ソードアート・オンライン パラダイス・ロスト   作:hirotani

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第1話 出会いの時にはこんにちは

 煙草が吸いてえなと、バルドルは思った。

 現実でも1日に一箱を消費するほどのヘビースモーカーだった彼は、SAOにおける唯一の不満が嗜好品に煙草がないことだった。ゲームなんて子供の娯楽品に、現実での喫煙を促進してしまうようなものを実装しないものは当然といえば当然だが。

 とはいっても、このSAOの世界に閉じ込められてから早1年。煙草のない環境にすっかり慣れていたバルドルは禁煙に成功したはずだが、この日はいつになく落ち着かず、もはや懐かしいとさえ思える衝動が現れていた。

 原因は分かっている。バルドルが率いるギルド、ビスマルク・ヘッドに新入りが来るというのだ。

 先日、「狩り」に出ていたメンバーが1人のプレイヤーと出会い、そいつが自分たちのギルドに入りたいと言い出したらしい。拠点に戻って事の報告をしたメンバーを、まずバルドルは怒鳴りつけた。

 「狩り」を目撃されて、しかも目撃者をのこのこと逃がすなんて、自分たちにはあってはならないことだ。「軍」が来て拠点を襲撃されることは容易に想像できる。

 怒鳴られたメンバーは泣きべそをかきながら、フレンド登録をしたそのプレイヤーへメッセージを送った。またヘマをしないように、内容はしっかりとバルドルが指示を出しておいた。

 内容は、今日の正午に第12層主街区の転移門前でこちらの人間をよこすから一緒に拠点まで来いというものだ。

 「軍」の関係者だったと判断したなら、適当に遠回りして時間を稼げと言ってある。その間にバルドルたちは準備を整え、拠点を離れるという算段だ。だがその入団希望者は本当にビスマルク・ヘッドに入りたかったようで、マップ上に示された点は主街区から最も早いルートでこの拠点に向かっていた。

 それにしても、なぜこのギルドに入ろうなどと思ったのか。

 ビスマルク・ヘッドは圏外に建つ家を拠点として購入できる、どちらかといえば裕福なギルドだ。だがギルドなんて現実でも知り合いだった連中が組むもので、後から入る者は門前払いされることが多い。ビスマルク・ヘッドも、SAOで知り合ったメンバーもいるが大半は現実でも付き合いのあった者たちだった。

 不毛な思索を巡らせているうちに、家のドアが開いた。ノックぐらいしろと他のメンバーが言った。

 ドアから迎えによこしたメンバーに続き、そのプレイヤーは入ってきた。足元まで届く黒いロングコートを着ていて、フードを被っているため顔は見えない。

 ソファでくつろいでいたバルドルは起き上がり、その新入りの前に立った。不自然なほどに顔を近付ける。顔は半分以上がフードに覆われ、見えるのは口元だけだ。

「顔を見せろ」

 バルドルが威圧しない、だがどこか圧を与える声色で言うと、新入りは素直にフードをゆっくりと脱いだ。俯いていた新入りが、その視線をバルドルへ向ける。

 新入りは、まだ年端のいかない少年だった。歳は中学生か高校生の境目といったところか。背丈はまだ成長途中といったところで、癖のついた少々長めの黒髪が揺れている。何よりも、前髪の隙間から覗くその目が、バルドルの興味を引いた。

 とても成人前の子供とは思えない。このSAOで何度も修羅場を潜ってきたバルドルだからこそ核心できることだった。

 このガキ、俺たちと同類の目をしてやがる。

 生存競争が激しいこの世界では、常に身の危険に追われていると言っていい。ましてや「攻略組」など、皆闘志を剥き出しにした目をしている。だがこの少年は、彼らとも、中層であぐらをかいて平和ボケしているプレイヤーたちとも違う。

 バルドルは少年の目を凝視した。その目に秘めている狂気を見てやりたい。

「お前、名前は?」

「セツナ」

 少年は控えめな声で名乗った。バルドルに怯えている様子はない。普段からあまり会話をしない性分であることが推測できた。

「俺はこのビスマルク・ヘッドのリーダー、バルドルだ。セツナ、このギルドがなぜこんな家を買う程の金を得ることができたか、お前に分かるか?」

 バルドルの質問にセツナはすぐに答えず、家の内装と、周りでくつろいでいるギルドのメンバー達をゆっくりと見渡した。メンバーの中にはセツナと目が合って不機嫌に睨む者、彼の眼差しに怯えて目を逸らす者、興味なさげにアイテムのストレージを整理する者など反応は様々だった。一通り眺めるとセツナは答えた。

