ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト   作:hirotani

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第22話 敵には殺意を

 上層への道を阻む大トカゲが《The Abaddon Salamander》という名前だと確認できたのは一瞬だけだった。

 照明が弱いボスの間で、ひび割れた皮膚から覗く筋繊維が発光している部屋の主は視認しやすく攻撃も回避もしやすい。現れたときはそう思っていた。

 壁や天井を這うボスに振り回され、戦闘を開始して1時間は経った気がする。しかし時刻表示を注視する隙すら危険なこの状況では、一体どれほど時間が経っているのか正確には分からない。何人が死んでいるのか、それともこれから死人が出るのかも分からず、プレイヤー達は武器を振るっている。

 部屋の空気が揺れるのを感じながら、セツナは肉迫してくる大トカゲの巨体を回避する。すぐ隣で団員が短い悲鳴をあげるのが聞こえる。一瞥して彼の左肩に赤いエフェクトが張り付いているのを視認する。

「下がれ」

 指示を飛ばしたセツナは駆け出す。クライン達がいる一団へ尾を振る大トカゲに光を纏った剣と鞘の計15連撃を見舞う。

 《The Abaddon Salamander》は反撃しながらも、セツナの《明王覇斬》の15撃目を受けたところでよろめいた。その隙を逃してはならないと指示を飛ばす。

「スイッチ」

 咆哮をあげながら、クラインをしんがりにプレイヤー達は一斉に武器を振った。ソードスキルを放つ武器の光がボスの間に煌めき、大トカゲは耳障りな叫びで空気を震わせる。

 《The Abaddon Salamander》は叫びながら天井を仰ぐ。遥か最上層にいる主人に助けを求めるように。そして、その体が爆散する。ボスの間に体を構成していたポリゴンが降り注ぎ、余韻に浸る間もなく目の前に獲得経験値が表示された窓が現れる。

「死人は出たのか?」

 床に腰を下ろしたクラインが聞いてくる。セツナはマップを呼び出し、この場にいるプレイヤーの反応を数える。

「死者は出ていない」

 そう言うと、クラインは「はあ」とため息を吐きながら床に四肢を投げ出した。でもすぐに上体を起こし、腰の鞘に刀を納める。

「そんじゃ、アクティベート行くか」

「ああ」

 「待ってくださいよお」と、背後から恰幅のいい元《風林火山》メンバーの男の声が聞こえる。

 のんびりとした声が途切れた。直後に聞き慣れた破砕音。それを聞いて奇妙なことに、死んだなと冷静に判断する。

 隣で即座に振り返るクラインと同じように、セツナも背後へと視線を向ける。その先にはボスの間を照らすダイヤモンドダストと、その先にいる青のユニフォームを着た《聖竜連合》のメンバーが剣を手にして立っている。

 《聖竜連合》の男がにたりと笑い、その顔にフォーカスを当てると頭上にオレンジのカーソルが。

 ポリゴンが全て蒸発する前に、青の衣装を纏ったプレイヤー達は一斉に剣を構えた。逡巡しているうちに2人が消滅する。ようやく感情が追いついたクラインは咆哮をあげて、仲間を消した男に刀を振り下ろしていた。

 セツナは襲ってくる《聖竜連合》のメンバーに《月弧刃》を見舞う。相手の首から上がするりと落ちて、それが床に着地する前に体と一緒に消えていく。

 久しぶりのPKだというのに、そこに感慨や恐怖と呼ぶべきものはなかった。当然、血の味もない。冷静に次の標的を定め、相手がまだグリーンならわざと攻撃させてオレンジ化させた上で殺す。どこの部分を斬ればダメージを多く与えられるかもまだ覚えていて、PKに適したソードスキルの構えもしっかりと体に叩き込まれていた。

 ボスの間に響いていた剣戟音が止むまで、セツナは善良なグリーンを保っていた。視線を巡らせるとオレンジカーソルが点在している。彼等はどうにも効率的なPKを知らないようで、襲ってきた相手がオレンジ化する前に攻撃してしまったらしい。

