ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト   作:hirotani

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 皆さん、メリークリスマス!
 恋人との待ち合わせの合間にでも、暇つぶしとしてこの小説を読んで頂ければ幸いです。
 そして恋人がいない我が同志たちよ、今こそ立ち上がれ!(何のために?)
 リア充が憎い方にこそ、この小説!
 リア充出身の主人公の転落をどうか見届けてやって下さい。(合掌)


第18話 革命には指導者を

 ヒースクリフは茅場昌彦だった。

 その正体が知られてしまえば、もう彼は今までのように聖騎士として血盟騎士団を率いることはできない。だから彼は、プレイヤー達の前から姿を消した。このSAOで、プレイヤー達の目指す最終目標であるラスボスとして。

 たとえ自分達をデスゲームに放り込んだ元凶としても、ヒースクリフによって攻略組のプレイヤー達が導かれていたのは事実だ。だからプレイヤー達の絶望は大きかったのだ。

 敬い、忠誠を誓った人物を失ってしまったことに。

 彼の代わりを務めること。それは即ち生き残った約六千人の命を背負うということだ。それを宣言したセツナをエギルは凝視する。

 よく店に来て珍しいアイテムを取引するから、それなりに手練れだとは思っていた。でも、まさか攻略組クラスのプレイヤーだとは思ってもいなかった。攻略組として知られるプレイヤーは下層では羨望の的だ。ジャーナリストと名乗る者が「攻略組名鑑」なんてものを発行するくらいだ。その中にヒースクリフやアスナは勿論、血盟騎士団に所属しているメンバー全員の名前が載っている。

 エギルが暇つぶしに見たその名鑑に、彼はいなかった。だから血盟騎士団メンバーと知ったときは驚いたし、なぜ彼が無名のプレイヤーなのか不思議だった。

 沈黙していた団員達にざわめきが起こる。セツナは続けた。

「俺のことを知る者は殆どいないと思う。それは当然のことだ。俺がギルドに所属していたのは形だけで、その理由はヒースクリフからあんた達とは別の任務を受けていたからだ」

「おいセツナ! 何なんだよ別の任務って」

 エギルの隣にいるクラインが叫ぶように言った。ずっと壁にもたれかかっていた彼は、セツナが会議室に入って来ると飛ぶように壁から背を離していた。ここに集められた団員外の面々は全員セツナとは知り合いのようだが、彼がこれまでどこで何をしていたかと知る者はいるだろうか。

 エギルはセツナのことをよく知っているという自信がない。プレイヤー間で自分の情報をさらけ出すなんて間抜けなことは殆どない。それでも、エギルがセツナに関して知っていることと言えば顔と名前くらいだ。売りに来るアイテムの稀少度もまばらで、彼がどこの層を中心に活動しているのか推測できない。

 クラインの問いかけで、団員達のざわめきが消える。セツナは答える。疑問を投げかけたクラインと、彼と同じことを思っているだろう会議室にいる全員に。

「犯罪者プレイヤーの暗殺だ」

 血盟騎士団はヒースクリフの遺産というべきものだ。プレイヤー達と袂を分かつとき、最終層へと辿り着き、自分と剣を交えるときの相手として。

 ヒースクリフがスカウトした者達が集まった血盟騎士団はこれからも最前線で戦い、プレイヤー達の希望であり続ける。だから最強の座にいるギルドはプレイヤー達の支持を集めなければならず、ギルドに属するプレイヤーは高潔な志を持つ者でなければならない。

 そのギルドに殺人者がいた。崇高な目的で動いていたギルドは、実は裏で多くの血を流していた。血盟騎士団が交わした血の盟約は清い血ではなく、酷く汚れた血だった。

 セツナが告げたのはそういうことだ。

「貴様、死神なのか?」

 団員の中からそう聞く声が飛び出した。「ああ」と、セツナは肯定する。

「俺は死神だ」

 死神の噂がプレイヤーの間に飛び交うようになったのはいつからだろうか。エギルがその噂を知ったのは今年に入って半年を過ぎた頃だった。馴染みの客と世間話をしていたとき、犯罪者狩りをしている者がいると話題に挙がったのだ。

