辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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97 他人の街

ホテルに荷物を置くと、ボディバッグだけを身に着けて街に出た。

周辺をぶらぶらと歩くと、東急ハンズが見え、続いて生田神社が現れた。

歓楽街と言っても差支えのない場所に唐突に神社があるので少し驚いた。

だがもちろん、神社の方がもともとそこにあったのだ。

そもそも神戸という名称は、生田神社の神封戸の集落という意味に由来すると聞いたことがある。

神社を超え、さらに北上すると異人館の立ち並ぶ地区にたどり着くはずだ。

観光ではないのだから、そこへ行く必要はないと思った。

僕はくるりと方向を変え、南へと降りていくことにした。

神戸の道はわかりやすい。

背中には山、正面には海。

細かい路地は多数あれども、そのことだけは変わらない。

こんなに山と海が近い地域を僕はほかに知らない。

センター街にたどり着くと、どっと人が増えてきたような気がした。

それでも東京よりはずっと人が少ない。

アーケードの広さに対して人が少ないのでとても快適だ。

アーケードを西へと歩くと大丸百貨店と中華街が見えた。

中華街にも興味はなかった。

海に早くたどり着きたかった。

ジャーナルスタンダードの店舗から、若い男女が腕を組んで出てきた。

彼らは幸せそうにじゃれあっていた。

僕と眼があうと、少し悲しそうな表情をしたように感じられた。

僕は首をかしげた。

平日にラフな格好でぶらついている中年が哀れに見えたのだろうか。

それとも、あの手の表情は最近の若者の専売特許なのか。

気取った憂い顔という奴だ。

ファストファッションを扱う店舗の鏡張りのファサードに映った自分の顔を見て驚いた。

まるで抜け殻だった。

眼もとに隈ができ、一応整えたはずの髪はろくに梳かしつけられていなかった。

顎には無精ひげが散らばっていた。

服装だけが、不釣り合いにおろしたての様子のジャンパーだ。

これは見る者を悲しい表情にさせるな、と、僕は苦笑した。

だが、どうこうするつもりはなかった。

街の人々の佇まいは洗練されていた。

昔よく、歓楽街で見かけたような、背筋を丸めた薄汚い中年は見当たらなかった。

鏡張りのファストファッションの店舗の上方には巨大な広告が掲げられていた。

白人と黒人のモデルに交じって、アジア人のモデルが拳を腰に当てて微笑んでいた。

颯爽としていて、日本人の微笑みには見えなかった。

まるでこれでは、白人化されたアジア人だ。

だが、広告の下にはローマ字でモデルの名前が刻んであった。

それは日本人の名前だった。

元町商店街に入ると、昔ながらの雰囲気が少し取り戻されたような気がして、ほっとした。

凝った意匠の街燈が、古い時代のロマンを感じさせた。

英圀屋、西村珈琲店、風月堂。

有名な珈琲店が立ち並んでいたが、父が好きだったイノダ珈琲はここにはなかった。

あれは京都にしかなかったのだったか……。

途中、ベトナム料理店があった。

父の世代にとってベトナムは、ある種の政治的ジャーゴンだった。

カウンターカルチャーの時代のことだ。

ベトナム戦争。

反戦。

反戦という言葉が、本当の意味で反戦であったのか、今では定かではない。

多くのロックバンドが、歪んだギターを響かせ、反戦を叫んでいた。

反戦と言いながら、暴力的でもあった。

あの時代、サイケデリックロックの音が、どれだけ攻撃的で暴力的であったことか。

それは反戦というよりも、大人や権力への抵抗、ルサンチマンの発露。

そう言ったものの置き換えられた姿だったのかもしれない。

大洗の街を歩きながら父が、『サンフランシスコの夜』を鼻歌で歌っていたことを思い出した。

フラワーパワーの時代のサンフランシスコを歌った歌だった。

今の時代、警察と若者の衝突を歌った歌があるだろうか?

そう考えると、この世の中には衝突が減ったような気がする。

政治的ポーズの何もかもが演技なんだと言い放った芹澤。

システムの中で金儲けをする戦車道。

先ほどの若者たちは、僕を哀れな目で見ただけで、ケンカを売ってはこなかった。

底が抜けている。

シニカリズムが跋扈している。

 

 

僕はベトナム料理店の中をガラス越しに覗いた。

驚くほどしゃれた内装で、まるでナイトクラブのようだった。

若い女の子のグループが、楽しそうに喫茶していた。

店頭に立てかけられた看板に書かれたメニュー表を見る。

驚くほど高かった。

ここにあるベトナムは、《貧しきベトナム》などではない。

僕は首を振った。

ベトナムは、ロックンロールのジャーゴンではないのだ。

そんなことの『だし』に使われてはいない。

装いを変え、異国情緒の一つとして成り立っているのだろう。

だがそれもまた、彼らの本当の姿ではないのではないのか。

 

 

元町通り商店街の5丁目あたりでアーケードを抜け、突堤の方向へと向かった。

ほんのかすかだが、海の匂いがした。

海の匂いは嗅ぎ慣れていた。

大洗の育ちなのだから。

だが神戸の海の匂いは、全く違う感じがした。

強いピートの香りが一瞬だけ立ち込めるが、即座に消えていく。

そして何も残らない。

そんな安ウィスキーに似ている。

あまり僕の好きな匂いではなかった。

ここは他人の街なのだ。

ふいにそう思った。

いま僕は他人の街にいる。

人生を泳ぎ、随分と居心地の悪い場所に流れ着いてしまった。

 

 

 

 

 

メリケンパークに着くと、綾取りの様な神戸海洋博物館と、赤いポートタワー、180度広げた扇のようなオリエンタルホテルが見えた。

港にはルミナスが停泊していた。

横浜の山下公園よりも小さいように感じられた。

午後3時の日差しがポカポカと心地良かった。

ギターを持った中年が、ポートタワーのそばの広場で下手くそな声でカントリーロードを歌っていた。

外国人観光客がそれを聞いていた。

海を眺めると、猛烈に腹が減ってきた。

考えてみると、新幹線に乗る前からほとんど何も食べていなかった。

モザイクという商業施設があることは知っていたが、それはいかにも観光客向けで、家族連れかカップルでないと居ずらいように感じられた。

その隣に、ウミエというショッピングモールがあった。

そちらの方がマシだと思った。

 

続く

 




ただ歩いているだけの描写って難しいですね……。

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