「他のプレイヤーから奪った」

 それはまさに100点満点の回答だった。バルドルは笑みを浮かべる。

「そう、俺たちはオレンジギルドだ」

 オレンジギルド。

 SAOの舞台であるアインクラッドで形成された社会で問題となっている、犯罪行為を行うプレイヤー。プレイヤーの頭上に表示されるカーソルがグリーンからオレンジに変わることから、オレンジプレイヤーと呼ばれている。バルドルたちは圏外で道行くプレイヤーたちを襲撃し、金品を奪ってきたのだ。

「俺たちは他の連中から金やアイテムを奪い、この家を買う程の富を築き上げてきたわけだ。脅し、傷を負わせ、抵抗する奴は殺した。俺たちはそうやって生き延びてきた。モンスターよりもプレイヤーの方が多くのブツを持ってる」

 バルドルがビスマルク・ヘッドを結成するにあたって問題になったのは、資金の確保だった。多くのプレイヤーたちがその問題に直面し圏外に出てモンスターと戦うことになっていたのだが、ビスマルク・ヘッドの中に戦闘を得意とするメンバーはいなかった。

 下層のモンスターを倒すのに数人がかりでないと話にならず、死活問題になってしまった。そこでリーダーであるバルドルが提案したのが、プレイヤーの襲撃だった。

 圏外で人気の少ない場所を探し、そこを通りかかったプレイヤーを襲い金品を奪うのだ。この方法はうまくいった。現実でも地元では名の通った不良集団だったバルドルたちの形相に多くのプレイヤーが恐れをなし、自らのアイテムや金を差し出した。

 中には腕に自身があるのかバルドルを返り討ちにしようと戦いを挑んだプレイヤーもいたが、バルドルたちは数の暴力によって、半ばリンチに近い形で相手を殺した。

 「軍」に勘付かれる前に場所を移し、ビスマルク・ヘッドは遊牧民のように各層を移動し「狩り」を繰り返してきた。そしてようやく、圏外の村で家を買うことができた。もうその頃になると、15層よりも下の層はもはやビスマルク・ヘッドの庭と言っても良かった。

 まるでアル・カポネのようなギャングスタ―の道を歩んでいるようだと、バルドルは揚々と日々を過ごすことができた。

 だからバルドルにとって、この自分たちと同じ目をした少年は幸せを呼ぶ青い鳥のような気がする。見たところ腰のホルダーからぶら下がっている剣も見たことがない代物だ。そこらの店で売っているようなものではないだろう。モンスターのドロップした武器か、それとも鍛冶職人のプレイヤーが鍛えた業物か。何にせよその剣が、セツナが腕の立つプレイヤーであることを証明している。

「歓迎しよう、セツナ」

 バルドルは右手を差し出した。セツナもまた右手を差し出し、握手を交わした。

 その日の夜、ビスマルク・ヘッドの拠点では盛大な宴が執り行われた。

 メンバーたちは貧相な料理スキルで調理した肉をかじり、酒を飲んだ。

 その食材や酒も全て、他のプレイヤーから奪ったものだった。

 宴の主役であるセツナは、食べ物には手を着けずワインを飲んでいた。一応酒アイテムは飲めば酩酊感を覚えるのだが、それは成人以上のプレイヤーで、未成年のプレイヤーにその作用は適用されない。現実での飲酒を防ぐことが目的だろう。

 顔色を変えないセツナに、すっかり酔っていたバルドルが聞いた。

「なぜギルドに入ろうと思ったんだ?」

 バルドルの質問にセツナが答えたのは、数瞬ほど間を置いてからだった。

「……居場所が欲しかったから」

 その答えを聞き、バルドルは騒ぐ他のメンバーたちにも劣らない声量で笑った。

「ならここは、お前にとっては絶好の居場所だな」

「……………」

 セツナは何も言わない。バルドルは続けた。

「SAOは自由な世界だ。ここじゃ力がものを言う。俺たちにとって、ゲームの世界はまさに楽園だ」

 

 ♦

 

