ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト   作:hirotani

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 「虐殺器官」を観てきました。少し駆け足気味に感じましたが、あの原作のボリュームを1本の映画にまとめるだけでもかなりの苦労だったと思います。

 よく映画の宣伝でマングローブ倒産のことが挙がるのですが、話を聞くと苦境を乗り越えて作品完成させた美談ていうよりアニメ業界の危うさが垣間見えました。

 大手なのに外注先に未払いって本当にあるんだ………。


第27話 演出には音楽を

「お前の噂は聞いていたよ。まさか聖騎士が、死神の雇い主だったなんてな」

 月光に晒された顔は感慨深そうにセツナを見つめてくる。喉元に突き付けられた剣には紅のグラデーションがかかっていて、それが真っ白な壁紙に反射している。

 月が部屋を照らしてくれたせいか、セツナの索敵スキルによる暗視モードが解除される。少し暗くはなったが、相対するその顔がはっきりと見える。ややくすんだ金髪にパープルの瞳。現実にいたら不自然な容姿はカスタマイズされたものだろう。だがこの男には不自然な組み合わせがよく似合っている。元の素体が良いのだろう。明らかに純粋な日本人の顔ではない。別の人種の遺伝を感じさせる。

 ポールはレブロの方へ視線を移し、悲しそうな顔をする。

「レブロ……、お前はひどい女だな。ギルドの下っ端だったお前を指揮官にまで育ててやったのは誰だと思ってる? 幹部共に抱かれるしかなかったお前を救ってやったのは誰だ?」

 レブロの荒くなっていく吐息が聞こえた。何か言おうとしたようだが、クラインの声が割って入る。

「てめえ………。本当にPoH(プー)なのか………?」

 クラインも刀を喉元に向ける。2刀を突き付けられてもポールは余裕を崩さない。絶対的不利な状況にあるのに、彼はこの状況を楽しんでいるかのようだ。

 ポールは答える。

「ああ、俺はPoH(プー)だ」

「偽名を使って、聖竜連合の連中にPK技を教えてたってか。このくそったれの人殺し野郎が」

「俺はやり方を教えただけで、殺したのは連中の意思だ」

「何言ってやがる………。てめえが余計なことしたせいで、どれだけ死んだのか分かってんのか!」

「分かってるさ」

 あっけらかんとPoH(プー)は言ってみせる。その一言には色々な意味が含まれている。

 自分は人殺しの技術をギルドメンバー達に教えたと。

 自分は多くの人間を殺戮へと駆り立てたと。

「俺は自分の言葉がギルメン達を人殺しにさせると分かっていた。ついこの前まで正義の味方ぶってた奴が、率先してKoBを殺すと粋がってるのを見るのは面白かったな」

 クラインは歯を食いしばっている。現実ならば唇に血が滲んでいるだろう。

「ラフコフを潰された復讐のつもりか。人でなしの癖して、仲間の仇を取ろうってのか」

「あんな連中なんざどうでもいいね。むしろリーダーなんて飽きていたのさ。やっぱり高見の見物を決め込むのが1番だからな。サル同士で殺し合うのは最高のショーだ。あのときビールでも持っていればよかった」

 セツナは思い出す。《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》討伐を決めた、ギルド拠点の情報。ヒースクリフも、アルゴでさえも情報の出処が分からなかった。又聞きによって攻略組に広まった伝言ゲームを仕組んだのは――

「あんただな、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の拠点を流したのは。あの討伐戦は、あんたの自作自演だったのか」

 PoH(プー)は頷く。

「死神があんなに早く来ることは予想外だったがな。だがおかげで奴らの恐怖を煽ることができた。恐怖によって、戦わなければ生き残れないという意識が芽生えた。あいつらは勇敢だったよ。歴戦の勇者達に臆せず立ち向かった。そんで死んでいった」

「よほどあの戦いが楽しかったみたいだな。今度は聖竜連合と血盟騎士団の殺し合いを見たいわけか」

「最高だと思わないか? 同じ目的を持った仲間同士で殺し合うんだ。昨日の友は今日の敵ってな。お前のおかげで上手くいった。死神を悪く思う連中はたくさんいたからな。あっという間に、ギルド中が打倒KoBって盛り上がった」