 運良く死ななかった《聖竜連合》の3人はロープで縛られている。その1人にクラインは近付き、その頬に手加減なしに拳を打ち付ける。

「てめえらの目的は何だ! 何で襲ってきた‼」

 殴られたのはセツナと同年代の少年だった。まだ髭も生えていないふっくらとした頬は、何度殴打されても若々しい張りを保っている。殴りながらクラインは泣いていた。怒りなのか悲しみなのか。どちらの側に付けばいいのか分からない感情を拳に乗せていた。

「よせ、このままでは死んでしまう」

 冷静な団員がクラインを羽交い絞めにする。クラインはしばらくの間じたばたしていたが、やがてぐったりと腕を降ろし、完全に悲しみへと付き涙を流していた。

「団長、彼等はどうしますか?」

 冷静を装う団員がセツナに聞いてくる。クラインのような感情を見出せないセツナは、仲間を失った彼に対する共感と慰めの言葉も見つけることができなかった。

「オレンジ化した者は捕虜を連れてカルマ回復クエストへ。残りはアクティベートに行く」

 

 ♦

 

「こちら側の死者は8名。聖竜連合の死者は12名です」

 書記係の青年がそう説明する。犠牲者の詳細はセツナと他の参謀職達に見えるよう机の前面に展開されたウィンドウに表示されている。

 第81層主街区の転移門を解放してすぐ、セツナ率いる血盟騎士団の攻略隊はグランザムの本部に帰還した。カルマを回復してきた団員達が遅れて戻ってくると、すぐに参謀職による会議が行われた。

 犠牲者の多くが攻撃隊だった。攻撃特化のためにパラメータを上げている彼等は不意打ちに対処しきれず、また彼等を守る守備隊も自分を守るのに手一杯だった。組織としての戦力を追求するあまり、各々の役割に合った強化をするギルドの構成員はどうにもパラメータが偏る。

 セツナもまた防御に関しては薄っぺらいのだが、あの奇襲で生き残ることができたのは回避特化型であることが大きい。とにかく敏捷度を優先し、攻撃に当たりさえしなければ問題はない。

 セツナの隣に座る攻撃隊長であるクラインは固く口を結び、目には敵に対する殺意をみなぎらせている。当然のことだと、残酷なことに怒りも悲しみも探しあぐねているセツナは傍観者に似た冷静さで思っている。

 最初の犠牲者になった男に加え、元《風林火山》のメンバーはもう1人がボスの間で死んだ。これまで仲間を1人も欠けることなく守り抜いてきたクラインにとって耐え難い事実だろう。クラインは1人を殺した《聖竜連合》の戦士と戦うことに夢中で、その間に守るべきもう1人を死なせてしまったことに怒っているのだ。

 仲間を殺した《聖竜連合》に。仲間を死なせてしまった自分自身に。

 セツナは剣を交えた敵達を思い出す。彼等の目にはしっかりとした殺意があった。目の前にいるセツナを本気で殺しにかかってきた。これまで殺してきたオレンジプレイヤー、その中でも凶悪なレッドプレイヤーを名乗る者達と同じ殺意を向けていた。