 どうせ根も葉もない話だと思っていた。娯楽の少ないアインクラッドで話題作りのために誰かが流したんだろうと思っていた。でも噂は真実だと、当事者が語った。セツナは続ける。

「俺はトラビアの悲劇と、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の討伐戦にも関わっていた。《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》のメンバーの約半数を始末している」

 エギルは横にいるリズベットへと視線を移す。リズベットは目を見開き、口に手を添えている。その手は震えていた。

「リズベット、お前は知ってたのか?」

「知らない……。あたし、セツナに頼まれてアスナの指動かして、メッセージ送っただけ………」

 リズベットは震えた声でそう言った。

「俺のレベルは攻略組に十分な数値だ。それに、俺はエクストラスキル《疑似二刀流(ぎじにとうりゅう)》を習得している」

 セツナは腰から剣を鞘ごと抜く。鞘の先端には刃が付いていた。奇妙な剣だ。剣を抜いて、鞘と共に構える。両手に武器を携えたその姿が、キリトと重なった。

「75層で多くのプレイヤーが死に、ヒースクリフと決別した。アスナも、どういうわけかセルムブルグから出られなくなっている。団長と副団長を失ったこのギルドは、俺が率いる」

 「待て」と、1人の団員が前に出た。紅の鎧に白亜のマントを翻し、長い髪をオールバックにしたその出で立ちはヒースクリフによく似ている。だが彼とは違い黒髪で、その瞳に金属めいた冷たさはない。

「あんたは」

「血盟騎士団参謀職の1人、ギルバートだ。勝手なことはさせん。ギルドはこの私が率いる」

 団員達が「そうだ!」と騒ぎ立てる。ギルバートへの歓声とセツナへの怒声が入り混じり、今にも乱闘でも起こりそうな勢いだ。

「あんたでは力不足だ。もはやプレイヤー同士で下らない張り合いを続けていられる状況ではない。俺に従ってもらう」

 会議室に響き渡る野次の中で、セツナは声を張り上げてそう言った。その声色はエギルが初めて聞いたものだ。セツナの声は控え目で、常に落ち着いているものしか聞いたことがなかった。まだ思春期の幼さが残っているが、どこか凄みがある。その声を発したセツナの顔もだ。

 ギルバートの顔が怒りで歪んでいるのが分かる。彼は震える手でウィンドウを呼び出し操作した。

「貴様あ……、なら証明してもらうぞ。この血盟騎士団を率いるに相応しいか………!」

 セツナが宙に指をタッチさせる。恐らく《デュエル》だろう。2人は団員達の前で対峙して剣を構えた。

 セツナは右手に剣を、左手に鞘を。ギルバートはやや幅広の刀身が伸びた両手剣だ。2人の剣が、壁全面に広がる窓から差し込む光を反射して鈍く光る。セツナが右手に持つ剣は淡い紅色のグラデーションがかかっている。まるで多くの人間の血を吸ってきた妖刀のように。

 剣も奇妙なのだが、セツナの構えもまた妙だった。セツナは鞘を持った左手を前に突き出し、右手の剣を逆手に持ち替え後ろに引いた。2本の刃はしっかりとギルバートの方へと向けられている。

 セツナの《疑似二刀流(ぎじにとうりゅう)》がどんなスキルなのかは見当もつかない。ただキリトの《二刀流(にとうりゅう)》を再現するだけなのか、それとも鞘を武器として使うことに意味があるのか。それが計り知れないのは、セツナ以外にそのスキルを習得したと名乗りをあげた者がいないから。セツナ以外に習得した者がいないのなら、《疑似二刀流(ぎじにとうりゅう)》はユニークスキルだ。

 ユニークスキルが持つ意味合いは、ヒースクリフが正体を明かした瞬間から大きく変わった。これまでユニークスキルを持っていたのはヒースクリフとキリトの2人だけ。ヒースクリフは《神聖剣(しんせいけん)》をSAOの管理者という権限で自らに与えた。キリトには、全プレイヤーの中で最大の反応速度を持つ者として《二刀流(にとうりゅう)》を与えられた。ヒースクリフ――茅場昌彦は言っていた。最終的に自分の前に立つのはキリトだと思っていたと。

