ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト 作:hirotani
起床アラームの音で、セツナは瞼を開けた。体を起こし、ベッドから降りて窓のカーテンを開け放つ。外周から広がる空は、灰色の厚い雲に覆われている。そんな天気の日は気が滅入るのか、窓から見える街の大通りはいつもより人通りが少ない。
セツナは視線を部屋へと戻す。ベッド以外の一切の家具が廃された部屋に窓からの光はあまり入ってこない。昨日引っ越して気ばかりのように殺風景だが、セツナはここに住んでもうすぐ半年になる。
視界の隅に未読メッセージを示すアイコンが表示されていることに気付き、セツナはメッセージウィンドウを開く。
『突然で済まないが、今日の午前9時に本部へ来てほしい』
手短に『了解』という2文字を返信する。現在の時刻は6時08分。ステータスウィンドウで装備を選択すると、体に衣服と剣の重みがかかってきた。
いつもの黒いロングコートではなく、形は同じだが正反対の白を基調としたコート。縫い目には赤いラインが走り、両襟に2つと背中に大きく1つ十字架の刺繍が施されている。一応ズボンと靴、剣を提げるホルダーも白にまとめた。本部へ入るときはこの格好でなければならない。この格好が通行証代わりなのだ。
正直目立って仕方ないが、これでもかなり地味な方だ。最初は甲冑と純白のマントといういかにも騎士然とした格好だったのだが、敏捷度を重視したセツナのビルドに合わないため今の形になっている。
予想通り、薄暗い路地裏から開けた大通りに出ると周囲のプレイヤーたちがざわつき始める。第14層モレノの町の転移門広場へ行くにはどうしてもこの大通りを通らなければならない。
飾り気のない田舎のような雰囲気の街路にセツナの格好はただでさえ目を引く。セツナの背中に描かれた十字架の意味を知らない者でもすれ違ったら振り返るだろう。
セツナは「仲間」がそうしているように、背筋を伸ばし堂々と石畳の道を歩く。背中のものと同じ十字架を掲げる血盟騎士団として。
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転移門の湾曲したゲート空間から出てきたセツナを、グランザムの鋼鉄が包み込むような街並みが迎えた。日光が差し込まないせいで、突き刺さるように建っている無数の尖塔は黒光りすることなく街に影を落としている。それだけで重苦しい雰囲気を作ることは容易だが、鍛冶職人が多い街の賑わいはいつもと変わらない。
「鉄の都」というグランザムの呼び名は鉄で作られた建物だけに由来しているわけではない。鍛冶や彫刻の職人たちに最高の業物を鍛えてもらおうと、腕自慢のプレイヤーたちが押しかけてくる。そのプレイヤーの着込む鎧と溢れるほどに生産される武器。この街は建物も人も鉄にまみれている。そこから「鉄の都」と呼ばれているのだ。
街の中でも一際高い塔。赤地に白い十字架をあしらい風に揺らめく旗を目指しセツナは歩き出す。ゆっくりと歩き、途中で店に寄ってしばらく物色していたが、それでも大して時間を食うことなく、血盟騎士団の本部に辿り着いた。
幅の広い階段を上り、開け放たれた大扉を潜ろうとした。
「待て」
扉の左右に立つ重装備の衛兵が、手に持っている槍でセツナを阻んだ。
「見ない顔だな」
目立つ団服を着ているから顔パスで済むと思っていたが、そう簡単なことではないらしい。いつも建物に出入りしている者なら顔を覚えるだろうが、セツナがここを訪れたのは3ヶ月ぶりだ。忘れていても仕方ない。それにもしかしたら前とは別の人間が門番を務めているのかもしれない。
「一応確認させてもらう。団服を勝手に作って団員を装う輩がいるのでな。名前は?」
「セツナ」
衛兵はウィンドウを開き、「セツナね…」と呟きながらギルドメンバーのリストをスクロールする。