 散々見てきたそれに気付かず、仲間を死なせてしまった責任は自分にある。そう自覚しながらも、セツナは何を悲しめばいいのか、誰を憎めばいいのか分からない。

 襲ってきた彼等自身か。彼等を率いる《聖竜連合》のリーダーか。それともこの世界を作り上げた茅場昌彦で、プレイヤーとして間近で見ていたヒースクリフか。

「捕縛した3名はどうした?」

「自殺しました。最後まで黙秘を貫いたと、マーカスから報告を受けています」

 ボス攻略に参加していなかった偵察隊長の質問に書記係は少し肩を落としてそう述べる。「それと」と前置きし、書記係は続ける。

「エギル氏が育成支援していたプレイヤー3名が、79層の迷宮区でPKされたそうです。3名とも、血盟騎士団の入団試験を受ける予定でした」

 「PKの犯人は?」と偵察隊長が聞く。

「彼等に同行し生還したライカというプレイヤーによると、襲ってきた集団は青の装備を身に着けている者が多かったようです。聖竜連合かどうかは、確証に至っていません」

「血盟騎士団と聖竜連合は対立していたのか」

 セツナの質問に書記係は「いいえ」と答える。

「個人でのいさかいは何度かありましたが、ギルドをあげての対立はありません。アスナ前副団長が交渉に尽力し、合同攻略の盟約を交わしていました。それでも、攻略以外での関係は良好とは言えません。前副団長の後任はギルバート副団長に任せていたのですが………」

 言葉を途切れさせた書記係は、セツナの右隣の席に視線を移す。副団長に与えられた席は無人で、寂しさを主張するように白亜の椅子は敷かれたクッションを晒している。

「ギルバートはどうしたんだよ。招集はかけたんだろ?」

 苛立ったようにクラインは聞く。書記係は逡巡した後に職務として答える。

「先ほど、ギルバート副団長と他10名がギルドから退団しました。丁度、攻略隊がボス攻略へと向かっている最中です」

「はあっ?」

 クラインは目を剥く。クラインだけでなく、ボス攻略に赴いていた守備隊長も。守備隊長が尋ねる。

「退団の理由は」

「不明です。メンバーリストから彼等の名前が消え、黒鉄宮で確認したところ生存しています。時期からして、今回の事態との関連も調査しています」

「分かったことは」

「今のところは何も」

 書記係は議題を戻そうと新しいウィンドウを呼び出すが、セツナはそれを遮るように発言する。

「ギルバートは聖竜連合と個人的な同盟を結んでいたと聞いている」

 会議に参加している全員の視線がセツナに集中する。隣のクラインは噛み付くように聞いてくる。

「お前え、何でそれを黙ってた!」

「落ち着けクライン」

 守備隊長が嗜めるとクラインは再び口を結んだ。「団長、ご説明を」と書記係が促してくる。

「彼は近いうち、こちら側の団員を引き抜いて聖竜連合に移ろうとしていたそうだ」

「情報源は?」

「鼠のアルゴだ」

 大人しく聞いていたクラインはそう長く我慢できなかったようだ。

「てめえ、そこまで知ってたんなら何で言わなかったんだ! 対策ぐらいは練れただろうが‼」

「血盟騎士団が聖竜連合に吸収されてもいいと考えていた」

 淡々と述べるセツナの発言に全員が息を飲んだ。彼等にしてみればギルド間の競争意識が攻略へと繋がっていたのかもしれないが、生憎そんなものとは無縁に暗殺をしてきたセツナには知ったことではない。

「だが、今回の事態でそれはなくなった。聖竜連合がオレンジギルド化したのなら、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のように討伐も検討しなければならない」