 ユニークスキルは、条件を満たし、ランダムで習得できる稀少価値の高いスキルではなかった。1万人の中でたった1人だけが持つスキルは、茅場昌彦からゲームで何らかの役割を果たすために与えられたプレゼントというべきものだったのだ。ユニークスキルとは、この世界の神から選ばれた者の証だ。

 キリトは魔王に立ち向かう勇者となることを期待されていた。だとしたら、セツナも茅場から期待を込めて《疑似二刀流(ぎじにとうりゅう)》を与えられたということか。

 あれだけ騒がしかった団員達の沈黙が部屋を包み込んでいる。彼等も反発しておきながら、興味を持たずにはいられないのだ。茅場が与えた力を。沈黙の中で、2人の剣が光を帯びる。

 ギルバートは猛スピードで駆け出した。ギルバートのオレンジ色の光を帯びた剣が、真っ直ぐにセツナ目掛けて迫っていく。対するセツナの一手。それを見てエギルは目を剥いた。隣にいるクラインの「んなっ」という上ずった声が聞こえる。

 セツナは右手の剣を投げた。さながら槍投げのように。主人の手を離れた剣はギルバートの肩へと刺さり、体を後退させる。意表を突かれ、スキル失敗のペナルティである硬直で動けずにいるギルバートの顔が歪む。驚愕だが、恐怖も混じっているように見えた。

 一瞬投剣スキルと、エギルは思った。だが跳躍するセツナの左手にある鞘は、投げられた剣と同じ緋色の光を帯びている。恐らく剣と鞘の両方を備えて発動できる《疑似二刀流(ぎじにとうりゅう)》の技だろう。

 跳躍したセツナは宙で一回転し、ギルバートの肩から腹にかけて鞘に付いた刃を滑らせた。ギルバートに赤いエフェクトが貼り付き、クリティカルヒットらしくHPが半分近くまで減った。

 力なく仰向けに倒れたギルバートの肩に刺さる剣を、セツナは無造作に抜いた。団員達は沈黙していた。エギルは両隣にいるクラインとリズベットを見やる。2人とも口を半開きにしたまま、飛び出しそうなほど見開いた目でセツナを凝視している。それは団員達も同じだった。

「まだ納得できない者は前に出ろ。相手をしてやる」

 セツナは剣を団員達に向ける。名乗りを上げる者はいなかった。

 あの正確な投擲と軽い身のこなし。それだけでセツナが多くのパラメータとスキルを鍛えていたことが分かる。セツナが死神かどうかの真偽はともかく、その強さが本物であることは照明された。

 セツナは剣を収めた。

「俺のことが気に入らなければギルドを抜ければいい。だが忘れるな。ヒースクリフも、アスナも、キリトもいないことを。彼等がいないアインクラッドで最強は俺だということを」

 セツナの隣でギルバートはゆっくりと体を起こした。彼のセツナに向けた目は、呪詛を含んでいるのか。それとも恐怖なのか。エギルには分からない。セツナがプレイヤー達の希望となりえるのか。それとも、プレイヤー間の均衡を崩してしまうのか。

「攻略は明日から再開する。詳細は追って連絡する。それまでは解散。以上」

 

 ♦

 

 団員達が時間をかけて、ゆっくりと出ていった会議室の机。5つの席の中心にある、ギルドリーダーがつく椅子。セツナはそこに腰かけていた。

 会議室にいるのはセツナと、本部に呼ばれた団員外のメンバーだった。エギル、クラインと《風林火山》メンバー、リズベット、シリカ。そこに団員達と入れ違いで来た顔馴染みが加わる。

