ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト   作:hirotani

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 卒論を書き終え、久々に戻って参りました!
 久々とは言っても2週間くらいしか経っていませんが。


第17話 特異点には分岐を

 剣ほどのリーチがある鉈が眼前に迫って来る。セツナはそれを鞘で防ぎ、お返しとばかりにゾディアークの眼前へと剣を突き出す。だが、ゾディアークは剣先が顔に達する寸前でセツナの腹を蹴り、体を退けて間合いを取った。

 セツナは自分の腹に張り付いた赤のエフェクトを一瞥する。ゾディアークは筋力パラメータを上げているようで、視界に映るHPは3割ほど減少した。

 これが、2人の戦闘で生じた初めてのダメージだ。互いにカーソルはグリーンだったため、先にダメージを与えたゾディアークのカーソルがオレンジに変わっている。

「油断は禁物だなあ。それとも、僕を殺した後にカルマ回復クエストを受けるのが面倒なのかな?」

「そんなところだ」

 セツナは花に覆われた地面を蹴る。一瞬で間合いを詰め、青い光を帯びた刀身をゾディアークに向ける。細剣技《リニア―》のシステム補正されたスピードは、セツナの鍛えられた敏捷パラメータも相まってゾディアークの肩を浅く抉った。

 セツナは唇を噛み締める。左胸を狙ったつもりなのだが、ゾディアークは回避した。あの副団長ほどのスピードがあれば、狙い通り命中しただろうか。

 《リニア―》は基本技であるため、硬直時間は1秒もない。セツナは剣と鞘に込めた力を一層強め、ゾディアークに斬りかかる。セツナの攻撃を防ぐゾディアークは笑っていた。この戦闘を心ゆくまで楽しんでいる。剣戟で散る火花の奥に、彼の頬にあるケロイドが歪んでいるのが見える。

 

 楽しいか、ゾディアーク。

 お前はこの時のために、この世界で生きてきたんだろう。

 俺も同じだ。俺もあんたを殺すために生きてきた。

 地獄の日々だったよ。喉が渇いて、美味くもない血の味でしか渇きを消す事ができない。

 眠るとき、ナミエのことを夢に見る度に気が狂いそうになった。

 あんたはどうだ。

 ずっと俺と戦う事を夢見て、クリスマスイブの夜にサンタクロースを待つ子供のように胸を躍らせていたのか。

 今、あんたの頭にあるのは天国か。

 俺の頭にあるのは地獄だよ。

 『虐殺器官』にあったな。地獄は頭の中にあると。

 その意味がよく分かる。俺は地獄から逃れることはできない。

 俺は罪から逃れることはできない。

 だがそれは、あんたも同じはずだ。

 あんたに罰を与えてやる。

 あんたの命で、ナミエを殺した罪を償わせてやる。

 

 ゾディアークの鉈が、セツナの剣と鞘を弾いた。セツナの体が大きく仰け反る。

「残念だなあ。もう終わりか」

 ため息を吐きながら、ゾディアークは黄色い光を帯びた鉈を横薙ぎに一閃させる。

 セツナは真上へと投げ出された右手に力を込めた。システムが構えを取ったと判断し、ハーディスクラウンの刀身が青く光る。一切の雑念を振り払うと、全ての動きがスローモーションのように遅く感じる。システムアシストに身を委ね、肉迫してくる紅の鉈に片手剣技《コバルトクラッシュ》を叩きつけた。

 激しい炸裂音と共に火花が散る。ゾディアークの鉈は上半分が吹き飛び、地面の花に突き刺さった。数瞬の後、地面に刺さった上半分と、ゾディアークの手に残っている下半分がポリゴンを散らした。

 ゾディアークの表情が、驚愕を浮かべたまま固まる。セツナはすかさず構えを取った。右手の剣と左手の鞘に紅い光が宿る。

 疑似二刀流上位剣技《明王覇斬(みょうおうはざん)》。

 左右の刃をコンマ1秒の隙も与えず、ゾディアークに叩き付けていく。視界は猛スピードで繰り出される剣の光で覆われ、その隙間から見えるゾディアークの体には剣尖の跡であるエフェクトが貼り付いていく。