「てめえはクズだ」

 クラインが静かに、怒りを込めて言う。

「他の連中に殺させておきながら、てめえは安全な場所で涼しい顔してふんぞり返ってやがる。あんだけ憎かった聖竜連合の連中が今になって哀れになってきたぜ。てめえのせいでいかれちまって、ただの獣と同じになっちまった」

「さっきも言っただろう。殺したのはあいつらの意思だとな。聖竜連合の連中は獣なんかじゃない。油断しきったボスを倒した後を見計らってKoBを襲ったし、どこの層がレベル上げに効率が良いかを判断し占領した。お前達を殺すのも、KoBが攻略の妨げになるからと動機があった。しっかりと戦略を立て、理由を付けて殺すことができる、知性を持った人間だ」

「さっきサルって見下してたじゃねえか。今度は人間だって庇うのかよ」

「時と場合によるってことさ。殺す前は知性を持った人間でいられるが、いざ殺すときは生存本能を剥き出しにしたサルで、獣になる。あんたも認めたらどうだ。人間も動物だ。サルから進化し、文明なんて持たなかった時代には女も裸で外をうろついていた。そんな獣の血を受け継いでいるとな。こんな仮想世界を作るほどに文明が進化しても、人間自身は動物であることから逃れられない。腹も減るし、眠くもなるし、男は女を前にすれば犯したくなる」

「哲学者気取りか。そうやって小難しいこと考えてるてめえは賢いつもりかよ。確かにてめえには人を殺させる力があるみてえだな。今、俺はてめえを殺したくて仕方ねえ」

「俺を責めているが、お前達も殺しているだろう。俺の言葉なしにな」

「てめえらが殺そうとしてきたからだ!」

 クラインはとうとう苛立ちを剥き出しにした。隠密行動を徹底するよう言っておいたのに、仲間を多く殺す原因を作った男を前に我慢の限界がきているらしい。

 クラインの神経を逆撫でするように、PoH(プー)は笑みを崩さない。

「そう、それだ。お前達が層を制圧するとき、必ず死者が出ただろう。最初に層が奪われてたくさんの仲間が死んだとき、ギルドの中でこんな意識が広まっていった。『やらなければこちらがやられる』とな。お前さん達も、そんな理屈で殺していたんじゃないのか?」

 PoH(プー)に反論したのはクラインではなくセツナだった。

「層をあんた達の支配から取り戻すためだ。殺すことが目的じゃない」

「俺だって殺すこと自体が目的じゃない。誰だってそうだ。殺されそうだから殺す。仲間を守るために殺す。そいつが食い物や金目のものを持ってるから殺す」

「殺人自体は、目的のための手段だと言いたいのか。確かにそれならハードルも低くなるな。殺す必要性を強調して、ギルドメンバーを煽ったのか」

 PoH(プー)は満足そうな表情を浮かべる。

「随分とお利口さんじゃないか。そう、殺さなきゃならないと思わせることが重要だ。人間、結局は自分の命が大事だからな。この世界じゃ思いやりなんてのは命取りになるから面白いほど上手くいく。身の危険を感じさせることで、仕方なく殺させるんだ。一度殺してみれば分かる。鬼や悪魔になんてなりゃしない。ちゃんと血も涙もある人間のままだ。人でなし? 違うね。俺もあいつらも立派な人間だ。むしろ、屁理屈こいて俺達を害獣扱いしてるお前らの方が罪深い」

「現にあんたはアインクラッドの害獣だ。あんたにそそのかされた聖竜連合は逆らうプレイヤーを殺し、血盟騎士団は問答無用で殺している。プレイヤーの数が激減して、攻略の戦力は減っていく一方だ」

「俺が事を起こさなくても、死人は出るだろ?」

 セツナは口をつぐんでしまう。確かにその通りだ。抗争なんて起きなくても、攻略に死者はつきものだ。層の解放に反比例して戦力は落ちていく。それは避けられないことで、プレイヤーの間では仕方のない事として処理されていた。