「なかなか似合ってるじゃないカ。その椅子」

 茶化す彼女にセツナは語る。いつもと同じ、感情のこもっていない口調で。

「俺は血盟騎士団の団長に就任した。それと、これまでの任務のことも話した。俺の情報はもう価値がない。済まない」

「謝らなくてもいいサ。値が張り過ぎて売り物にならなかったくらいダ」

 小柄な彼女はかぶりを振る。

「まさかお前さんが、自分から正体を晒すなんてナ」

「アルゴ、おめぇは知ってたのか? セツナが死神だってよ」

 クラインがそう聞くと、アルゴは肩をすくめた。

「ああ、そうだヨ。オレっちはセツナが死神だって知ってタ。それだけじゃなイ。セツナにオレンジプレイヤーの情報をやってタ」

 アルゴは気が抜けた口調で告げる。その何気なく出た言葉の数々が、他の面々に重く突き刺さるようだった。

「そんデ、オレっちは何でここに呼ばれたんダ?」

 セツナはアルゴを見据える。

「アルゴ、これからはエギルに攻略に有益な情報を提供してほしい。どうしても金がいるなら俺が工面する」

 セツナの視線が、拍子抜けした顔のエギルへと移る。

「エギル、中層にいるプレイヤーが早く攻略に参加できるよう、これからも育成に努めてほしい。アルゴなら、レアアイテム入手のクエストを多く知っているはずだ。見込みのある者は血盟騎士団に入れる」

 エギルが店の利益の殆どを、中層を拠点とするプレイヤー達の支援に充てていることは知っている。商人や職人という立場に身を置くプレイヤーは、ゲームとして考えれば異質だ。本当に命懸けのゲームになってしまったSAOだからこそ、彼等のようにサポートを目的としたプレイヤーが現れたのだと思う。その中で、エギルほど善良な商人をセツナは知らない。富を築こうと詐欺まがいの高値取引を持ち掛ける者もいる中で、エギルは攻略に参加できずにいる者達を前線に行かせるため、彼等に稀少なアイテムや装備を殆ど無料に近い額で提供していたのだ。

 エギルは黙ったままだ。アルゴはいつものペースを崩さず、「良いヨ」と答える。

「セツナの頼みだからナ。タダでいいサ」

 エギルの答えは待たず、セツナの視線はクラインへと向く。

「クライン、《風林火山》のメンバー全員を血盟騎士団に入れてほしい」

「何だとぉ!?」

 クラインが噛みつくように言った。

「ギルドが互いに牽制し合うのは、攻略の妨げになる。攻略が厳しくなるこれからは、《風林火山》のような小規模ギルドが生き残れる可能性は低い」

 淡々と述べるセツナに向けるクラインの目が険しさを増していく。目蓋が痙攣したように小刻みに動いていた。

「ふざけんじゃねえぞ! 勝手なことばかり言いやがって。大体どういうこった、今まで攻略に出なかったくせして、今更ギルドのリーダーになるってよ!」

 セツナは真っ直ぐとクラインの両眼から視線を逸らさない。彼から向けられた困惑も怒りも、全てを受け止めるように。

「ゲームをクリアさせることは、プレイヤーの総意だ。それを果たすために、あんた達の力が必要なだけだ」

 淡々と述べるセツナの口調が気に障ったらしい。だがクラインは更に怒号が飛び出すだろう口を結び、逡巡した後にゆっくりと言葉を紡いだ。

「おめぇがいくら強くてもよ、俺は認めねえ。おめぇがクリアするくらいなら、俺がクリアさせる。こいつらと一緒に、俺が茅場の野郎をぶっ殺す……!」

 クラインは乱暴に靴音を鳴らしながら、扉へと歩き始めた。《風林火山》のメンバー達がリーダーの後についていく。クラインは扉の前で一旦足を止め振り返る。

「ひとつ聞きてぇ。おめぇはレッドプレイヤー共を殺して、俺達を守ってたつもりか?」

 似たようなことをアスナからも聞かれたな。真実を知って絶望と怒りを向けてきた彼女を思い出した。クラインの怒りは残念ではあるが、同時に安心する。

「初めて会ったとき、あんた達がいた森にはオレンジギルドがいた。俺が始末しなければ、あんた達は襲われていたかもしれない。結果論だが、俺のしてきたことがあんた達を守ったことになる」