「あった。引き留めて悪かったな」
衛兵が槍を引っ込め、右手を額に当てて敬礼する。セツナも敬礼を返した。
「ギルドの面子は全員覚えていると思ったが、お前と会うのは初めてな気がする。新人か?」
「ああ、そんなところだ」
本部の一階は吹き抜けのロビーになっている。上の階へ繋がる螺旋階段がまるで迷宮区の塔を彷彿とさせた。まるでこの塔そのものがアインクラッドのミニチュアみたいだ。
現時刻は8時を回ったばかり。セツナはロビーに置かれたソファに腰かけた。ストレージに溜め込んだアイテムを品定めする。整理を長いこと怠けていたせいか、ストレージにはかなりのアイテムが溜め込まれていた。どこで手に入れたのか、《リザードマンロードの脳》なんてものを41個も持っていた。今度50層にある怪しい店に売ってみるか。
「ねえ」
近くで女の声が聞こえた。こんな重苦しい場所に珍しいなと思った。
「ねえってば!」
半ば苛立った声色と共に、その声の主はセツナの肩を叩いた。それでようやく、セツナは声が自分に向けられていたことに気付いた。反射的にウィンドウを閉じ、ソファの横で仁王立ちしているその女の顔に視線を合わせる。
栗色の髪をストレートに垂らしているその女、少女と言った方がいいだろう。髪と同じ色をした瞳はセツナを捉えていた。少女の装備はセツナの「仲間」であることを示す赤いラインが入った純白の戦闘服だ。
「ねえあなた、今日がギルドの定例会議の日だって知ってた?」
定例会議など今まで参加した覚えがない。そもそもセツナは単独で任務をこなし、任務の内容もメッセージで送られてくるため会議に出る必要がないのだ。
「ああ、知っていた」
本当は知らない。だがそう言えばこの女の苛立ちを助長するのは目に見えている。
「じゃあどうして会議に出ないの? 今日は59層の迷宮区を攻略する日よ」
周囲を見ると、同じ色彩の格好をしたプレイヤー達が一斉に螺旋階段を下りている。来たときロビーに誰もいなかったのは、全員会議に出席していたからか。
「別任務にあたっていた。会議を欠席することは団長に連絡してある」
「別任務? どんな任務なの」
「クエスト調査だ」
「あなた1人で行ったの? そんな強そうには見えないけど」
女はセツナの全身を見つめる。セツナの白く彩られた装備からセツナの黒い髪と瞳まで。
「ここはゲームの世界だ。判断するところは外見じゃない」
「まあ、そうだけど。うちのギルドは簡単に入れないし」
納得の意は述べているが、それでも女は疑念のこもった目でセツナの腰に提げた剣を注視する。セツナはその視線よりも、視界の隅にある時刻表示に意識を向けた。8時55分。丁度いいだろう。セツナはソファから立ち上がり螺旋階段へと歩き出す。
「あ、ちょっと」
不意に女がセツナの前に回り行く手を阻む。立って並ぶと、細身のため長身に見える女はセツナよりも背が低い。
「あなた初めて見るけど、もしかして新人?」
「ああ、そんなところだ」
さっきの門番と同じやり取りだ。思えば、3ヶ月前に来たときも何人かと同じやり取りをした覚えがある。本部に来る度にこんな不毛な会話をしなければならないのか。
「どおりでね。副団長の私にため口使うからそうじゃないかなって思った」
実は副団長だった女の頬が緩みくすりと微笑する。普通ならセツナの不遜な態度に怒りそうなところだが。
「失礼しました、副団長」
セツナは頭を下げ謝罪する。副団長は慌てた様子で「や、やめてよ」言った。
「ため口でいいわよ。副団長だからって仰々しくされるのって、あまり好きじゃないの」
何度も言っていることなのだろう。顔に照れ臭さを感じない。むしろ疲れているように見える。
「偉い立場は大変だな。それでは行かせてもらう。団長に任務の結果を報告しなければならない」