「団長、それは性急すぎます」

 そう進言するのは慎み深い守備隊長で、あくまでセツナよりも「大人」な対応をしてみせる。

「聖竜連合を騙るオレンジプレイヤーかもしれません。ギルバートとも無関係かと」

「だが、そう考えるには時期が重なり過ぎている。この一連の出来事は、さっき俺達がボス攻略をしている間に起こった。そうだな」

 「はい」と書記係は肯定する。

「現に攻略隊はその1つに遭遇した。こちらは被害を被っている。聖竜連合と共同戦線を張ることは難しい」

「だとしても、我々は戦力を失いすぎています。計19人も失ってしまっては、もはや攻略など不可能です」

 「俺が他のギルドに掛け合う」と、クラインが割って入る。大分落ち着いたようだが、目には未だに怒りが存在し、口調も強い。

「攻略組のギルドに協力してくれるよう頼むんだ。交渉は俺が引き受ける。そうすりゃ戦力も補充できんだろ」

「ああ。クラインに任せる。それと、ギルバートには協力者がいるという情報も入手した。名前はポール。中層で強化支援を営んでいるらしい」

 その味気ない名前に、参謀職達はどう反応していいのか困っているようだ。偵察隊長が発言する。

「そんなプレイヤーは聞いたことがありません。そもそも、今時強化支援なんて商売が成立するのでしょうか?」

 デジャブのようなものを覚えたが、すぐにアルゴが同じことを言っていたのを思い出す。

「調査中だ。ポールについての情報はこれしかないが、この事態の遠因である可能性も視野に入れておいてほしい」

 「団長」と守備隊長が。

「まずは対話を図るべきです。このまま聖竜連合と軋轢を生むような会議を続けても、どうにもなりません」

 「そうだな」とセツナは意見に同意を示す。

「聖竜連合のリンドに会談を要請する。日程は先方の都合に合わせ、それまで団員達は待機。圏外に出る場合、最低でも3人で行動し、必ず転移結晶と解毒結晶を持て。結晶無効化エリアには入らないように。以上で会議を終了する」

 

 ♦

 

 ゾディアークを殺したあの日から、夢を見るようになった。あの日以前にも夢は見ていたのだが、奴を殺してから見る夢は明らかにそれまでと毛色が違っている。

 以前はもっぱらナミエとの思い出が夢として投射されていた。一緒に映画を観て、カフェでお茶を飲んで、ショッピングモールで買い物をして、最後はナミエがバイオリンを弾いて目が覚める。

 でもゾディアークを殺してから、思い出は夢に出てこなくなった。目が覚める度に悲しみに暮れていたのに、気付けば俺は彼女が再び夢に出てきてくれるよう願っている。夢の中でもいい。幻でもいい。彼女に笑顔を見せてほしいと。彼女にバイオリンを弾いてほしいと。

 新しい夢は酷く物々しい。焼け野原になった街、血で赤く染まった海、氷漬けの人間が立ち並ぶ冷凍室。それらの場所に俺はいて、そこで死者と話している。話し相手になる死者は、大体が俺の目の前で死んでいった者達だ。しかも、死に方にひどくリアリティがあった。SAOでの死とはポリゴンを散らしての消滅なのに、彼等はしっかりと血を流した姿で現れる。

 我ながら捻りがない。PDSDで戦場の悪夢を見る兵士は戦争映画でよくあるものだ。そう斜に構えていたおかげか、俺は自分のいる場所をすんなりと受け入れることができている。

 不定期に訪れる夢は前兆もなくこの日もやってきて、その舞台となる地下壕に俺は立っている。一見ホテルのように豪奢なのだが、「ヒトラー 最後の12日間」で見たことがある場所だったから地下に作られた空間だと分かった。

 どうやら宴会をしていたらしく、テーブルには大量の酒瓶とグラス、吸殻が山盛りになった灰皿が乱雑に置いてある。酒を飲み交わしていた親衛隊員達は酔いつぶれてしまったのか、椅子や床に伏して動く気配がない。床で雑魚寝している隊員を踏んでみても起きず、ふと彼の右手を見ると拳銃を握っていることに気付く。そして頭に視線を移すと、こめかみに小さな穴が。

 ああ、自殺したんだなと思いながら俺は廊下を歩く。何気なくドアを開けると食卓を囲む家族がいる。子供達は行儀の悪いことに皿に顔を突っ込んでいたり、椅子から転げ落ちたりしている。両親もそれを注意するどころか子供達と同じ醜態を晒していて、威厳もへったくれもあったものじゃない。

 廊下に戻ると、死体のひとつがもぞもぞと動きつたない足取りで立ち上がる。何とも異様な死体だ。20世紀が舞台のはずなのに全身を重い金属の鎧で固めている。真ん中から二つに斬られた顔を繋ぎとめようと両手でこめかみを抑えながら、割れた口を動かしている。