 クラインは俯いた。目がバンダナの影に隠れて見えなくなる。

「おめぇがキリトと一緒だと思った俺が馬鹿だったぜ」

 そう吐き捨てて、クラインは扉を開け仲間と共に出ていった。

「セツナさん……」

 掠れたシリカの声が耳に入ってくる。右肩に乗っているピナが、主人の不安を感じてか小さな瞳を彼女に向けていた。

「本当なんですか? 犯罪者を……」

「ああ、本当だ。俺はお前が思っているような『良い人』じゃない」

 そのセツナの言葉は刃だった。あのとき交わした指切り。再会の約束だったが、シリカはこんな再会を望んではいなかっただろう。

「シリカとリズベットはアスナの面倒を見てほしい。リズベットは店を続けて、武器を作ってくれ。あんたのスキルは必要だ」

 シリカは何か言いたいようだが、口を半開きにしたところで止めた。そして消え入りそうな声で「はい……」と頷く。

「セツナ……」

 ずっと沈黙を貫いていたリズベットが口を開いた。

「もしアスナが街から出られるようになったら……、攻略に参加させるの?」

「俺も彼女の意思は尊重するつもりだ。だが彼女も貴重な戦力だ。戦う意志があるのなら、彼女にも攻略に参加してもらう」

 セツナがそう言うと、リズベットはつかつかと目の前まで歩いてきた。机に両手を置き、セツナを睨みつける。目尻に涙が浮かんでいた。

「分かった、セツナに協力する。でも約束して。アスナが元気になっても、絶対に攻略に参加させないって」

 リズベットはそれだけ言うと、さっき立っていたシリカの隣に戻った。

「約束する。それであんたはどうだ、エギル」

 会議室にいる全員の視線がエギルに集中する。エギルは場の空気に流される男ではない。彼は状況を見つめ、そこから導き出した自分自身の答えを述べてくれるだろう。

「俺は……」

 逡巡を挟み、エギルは続けた。

「中層にいる奴らを鍛えてやるさ。言われなくても、そのつもりだ。だが勘違いはするな。お前に協力するわけじゃない。それなりのレベルになっても、お前の率いる血盟騎士団に入るかはそいつら次第だ」

 エギルの視線が真っ直ぐセツナへと向けられる。「ファースター 怒りの銃弾」で主演を務めたドウェイン・ジョンソンにも劣らない迫力だ。

「お前みたいな強いリーダーが必要なのは確かだ。でもな、力で抑えつけられるのは最初だけだ。そう長くはもたねぇぞ」

 

 ♦

 

 世界がその様相を変えるのに、一週間もかからなかったと思う。

 それは革命だった。それまで世界を包んでいた雰囲気はがらりと変わり、あたし達はその変化に着いていくのに必死だった。

 きっかけは間違いなく第75層のボス攻略だ。あたしはその場にいなかったから詳しくは知らないけど、そこで起こった出来事をアインクラッドで知らない人はいないだろう。あの日から立て続けに、プレイヤー達を驚かせるようなニュースが続いた。

 ひとつは、血盟騎士団リーダーのヒースクリフが茅場昌彦だったということ。

 これは全プレイヤーを絶望のどん底に突き落とした。攻略組の最前線に立ち、伝説とまで言われた強さとカリスマを備えた聖騎士が、あたし達をこの世界に閉じ込めた存在だった。正直あたしにとってショックだったのは聖騎士様の正体じゃなくて、彼の正体を見破った剣士の死だった。

 彼がいたから、あたしは鍛冶屋としての熱を燃やし続けることができた。この世界で生き抜こうって思えた。その彼がいなくなってしまった。

 そしてもうひとつ。リーダーを失った血盟騎士団に、新しいリーダーが現れたこと。

 新しいリーダーの男は無名だった。誰も知らないプレイヤーがいきなり最強ギルドを率いると宣言し、それを聞いた多くの人々が困惑の声を上げた。でも無名は表での話。その新リーダーは、裏では有名人だった。アインクラッドで発刊された新聞の見出しには、大きくこう書かれた。

 

 【血盟騎士団の新団長に死神が就任】

 