 最後の15撃目が、ゾディアークの胸を貫く。ゾディアークはタフな事に、まだHPを1ドット残していた。ゾディアークは数歩下がり、花畑に1本だけ生えた樹の幹に背を預ける。軽く小突いただけでHPが尽きそうだというのに、ゾディアークは笑っていた。疲れたように、でもどこか清々しい笑みを浮かべたまま、回復結晶もハイポーションも使う気配がなかった。

「楽しかったよ……。でも残念だなあ。君とはもっと戦いたかった。願う事なら、この世界が続く限り永遠に………」

 セツナはゾディアークの顔に剣を向ける。ゾディアークは抗わない。

 戦いとは命のやり取りと、ゾディアークは戦う前に言っていた。命が尽きかけている今、ゾディアークはそのポリシーに従うのだ。

 勝者が生き、敗者は死ぬと。

「向こうで会ったら、また遊ぼう」

「ああ、先に逝って遊んでこい」

 笑みを浮かべるゾディアークの額に、剣を刺す。1ドットだけ残っていたHPが完全に消滅し、その体は光を散らすポリゴンになって砕けた。

 花畑に吹く風が、ゾディアークだった欠片を外周から広がる空へと運んでいく。あの時の、花弁と一緒に飛んでいったナミエと同じように。

 セツナは空に拡散していく欠片を、一片も残さず蒸発して消えるまで眺めた。最後まで見納めると、疲労がやってきた。復讐を誓ったあの時から1年半以上の間溜め込んできたものが、一気に体の隅々へと浸食していくようだった。

 セツナは唾を飲み込む。血の味はしなかった。それも驚きなのだが、更に驚くことに喉の渇きが消えたのだ。

 呪縛から解き放たれた。事実を受け止めれば、そうなるのだろう。確かに、達成感がないわけではない。

 

 お望み通りじゃないか、早速刹那。

 お前の大切なナミエを殺したゾディアークは死んだ。

 お前が手を下した。

 ナミエの無念は晴らすことができた。

 もう、奴がこの世界で好き勝手することはない。

 もう奴のせいで、お前と同じ悲しみを味わう人間はいないんだ。

 お前はよくやったよ。

 きっとナミエも喜んでいるさ。

 

 自分自身を労い、やがてそれが馬鹿馬鹿しくなる。セツナはそんな自分を嘲笑う。そして、セツナはナミエが消えていった空に尋ねる。そこにナミエの影を求めて。

「ナミエ、俺はお前を愛していたのかな」

 隣に感じていた彼女の温もり。空へと吹く風が、それを打ち消した。

 セツナは地面に突っ伏した。ナミエが消えた時でさえ出なかった涙が溢れた。鼻水と唾液も、糸を引いて花へと落ちていく。

「ナミエ、教えてくれ! 俺はお前を愛していたのか? お前は俺を愛してくれていたのか?」

 ゾディアークを殺せば、何かが変わるのではないかと思っていた。

 犯罪者プレイヤーを全て殺せば、ナミエは赦してくれるのではないかと思っていた。

 彼女が再び現れて、赦すと笑ってくれるのではないかと根拠もなく思っていた。

 でも、何も起こりはしない。

 空は何も答えず、ただ雲を浮かべている。あの時消えていったこの空に、ナミエはいない。

 分かっていたはずだ。それなのに、現実から目を背け続けていた。

 目的を果たして、その現実を突き付けられた。

 ナミエは死んだ。

 死者は決して赦してくれない。

 もう顔を見ることも、声を聞くこともできない。

 彼女から赦しの言葉を受け取ることも、罵倒の言葉を受け取ることもできない。

 ナミエを守れなかったセツナの罪は、決して償うことはできない。

 犯罪者とはいえ人を殺してきた罪も、償うことはできないのだ。

 完璧な絶望はないと、誰かが言っていた。

 だがこの時セツナが味わったものは、紛れもなく完璧と言って良い絶望だった。

 セツナは泣き続けた。確信が持てないことへの恐怖に泣いた。自分はナミエを愛していたのか。ナミエの言葉を聞くことができない今、それが分からなくなってしまった。

「俺は一体何をしてきた! 俺は何を守ってきた! 俺は何を手に入れた! 俺は何のために戦ってきた! 俺は何のためにこの世界に来たんだ‼」

 

