の地獄絵図によく似ている。
「セツナ君っていったかな?」
青年の呼びかけに、セツナは視線を戻す。セツナの両脇に構えている軍人が「図が高い」と頭を押さえつけ、無理矢理跪かせた。
「俺はアインクラッド解放軍のドナシアン。階級は大佐です」
随分と大層な階級だなと、セツナはつい笑ってしまう。《軍》なんてものは揶揄だというのに、とうとう自分達で名乗るとは。セツナの態度に腹を立てた軍人が2人がかりで蹴りを入れてきた。HPは殆ど減っていないが、衝撃で床に伏した。
「やめな」
ドナシアンの言葉で2人の部下はセツナへの暴行を止めた。上体を起こしたセツナはドナシアンの顔を凝視する。頭上のカーソルはグリーンだ。セツナと視線が交わると、ドナシアンはにこやかな笑みを浮かべた。
オレンジだったとしても、この青年に犯罪者の烙印は似合わない。少年らしさを残した笑顔が似合う、まさに好青年だ。目を細めてほうれい線が出る笑顔は印象が良く見える。この青年の笑顔と、両脇で引き起こされている光景はまるで別世界だ。コラージュ写真のような歪さがある。
「メシアスをPKしたのは彼なのかな?」
「は! 確かにPKする所を目撃しました!」
「ふうん、レベルが70超えるとそんなに強いんだあ」
ドナシアンはセツナを興味津々に見つめる。さながらセミの羽化を観察する少年のように。
「メシアスとは、俺が殺した
セツナの問いにドナシアンは「そうだよ」と笑みを見せながら答える。
「彼にはね、色んな事を教わったよ。麻痺毒とか、君を縛っている縄アイテムの存在とかね。彼に死なれたのは痛かったなあ」
犯罪者狩りを行っている《軍》が、最凶最悪の殺人集団と関係を持っていた。これが一般プレイヤーに知られたら、アインクラッドの新聞には連日このスキャンダルが掲載されることだろう。だがそんなことは現時点では問題にならないだろう。この村の《軍》がそう簡単に外部へ情報を漏らすとは思えない。
「で、メシアスを殺した君こそが、犯罪者狩りをしている死神と呼ばれるプレイヤーというわけだ」
死神。
セツナはアインクラッドの裏社会でそう呼ばれるようになったらしい。オレンジギルドへの潜入を繰り返すにつれて、オレンジプレイヤーの間で語り継がれているセツナの噂は次々と出てきた。
《死神》はオレンジプレイヤーを殺しまわっている。
《死神》によっていくつものオレンジギルドが壊滅した。
《死神》を見たら生きて帰れない。
《死神》は複数人いる。
《死神》は犯罪者狩りを生業とするギルドのメンバーだ。
《死神》は犯罪防止のNPCだ。
大体はこんな認識だ。もっぱらジョークとして話題に上るのみで、本気で信じている者は少なかった。
「所属が《KoB》ってことは、まさか聖剣士様が犯罪者狩りなんてビジネスを始めたのか。あの人は熱心だね」
「リークしたところで無駄だ。俺はギルドを抜けた。デマだと聞き流される」
《死神》の正体はセツナ。セツナを動かしていたのは血盟騎士団のリーダー、ヒースクリフだ。
そんな情報は《軍》がオレンジギルドと繋がっていたことのスキャンダルに埋もれてしまいそうだ。セツナがギルドにいたことを知らないメンバー達は、セツナの顔を見ても「誰だこいつ」と吐き捨ててしまうだろう。
セツナの最優先事項は目立たないことだ。そのために、セツナは今まで攻略に参加せず無名を通してきた。誰からも認識されることなく、中層の街を歩く者達はすれ違ったセツナが自分達よりもレベルが倍近く高いことに気付かない。そうすることで、セツナはヒースクリフのカリスマ性を守ってきた。
「まあ、そんな騒ぎを不用意に起こすほど、俺は子供じゃないよ。若く見られるけど、俺はアラサーなんだ。どう、俺って若い?」
「この村は何だ。なぜ《軍》はこんなことをしている」
「ああ無視するのね。こんなことっていうのは、これのこと?」
ドナシアンが右の情事を一瞥した。
「軍っていうのはね、一般プレイヤーを守るのが役目なんだよ。彼等が圏内で平和に暮らしているのに、俺達は命がけでモンスターやボスを戦ってるよね。だから彼等が俺達に見返りを払うのは、当然のことなんだよ。セツナ君もそう思わない?」
「思わないな。税金にしては重すぎる」
「そうかあ」とドナシアンはため息をつく。何ともわざとらしい落胆だ。それがむしろ演技に見える。
「まあ何にしても、メシアスの代わりに君という戦力を俺達は手に入れることができた」
「俺を戦闘の最前線に立たせるつもりか」
《血盟騎士団》所属、レベル70超えの攻略組。アインクラッドでは高いステータスを備えた者が価値を見出される。
