辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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86 レコードの中にあったもの

全てを語り終えると蓮田さんは、重く息を吐き出した。

とてもゆっくりと。

これまでの時間の鬱積を全て吐き出そうとしているかのようだった。

僕は彼の顔を見た。

表情は変わっていなかった。

丸眼鏡の奥の瞳の光は柔らかいままだ。

しかし、この一時間ほどで一つか二つ歳を経たようにも見えた。

 

「他人にこんな話をするのは初めてです」

 

蓮田さんが言った。

 

「それも、初対面の人に。ただレコードを渡すだけでもよかったのに。あなたは、人の話を聞くのが上手いらしい」

 

そんなことを言われた事がなかった。

僕はどう反応していいのか分からず、曖昧な笑みを浮かべる。

先ほどから気になっていた事があった。

聞き上手のついでだ。

尋ねてみる事にした。

 

「実は先ほど、あなたがシャッターの鍵を取るときに娘さんの名前を呼ぶのが耳に入りました。凪子さんというのですね? それは、篠崎代議士の提案した名前ですよね?」

 

蓮田さんが、あぁ、と小さく呟いた。

 

「その通りです。妻は、子供を生む事が難しくなる年齢に差し掛かってから、もう一度子供を欲しがりました。迷いましたが、子供を作る事にしました。生まれてきた子には、凪子と名付けました。私はずっと、篠崎君との約束を心残りにしていましたから」

「篠崎代議士は、そのことは知ったのですか?」

 

蓮田さんはうなづいた。

 

「レコードを預けに来た時に。私から言いました。彼はずっと悔やんでいたと思うから、その重荷を軽くしてあげたかった」

 

その時のことを思い出すように目を細めた。

 

「私を訪ねてきた時、彼は落ち着かない様子でした。服装も変わり、顔立ちもすっかり歳をとっていたが、豪快に見えてどことなく繊細な様子は昔のままだった。私は凪子を呼んで、篠崎くんに挨拶させました。彼は泣き崩れましたよ。凪子はわけがわからず戸惑っていましたが」

 

蓮田さんが楽しそうに笑う。

僕の脳裏にもその時の様子が思い浮かんだ。

 

「篠崎くんは大げさに頭を下げて、何度もありがとう、ありがとうと言いました。余りにも繰り返すものだから、私は君は鸚鵡になったのか?と、からかいました。そして私は、これからはちょくちょく遊びに来てくれよ、と彼に言ったんです」

 

蓮田さんの表情が不意に曇る。

 

「ところが、彼は曖昧に笑うだけでした。そして、おもむろに革の鞄を開き、中からレコード盤を取り出しました」

 

彼は僕が傍に抱えたレコードに向かって目配せする。

 

「そのレコードです。スティーブ・ハケットのライブ盤」

 

僕はレコードに目をやり、頷く。

 

「多少珍しくはありますが、別に大したプレミアが付いているわけでもない。数十年ぶりにやってきて、そんなもの一枚を売るのか? と訝しみました。ですが、そうではありませんでした。彼は、《このレコードを暫く預かって欲しい》と頼みこんできたのです」

 

そこまで話し、喉が乾燥したのか小さく咳き込んだ。

 

「わけがわかりませんでした。だが、篠崎くんの表情は真剣でした。私はレコードを受け取りました。訊きたい事は沢山ありました。でも、今は黙って受け取ることが、彼を長い間苦しめたことへの罪滅ぼしだと思ったのです。私がレコードを受け取ると、彼は、本当に心の底からという声で《ありがとう》と言いました」

 

篠崎代議士の深みのある声が、僕の耳にも聞こえるかのようだった。

 

「帰り際、彼の背中にもう一度、声をかけました。《また昔みたいに遊ぼう》と。彼は振り返り、手を振りました。そしてそのまま、またやって来なくなりました! 以前と同じように!」

 

蓮田さんが、語気を強める。

 

「考えてみると、彼は一度も私の言葉に頷かなかったのです。私は気付くべきでした。彼の死のニュースがテレビで流れた時、《あぁ、そういうことか》と、一瞬ひどくけだるい気持ちになりましたよ。なるほどな、と。そのあと、強い恐怖がやってきました。篠崎くんは、私に黙っていたが、国会議員だった。そして、何かあって殺された。彼が死の直前に私に渡したものがある。私はそれを持っている。分かるでしょう? この恐怖。私の身にも、何か降りかかるかもしれない。それどころか、家族にも! 私には、凪子がいる。また、子供を失えというのか!?」

 

一気にまくし立て、息をついた。

 

「だが、結局、私はレコードを捨てられなかった。何度も、深夜に車で遠くに捨てに行こうかと思いました。実際、奥多摩の地図を買ってきたりまでした。でも、無理だった。脳裏に、篠崎くんのあの時の真剣な表情が映るんです。《あと1日、あと1日保管して、誰も取りに来なければ捨てよう》 毎日そう思いながら今日まで過ごしてしまった」

 

「そのおかげで、このレコードを受け取ることができました。蓮田さん、本当にありがとうございます」

 

僕は深く頭を下げた。

彼は照れ臭そうに鼻を掻いた。

 

「まぁ、篠崎くんらしいよ。最後の最後まで、やり方がミステリアスで気障なんです。それに国会議員だって? 本当に恵まれてる。私は私で昔と同じ。彼には迷惑をかけられ通しです」

 

「でも、篠崎代議士は死んでしまいました。今では、蓮田さんの方がずっとマシな人生ですよ」

 

「どうでしょうかね」

 

やれやれというように蓮田さんは肩をかしげた。

そして苦笑して呟いた。

 

「もう一度、あいつと飲みたかったんですけどねぇ。何事もなかなか上手くいかないんです。本当に私は恵まれていない」

 

 

蓮田さんと別れたあと、僕はレコードを大切にバッグの中に隠して田町のマンションに帰った。

部屋に入ると、直ぐにレコードを開けた。中にはレコード盤が普通に入っていた。

レコード盤はどう見てもレコード盤だった。

それをレコードプレイヤーにかけてみる。

本当に、スティーブ・ハケットのライブが鳴り出した。

 

「どういうことだ?」

 

僕はレコードジャケットを手に取る。

中で何かが動く音がした。

レコードジャケットを逆さにして振ると、一枚のカードがすべり落ちてきた。

 

続く

 

 

 


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