 ♦

 

 傾きかけた陽が外周から覗いている。陽をいっぱいに浴びたグランザムの尖塔群が、温かい日光を反射し無機質な冷たい光に変えていた。

 広場の転移空間から出てきたセツナは、石畳が敷き詰められた街の大通りを歩く。

 一応ヒースクリフに報告はしておこうとメッセージを送ろうとしたのだが、何故かフレンドリストから彼の名前が消えていた。命令を聞かないから絶縁だなんて子供じみたことをするような人間じゃない。うっかりフレンド登録を解除してしまったのだろうと深くは考えず、直接報告するためにグランザムへと来たのだ。

 セツナは街を歩きながら、街に漂う雰囲気を感じ取った。冷たい印象を与えるグランザムが、より一層冷たさを増しているように見える。滅多に来ない街だが、普段なら武器や防具を品定めするプレイヤー達で賑わっている街だ。特に今の時間帯はフィールドから多くのプレイヤーが戻ってくる頃で、商人プレイヤー達もかきいれ時のはずだ。それなのに、商人達は客の呼び込みもせず皆うなだれている。声を張り上げて客引きをしている商人はNPCだけだ。他のプレイヤー達も通路の端で壁にもたれかかり、中には寝そべる者もいる。

 ボス攻略で何かあったのだろうか。まるで《軍》に占拠されていた、少し前までのはじまりの街みたいだ。

「嘘です、そんなの‼」

 血盟騎士団の本部が見えてきたところで、その声は聞こえた。聞き覚えのある声だ。数秒置いて、本部の両扉から赤い装備を纏った小柄な人影が飛び出してくる。前を見ずに走ったせいで、それはセツナにぶつかってきた。避けようと思えば避けられたのだが、疲労のせいで体が思うように動かなかった。

「ごめんなさ……、セツナさん!」

 小柄な少女は謝罪する途中で、セツナの顔を見て驚愕の表情を浮かべた。少女の右肩に乗っている水色の綿毛に覆われた小竜が鳴き声をあげる。

 会うのは約半年ぶりだろうか。彼女の目尻に涙が浮かんでいることから、どうやら再会を喜べる状況ではないらしい。

「シリカ、何があった」

 セツナがそう尋ねると、シリカの目尻に浮かんでいた涙が零れた。もう治まらないようで、シリカはセツナに抱きつき声をあげて泣いた。

 護衛していた時と一緒だなと思いながら、とりあえずセツナはシリカの頭を撫でてやる。状況は掴めないが、良くない事が起こったのは確かなようだ。

 セツナは落ち着いたシリカを連れて本部の扉を潜った。脇に立っているはずの門番はいなかった。

 ロビーでは白と赤の装備で彩った団員達が集合していた。彼等もまた、街のプレイヤー達と同様に重苦しい雰囲気を纏っていた。ロビーにいるのは団員だけではなく、エギルとクライン率いる風林火山のメンバーもいた。ロビーに入るセツナに気付いたエギルが歩み寄ってくる。