戦いのみでしか道を切り開くことができず、戦いのみでしか脱出することができない世界。
ドナシアンはそうだと言うように手を叩き、セツナを指差した。
「さすが、察しがいいね! 君がいれば、レアアイテム入手のクエスト攻略も夢じゃない」
ドナシアンの目に邪なものは感じない。その少年のような無垢さがむしろ醜悪で恐怖を煽る。
凶悪な犯罪者はしばしば「悪魔」と揶揄されるが、それはまさにこのドナシアンという青年に相応しい言葉とセツナは思う。
地獄で生まれ育った悪魔にとって、自分がいる地獄こそが正しく、地獄こそが美しい。
だから悪魔は自分が現世と天国で悪者として扱われ忌避されることを知らない。自分が醜く汚れた存在であることを知らない。
悪魔は自分が悪魔であることに気付かない。
♦
ドナシアンの家から民家に戻って2時間、縄から解放されたセツナは床にゴザを敷いただけの簡素な寝床に横になっていた。さっきと同じ部屋ではなく、セツナの他にも十数人のプレイヤーが押し込まれたリビングだ。この民家もまた、彼等の寝床として購入したプレイヤーホームらしい。
今夜、セツナの腕試しを兼ねたクエスト攻略に赴くという。ボスが手強くて今まで手を出せなかったクエストに、セツナをしんがりとして挑むことを、ドナシアン本人から聞いた。だからまだ昼間にも関わらず、奴隷にされたプレイヤー達は休息を許されている。
彼等に娯楽は与えられていないらしい。もっとも、泥のように眠る彼等に娯楽を楽しむ余裕はなさそうだ。
「あの……」
セツナの顔を覗き込むように、1人の軍人が話しかけてきた。
「あなた、《死神》なんですか?」
「ああ」
「あなたの武器、見させてもらいました。すごい業物ばかりですね」
この軍人、確かこの家に戻る途中に見た記憶がある。仲間から尻を槍で小突かれていた男だ。他の軍人が偉そうにふんぞり返っている中、この男の怯えた表情が珍しく思った。
「あんたは」
「ロットーです。階級は二等兵です」
別に階級なんてどうでもいい。そう思いながらセツナは上体を起こす。
「ここじゃ何ですし、上で話しませんか?」
2人は2階へと上がり、客間のソファに腰かけたロットーはコーヒーを出してくれた。
「砂糖いりますか?」
「いい」
セツナは腕を組んだまま、カップに手をつけようとしない。ロットーが麻痺毒を仕込むなんてことはできなさそうだが、一応警戒しておくに越したことはない。ロットーもそれを理解しているのか、全く催促してこなかった。
「この村、おかしいですよね」
「………ああ」
「元は、この層のフィールド調査の拠点だったんです。でも、ドナシアン大佐が配属されてから、次々と一般プレイヤーの人達が送られてきて。大体の人が、はじまりの街で税を払わなかったり、犯罪を働いたりした人達です。男はフィールドでコルやアイテム稼ぎに使われて、女は俺達の相手をさせられています」
セツナはドナシアンの横で絶望に満ちた女を思い出した。顔を汗と涙と鼻水で濡らし、自分の中に侵入してくるものに抗うことができない苦痛。いや、もしかしたら快楽も混在しているのかもしれない。
「女には麻痺毒を使っているのか」
「ええ、麻痺毒で動けなくして、倫理コードを解除してるんです」
ロットーはカップを両手で握りしめていた。力を込めすぎて震えている。
不意にドアが開いた。肩を震わせたロットーは慌ててドアへと視線を移す。ドアを潜って入ってきたのはエステルだった。
「エステルさん……」
「こんにちはロットーさん。それと……」
エステルはセツナを見て首を傾げる。そういえば、昨晩セツナは名乗っていなかった。
「セツナ」
「昨晩ぶりね、セツナさん」
エステルはセツナの隣に座ると、「私にもコーヒーいいですか?」とロットーに尋ねた。
ロットーは喜んで彼女の分のコーヒーを淹れた。
「昨日とは随分と雰囲気が違うな」
純白のブラウスを着たエステルは、良いとこのお嬢様に見える。昨日のぼろきれを着た時から短時間で一攫千金の富を得たように。
「ドナシアンにこれを着るように言われたの」
「あんたも軍人の相手を」
「私を相手にしていいのはドナシアンだけよ」
エステルはそう言ってコーヒーを飲む。他の女たちは皆絶望に満ちた表情をしていた。でもこのエステルだけ、目に絶望を宿していない。
「それで、ロットーさんはセツナさんと何を話していたの?」
「……丁度、セツナさんにお願いしようとした所です」
ロットーはエステルを一瞥してから、セツナを真っ直ぐに見据えた。
「セツナさん、この村を解放してください」