副団長を横切り、セツナは螺旋階段を上る。途中で「あ、名前は―」という副団長の声が聞こえたが、セツナは聞こえない振りをした。
セツナはこの血盟騎士団では「空気」のような存在でいなければならない。ある日突然現れれば新人、何日も姿を見なければギルドを抜けたと片付けられるような、そんな存在に。だから副団長である彼女に覚えられるのは避けなければならない。彼女にはセツナのことよりもギルド運営に意識を向けてもらわなければならない。
しかしあの副団長、初対面のはずだがどこかで見たことがある気がする。
セツナの中で浮かんだ疑問は、会議室の扉を前にしたところで消えた。女としては美人に属する容姿だ。以前一目見かけた際に印象に残ったのだろう。そう結論付けた。
2回ノックすると、扉の奥から「入りたまえ」と返ってくる。セツナは金属製の両扉を開け、金属特有の鈍い光に迎えられながら部屋に足を踏み入れた。
♦
「突然呼び出して済まなかった、セツナ君」
セツナが会議室に入って開口一番、壁全面に張られたガラスを背に男は労いの言葉をかけてきた。部屋の中央に置かれた半円形の机には5脚の椅子が並んでいるが、中央以外は全て空席だ。恐らく、さっき副団長が言っていた迷宮区攻略のために出払っているのだろう。
中央の席に座る人物。あまり年齢を重ねているようには見えないが、オールバックに一房だけ額に垂らした灰色の髪と、面長な顔立ちがどこか貫禄を感じさせる。
この男が、《聖騎士》の呼び名を持つ血盟騎士団のギルドリーダー、ヒースクリフ。
ヒースクリフはあまりギルドの指揮を執らない。運営や作戦指揮は主に副団長が行っているらしい。それでもこの男がギルドを率いる立場にいるのは、その圧倒的な強さによるものだろう。
フロアボス攻略に殆ど参加しないセツナは、ヒースクリフがボスと戦う姿を1度しか見ていない。だがセツナはヒースクリフの強さを存分に知っている。その身をもって味わったのだ。単純にレベルの差だったのかもしれない。だが一度だけ剣を交えたあの時、セツナはヒースクリフに一撃も当てることができなかった。その圧倒的な強さにセツナは恐怖した。
ヒースクリフがあの強さを最前線で発揮していることは容易に想像できる。その強さとギルド運営に消極的な謎めいた姿勢が羨望の目を集め、彼をカリスマとしているのだ。
そのヒースクリフがギルド運営に消極的な理由、その謎をセツナは知っている。セツナ自身がその理由だからだ。
血盟騎士団のギルドリーダー、ヒースクリフ。そのもうひとつの顔が、セツナのクライアントだ。
血盟騎士団は、いや正確にはヒースクリフ個人がアインクラッド攻略とは別の活動を行っている。犯罪者狩りである。
犯罪者プレイヤーによる被害は下層や中層に限られたものではない。件数は圧倒的に少ないが上層でも被害がある。攻略組の方が圧倒的に金やレアアイテムを持っているのだ。獲物としてこれ以上魅力的なものはないだろう。
血盟騎士団でも何人かがPKの被害に遭っている。アインクラッドでトップギルドに位置するが、規模はそれほど大きくはない。貴重な戦力を失ってしまう不安要素を摘み取るために、ヒースクリフは犯罪者狩りを行うことを決めた。既に悪名高くなってしまった「軍」なら公然と犯罪者をPKできるが、大衆の憧れであり尊敬の的である血盟騎士団はそうはいかない。トップギルドの座とカリスマ性を守り続けなければならない。
その役目を遂行するために白羽の矢が立ったプレイヤーがセツナだった。実力は攻略組に引けを取らない。それでいて攻略にはあまり熱心ではない。そして何より、犯罪者プレイヤーが相手とはいえPKに抵抗を持たない。ヒースクリフが敵とする犯罪者と紙一重なセツナは適任だった。
セツナはヒースクリフから提案されたギルドへの参加を了承した。ヒースクリフは犯罪者達の情報をセツナに提供してくれる。自力であちこちの層を彷徨って探すよりもずっと効率が良い。