「現代のドイツで、第二次大戦を起こした責任は誰にあると教えているか、知っていますか?」

「ヒトラーと、ヒトラーを元首に選んだ国民」

「その通りです、隊長」

 笑うと割れた顔がずれる。それを戻そうと、死体は顔を抑えつけるのに忙しい。

「ドイツは祖父母の代が犯した罪を、しっかりと子にも受け継がせようとしているのです。世界規模の戦争を起こしたのはヒトラー。しかしナチスドイツは投票で元首を決める民主的な国家でした。事の発端はヒトラーではなく、彼の狂気に気付かなかった国民達と。今の代も国をあげて罪を背負っているのですよ」

「生まれたばかりの赤ん坊にも罪を背負わせるのか。随分と酷だな」

「ええ、俺も生まれてくる子には罪はないと思っていますよ。ですが、ドイツはそれを赦さない。ドイツ国民は、その血が罪とユダヤ人を虐殺したのですから。自分達の子にも血の罪を背負わせなければ償えないのです。罪とは、個人のみが背負うものではありません。受け継がれるのですよ。隊長が俺の罪を受け継いだように」

「オスカーだけじゃない。リーランドとニコライの罪もだ」

「ええ、全く。隊長は俺達の罪を背負ってくれました」

「それであんた達の罪は償われたと」

「いいえ、それはありません。ヒトラーが死んでも、世界は彼を赦さなかったではありませんか。そんな都合の良いものではありません。罪を他人になすりつけることはできても、個人の罪は消えませんよ。隊長が団長の命令で殺していたと被害者ぶっても、隊長は殺しすぎましたからね」

「ああ。だが俺達の存在は必要だった。誰かが犯罪者を殺すことが」

「確かにそうです。俺達はプレイヤーを守るために存在していました。でも、成果はあったのですか? 隊長が1人で任務を行うようになってから」

 俺は逡巡する。黙って廊下を歩き、階段から地上へ出る。庭では火葬が行われている。穴から炎が燃え上がり、穴の底をよく見ると黒焦げになった人のシルエットがある。それを見守る親衛隊員には全員、額に小さな穴が穿たれていて、そこから血をぼたぼたと流し続けている。

 親衛隊員達に混ざって、焼かれている総統閣下を眺めながら俺はようやく答える。

「殺した連中が拠点にしていた層は、しばらくの間だけ平和だった。でも、またすぐに犯罪を働く連中が現れた。俺のことが死神として噂になっても、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)が壊滅しても犯罪者は生まれ続けた」

「ふむ、残念です。俺達は罰を受ける覚悟で殺していたというのに」

 オスカーはこんな挑発的な男だっただろうか。ぼんやりと思っていると、オスカーは暖をとるように炎へ手をかざす。

「彼は赦すまじ人間ですが、その最期だけは真っ当なやり方だったと思いますよ。逃げずに罪を背負い、その罪を誰かに押し付けることなく、自らの命と共に終わらせた」

「逃げられなかった、だろ。ドイツが国として成り立たなくなって、逃げ場がなかったから自殺した。戦争の罪だって、彼は最期までユダヤ人のせいにしていた」

「隊長は違うと?」

「俺は少なくとも、自分の罪をヒースクリフやゾディアークに押し付けるつもりはない。この罪は俺のものだ」

「背負ってばかりの罪は、ただの自己満足ですよ。罪は償わなければ意味がない。こうして地獄のような風景を夢に見ても、罰とは言えません」

 俺はそれに反論することができない。分かっている。俺の隣にいるのは本物のオスカーじゃない。オスカーは死んだ。隣の男はオスカーの姿を模した幻で俺の分身だ。

 炎の中から焼死体が起き上がる。総統閣下が自殺する直前に結婚した夫人と思っていたが、どうやら違うらしい。皮膚は黒焦げで髪も全て燃え上がっているが、ぎょろりと剥き出しになった瞳から、俺にはその焼死体が誰なのか分かった。

「彼女なのですね。隊長が罪を背負う理由は」

「ああ。俺はナミエに赦してもらえればそれでいいと思っていた。犯罪者を殺すのも、ナミエのためと目を瞑っていた。人でなしになった俺を変わらず愛してくれたら、それで赦されると思った。でも何も変わらなかった。相変わらず俺は罪を抱えたまま生きている」

