シャイン・エステート・セガミの前でタクシーを止め、夜の通りに降りた。
秋が忍び込んでいた。
ほんの少し肌寒く、ジャケットを羽織ってきて正解だったと思った。
通りの向かいの喫茶店のドアがひっきりなしに開いて、会社員やら若い男女やらが出入りしていた。
彼らは一様に、深い悩み事とは無縁に見えた。
それは僕の思い込みなのだろうけれど。
僕は、財布にしまっておいたルームキーを取り出してマンションの入り口のセキュリティシステムに押し当てた。
扉が開く。
意を決して、中に一歩足を踏み込んだ。
エントランスホールは広い。
高級そうなワンピースを着た高齢の婦人が、エレベーターから降り、こちらへと歩いてきた。
僕のことをちらりと見た。
見慣れない人間だと思ったのか。
それとも、僕がよほど緊張した面持ちでもしていたのか。
数秒目が合ったのち、老夫人は興味をなくしたというように通り過ぎた。
僕はエレベーターのドアの前に立った。
以前と同じように、高級感のあるエレベーターに乗り込み、11階へと向かう。
部屋番号は覚えていた。
マンションの部屋の扉も、ルームキーで簡単に開くことができた。
拍子抜けをするぐらいに物事がスムーズに進んでいる。
部屋の中に入ると、すぐに入り口のボタンで灯りをつけた。
中の様子は以前とほとんど変わりがないように見えた。
物のほとんどおいていない、すっきりとした部屋だ。
すっきりとした広い部屋特有の寂しい心地良さを感じた。
奥に設置されたステレオセットもそのままだった。
電源はきっちりと切られている。
レコードプレイヤーには、アート・ペッパーのレコードがセットされていた。
数か月前も篠崎代議士はここでアート・ペッパーの後期のレコードを聴いていた。
時が凍りついて止まってしまっているようだ。
「さて……」
僕はつぶやく。
ここからが正念場だ。
この部屋のどこかに、なんらかの、篠崎代議士が僕に伝えたい物事が隠されているはずだ。
だがそれが一体何なのか、全く見当がつかない。
どのようにして探せばいいのだろうか。
僕は部屋を見渡した。
幸いにして、この部屋にはあまり物がない。
何かを隠すにしても、場所は限られてくるし、目立つだろう。
僕はとりあえず、引き出しや冷蔵庫などの収納部をあたることにした。
だが、驚くほど何もなかった。
引き出しの中は空っぽ、冷蔵庫にはソーダと冷えたジン(それはタンカレーだった)があるだけだ。
続いて、レコード盤の内側をチェックする。
先ほどのように、内側にメモが貼ってあるということもなかった。
僕は頭を掻いた。
どうしたものだろうか……。
と、机の上に置いてあるノートパソコンに目が行った。
これは……。
数か月前、この部屋を訪問した時、ノートパソコンはあっただろうか?
記憶は定かではなかった。
ノートパソコンなんて、あって当然だという思い込みから、今まで気にしていなかったが。
もしかしたら、あのときは置いていなかったかもしれない。
気になったのは、ノートパソコンの電源部だった。
点滅している。
電源を切りきっていないのだ。
スリープモードのまま放置されている。
僕は、慎重にノートパソコンを開いた。
と同時に、画面が立ち上がる。
動かされることによってスリープ状態が解かれたのだ。
パスワード入力画面が現れる。
僕は舌打ちした。
どうやって推測しろというのだ。
とりあえず、『sinozaki』と入力してみる。
エラーが表示された。
が、下部にパスワードのヒントが提示される。
そこには、Steely Dan From?と書かれていた。
僕はすかさずyokohamaとタイプした。
タイプしながら、思わず笑みがこぼれる。
ウィリアム・バロウズじゃないか。
実に篠崎代議士らしい。
パスワードが解かれ、ウィンドウズ画面が表示される。
タスクバーにワードファイルが残されていた。
僕はそれをクリックした。
ワードファイルが画面上に開いた。
続く