誰にも知られずひっそりと犯罪者を狩るならフレンド登録で済みそうなところだが、その点でヒースクリフはしたたかだった。
セツナの実力は攻略でも通用する。そう踏んだヒースクリフは犯罪者狩りの環境を提供する代わりに、非常時にはセツナも攻略に参加することを要求してきた。セツナはこの取引を受け入れた。最前線でレベル上げに勤しむことは決して損ではなかったからだ。実際ギルドに入ってから半年が経つが、攻略に駆り出されたのは2回だけだ。それに、団長であるヒースクリフと直接話す際はギルドの本部に来なければならない。入所時に「団長の友人です」と門番に話すと結構な騒ぎになることは目に見えている。だからセツナは団員という形でヒースクリフと協力関係を結ばなければいけない。
「構いません。団長」
セツナは社交辞令を述べる。普段ならこのようなことは言わないが、今は「従順な団員」を演じる必要があると判断した。部屋の中にヒースクリフとセツナ以外にもう1人いたからだ。
セツナは机の前に立つと、隣にいるもう1人のプレイヤーを見やる。ブラウンの髪をツインテールにまとめた少女が立っていた。一目でセツナよりも年下と分かるほど幼い。装備の色が目を引く赤であるため一瞬「仲間」と思ったが、装備に施された十字架の形がギルドのマークと違う。ギルドの十字架は剣をモチーフにしている。その派手な装いよりも目を引くのは、少女の肩にとまっている水色の小さい竜だ。確か《フェザーリドラ》というモンスターだったか。
「彼女は」
セツナはヒースクリフに訪ねた。何となく、隣の少女が今回セツナの任務に関わる気がする。
「彼女の名はシリカ。中層では有名なビーストテイマーだよ」
そういえば聞いたことがある。フェザーリドラのテイムに成功した唯一のプレイヤーがいると。その話題性が高い理由は、テイムしたプレイヤーが幼い少女だったからだ。どうやらシリカがそのプレイヤーらしい。
「彼女は3週間ほど前からストーカー被害を受けていてね。先日59層の迷宮区にいたところをギルドの偵察隊が保護した。彼女は8層にいたそうだが、フィールドに仕掛けられた回廊で迷宮区に飛ばされたようだ」
「ポータルPKですね」
セツナが導き出した結論をヒースクリフが首肯する。転移系の結晶アイテムで任意の高レベルモンスターがいる場所へ転送し置き去りにする手口だ。以前潜入していたオレンジギルドでそんな手口を使っていた。
「我が血盟騎士団は、シリカ君をストーカーから保護する方針を取る。セツナ君には、彼女としばらくの間行動を共にしてほしい」
セツナはヒースクリフの目に視線を向ける。真鍮色の瞳からはどんな感情を抱いているのか読み取ることができない。しかしセツナはその意図を完全ではないが察した。
「了解しました」
この男がただ人情で動くとは思えない。だとすれば、シリカを保護する以外に何か思惑がある。護衛にセツナを指名したとなれば、セツナの仕事絡みだ。
ヒースクリフがシリカへ視線を移した。
「さて、シリカ君。済まないが外してほしい。彼と話したいことがあるのでね」
「は、はい……」
シリカはヒースクリフに、そしてセツナに会釈するとフェザーリドラと共に部屋を出ていった。部屋を出る際、「失礼しました」と微かに震える彼女の声が聞こえた。
「それで、本題は。彼女の背後に何が潜んでいる」
「勘がいいな。やはり君を選んで良かったよ」
シリカがいなくなった途端、不遜になったセツナの態度に機嫌を損ねることなく、ヒースクリフは余裕を崩さず続ける。
「彼女をストーカーしているのは、タイタンズハンドではないかと思っている」
「タイタンズハンド……」
そのギルド名はセツナの記憶に新しい。3週間前、セツナが壊滅させようとしたオレンジギルドだ。だがセツナが襲撃する前に、ギルドは壊滅した。被害者から依頼を受けた別のプレイヤーが、リーダーのロザリアとその部下を牢獄に送ったらしい。そのプレイヤーはベータテスト出身の攻略組とだけ聞いていた。