 死神の噂はあたしも馴染みのお客から聞いたことがある。犯罪者プレイヤーを殺し回っている殺し屋。その存在については両論賛否だ。犯罪の抑止力になっているから大助かり。デスゲームになったこの世界では、殺人は殺人。

 新聞が発行されてから、店に来るお客の殆どがその話を持ち掛けた。あたしが彼の剣を作ったことは知られていないようだけど、それを良いことにお客達は容赦なく彼に対しての意見を飛ばしてきた。

 

 あの聖騎士の代わりが務まるのだろうか。

 あまり強そうには見えないけど。

 そもそも、死神なんて本当にいたのか。

 ただの目立ちたがり屋なんじゃないか。

 

 正直なところ、あたしは彼が本当に死神なのか信じ切れずにいる。どちらかというと、信じたくないという気持ちなのかもしれない。

 皆不安なのだ。本当にゲームがクリアされるのか。新しいリーダーが、自分達を導いてくれるのか。彼のリーダー就任は、まだあたし達に希望を与えてくれるニュースにはなっていない。

 ヒースクリフの失踪と同時に、新聞では副団長であるアスナの退任も報道されていた。ご丁寧なことに、夫を失ったあの日に街で湖に飛び込もうとした写真まで掲載された。写真の隅っこにはあたしも写っていた。

 アスナは結婚したことを隠していたけど、それもどこから知られたのか報道された。相手が誰なのか、それはまだ知られていないらしい。それはせめてもの救いだ。あの2人のことがどこかで面白おかしく語られているなんて我慢できない。

 そんな世間の変わりようなどアスナは知りもしないだろう。隣に無造作に置いたベッドに腰かけたあたしは、その綺麗な顔に呼びかける。

「アスナ、段々寒くなってきたね」

 アスナは何も答えない。その目は閉じたまま。まるで辛い現実を視界に収めないように。

 あの日、キリトを失った日からずっとこうだ。1日中寝ているわけじゃない。時々目を開けているけど、いくらあたしやシリカが話しかけても反応してくれない。ずっと虚ろな目で天井を眺めている。食事も摂ろうとしない。この世界の空腹感や満腹感は疑似的なものでしかないけど、あたしは毎日アスナに水を飲ませ、スプーンで食事を食べさせてあげている。そうしないと、アスナが死んでしまうようで怖いから。空腹に耐えきれなくなって、ある日突然アスナが砕けて消えてしまうような気がするから。

 血盟騎士団の本部で彼の団長就任を見届けた日から、あたしはセルムブルグにあるアスナの部屋で暮らし始めた。昼はリンダースにある店で武器を作って、閉店後はリゾート地みたいな街に帰ってくる。

「シリカ、何か変わったことあった?」

「いえ、何も……。ずっと眠ったままです」

 シリカは所在なさげに言った。中層を活動拠点にしていたこの幼い少女も、あたしと一緒にこの部屋に移り住んだ。あたしが店にいる間は、シリカにアスナの様子を見てもらっている。こんな小さな女の子には酷な役割だと思う。

「ごめんね。シリカもずっと部屋に籠りっぱなしじゃ退屈でしょ?」

「いいんです。あたしにできることは、これくらいですから。それに、キリトさんの奥さんじゃないですか。もしものことがあったら、キリトさんが悲しみますし」

 よく出来た子だと思う。あたしは愛おしくなって、シリカの頭を撫でた。妹ができたみたいで何だか嬉しい。

「そうだよね。アスナはキリトの奥さんだもんね。あたし達が守らなきゃ」

 あたしとシリカはキッチンに行って食事の支度をした。料理スキルを完全習得していただけあって、アスナの部屋は調理器具が完備されている。器具のランクとあたしの料理スキルが釣り合わなくて、何だか使うのがもどかしい。

 あたしはお粥をスプーンで掬い、アスナの口に流し込む。アスナは口に物が入っても噛もうとしないから、飲み込めるようにお米がどろどろに溶けるまで調理時間を設定しなければならない。

