辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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90 暴力

「小汚い恰好をしても、成金趣味は変わらないな」

 

僕は床に落ちたKitsuneのベースボールキャップを見ながら言った。

 

「抜かせ」

 

芹澤が唾を吐いた。

それは馬乗りになって押さえつけている僕のシャツを汚した。

スーツカンパニーのセールで買った2500円のシャツだった。

それでも少し腹が立った。

 

「初めて会った時から、分不相応のブランド趣味が気に食わなかったんだ。そのジャージもひん剥いてやろうか」

 

僕が声を荒げると芹澤はひるんだ顔をした。

これも予想通りだった。

この男は、人を殺せるほどの度胸を持ち合わせてなどいない。

かつての付き合いから僕はそう思っていた。

恐らくは拳銃も偽物だ。

僕は芹澤を羽交い絞めにしながら後ろ向きにさせようとした。

こいつの手足を縛るなりしなくてはならない。

だが、手元には今縄も何もない。

せめて両手を後ろに組ませて何もできなくさせるべきだと思った。

だが僕が後ろをむかせようとした隙に芹澤が僕の顔面に頭突きをくらわせた。

鼻面に痛みが広がる。

なかなか強烈な一発だった。

僕は彼を見くびっていたことを恥じた。

今度は彼の反撃の番だった。

芹澤が拳に体重を乗せて僕の腹を殴った。

胃袋に刺激を感じ、喉元に熱いものが逆流した。

足を払われ、僕は盛大に転がされた。

転んだ拍子に顔を床で打った。

口の中に苦い味が広がった。

起き上がろうとしたところに芹澤のキックが飛んできた。

眼鏡が吹き飛ばされる。

失力の弱さを狙った攻撃だった。

視界が一気にぼやける。

そこに拳の嵐が降った。

僕は避けることもろくにできず馬乗りにされ、殴られた。

頭を強く殴られた時、意識が飛んだ。

 

 

気がつくと、椅子にくくりつけられていた。

芹澤ははじめからロープを用意してきていたらしい。

どれぐらい時間が過ぎたのか判然としなかった。

腕時計を見ようとしたが、両手ごとくくりつけられていた。

外はまだ暗かった。

夜が明けていないことは確かだった。

 

「目が覚めたか」

 

芹澤がやってきた。

彼は手にペットボトルのコーラを持っていた。

床を見ると、カップラーメンの残骸が無造作に置かれていた。

僕が伸びている間に、コンビニにでも行ってきたのだろう。

暢気なものだと思った。

 

「篠崎が残したメッセージはどこだい?」

 

背筋が寒くなるような猫なで声を出した。

これだけ人を殴っておいてよくもまぁそんな声を出せるものだ。

 

「なんだ、見つけられないのか」

 

僕は笑おうとした。

だが、顔面を激しく殴られたせいで、唇の端をほんの少し歪めるのがやっとだった。

ハンフリー・ボガードがよくこんな笑い方をしていたような気がする。

芹澤が僕のくくりつけられた椅子を蹴った。

僕は再び転ぶことになった。

僕の髪をつかんで起き上がらせると、芹澤が顔を覗き込んで言った。

 

「あまりふざけるなよ。メッセージはどこにある?」

 

口を開くと鋭い痛みが走った。

 

「ノートパソコンの中だ。テキストファイルがある」

「馬鹿にするなよ? そんなものチェック済みだ」

「馬鹿はあんたの方だ。篠崎代議士の遺志で、消去したんだ」

 

その言葉に芹澤の目が見開かれる。

 

「あわてるな。ゴミ箱に放り込んだだけだ。まだ再現できる。どうせドキュメントフォルダしかチェックしなかったんだろう」

「いつでもお前を痛めつければ、隠し場所なんて吐かせることができるからな」

 

芹澤が拳を撫でた。

拳には僕のものらしき血がにじんでいた。

 

「そんな手で夕食をとったのか。いい神経をしているな」

 

僕の言葉に芹澤は、自分の拳を見た。

まじまじとそれを見つめていた。

まるで初めて今、自分の拳が血だらけだということに気がついたようだった。

 

「何日もろくに食事をとっていなかったんだ。感覚がマヒしてしまっている」

 

芹澤が言った。

 

「お前がこのマンションにやってくる日を、向かいのカフェでずっと待っていた。県議会の会期までにお前が現れてくれて助かったよ」

 

一瞬どういうことだかわからなかった。

それからようやく頭が、マンションの向かいにあった24時間経営の喫茶店のことだと理解した。

 

「そういえば、向かいに喫茶店があったな」

「篠崎がこのマンションを保有していることは知っていた。だが、セキュリティシステムのおかげで中に入ることができない。部屋の鍵もない。お前がやってくることはわかっていた。だから俺は待ち続けたんだ」

「無精ひげだらけなのはそういうことか」

「ろくでもない風体になっちまった」

 

芹澤がノートパソコンに歩み寄り、電源を入れた。

 

「さて、テキストをチェックさせてもらうぞ」

「あぁ。勝手にするといい。ただし、お前が求めているようなものはないぞ」

「どういうことだ?」

 

芹澤が振り向いて僕を睨む。

 

「言葉通りの意味だ。テキストファイルはゴミ箱に入っている。復元して読んでみろ」

 

芹澤が外付けのマウスを操作する。

ゴミ箱をクリックし、捨てられたファイルを戻したようだ。

画面にワードが立ち上がったのが見えた。

文章を読み進める芹澤の肩が震えていた。

僕は芹澤の背中に問いかけた。

 

「どうだ? それがお前の望むものだったか?」

 

続く

 


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