 マルソはいつもよりそわそわしていた。ビスマルク・ヘッドの中でも末端の彼は、いつも使い走りのような役回りを課せられる。

 現実でもグループの新参者であったため、ゲームの世界では強くなって一目置かれようと意気込んだ時期もあったが、戦闘センスの無さからその評価は低いままだった。

 そのため、いつもリーダーであるバルドルからの怒号を恐れ、しばしばその不安が現実になってしまう。先日もまた、狩りの現場を見られてしまいバルドルに殴られたのだ。

 そのマルソの狩りを目撃し、マルソがギルドに連れてきた新人のセツナは、黙ってマルソの後を付いてくる。

 マルソはセツナの教育係を任されていた。今日はセツナに、ギルドの活動である「狩り」を教えるために、圏外の森へと赴いた。

 マルソはいつもよりそわそわしているが、それは恐怖ではなく期待だった。現実の頃からビスマルク・ヘッドにはマルソよりも後に入ってきたメンバーはいるが、誰も先輩であるマルソに敬意を見せない。マルソのいないところで彼等が自分を嘲笑っていることを彼は知っていた。それでも知らない振りをするしかなかったマルソに、ようやく先輩面できる後輩ができたと、バルドルからセツナの教育係を任されたときに思った。

 セツナは他の後輩よりも大人しそうだ。マルソの言うことに文句は言いそうにない。これからこいつをこき使ってやろう。ミスを犯したら殴ってやろう。

「この辺りでいいか」

 そう呟いたのは、狩場まで連れていくマルソではなくセツナだった。マルソは「え?」と背後で足を止めたセツナへ振り返る。

 何を言っているんだ。ギルドが目を付けているプレイヤー達の通り道までにはまだ距離がある。こんな誰も来そうにない森のど真ん中でなぜ止まる必要があるのか。

「おい、狩場までまだあるんだ。早くしろ」

 マルソが声に険を込めて命令するが、セツナは歩く気配がない。変わりに、コートに付いたフードを深々と被った。幼さを残した顔が口元のみを見せていた。

「おい……」

 マルソは背筋に悪寒が走った。SAOでなく現実だったら、全身に汗が滴っていることだろう。

 セツナは腰に提げた鞘から、銀色に光る剣を引き抜いた。

 

 ♦

 

「バルドル、急いだほうがいい」

 ゆっくりとした足取りで歩くバルドルにそう言ったのはビスマルク・ヘッドの2番手で、バルドルの側近のような立場のコウスケだった。

 2人は数分前に拠点の家を出て、森の中を歩いていた。

 異変に気付いたのはコウスケだった。メンバー達がしっかりと狩りをしているかマップで確認をしていた時、次々とメンバー達の反応が消えていったのだ。

 最初に消えたのは、セツナと一緒にいたマルソだ。マルソが消えた後、近くにいたメンバーから反応が消えていった。消えたメンバーは、皆セツナと接触していた。

 セツナがメンバー達を殺して回っていることがすぐに結論づけられ、バルドルとコウスケも殺しに来ることは容易に想像できた。

 襲撃しに来るであろう家を出たのはいいが、コウスケには行く当てがなかった。カーソルがオレンジの2人は圏内に入れず、他に拠点になるような場所はない。

「もういい」

 そう呟いたバルドルが、ゆっくりと動かしていた足を止めた。

「バルドル!」

 コウスケが声を荒げた。叱責しているようにも聞こえたが、バルドルは気を悪くした様子はない。

「セツナをギルドから除名して居場所を特定できなくしても、奴は諦めないだろう」

 バルドルは剣を抜いた。コウスケは肩を震わせ、冷笑を浮かべるバルドルを睨んだ。

「あんたの腕は知っている。だが、無事に済むかも分からない時に、俺は無謀な選択はしない」

 コウスケはバルドルから視線を放し、背を向け歩き出した。

「ずっとあんたに着いていくつもりだったが、もうお手上げだ。俺はまだ死にたくない」

 じゃあなと、コウスケが軽く手を振ろうとバルドルの方へ振り返った時だった。

「っ!」

 木々の影から飛び出した銀色の閃きが、コウスケの体を貫いた。HPバーの緑ゲージが一気に減り、0になる。一瞬の出来事にコウスケは言葉を漏らすことなく、体をガラスの破片のように散らしていった。

 さっきまでコウスケを形作っていたポリゴンの欠片の中から、黒いコートを着たプレイヤーがゆっくりと歩いて出てきた。フードを深々と被り顔を覆ったそれは、森の影に紛れていたのだ。

「コウスケは腕も立つし、頭も切れる奴だった。だがせっかちな所があってな、事を急ぎすぎて視野が狭くなる。いつかそれが仇になるときが来ると思っていた。そして、それがいま来た」