「死者からは赦しも罰も得ることはできませんからね。死ぬ前に地獄に落ちてしまうなんて、辛いことです」

 「知らないのか」と、俺はオスカーをからかってみせる。話しているのはもう1人の自分なのに、肝心なところを忘れていることを自嘲する。俺は自分のこめかみを指差す。

「地獄はここにある」

 俺がそう言うと、オスカーは顔がずれるのも気にせず笑う。この男がこんなに笑うところを見たことはなく、俺は意外に思いながら2つに割れたオスカーを眺める。

「確かにそうでしたね。隊長とお話できて良かった」

 オスカーは炎の中に入っていく。新しい燃料を得た炎は更に燃え上がり、火山が噴火したように周囲を飲み込んでいく。見守っていた親衛隊員も、穴の縁に立っていたナミエも。

 自分をも飲み込もうとしている炎に臆すことなく、俺はただ燃え盛るナミエを見つめ続ける。彼女の瞳が炎の色と混ざり合って見えなくなったところで、俺は目を閉じた。

 

 ♦

 

 目を開けると地獄は綺麗さっぱり消えている。レンガ造りの街では鎧に剣を携えた人々が通路を行き交っている。間抜けなことにベンチで眠ってしまったらしく、セツナはまだ明けきらない目をこする。

「やっと起きた」

 見上げると、不機嫌そうな顔をしたレブロが立っている。

「団長様がこんな街中で昼寝なんてしていいわけ? 危機管理ができてないわよ」

「俺だってたまに昼寝ぐらいはしたい。それで、あんたは何でここにいる」

「攻略の帰りよ。今日KoBはオフなの?」

「そんなところだ」

「ふうん。じゃあちょっとお茶していかない? 話したいこともあるし」

「メッセージを送ればいいだろ」

「せっかく誘ってあげてるのに素っ気ないわね。いいから行くわよ」

 面倒だなと思いながらセツナは立ち上がり、通路の人々を縫うように歩くレブロの後を黙ってついていく。

「あの後、しばらくの間はじまりの街に籠ってたの」

 街を歩きながら、無言に耐え切れなかったのかレブロは身の上話を始めた。

「その頃は軍の取り締まりが酷くてね、何度も軍の連中に徴税だとかでアイテムを奪われたわ。街中で裸にひん剝かれそうになったとき助けてくれた男がいたんだけど、その人は本部に連行されちゃって、それからは会ってない。私って男運ないわよね」

 自虐気味に笑うレブロだが、隣で歩くセツナは何の反応も示さない。それでもレブロは話し続ける。話さなければいけないとばかりに。

「安心したくて前いたギルドを裏切ったのに、全然安心できないから街を出たわ。せめて中層のモンスターくらいは倒せるようになりたいと思ってレベル上げしてたら、今のギルドにスカウトされたの」

 「ここにしよう」と、セツナは話を無理矢理中断させてNPCレストランに入る。

「今日、ギルバートさんが正式に聖竜連合に入ったわ。引き抜いてきた人達も一緒にね」

 注文したシチューと黒パンが運ばれてきたところで、レブロがそう告げる。

「ポールも入ったのか」

「彼は入っていないわ。あくまでギルバートさんの個人的なアドバイザーって感じで、ギルド専属になるつもりはないみたい」

「そうか」と短く応じ、セツナは料理に手をつけずに続ける。

「昨日ボスを撃破した直後に、攻略に参加していたあんたの仲間に襲われた」

 「え?」とレブロは目を見開く。

「知らなかったのか」

「私は何も。メンバーリストから15人減っていたのは確認していたけど、幹部から聞いたのは脱退したってだけ。その人達はどうなったの?」

「12人が死んで、捕縛した3人も自殺した」

 セツナは思わずため息を吐いてしまう。

「前はこちらの心配をしていたのに、自分のギルドの心配をするべきじゃないのか。メンバー同士で隠し事をしているようじゃ、存続は危うい」

「一気にメンバー11人を減らしておきながらよく言うわよ」

「19人だ。そちらに8人殺された」

 レブロは驚愕の表情を浮かべる。セツナの口から出たおぞましい事実にどう言えばいいのか見つけようと逡巡している。だが結局、レブロは見つけることができず話題を転換させる。