「残党がいるのか」
「その可能性がある」
つまり今回の任務は、シリカの護衛なんて生温いものではない。タイタンズハンド残党の調査及び壊滅である。
「彼女はそのための囮か。あんたも残酷だな」
「君に言われるとは、よほどということかな」
ヒースクリフが冷たい微笑を浮かべる。穏やかだが、その冷たさに圧を感じる。
「分かっているとは思うが、万が一彼女に君の正体を知られてしまった場合……。彼女も殺さなければならない」
ヒースクリフは淡々と述べた。大衆から《聖剣士》と呼ばれ、いざ戦闘に立てばその圧倒的な強さで勝利に導く英雄が。そのイメージを根底から覆すことをセツナに命令している。だがそれが現実にならないために、セツナはセツナ自身の秘密を守らなければならない。そのためにあの幼い少女を手にかけなければならない。
セツナは自分の立場を理解している。だから彼は答える。
「了解」
セツナが会議室から出ると、扉の前にいたシリカが駆け寄ってきた。
「あ、あの……」
言葉が詰まって続きが出てこない。顔が青ざめているから照れではないようだ。こんな重苦しい所にいれば、重圧に押しつぶされそうなほどにこの少女は儚げな雰囲気を持っている。
セツナが手を差し出すと、シリカはようやく俯いていた視線をセツナの顔に向けた。
「セツナだ。いつまでかは分からないが、しばらくの間よろしく頼む」
シリカは目の前に差し出された手を小さな手で握った。シリカの顔に少しだけ血色が戻ったような気がした。
「はい、よろしくお願いします。セツナさん!」
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シリカはどうにも落ち着かなかった。
先月から身の回りで誰かの視線を感じてからずっとだ。街を歩いていても、誰かが見ている気がする。中層では名が知られているシリカをパーティやギルドへの勧誘、しまいには結婚を申し込まれたこともあるほどにシリカは常に周囲の視線を集めている。
でもここ最近で感じていた視線はそれとは違う。もっと暗いものを纏っているような、鋭い針で射抜かれるような視線をシリカはずっと感じてきた。元々他人に対する警戒心は強かったほうだが、最近はそれに拍車がかかり、誰とも目を合わせないようになった。圏内でも外に出るのが怖くなり、宿にこもっていた日もあった。心が休まるのはいつも一緒にいてくれるピナと遊んでいるときだけだ。
街にこもっていたシリカだったが、宿の客室で飛び回るピナを不憫に思い、たまには圏外で思い切り飛ばせてあげたいとフィールドに出た。それが仇になってしまった。
シリカが何気なく草原を歩いていると、光と共に暗い洞窟に飛ばされた。転移結晶を持っていないシリカはダンジョンを彷徨う羽目になり、モンスターとエンカウントしても何層か分からないため一度も戦うことなく逃げていた。そこに偶然、血盟騎士団の偵察隊が通りかかって、シリカはダンジョンを脱出することができたのだ。
あそこが最前線である59層の迷宮区だったと知ったときは震えが止まらず泣き出しそうになった。今のシリカでは、戦ったら絶対に死んでいただろう。ヒール能力を持つピナがいても。
結果的に血盟騎士団に保護してもらい、護衛までつけてもらったことに感謝はしている。しかし全てのことに疑心暗鬼になっているシリカは、この護衛についているセツナというプレイヤーすらも怪しく思っている。
せっかくの厚意なのだが、セツナはあまり強そうに見えない。
血盟騎士団の所属を表すロングコートの上に鎧の類は一切付けていない。腰に提げているのは細身の片手剣。しかも盾無し。