「お前は死者が出ると分かっていながらも、同胞を迷宮区に送り込むはずだ。だがそれに歯向かう奴はいない。何故なら必要だから。攻略しないと現実に戻れないからってな。俺とお前のやり方は本質的には同じだ。たとえ酷なやり方でも、目的と必要性を説いて意欲を掻き立てる。そうすることで誰だって勇敢になれるし、残酷にもなれる」

「セツナはてめえとは違え!」

 クラインが食ってかかる。

「セツナは攻略のために、俺達を現実に還すためにギルドのリーダーになったんだ。てめえと一緒にすんな!」

「それはどうかね? そいつは大量殺人者だ。いくら相手が人でなしのくそったれでも、そいつは無慈悲に命を奪ってきたんだぞ。それを1人で成し遂げるのは勇敢だが、かなり残酷じゃないか」

 殺すこと自体は目的じゃない。

 殺意は目的の手段にすぎない。

 この作戦に赴くとき、セツナは自分の意思を殺意と呼びあぐねていた。これまで抱いていた憎悪と悲しみのない殺人に殺意はあるのかと。

 だが、セツナは明確に2人を殺すことを目的としてこの村にやってきた。その目的の目的は、血盟騎士団が攻略の主導権を取り戻すため。そのために自分の技術を提供するというビジネス精神によって。

 ビジネス。愛国心。集団意識。それらを根底としても、殺すという意思が明確にある。ギルバートを殺すことが最終目的でなくても、たとえ手段に過ぎなくても、セツナにはしっかりと彼を殺すという意思があった。あの意思は、弁解のしようがない殺意だったのだ。

「誰もが残酷になれる素質を持っている。集団ではなく個を基準とした生存競争なら、それはより際立つ。自分が生きるために他人を蹴落すことに躊躇しなくなり、心から良心という蓋を取っ払うんだ。良心がなくなれば、残るのは暴力性だけだ。人間には、生まれつき暴力が捨てられない本能として備わってるのさ」

 セツナはつぐんでいた口を開く。

 ゾディアークと対峙したときの会話を思い出す。彼が抑えることのできなかった暴力の性。それを正当化してしまった物語のタイトルを。

「………虐殺器官」

 出た言葉にクラインは困惑している。彼とは対照的にPoH(プー)は喜んでいるようで、更に口角を上げる。

「医学的根拠は何もなかったが、あの本は役に立ったな」

笑う棺桶(ラフィン・コフィン)は、あんたの洗脳を実験するためのものだったのか」

「実験なんざするまでもない。俺の現実での仕事で必要なスキルだったんでね。それに、俺のしたことは洗脳じゃない。俺は良心を取り除いただけで、意思選択は尊重してやったつもりだ」

「現実での仕事だ?」

 クラインの声に揺らぎが生じる。さっきまでの怒りは維持されているが、同時に怖れているように声を震わせる。

「まさか……、てめえは現実でも殺させてたってのか………?」

「仕事だ、仕方ないさ」

 それだけ言うと、PoH(プー)は窓から見える月へと視線を移す。向けられた2本の剣など見えないように。とてもリラックスしている。

「そうだな。洗脳となるとデリケートだ。かなり慎重にやらなきゃならないし小道具も必要だ。例えば、音楽とか」

「音楽だと」

 PoH(プー)は靴で床をタップし始めた。たん、たーん、とまるでメトロノームのように。

「クラシックを聴くと、音が脳波に影響してリラックス効果を生み出す。規則正しいリズムとランダムなリズム。その中間にある微妙なラインを保たなきゃならない」

 靴のタップは時折規則性を欠いたリズムを刻んでいる。人間がやると、どうしてもずれが生じる。

 音楽によるリラックス。

 ヒーリング・ミュージック。

「モーツァルトの曲は人を癒してくれるんだって。眠くなるのがよく知られているけど、ストレス解消の効果があるの。海外じゃ、病気の治療にモーツァルトの曲を流すらしいよ」

