辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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84 星の下、路の上 ②

レコードショップの内装を整えるのは、美砂が手伝ってくれた。

彼女は絵が好きだった。

蓮田は嫌がったのだが、レコードショップのシャッターに、マスコットキャラクターを描くと言ってきかなかった。

仕方なく蓮田が了承すると、どこからがペンキを調達してきて、嬉々として絵を描いた。

不細工なネズミが、レコード盤とチーズの切れ端を見比べている絵だった。

 

「なんなんだよ。これは」

 

蓮田はため息をついた。

ついでに美砂のおでこを軽くチョップ。

 

「あいたた。ひどいよー」

 

美砂が口をとがらせる。

それから、

 

「なかなか可愛いでしょ?」

 

と胸を張った。

 

「いや、可愛くないから」

「ひどいなー。これね、ちゃんとメッセージになっているんだよ?」

「メッセージ?」

「そう! 君がね、お仕事をちゃんと毎日頑張るようにっていうメッセージ」

「どういうことだよ?」

「レコード盤が、毎日のお仕事。チーズの切れ端が、享楽とか怠惰。どっちを選ぶか、よく考えてねっていう意味」

「ふぅん……」

 

蓮田は、鼻筋を掻いた。

 

「ま、とりあえず俺はレコード盤を選ぶよ」

 

言いながら、美砂のペンキをとりあげる。

 

「さてと。店名を書かなきゃな」

「決めてるの?」

 

美砂が問いかける。

 

「おうよ。題して、ステレオ・ジャックだ!!」

「ふぅん」

「……反応薄いな」

「だって、けっこー普通だから」

「普通でいいんだよ。普通で」

 

実はこの店名には一つ意味が込められていた。

ジャックは、スティーリー・ダンのデビュー曲『ドゥ・イット・アゲイン』の歌の中から取られていた。

『ドゥ・イット・アゲイン』は、何かに失敗した男・ジャックに『やり直すんだ!』と繰り返す歌だ。

この店は、蓮田にとっても再起をかけた挑戦だった。

やり直せ!!

自分自身に、そう伝えたかった。

もっとも、のちに気がついたことだが、『ドゥ・イット・アゲイン』の歌詞は、悪癖へと再びジャックを誘っているようにも聞こえるのだが……。

 

 

それから1年が過ぎた。

店の売り上げはそれほど芳しくはなかった。

蓮田が選び抜いたレコードの数々は、玄人ウケはした。

しかし、所詮はマニアックなものだった。

視聴して聴かせたとしても、一発で良さをわかってもらえない時がある。

店内には、いかにもレコードマニアといった風体の中年が多かった。

展開の中心であるプログレッシヴ・ロックがそもそも下火になっていたことも理由だろう。

その中で。

こぎれいな服装をした若い男は、ひどく目立っていた。

男は蓮田と同じ齢か、少し若いぐらいに見えた。

20歳ぐらいだろうか。

髪を短く刈り込みつつも、ワックスで動きを持たせ、清潔感と遊び心を共存させている。

淡いグレーにヴィヴィッドなブルーのストライプが入ったボタンダウンシャツを身にまとい、ラルフローレンの刺繍が小さく入った高級そうなジーンズを穿いていた。

靴は、ダークブラウンのなめし皮だ。

先が尖っていないのが、粋がりすぎていず、余裕を感じさせる。

一見して気に入らないタイプだと思った。

蓮田にとって、ロックンロールとは鬱屈だった。

恵まれていない人間の、恵まれた社会への攻撃だった。

若い男はどう見ても、恵まれているように見える。

お前のような男がロックを語るな。

心の中でそう思った。

どうせ、こんなやつ。

物見遊山気分でこの店に入ってきたのだろう。

と、そんなことを考えていると、若い男がレコードを手に近づいてきた。

 

「これ、ください」

 

年齢に似合わない、品のある声とともに差し出されたのは、オザンナの「パレポリ」だった。

多少なりとも知識がないと選ばないものだ。

適当にチョイスしたとは思えなかった。

蓮田は不思議な気持ちでレジを打った。

男は小さく礼をして店を後にした。

それが篠崎との出会いだった。

 

 

それからも、篠崎はきっちり週に一回、店にやってきた。

ある時はマクソフォーネを購入し、ある時はルネッサンスを購入した。

どうやらプログレッシヴ・ロックの知識は持っているようだった。

蓮田はある時、篠崎に問いかけた。

 

「ねぇ。君。若いのにずいぶんと詳しいんだね。何してる人なの? バンドとかやってるの?」

「え?」

 

篠崎が目をぱちくりとした。

 

「あぁ、いや。俺はただの大学生だよ」

 

気取った声だった。

篠崎が口にした大学の名は、都内でも有数の名門大学だった。

蓮田は絶句した。

いかにも育ちが良く、ロックの知識もあり、そして名門大学に通っている。

年齢は20歳だった。

自分と1つしか違わない。

篠崎が店を後にしてから、蓮田は歯ぎしりした。

この世の中には、恵まれた人間と恵まれない人間がいる。

あの男は、恵まれた人間だ。

奴は大学に通い、ほとんど同じ齢の俺は、こうしてあくせくと働いている。

この違いはなんだ!

