辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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89 男

ワードファイルに書かれていることをすべて読み終えると、僕はそれを閉じた。

そして少し迷ったが、そこに書いてあった頼みごとの通り、ファイルを消去した。

ノートパソコンを閉じる。

そして、ターンテーブルのそばの棚をちらりと見て、鞄を手に取ると部屋を出た。

廊下に男が佇んでいた。

男はジャージ姿で、ベースボールキャップのようなものを目深にかぶっていた。

ベースボールキャップには、大きな狐の刺繍がしてあった。

男は僕を見ると、こちらに歩み寄ってくる。

僕は一瞬後ずさりしたが、男はすれ違うだけで通り過ぎた。

ほっとしたのはつかの間だった。

背中に、何か固いものが押し付けられた。

 

「動くな」

 

男にしてはややトーンの高い声だった。。

 

「俺が押し付けているのは銃口だ。篠崎と同じ目にあいたくなかったら手を上げろ」

 

僕は言われるがままに手をあげた。

どうしようもなかった。

 

「素直ないい子だ」

 

男が優しげな猫なで声を出した。

 

「そのまま、もう一度ドアを開けろ」

「ドアを開けるには、ルームキーが必要だ。それを取り出さないと開けることはできない」

「それはどこに入っている?」

「鞄の中だ。財布に挟んである」

 

鞄は、僕が両手を挙げたおかげで地面に転がっていた。

男が舌打ちをした。

 

「そのまま動くなよ」

 

言いながら、転がっていた鞄を取る。

片手は銃を僕の背中に押し付けたまま、もう片方の手だけでチャックを開けようとしたが、上手く行かない様子だった。

しばらくして、ようやくとりだしたらしい財布が足元に投げ捨てられた。

ルームキーを取ればあとは邪魔なだけだからだ。

 

「体を横にずらせ」

 

僕は頷いた。

体を少しひねると、男がルームキーをドアノブのすぐ上に設置された認証機にかざした。

開錠された証拠のカチッという男が聞こえた。

 

「お前が開けろ」

 

男の言葉に従い、ドアを開ける。

僕は再び、篠崎代議士の部屋に戻ることになった。

もう夜も遅い。

部屋は真っ暗だった。

男が、声に凄みを持たせて言った。

 

「灯りをつけろ」

 

灯りのボタンが分からないらしい。

このマンションはデザイナーズマンションで、灯りのスイッチの造型に凝っていた。

入り口付近の壁に、タッチパネル式のスイッチがあるのだ。

僕は、男に言った。

 

「今つける。少し体を動かさせてくれ」

「さっさとやれ」

 

僕は体をひねった。

ほとんど賭けのようなものだった。

体をひねった瞬間に、男の脇腹に肘でエルボーを入れた。

男はうめき声をあげた。

男の手が僕の背中から離れた。

僕はその手を思いっきり蹴りあげた。

拳銃が床に転がった。

男が何か声を発しようとする前に、今度はその顔面を蹴った。

男が蹲った。

僕は男に覆いかぶさるようにして、男を押し倒した。

男は僕よりも小柄だった。

押さえつけることができた。

ベースボールキャップが脱げ、素顔がさらされていた。

声を聴いて予想した通りだった。

芹澤だ。

だが、彼の風体は随分と僕が知っているものとは異なっていた。

頬が少しそげ、無精ひげが散らかっていた。

 

続く

 


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