 そう自慢げに話していたナミエも、モーツァルトの曲を弾いてくれた。セツナの脳裏にメロディが浮かぶ。バイオリン協奏曲第4番だ。よく眠くなって、目をつぶると金切り声みたいな音を出して起こされた。

 PoH(プー)の声がメロディの合間から聞こえてくる。

「眠気を誘発し、リラックスできた状態にまで持ち込む。そうすることで正常な判断を鈍らせる。だがまだ完全じゃない。止めのひとさしが必要だ」

 セツナは本当に音楽を聴いているような錯覚に囚われた。そこに違和感を覚える。

 このメロディはセツナの脳内で再生されているものじゃない。セツナは本当に曲を聴いている。

 耳から、正確に言えばシステムの聴覚再生エンジンから。

「クライン、耳を塞げ」

 頭を上下させていたクラインが「うおっ」と上ずった声をあげる。どうやら眠気に誘われていたらしい。

 PoH(プー)はバイオリン協奏曲第4番を奏でていた。会話しているように見せかけて、声に曲のリズムと抑揚を乗せて聞かせていたのだ。

 どす、とくぐもった音が聞こえた。

 セツナは音がした横へと向く。自分の腹から突き出した刃を見つめるクライン。クラインの背後に佇む、虚ろな目をしたレブロを。

 セツナは反射的に、レブロの顔面に拳を見舞った。受け身もとらず窓際に激突した彼女に接近し、立ち上がろうとしたその咥内に剣を刺す。

 月が雲に隠れた。暗視モードに切り替わった視界の中で、剣を咥えたレブロが目を見開いている。刃を上向きに捻り、頭を真っ二つに斬り上げた。首から上が真っ二つに割れたレブロは目を見開いたまま、暗闇の中で光を断末魔のように散らして消滅する。

「クライン、大丈夫か」

 クラインはPoH(プー)に刀を向けることを忘れず、腹に刺さった短剣を引き抜いて無造作に捨てる。

 月が消えても部屋の中には光が入り込んでいた。窓とは反対にある開け放たれたドア。レブロは閉めなかったのだろうか。死んでしまった今では確認しようもないが、廊下の照明が部屋の中へと入り込んでいる。

「さっさと殺しちまうぞ。何しでかすか分かんねえ」

 クラインはそう言って刀を振り上げる。

 たん、たーん。

 不規則なメトロノームの音はまだ続いている。その不規則さにも違和感がある。いくら人によるものとしても乱れすぎている。音楽性なしのリズム音痴だ。

 いや、とセツナはそれがメトロノームの真似でないことに気付く。このリズムには聞き覚えがある。20世紀を舞台にした映画ではよくそのシーンがあった。

 たん、たーん、たん、たん、たーん。

 トン・ツー。

「モールス信号――」

 クラインが刀を振り下ろそうとした瞬間、ドアから武装した親衛隊がなだれ込んできた。あのメトロノームはPoH(プー)のSOSを告げる前時代の通信だったのだ。

 突然の出来事に刀を引っ込めたクラインは、大きく立ち回れない部屋の中で応戦する羽目になった。懸命に防御に徹しているが、数人がかりを相手に鎧にはエフェクトが次々と貼り付いていく。

 親衛隊員の1人がPoH(プー)の腕を掴んだ。セツナは地面を蹴り、素早く肉迫するとその腕に剣を一閃して切断する。同時にポーチから非常用の回廊結晶を取り出す。

「コリドー・オープン」

 部屋の中に光の渦が発生する。渦の形成が完了するや否や、セツナはPoH(プー)の首に腕を回して組み付く。それに気付いた親衛隊員達が迫ってくるが、攻撃されるのも構わず両手を広げたクラインに阻止される。

「セツナ、行け!」

「クライン、あんたも――」

「いいから行けってんだ。ぜってえにPoH(プー)を逃がすんじゃねえぞ!」

 光の回廊が狭まっていく。猶予はなかった。セツナがPoH(プー)と共に光の中へ飛び込むと、ソードスキルの斬撃音が聞こえた。それがクラインのものなのか、親衛隊のものなのかは分からなかった。