「これからどうするつもり? もうそっちのメンバーは10人くらいしかいないじゃない」

「近いうち、そっちのリーダーを問いただす予定だ。俺もできることなら融和を図りたい」

「意外ね。あなたって危険因子はとにかく殺すってイメージだったけど」

「もう死神じゃない」

 それだけ言ってようやく冷めたシチューを食べる。レブロは黒パンをひと口だけかじり、沈んだ声色で聞いてくる。

「ねえ、どうして私を殺さなかったの?」

「グリーンは抹殺対象外だ」

「でもあなた、マディーンタスクのグリーンを殺したじゃない。私は何で生かしたのよ?」

「奴はうっかり殺した。あのときも言っただろう」

 レブロは納得がいかないと言いたげに視線を送ってくる。無視して食事を継続するが、睨み続けるレブロに耐え切れなくなる。つくづく面倒な女だと口に出さない悪態をつく。

「気まぐれだ」

「気まぐれ?」

「ああ。あんたは更生の余地があると判断して生かした。また犯罪を働いたとしても、顔も名前も知ってるから探し出して殺すのも簡単だ」

「他にも、私みたいに見逃した人はいるの?」

「いや、見逃したのはあんただけだ。あんたにオレンジに戻る度胸はないと思った。だから、まさか聖竜連合にいたのは驚いた」

「驚いた素振りなんて見せなかったくせに」

 そう言ってレブロは食事を再開した。

 

 ♦

 

 完成したばかりの剣を掴み、鏡のように研磨された刀身を凝視する。正確なパラメータはまだ分からないが、洗練された輝きから力強さを感じる。

「うん」

 なかなかの出来だ。見栄えも良いし、店に飾ろう。そう思ってあたしは剣を抱えたまま工房から出る。窓から夕陽をいっぱいに浴びた店内を見て、あたしはもう閉店しなければと思い至り、剣をカウンターに置いた。

鍛冶職人(スミス)のリズベットだな?」

 ドアの札をCLOSEDにしたところで、物々しい口調の団体客がやって来た。来客達の装備は統一されている。馴染みのお客が似た装備をしていたから、あたしには彼等が何者なのかすぐに分かった。

「すみません、今日はもう閉店なんです」

「いや、今すぐに剣を作ってもらう。我らがリーダーの新しい剣だ。光栄に思え」

 その不遜な態度にあたしはカチンとくる。こういったお客はたまにいる。職人プレイヤーはいつも安全な圏内にいると思って下に見るお客が。

「生憎ですけど、お客さんは平等というスタンスでお店をやってるんです。いくら巨大ギルドのリーダーでも、特別扱いはできません」

 圏内ならHPは減らないとか、ハラスメント防止コードに守られているという意識で、あたしは毅然とした態度で臨む。商売ならお客は神様という姿勢でいるべきかもしれないけど、こんな理不尽な神様がいてたまるかと思う。

 先頭にいる男は癇に障ったのか顔を歪めるけど、あたしはキッと目つきを鋭くする。

「仕方ない、連行しろ」

 その言葉が何を意味するのか理解する前に、あたしの頬に衝撃が走った。痛みはなかった。でもそれが不気味だった。痛くも痒くもないのに、あたしの体は轟音と共に店の奥へと吹き飛ばされて、壁に激突したところで止まった。

 男達はぞろぞろと店内に入ってきて、律儀なことに店番NPCが「いらっしゃいませ」と頭を下げている。

 先頭の男はカウンターに置きっぱなしだった作りたての剣を掴み「ほう」とうめく。

「良い剣だ」

 そう言って自分のストレージに納めてしまった。あたしはそれを止めることができず、思い通りに動かない脚を震わせる。

「今日からリンダースは聖竜連合の管轄下に入る。攻略のため、我々のために働いてもらう」


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