 バルドルの言葉に、セツナは何も反応を示さない。彼は無言のまま剣を構え、バルドルに突っ込んできた。重みのある両手剣で受け止める。

「俺達に恨みでもあるのか? それとも誰かに頼まれてか?」

 ビスマルク・ヘッドはオレンジギルドだ。他者から奪い、時には殺して金とアイテムを手に入れてきた。だから憎まれても不思議はない。あの短時間でバルドル以外のメンバーを殺したということは、この少年はどこかのギルドが寄越した殺し屋か。

 だがバルドルは、誰が自分たちを殺そうとするのかなど気にしていない。バルドルの興味は、自分を殺しに来たセツナ自身に向けられていた、

 バルドルはセツナの剣を振り払った。反動で体がのけ反るが、セツナはそのまま重力に身を任せ、頭が地面に触れるまえに両手をつき、見事なフォームのバク転で体制を立て直した。それは戦いというより、躍動的なダンスにも見えた。

 その激しい動きでフードがはだけ、セツナは顔をさらけ出した。

  バルドルはセツナの目を見た。彼が初めてギルドに来た時から、その瞳の奥に秘めるものに興味があった。そしてバルドルは今、それを見た。

 黒かった。とてつもなく深い底なし沼のような黒。初めから黒い絵の具で塗ったような黒ではない。何十色もの絵の具を乱暴に塗りつぶし、それらが混ざり合ってできた黒だった。

 同類なんてものじゃない。この少年には、自分たちよりも桁外れの狂気が渦巻き、それが混ざり合ってこの黒い瞳を色づけているのだ。

 バルドルはセツナの目から視線を逸らすことができなかった。剣を持つ手が震えていた。

「あんたは言ったな、この世界は自由だって」

 セツナの言葉が、突き刺さるように耳孔へ響いてくる。

「確かにこの世界は自由だ。どこへ行こうと、何をしようと」

 セツナが地面を蹴った。バルドルとの間合いを一気に詰めて、振り下ろした剣をバルドルの両手剣が受け止める。

 互いの距離が近づくと、セツナは囁くように言った。

「だが自由は残酷でもある。自由に生きる権利は強い者しか持てない。弱い者は淘汰される」

「俺が弱いと言うのか?」

「強いとでも思っていたのか」

 バルドルは力任せに、セツナの剣を薙ぎ払った。

 ふざけるな。

 俺は今まで、他人から奪って生き延びてきた。

 それは他の連中が弱かったからだ。

 それは俺が強かったからだ。

 それを否定されるのか。

 こんな子供に。

 バルドルは震える手に力を込めた。自分の中にある恐怖を押し殺すように。

 セツナが剣を構える。お前を殺してやると主張するかのようなその姿に、バルドルの剣に込める力が一層強くなった。

 バルドルは剣を高々と上げながら走り出し、セツナの脳天に剣を叩き付けた。

 だが剣がセツナの脳天を両断することはなく、その剣先は地面を軽く抉った。剣を振り下ろした瞬間までそこにいたセツナが消えたのだ。

 どこに行ったと周囲を見渡すバルドルは、自分の真上から濃い影が落ちていることに気付き、上へと視線を向けた。

 一瞬バルドルは、ゲームのグラフィックにバグが生じたと錯覚した。視界が暗くなり、何がどうなったのか分からず混乱する。

 すぐさまそれが宙を舞うセツナの黒いコートであることに気付くが、その時にはすでに遅く、銀色の煌めきがバルドルに迫り、その驚愕も、恐怖も、怒りも、何もかもを消滅させた。

 

 ♦

 

 地面に転がる色彩を失ったバルドルの頭を、セツナは踏みつけた。瞬間、それはポリゴンの欠片となり、傍で倒れている体と共に宙を霧散していく。

 セツナはシステムウィンドウを開き、メッセージ欄をタップした。新規メッセージを作成し、文章を打ち込んでいく。

『ビスマルク・ヘッドの殲滅を完了。カルマ回復クエストの攻略へ移る』

 指定した宛先へ送信し、森の出口を目指して歩き始める。歩き始めてそう時間も経たないうちに、返信が届いた。

『ご苦労だった。ゆっくり休んでほしいと言いたいところだが、至急別のオレンジギルドの殲滅に向かってほしい。対象ギルドの情報を同封しておいた』

 セツナは文面に目を通すと、文章を打ち込んだ。

『了解した』

 その短い一文を、ヒースクリフという送信元へと返信する。

 セツナは再び歩き始めた。森を出ると、既に日は傾き、外周から見える空が茜色に染まっていた。

 その光が眩しく、セツナはフードを被り、指定されたギルドのもとへと歩いて行った。

 


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