 ダイブするような体制で飛び込んだため、転移先で2人揃って床を転がる。

 PoH(プー)は武器をオブジェクト化させた。中華包丁のような短剣。その武器が、あのアインクラッド最悪の殺人鬼であるという確証を持たせる。

 セツナも兜と鎧を装備から外す。簡素なシャツ姿になったが、鎧なんて動きづらいだけで着ないほうがいい。

「結晶無効化エリアか。考えたな」

 宝箱がひとつ置かれただけの殺風景な部屋を見渡し、PoH(プー)は呟く。出口に設定したのは第27層の迷宮区。それもトラップ空間だ。

 PoH(プー)はモンスター発生装置の宝箱へと走るが、セツナはそれよりも速く、彼の前に立ち塞がる。ホルダーから鞘を引き抜き、疑似二刀流で構えを取る。

 PoH(プー)は高々と宣言した。

「イッツ・ショウ・ターイム!」

 セツナが突き出した剣尖を中華包丁が食い止める。続けざまに鞘を振り下ろすが、先端の刃が脳天に届く寸前でPoH(プー)の脚がセツナの腹に届く。受け身を取って転倒を防ぎ、再び地面を蹴って肉迫する。

 武器の多さではセツナに分があるというのに、PoH(プー)はハンデをものともしない。突き出された鞘の、刃のない中腹を脇で挟み込んできた。一瞬だけ動きが封じられる。その一瞬を狙うPoH(プー)が包丁を振り下ろした。剣で防ぎ、さっきやられた仕返しにその腹へ蹴りを見舞おうとする。PoH(プー)は見計らったかのように鞘を放し、バックステップを取った。セツナの右脚が宙に虚しく突き出される。

「ゾディアークが期待していたから、お前なら俺に喜びをくれると思っていた。だが見当違いだったな。やっぱり、あいつの代わりはいないってことか」

 PoH(プー)は落胆したように肩を落とす。芝居がかかったものじゃない。陽気な扇動者と呼ばれた男とは思えないほど自然な落胆だ。

「ゾディアークはただの戦闘狂だった。あんたとは暴力の趣向が違う」

「あいつと会ったのか。殺したのか?」

「ああ」

 「残念だ」とPoH(プー)はため息をついた。

「あいつとは本の趣味が合ったのに。ゾディアークは正直な奴だったよ。自分の心に蓋をすることなく正気のまま殺せる奴だった。悪魔の子とは、あんな奴のことを言うのかね」

「あんただって負けちゃいない。自分の手を汚さずに殺した分ゾディアークより質が悪い」

「何だ知らないのか。良いこと教えてやるよ。アジトが襲われた後、俺はしばらくゾディアークと一緒にいた。俺といる間、あいつは1人も殺さなかったよ。ただひたすらレベル上げしてた。それが詰まらなくて別れたんだがな」

「何が言いたい」

「あいつはお前を想い続けていたってことさ。お前と戦う日を楽しみにしていた。羨ましいな。想い人に殺されるってのは」

 あの男の名前が出てきたことに、セツナは懐かしい憎悪を感じ始める。救いのないことに、セツナはまだゾディアークを憎み続けている。

「あんたもそんな最期を望むっていうのか。驚きだな。あんたに誰かを想う情緒があるのか」

「あるさ。俺は俺に喜びと希望を与えてくれたあいつを愛している。あいつをこの手で殺せれば、俺は自分を殺したっていい」

 かなり意外なことだった。セツナは思わず警戒を緩めて、アインクラッド最悪の殺人鬼の嬉々とした表情を眺める。

 人と人とも思わず、悪魔と恐れられた男が愛などと言っている。だがセツナはそれを理解できてしまう。セツナが殺してきた犯罪者達にも願いが、苦悩が、エゴがあった。多くの人間を殺してきたセツナを突き動かしていたのもエゴだ。