「セツナ、お前攻略に来なかっただろ。何してたんだ?」

「急用ができた。それよりエギル、何があった」

 エギルは数瞬だけ黙り込む。眉間のしわが深くなっていた。

「……キリトが、死んだ」

「何……っ」

 普段は決して動揺を表に出さないセツナが、この時ばかりは驚愕の視線をエギルに向けた。冗談でも質が悪い。あの本物の二刀流使いが、こんな所で脱落するというのか。

「ボスに殺されたのか」

「いや、ボスは倒した。その時点で14人死んだが……」

「ならなぜ―」

「ヒースクリフだ」

 壁を背にして床に座り込んでいたクラインが、呟くように言った。会う度に見せていた明朗な表情はなく、深く窪んだ目も相まって山賊のようだ。

「奴は、茅場昌彦だったんだよ。奴は俺達に混じって、俺達をモルモットみてえに観察してやがったんだ!」

 クラインは壁に拳をぶつけた。セツナはクラインの口から出た現実から逃げ出したい衝動に駆られる。だが、辻褄が合ってしまう。

 この世界の創造主である彼なら、自分ために最強のアバターを設定することは容易だ。

 自分が率いるギルドの運営に消極的だったのは、配下に情報を与えすぎて正体を悟られないための自制だったのか。

 セツナは右手にはめた《魂を噛む者(ソウルバイカー)》を見つめる。ヒースクリフから与えられた殺人用装備。似たような効果を持つ防具やアイテムの話は聞いたことがない。アルゴでさえ、この装備に関する情報を持っていなかった。

 セツナは悟る。

 この装備はセツナのために作り出された。復讐に身を委ねて生きるセツナに、茅場昌彦は実装するはずのなかった装備を特典として与えた。

 全てはこの世界を鑑賞するために。

 この世界で絶望に暮れる者達。この世界を受け入れる者達。希望を捨てず戦いへと臨む者達。欲望を膨らませ、悪意に身を委ねる者達。

 人々の抱えるエゴイズムが、この世界に何をもたらすのか。茅場昌彦は介入を極力避けて、その行く末を眺め続けてきたのだ。

 そこで彼は何を見出したのだろう。

 囚われた住人達を解放しようとする人間の勇ましさか。

 住む世界が変わっても他者を傷付ける人間の愚かさか。

「奴の正体を見破ったキリトは、その場で奴と戦った。奴は報奨(リワード)だとかで、勝てばゲームをクリアさせると言った。そんで……」

 エギルは続ける。彼も現実を受け入れられずにいるのか、声が震えている。

「そんで、キリト以外は全員麻痺をかけられたんだが、アスナは何故か麻痺を解いたんだ。キリトを庇おうとして、キリトはアスナを守るために……、死んだ」

 死んだ。

 そのワンフレーズを聞いて、セツナの横にいたシリカは再び泣き出した。多分、彼女はさっきもそれを聞いて本部を飛び出したのだろう。クラインも泣いていた。手で両眼を覆っているが、頬を伝う涙が見える。

「馬鹿野郎が……。カッコつけやがって……。許さねえって言ったのによ!」

 キリトはソロだと聞いている。背中を分ける仲間もなく、ずっと1人で孤独な戦いを続けてきた。だが今、キリトのために泣いている者がいる。

「本当に馬鹿だぜ。たった1人で勝とうだなんてよ……」

「ヒースクリフは、どうした」

「奴は転移した。100層で、ラスボスとして俺達が辿り着くのを待つそうだ」

 残りの層は25。クォーター・ポイントとはいえ、1層のボスを攻略するのにトップレベルのプレイヤーが14人も死んだ。それに加えて最強の聖騎士は第100層の最終ボスに転向。二刀流使いは死亡。犠牲は大きすぎる。

「アスナは。姿が見えないが」

「アスナも転移した。キリトが戦う前に、茅場に頼んだんだ。もし死んだら、アスナが自殺しないようにしてくれってな。団員がマップ追跡したらセルムブルグにいることが分かって、さっきリズベットが様子を見に行った」

「セルムブルグ……」

 目的地を定めたセツナは扉へと歩き始める。

「おいセツナ!」

「俺も様子を見てくる。元だが、俺も団員だ」

 大切な者を失った悲しみを、セツナは知っている。

 セツナは復讐することで生き延びた。

 生きて罪を重ね続けることを選択した。

 結果として、セツナは頭に地獄を抱えている。

 彼女には地獄を抱えて欲しくない。

 祈りながら、セツナはグランザムの街を走っていった。

 

 ♦

 