「ねえシリカ」

 零れないよう慎重にスプーンを運びながら、あたしは隣にいるシリカに訊いた。

「セツナのこと、信じられる?」

「あたしは……」

 シリカは俯きながら答えた。その反応だけで分かる。きっとシリカも、あたしと同じ気持ちなんだろうな。

「セツナさんのことは信じたいです。でも、分からないんです。あたしを助けてくれたセツナさんが、人を殺していたなんて………」

 シリカは泣き出してしまった。肩に乗っているピナが、主人の頬に顔を摺り寄せている。あたしはそんなシリカを優しく抱きしめた。

「分からないんです……。キリトさんがいなくなって、セツナさんが死神で……。何も信じられなくなりそうで怖い……」

 胸で泣くシリカの頭を撫でながら、あたしも泣いていた。あたしは嗚咽を必死に押し殺した。この子の前で不安な顔を見せちゃいけない。年上として、あたしはいつものリズベットでいなければ。

「あたしも分かんない。何を信じたらいいのか。でも、今はセツナを信じてみよう。あの人が本当に死神だったとしても、あたし達のために戦おうとしてくれてるのは本当だよ」

 セツナが団長になって、もう10日が過ぎようとしている。意外なことに、血盟騎士団を抜ける団員はいなかった。団長就任の翌日から迷宮区の攻略を始めたけど、今のところまだ犠牲者は出ていない。多分、皆誰かにすがっていたんだと思う。あたしと同じように。

 アスナの食事を終えたところで、ドアをノックする音が聞こえた。あたしはドアを開けて、来客を出迎える。

「様子はどうだ」

 フードを脱いだ来客がそう尋ねる。あいつとよく似た黒装束の出で立ち。彼は今や有名人だから、こうして顔を隠さないと街を出歩けなくなった。もっとも、あたしにとってはギルドの団服より、こっちの方が違和感はない。

「いつもと同じ。さっきご飯食べたところだよ。あたし達はこれからだから、セツナも食べてってよ」

「ああ」

 毎日のように、セツナは攻略を終えた帰りにここへ寄っている。アスナの近況を聞くためだ。ここ数日はそれに加えて、自然と一緒に夕食を食べるようになっている。

 セツナは迷わず寝室へ入っていく。眠り姫のようなアスナの寝顔を眺めて、セツナは何を思っているんだろう。彼とアスナの間に何があったのか、あたしは知らない。多分、彼が死神だったことに関係があるのかもしれない。でも、あたしにそれを聞く勇気はなかった。

「セツナ、攻略はどう?」

 ダイニングを囲み、パスタ料理を食べながらあたしはセツナに尋ねた。

「順調、と言うべきかは分からない。犠牲者は出ていないが、前よりもペースが落ちているのは確かだ」

「しょうがないよ。ずっとばたばたしてたんだし」

 あたしは隣に座っているシリカを見やる。ソースが口元に付いていた。それをナプキンで拭いてあげる。

「子供扱いしないでください」

「はいはい」

シリカは不満そうに目尻を吊り上げた。何だかんだで、まだ子供だな。

「料理、美味くなったな」

 セツナの言葉が嬉しくて、自然と笑みが零れた。食事は大体あたしが作っている。そんなに高くはないけど、自炊していたからそれなりのものは作れる。

「でしょう。あたしもスキル上げてるんだから」

「材料切ったのはあたしですよ」

 シリカが唇を尖らせてそう言った。何だか、子供を持った夫婦みたいだ。でもパスタをすするセツナを見て、そんな下らない感慨は消えた。

 この人はたくさんの犯罪者を殺してきたんだ。あたしが作った剣も、殺人のために使われた。

 どうしてセツナは死神になったんだろう。死神だったセツナが、どうして今になって攻略に臨む決断をしたんだろう。

 セツナの黒い瞳から、彼がどんな感情を以って戦いに赴こうとしているのかは分からない。でも、今のあたし達には彼しか頼れる人がいない。

 キリトは死んだ。

 アスナは攻略から退いた。

 あたし達に信じるか信じないかを選択する余地はない。今は信じることしかできないのだから。

 黒の剣士亡き後に現れた、もう1人の黒の剣士を。




 ちなみに私のクリスマスの予定は友人と朝まで飲み明かす予定です。
 別に誰かといたっていいじゃない。1人は寂しいもの……。

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