 「それなのに」とPoH(プー)の声から気迫がなくなった。陽気さが完全に消え、絶望と悲しみの影を感じさせる。

「あいつは死んだ。ヒースクリフに殺された。こんな悲しいことはない。運命の出会いだったってのに。俺はあいつを殺すために生まれてきたって思えたのに」

 セツナの脳裏にとある剣士の姿がよぎる。セツナと同じく暗闇にいながら、セツナと違って闇を斬り拓こうとした黒の剣士が。

「あんたが愛したのはキリトだったのか」

 PoH(プー)の目には涙が浮かんでいる。

「ヒースクリフが憎いなら攻略を進めるべきじゃないのか。100層に行けば奴を殺せるだろう」

「復讐なんて馬鹿げてる。奴を殺しても俺は満たされない。殺したってあいつは戻ってこない」

 至極真っ当だった。殺人鬼の言葉とは思えないほどに。諭されている気分だし、気持ちが痛いほど分かってしまう。

 セツナも同じだ。ゾディアークを殺しても、それはセツナにとって終わりにはならなかった。ナミエが死んだ事実も殺してきた事実も変わらないままで、セツナは罪を抱えたままさまよっている。

 ゾディアークの死で得たものといえば、喉の渇きが消えたこと。結局セツナの罪は誰も赦してくれないという確証だった。

「俺が愛したのは強さじゃない。あいつの気高さだ。お前なら、あいつの代わりになってくれるんじゃないかと思っていた」

「そうか、それは残念だったな」

 セツナは剣を一閃する。PoH(プー)は泣きながら攻撃を防ぐ。

「虚しくなったから殺し合わせて滅ぼすつもりか。そんなことが無駄なのは分かってるだろう」

「分かってるさ。もう何もかもどうでもいい。だからこんな世界は滅ぼすんだよ」

 PoH(プー)の包丁がハーディスクラウンを弾いた。生じた隙を逃さず、包丁の刃が眼前へと迫ってくる。咄嗟に鞘で防ごうとするが、寸前で包丁の軌道がわずかに逸れて左手首をすぱっと切断する。

 鞘を握ったまま床に落ちた左手が消滅する。半歩下がったセツナはHPバーの部位欠損アイコンが点滅していることなど意に介さず跳躍した。宙でライトエフェクトを纏った刀身を首めがけて一閃するが、PoH(プー)の包丁に阻まれる。地面に着地する寸前、セツナは顔面に拳を見舞われた。身動きが取れない宙で避けることもできず、浮いたまま壁際へと飛ばされる。

 防具が貧相なせいで、たった1撃にも関わらずHPが4割減少していた。PoH(プー)は包丁を片手にゆっくりと歩いてくる。

「団長!」

 入口の方向から声が聞こえた。見ると、それほど広くない部屋の中に赤と白の団服を着た騎士達が次々と入ってくる。団員達は迷うことなくPoH(プー)を包囲し剣を向ける。さすがに切り抜けるのは不可能と諦めたのか、PoH(プー)は包丁を捨て両手をあげた。

PoH(プー)!?」

 彼の得物で分かったのか、団員の1人が驚愕の声をあげる。ロープで両手を縛られている間、PoH(プー)は抵抗しなかった。目に殺意を宿していない彼は、訪れた年貢の納め時を受け入れているように見える。