 建物の色が白亜に統一されたセルムブルグに転移したセツナは、アスナの家を目指した。3ヶ月前に一度行ったきりだが、場所は覚えている。

 だが、その必要はすぐに消えた。優雅な街並みに似合わず、街にいるプレイヤー達が大通りの先にある湖畔に向かっていた。通りを駆けていたセツナは足を止め、近くにいたプレイヤーに話しかける。

「何が起こった」

「アスナさんが、湖に飛び込もうとしているらしいんです」

 それを教えてくれたプレイヤーに礼も言わず、セツナは湖畔目掛けて全力疾走した。前を走るプレイヤーを何人も追い越した先に人だかりができていた。

 彼等が見守る中で、栗色の髪をなびかせながら少女が光る湖面へと走り出す。だが、彼女の体は薄紫色の障壁に阻まれ、石畳の床に弾き返された。再び湖へと走り出そうとする少女を、ピンク色の髪をした少女が羽交い絞めにして阻止する。

「アスナ、もうやめなって!」

「離して! キリト君が、キリト君が!」

 腕を振り払ったアスナは剣を抜き、リズベットに片手突き攻撃を放つ。圏内であるためダメージはないが、鍛えられたパラメータによってもたらされる衝撃でリズベットは尻もちをつく。

 アスナはゆっくりと歩を進めた。リズベットは親友の恐ろしい形相に怯え動けずにいる。

 セツナは人混みをかき分け、2人の間に割って入った。「セツナ!」と、背後にいるリズベットの上ずった声が聞こえる。

「アスナ……」

 セツナは彼女に呼びかける。

 セツナの姿を眼中に収めたアスナが何を思ったのか。セツナが何か邪悪なものに見えたのか、アスナは絶叫しながら剣を振り上げた。

 セツナは剣を抜き、アスナの腹に《リニア―》を叩き込んだ。隙だらけのアスナは防御する間もなく、その体を宙へと躍らせる。そのまま湖へと落ちるはずなのだが、アスナの体はまたも障壁に弾かれ、床に伏した。

 倒れたアスナは動かなくなった。セツナが彼女の長い髪を掬い上げると、幼子のように眠る彼女の顔が現れた。

「セツナ、アスナは?」

「気を失っただけだ」

 野次馬達のどよめきが聞こえる。「あいつは何者だ?」、「アスナさんを突き飛ばすなんて……」と、突然現れたセツナに好奇の目を向けている。

「リズベット、アスナを部屋まで運ぶぞ」

「あ、うん」

 セツナはアスナを抱きかかえた。野次馬達を睨むと、彼等は2つに分かれて道を開ける。「ベン・ハー」でキリストが連行される場面を思い出した。

 この接触はハラスメント防止コードに抵触するか曖昧だ。コードが発動する場合としない場合がある。もし抵触していて、アスナが目を覚ましてコード発動ボタンを押してしまったら、セツナは牢獄エリアに転送されてしまうだろう。

 そんな恐れていた事態にはならず、リズベットの案内でセツナはアスナがホームにしている部屋に着くことができた。道は知っているのだが、なぜ知っているのかとリズベットから怪しまれるのが面倒だから知らない振りをしていた。