 

 

蓮田のそんな内心とは裏腹に、篠崎はちょこちょこと店に通い続けた。

そして、マニアックなレコードを買っていった。

ある時、篠崎が顔を真っ赤にしてふらふらと店に入ってきた。

蓮田は驚いてレジから出て篠崎の体を抱きかかえた。

 

「お、おい、どうしたんだよ」

「ごめん、ちょっと、その。飲みすぎたんだ」

 

篠崎は明らかに酒臭かった。

 

「嫌なことがあってな。飲みすぎちまった。行くあてがなくなって、気がついたらあんたの所に来ていた」

 

よく見ると、気障なシャツにべっとりと反吐がついていた。

 

「なんだよ、そりゃ」

 

蓮田は笑った。

蓮田も一時期良く飲んだ。

荒れている時期だった。

安いブレンデッド・ウィスキーを浴びるほどあおって、このまま死んでやろうかと思ったこともあった。

 

「天下の大学生様にも、嫌なことなんてあるのかい」

「そんなの、毎日だ」

 

ろれつの回らない声で篠崎がつぶやく。

 

「良いご身分で、なにを甘えたことを」

「良いご身分には、良いご身分なりのストレスがあるのさ」

 

その言い訳は悪くなかった。

あっけらかんとして自分を認めている。

蓮田は笑った。

こいつは恵まれている。

恵まれているが、憎めない奴だ。

そう思った。

 

 

それ以来、二人で飲むようになった。

篠崎は蓮田を高級店に連れて行こうとはしなかった。

大概は蓮田に合わせて、路地裏の立ち飲みか、蓮田の自宅で宅飲みをした。

時折、篠崎が高級ウィスキーを差し入れに持ってくることがあった。

 

「こいつはシークレットだぜ」

 

篠崎は冗談めかしてそういった。

そんな様子が微笑ましかった。

二人で、しこたま酒を飲み、音楽談義に花を咲かせた。

朝まで飲んで、ヘロヘロになって、美砂に怒られることもあった。

 

 

そんな風にして、数年が過ぎた。

蓮田は美砂と結婚し、美砂はお腹に子供を宿していた。

5月の最後の日の夜、篠崎が蓮田をドライブに誘った。

買ったばかりだという車を見せてくれた。

それは、白のマーク2だった。

美砂が入院していることで、蓮田は少し渋った。

もうすぐ子供が生まれそうだったのだ。

 

「でもさ、今すぐというわけじゃないんだろ?」

 

篠崎はいつになく強く押してきた。

 

「あ、あぁ。まぁな。お医者さんの話だと、もうすぐというだけで、今すぐというわけじゃなさそうだ」

「だったら、頼むよ」

 

篠崎が頭を下げた。

 

「ちょっと色々あって、もうあまり遊べそうにないんだ。最後の晩餐だと思って、付き合ってくれ」

 

その言葉に、心が動いた。

美砂のことは心配だったが、病院に連絡を入れ、篠崎の車に乗り込んだ。

車は、東名高速をどんどんと走っていく。

 

「どこへ行くんだ?」

 

蓮田は篠崎に尋ねた。

 

「淡路島だ」

 

篠崎が答えた。

 

「淡路島!?」

「あぁ」

「どういうことだよ?」

「子供の頃、何回か行ってな。とても好きなところなんだ」

「どうしても行きたいんだな?」

「あぁ」

 

蓮田はため息をつき、バックシートに体を預けた。

 

「わかった。付き合うよ」

「恩に着るぜ」

 

篠崎が笑いながら、片手で煙草に火をつけた。

サイドガラスを開き、器用に外へ向けて煙を吐く。

 

「淡路島って行ったことあるか?」

「いや、一度もない。兵庫県だっけ? それとも、四国になるのか?」

「馬鹿。兵庫県だよ」

 

篠崎が苦笑する。

 

「国生みの島と呼ばれていてな。日本書紀の最初に出てくる島なんだ」

「へぇ」

「魚が美味いぞ」

「東京から淡路島って、どれぐらいかかるんだ?」

「そうだな。ざっと6時間ぐらいだ」

「6時間か」

「あぁ。だから、寝ていてくれていいよ。昼過ぎには着いている」

「別に寝たりなんかしないよ。話してるさ」

 

続く

 


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