ゲームだから強さを決めるのは外見ではなくレベルだ。それにあの血盟騎士団に所属しているのだからハイレベルのプレイヤーに違いない。それは分かっているのに、どうにもこの人といると落ち着かない。
シリカは男性というものに恐怖を抱いている。どんなに優しそうな人でも、裏では何か企んでいるのではないかと悪く考えてしまう。今まで多くの男性プレイヤーに話しかけられてきたが、セツナはその中で一番怖い。特に目が。
目から感情が全く読み取れないのだ。NPCの方がよっぽど人間味がある。でも皮肉にも、そんな彼の目が人払いに役立っていた。街を歩けば声をかけられるシリカだが、この35層主街区に来てから一度も声をかけられていない。
理由は明らかにセツナだ。血盟騎士団の人間が一緒にいるから怖気づいてしまうのだろうが、それ以上に皆セツナの目を恐れているのだ。街に転移してすぐ、シリカに気付いた男性プレイヤーが近付いてきたのだが、セツナを見て「ひっ」と上ずった声をあげて逃げるように去ってしまった。
「あの…、セツナさん」
シリカは隣を歩くセツナを見上げた。黒い前髪がかかる黒い瞳でシリカを見下ろしてくる。
「気持ちは嬉しいんですけど……、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。圏内ですし……」
「俺は普通にしているつもりだが……」
セツナは眉をひそめる。でもやっぱりその目は何を感じているのか分からない。
ふと、シリカはいつも右肩に乗っているピナがいないことに気付いた。
「ピナ?」
シリカは周囲を見渡した。ピナが今までシリカから離れたことは一度もない。シリカはピナのペールブルーの綿毛を探した。
だがピナはすぐに見つかった。とても意外な所で。
すぐ近くでピナの鳴き声がしてそこを向いた。その光景を見てシリカは絶句し目を見開いた。何とピナがセツナの頬に顔を擦りよせているのだ。セツナが憮然とした表情のままピナの首筋を指で撫でると、ピナは気持ちよさそうに鳴いた。
シリカはその場で数秒ほど固まり、ピナをセツナから引き離すことを忘れていた。
「ピナ! 駄目だよ離れて!」
ピナはシリカの言う事を素直に聞き、定位置であるシリカの肩に乗った。でも残念そうに喉を鳴らしている。
「す、すみませんセツナさん……」
「気にしていない」
「でもどうして、ピナが人に懐くなんて……」
セツナは何かのアイテムをオブジェクト化し、シリカに見せた。赤紫色をした小さな果実だった。
「これは……」
「モランイチゴの実だ。フェザーリドラの好物らしい。持っていても仕方ないから食わせてみた」
そんなものがあったのも驚きだが、何よりも驚いたのはピナが他人に懐いたことだ。今までシリカ以外に顔を擦り付けるなんて行為をしたことがないというのに。高級食材で餌付けしようとした者がいたが、その時は目もくれなかった。
ピナを見ると、その目はジッとセツナを見つめている。セツナはまだモランイチゴの実をオブジェクト化しているのに、餌には興味を示していない。
悪い人じゃないのかもしれない。
そう思ったとき、シリカの中で何かが合致した。
このセツナと一緒にいると落ち着かない理由、それはこの剣士があの剣士にどことなく似ているからだった。
黒い髪も黒い瞳も。色は違えど体のシルエットを隠す服も。顔立ちは彼よりも鋭く彼よりも背が一回り高いけど、纏っている雰囲気がピナを生き返らせシリカを救ってくれたあの黒い剣士と同じだった。
シリカはセツナの目を見つめる。相変わらずその目に宿しているものが分からない。
この人にとってシリカを守ることは、ギルドの任務でそれ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。
でも、信じてみようと思える。
この人は守ってくれる。あの人みたいに。
3話目にして、ようやく原作のキャラを前面に出すことができました。ホッとしております。