 アスナを寝室のベッドに寝かせて、そっと布団をかける。疲れたのか、リズベットは床に座り込んだ。

「ありがとうセツナ。何でか分からないけど、来てくれて助かった」

「話はエギルから聞いた」

「そっか。じゃあ、知ってるんだね」

「……ああ」

 リズベットはぎこちない笑顔を取り繕い、立ち上がる。

「疲れちゃった。少しだけ休んでこ」

 2人はリビングのソファに腰かけた。窓から見える街は、夕陽が差し込み茜色に染まっていた。

「エギルに知らせなくちゃね。アスナは見つかったって」

 リズベットはウィンドウを呼び出し、メッセージを打ち込んでいく。ウィンドウを消すと、ソファの背もたれに身を預けた。

「びっくりしたわよ。いきなりエギルから呼び出されて何かと思ったら……。信じられないよね。キリトが死んじゃうなんて」

「ああ」

「あたし、ずっとキリトのことが好きだったんだ。でもアスナのことも大好きだから、2人が結婚の報告に来てくれたとき、凄く嬉しかった」

 最初こそ明るいリズベットだったが、話していくにつれて声がか細くなり、震えていった。とうとう耐えられなくなり、リズベットの目から涙が零れた。

「まだ結婚して2週間しか経ってないのに、こんなのってないよ……。キリトのばかあ」

 リズベットは声をあげて泣いた。一緒にモンスターの腹に飲み込まれた時よりも激しく嗚咽を漏らしていた。

 アインクラッドで、互いの生命線を共有する結婚に至るケースは稀だ。詐欺や裏切りが横行して、プレイヤー達は疑心暗鬼になっているのだ。それでも結婚を決断したのは、それほど互いに想い合っていたのだろう。

「アスナの様子を見て来る」

 セツナはそう言ってソファから立った。リズベットはずっと泣き続けていた。

 寝室のベッドに横たわるアスナは、寝息を立てて眠っている。さっきの憎しみに満ちた形相の面影はない。

 セツナも傍から見れば、あのような顔をしているのだろうか。ただ憎悪のままに生き、目に映るもの全てを壊そうと暴れる怪物に。

 

 怪物になった俺を、ナミエは愛してくれるだろうか。

 

 いや、とセツナは無駄な願いを消す。ナミエは死んだ。彼女がセツナを愛してくれる可能性は永遠に消えた。彼女がセツナを赦してくれる可能性も永遠に消えた。

 セツナはアスナの穏やかな寝顔を眺める。彼女は一体どんな夢を見ているのだろう。幸せな夢だろうか。目が覚めて現実を突き付けられた時、彼女は完璧な絶望を味わうのだろうか。

 セツナは眠っているアスナに尋ねる。

「アスナ、あんたも俺を赦してくれないのか……」

 アスナと出会ってから、ずっと思っていた。それはとても身勝手で虚しいものだ。

 ナミエに似たアスナの笑顔。それを見て、セツナはとある可能性を感じてしまった。

 

 アスナなら、俺を赦してくれるのかもしれない。

 

 我ながら短絡的だと思う。ただナミエに似ているから。ナミエと同じ笑顔だから。それだけで、彼女の代替としてアスナに赦しを求めてしまった。

 身勝手にも程がある。償えない罪に代理人を立てて赦してもらおうなんて。でも、その可能性も潰えた。

 キリトを失ったことで、アスナもきっと罪の意識を抱えるだろう。

 ナミエを失ったセツナが抱えるものと同じ罪。

 生き残ってしまったことの罪。

 そのことに罪を抱える必要はない。でも、罪の意識は一度抱えてしまったら消えない。呪いのように縛られてしまうのだ。そんなアスナに、セツナを赦すことはもうできない。

「セツナ……」

 背後からリズベットの声が聞こえる。彼女は小さな靴音を立てて、セツナの隣へと歩いてきた。

「アスナは、これからも前線で戦わされるの?」

「……分からない。彼女次第だ」

「あたし、もうアスナに戦ってほしくない。辛すぎるよ……。この子の隣に、キリトがいないなんて………」

 リズベットは懸命に涙を堪えているようだった。どんな言葉をかけたらいいのか、セツナには分からなかった。

 リズベットのように、多くのプレイヤーが絶望していることだろう。プレイヤー達の希望が失われてしまった。

 キリト。

 アスナ。

 ヒースクリフ。

 ヒースクリフに至っては、正体が悲劇の元凶だったのだ。これほど酷いシナリオはない。

 これまでのアインクラッドは、まだ地獄ではなかった。世界の創造主によってプレイヤー達は導かれていた。だからこそ窮地に陥っても乗り越えることができた。でもこれからは、創造主によるサポートはない。プレイヤー達は自力で第100層まで進まなければならない。犠牲は多く出るだろう。アインクラッドは絶望が包み込む地獄へと変わる。