「団長、奴は………」

 偵察隊長がPoH(プー)から目線を逸らさずに聞いてくる。セツナは再生した左手で鞘を拾いあげる。

「ポールはPoH(プー)だった」

 セツナがそう言うと団員達はざわつきだした。

「団長、止めをお願いします」

 この期に及んでまだ殺したくないか。

 内心呆れながら、セツナはPoH(プー)を見やる。

 この男を殺せば、アインクラッドに平穏がもたらされる。死者は出るだろうが、それでもプレイヤー達は安心してフィールドへ繰り出し攻略に臨むことができる。

 セツナはPoH(プー)に尋ねる。

「あんたは言ったな。殺したのは彼等の意思だと」

「ああ」

「なら、あんたに彼等の殺意を止めることはできないと」

「そうだな。連中は自分で殺すと選択した。俺の言葉は魔法なんかじゃない。殺しをやめるとしても、それも連中の意思だな。まだ良心てのが残っていればの話だが」

「そうか」

 短い会話の後、セツナは剣を納める。「どうしたんですか」、「こいつは殺さないと」と団員達が矢継ぎ早に言ってくる。

 彼等も殺意を持っている。

 殺さなければならないと。

 殺さなければ自分が死ぬと。

 PoH(プー)と同じように、セツナも彼等の殺意を引き出した。

「ここでは、殺さない」

「団長!」

 勇ましく偵察隊長が早口に言う。

「奴は最悪の殺人鬼です。監獄に入れるのも生温い。生かしておくのは危険です」

「ここではと言った。今葬っても聖竜連合の求心力を排除したことにはならない。この男の死は、プレイヤー達が見届ける必要がある」

「まさか、街で処刑でもするんですか?」

「そうだ。皆に知らせる必要がある。殺人鬼が死に、心おきなく攻略を進めることができると」

 セツナは無感情にPoH(プー)を見据える。PoH(プー)もまた無感情で、確定した死に何を思うのかは読み取れない。

「明日、トールバーナでPoH(プー)の公開処刑を執行する」

 

 ♦

 迷宮区の出口へと向かう間、PoH(プー)には絶対的な安全が保証されていた。

 彼は死ぬべき男なのだが、そのときは今ではない。だから、迷宮区に駆けつけてきた20人編成の部隊はモンスターからPoH(プー)に指1本触れさせまいと守った。それに不満を持つ者はいる。友人を《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に殺された団員は珍しくなかった。

 当のPoH(プー)はというと口にさるぐつわを噛ませられて、発言と手の自由を奪われた状態で歩かされている。

 《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》が壊滅した後、オレンジプレイヤー達の活動は潮が引くように減少した。PoH(プー)の言葉が本当なら、彼等は操られていたわけではなく、自らの意思によって犯罪行為を止めたことになる。まだ良心というべきものが残っていて、それが善良な道へと歩かせた。

 人間は選択できる。善意に行くか、悪意に行くか。PoH(プー)という求心力を失ったことで、人々の意識には良心という蓋が殺意を覆ってくれるのかもしれない。

 でも、とセツナは不安を拭うことができずにいる。

 ゾディアークの死はセツナに終わりをもたらしてはくれなかった。

 だとしたらPoH(プー)の死も、抗争に終止符を打ってはくれないのだろうか。

 人は死んでもその人の言葉は残る。本は時代を越えて人々に物語を伝える。

 もしPoH(プー)の言葉を受け継いだ者がいて、それが2人目のPoH(プー)になってしまったら、再びアインクラッドは混沌に突き落とされてしまうだろう。人々がどんなに善意へ向かう努力をしても、蓋が取られ、覆いをなくした悪の花が花粉を撒き散らして。

 それでも、人々は善意へと向かい続けてくれる。願望に近いが、セツナはそう思う。たまに利己的に生きて他者を蹴落すことがあっても、世代を重ねて集団を、国や社会を築けば、他者と協力し、他者のために生きることに安定性と合理性を見出せるはずだ。人類が最初は個の生存に必死だった生き物でも、文明を持つことで集団に適応していった。長い目で見れば、人間という動物は紛れもなく善意へと向かっている。

 リーダーを失った聖竜連合が、新しいリーダーを擁してこれからも独立したギルドとしてやっていくのは不可能に近い。聖竜連合を打倒するために、アインクラッドのプレイヤーは殆どが血盟騎士団に入っている。聖竜連合も吸収されることだろう。プレイヤー達の意思は統一されつつあるのだから。

 迷宮区から出る頃には夜明け近くだった。天井と地面の間にしか見えない空は白みはじめている。

 セツナはウィンドウを呼び出し、メッセージを打ち込む。

『ギルバートを暗殺。PoH(プー)は捕縛した。カルマ回復クエストの後、帰還する』

 返信はすぐに届いた。文面を読んで喉のあたりにつっかえを感じた。だがそれ以上に眠気という生理的欲求がセツナを圧倒していて、付随するはずの感情が曖昧になっていた。

『お疲れ様です、団長。先程、クライン隊長の死亡が生命の碑で確認されました』


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