 住人達は頭の中に、逃れることのできない本当の地獄を抱えていくことだろう。

「リズベット、頼みがある」

 

 ♦

 

 ヒースクリフの正体が茅場昌彦というスキャンダルは、一晩のうちにアインクラッド中に知れ渡っていた。

 発行された新聞の一面を飾り、プレイヤー達の話題の多くを占めていた。そのニュースを知ったプレイヤー達の反応は一律の一言に尽きる。

「誰が攻略組を率いるのか」

 攻略組の一角である《聖竜連合》に白刃の矢が立つという声は多いが、それでもヒースクリフのカリスマ性には及ばない。そもそも、彼のカリスマ性は作られたものだったのだ。アインクラッドの管理者という絶対的な権限を使って。

 ヒースクリフを失って最も損害を受けた血盟騎士団の本部では、朝早くからギルドメンバー全員が会議室に集められた。昨日の夕方、副団長であるアスナから招集命令のメッセージが彼等のもとに届いた。

 これからの方針を告げるのだろう。多くの団員がそう予想した。会議室にいる者の多くが、白と赤の装備に身を包んでいる。黒を基調とした普段着のエギルは、自分が場違いのように思えてならない。

 エギルは隣にいるリズベットに尋ねた。

「なあリズベット、本当にアスナが招集をかけたのか?」

 リズベットは黙ったまま頷く。この場にいる団員ではない者は、エギルとリズベットだけではない。クラインと《風林火山》のメンバー、それにシリカまでいる。昨日、本部に戻ってきたリズベットが全員に来るよう言ったのだ。アスナからの伝言だと。

 違和感を覚えずにはいられなかった。キリトと戦う前、アスナを自殺させないよう計らってほしいという彼からの頼みを、ヒースクリフは了承した。彼女はセルムブルグから出られないよう設定するという彼の言葉を、あの時麻痺をかけられ動けなかったエギルはしっかり聞いていた。

 ヒースクリフが約束を守ったのなら、アスナはここには来られないはずだ。リズベットから無事とは聞いていたが、キリトを失った彼女にギルドを率いるほどの気力があるのか。

 視界にある時計が、招集の時刻を表示する。同時に、閉じられていた会議室の扉が開いた。数列に並んでいる団員達は背筋を伸ばす。部屋の中央にある机の席には誰もついていない。ギルドの上層メンバーも列の中にいるようだ。

 壁際で立つギルド外の面々も、扉へと視線を移す。団員達はガラス張りの壁を向いたままだが、団員ではないから加わらなくても構わないだろうとエギルは思った。

 扉の奥から、人影が現れる。

「……何でだ?」

 無意識に声が出てしまう。エギルが注視するその先にいたのは、セツナだった。

 クラインと《風林火山》の面々も、口を半開きにしてセツナを視線で追っている。

 セツナはエギルがよく知る黒のロングコートではなく、白の生地に赤いラインが入ったコートを着ていた。一度だけだが見たことがある。シリカと一緒にエギルの店に来ていた時の服だ。

「おい、リズベット……」

 エギルはリズベットに視線を移す。リズベットは神妙な表情でセツナを見ていた。彼女は知っていたのだろうか。セツナがこの場に来ることを。ギルドを除名されたはずのセツナが、団服を着て現れた理由を。

 セツナは整列する団員達の前に立った。団員達も、エギルと同じ反応を示した。この反応も、エギルにとっては異様だ。除名されたとはいえ、セツナと彼等は仲間だったはずだ。それなのに、団員達の中から「誰だ」と囁く声が聞こえたのだ。彼等はセツナを初めて見るかのように、不審を込めた視線を向けていた。

 どういうことだ。セツナは元血盟騎士団のメンバーじゃないのか。

 エギルの疑問をよそに、セツナは会議室にいる全員に告げた。

「俺の名前はセツナ。この血盟騎士団の新しい団長だ」




 書いた後で今更なのですが、原作主人公は死なせるモンじゃない!
 死んだらめっちゃ暗くなる!

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