辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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83 星の下、路の上 ①

男・・・ステレオ・ジャックの店主は名前を蓮田と名乗った。

男が僕に語りだした物語は、およそこんな話だった。

 

 

子供の頃から音楽が好きだった。

父親はジャズバンドのテナーサックスプレイヤーをしていた。

とはいえ、ほとんど仕事はなかった。

ナイトクラブやキャバレーで吹く仕事がほとんどだ。

客は酒や女に夢中で音楽になど見向きもしない。

時には、「うるさい!」と怒鳴られることすらあった。

それでも、テナーを吹くときだけ、一瞬我を忘れることができたらしい。

世の中のしがらみや嫌なことすべてを忘れて、音と自分だけになる。

その瞬間を生きがいにしていると父親は言っていた。

だが、父親は大酒飲みでもあった。

音楽と向き合うとき以外は、四六時中酒を飲んでいた。

幼心に不思議だった。

ほとんど儲けのない仕事をしているのに、どうして酒を飲むことができるのか、と。

父が肝臓を悪くして死んだとき、やっと理由が分かった。

父は借金をして酒を飲んでいたのだ。

母親は、そのことを知って怒り狂ったが、蓮田は別段怒りを感じなかった。

むしろ、不思議が一つ解決してすっかりとした気持ちになった。

とはいえ、借金を抱えた生活は楽ではなかった。

母親は自営業をしていた祖父の紹介で中小企業連合会の会員向け相談弁護士を頼り、借金を少しづつ返すという合意をしていた。

家は一日中薄暗かった。

照明の問題ではない。

心の中が薄暗かったのだ。

そんな中、隣の家の女の子……中原美砂と遊ぶことだけが唯一の救いだった。

美砂の家はケーキ屋をしていた。

少女の体からは、いつもほのかに甘いお菓子の匂いがした。

その香りをかぐと、心が和らいだ。

だが、その程度では、家庭の息苦しさは癒えなかった。

蓮田は中学を卒業すると、高校には進学しなかった。

中華料理屋の出前のアルバイトをやりつつ、喧嘩をしたり、悪さをしたりして過ごした。

体躯は細いが、パンチにスピードがあった。

そこそこ喧嘩には強かった。

蓮田は17歳になった時、バンドを始めた。

父親の遺したジャズのレコードは、幼い時に良く聴いたが、それほど心動かされなかった。

むしろ、たまたまラジオで耳にしたPFMというバンドに夢中になった。

それは不思議な音楽だった。

ロックンロールであるはずなのに、ロールしている感覚がなかった。

構成が複雑で、起伏に富んでいるのに、どことなく物静かだった。

一曲が長大で、普段ロックで聴かないような楽器の音も聴こえていた。

そして、英語ではない不思議な言語で歌を歌っていた。

後でわかったことだが、それはイタリア語であり、プログレッシヴ・ロックというカテゴリーの音楽だった。

そのことを知った時、蓮田は、

 

「これだ! この音楽をやりたい!」

 

と思った。

必死になって仲間をかき集めた。

当時、インターネットなどというものは存在しなかった。

だからプログレ好きの仲間を探すことなど不可能だった。

蓮田は腕っぷしに物を言わせ、無理やり中学時代のクラスメイトの何人かをバンドメンバーにした。

PFMのレコードを気が狂うほど聴かせ、「こういった曲をやろう!」と言った。

3人のメンバーは渋々という態で頷いた。

だが結果は惨敗だった。

そもそも高度な技術力が必要となるプログレッシヴ・ロックだ。

急増の素人集団にプレイできるはずがなかった。

蓮田は落ち込んだ。

だが、このまま終わりたくないと思った。

何とか音楽にしがみつきたい。

彼はフォークギターとブルースハープを買い込んだ。

まずは、基本からやり直そう。

そう思った。

一人でできる音楽といえばやはりフォークの弾き語りになる。

それを続けるうちに、仲間が揃ってくるはずだ。

彼は地道な活動をつづけた。

フォークをやるために、ボブ・ディランを聴き、ウディ・ガスリーを聴き、ランブリング・ジャックを聴いた。

次第に、聴く音楽の範囲が広がっていった。

暇さえあれば、ギターの練習と、音楽鑑賞に明け暮れた。

それ以外の時間は必死に飲食店のアルバイトをした。

 

 

フォークをやってみたところで、ライブハウスの客入りは芳しくはなかった。

もう、フォークは下火になっていた。

それでも蓮田は呪詛をぶつけるかのように一人きりで歌い続けた。

隣の家の美砂だけは、いつもライブに来てくれた。

うるさい場所も、煙草臭い場所も好きではないはずなのに。

相変わらず彼女の体からは、ほのかな甘い香りがした。

砂糖菓子の匂い。

そこにかすかに、女の匂いが入り混じっていた。

一度、蓮田のライブを見に来ていた美砂がナンパされたことがあった。

蓮田はステージから、美砂に触れようとした客を目にして、ギターを置いてステージを降りた。

男の首根っこをつかんで思いっきり殴った。

見事なストレートパンチだった。

男は蹲り、うんうん唸った後、げろを吐いて失神した。

その日の夜、帰り道で蓮田は4人組の男に囲まれてリンチにあった。

4人組は対バンで出ていたパブロックバンドだった。

蓮田が殴った客は、彼ら目当てに来ていた常連だったらしい。

レオン・ラッセルのような髭を生やした男が、のされて路地に転がった蓮田に唾を吐きかけながら言った。

 

「粋がってんじゃねーぞ、この屑が」

 

蓮田は、もうろうとした意識で空を見上げていた。

路上に寝て見上げる空は、暗かった。

星の一つも見えない。

だが、考えてみればそれはフォークミュージック的だった。

路上の空。

まさに、オン・ザ・ロードだ。

気がつけば口元に笑みが浮かんでいた。

俺は今、音楽している。

…………!!

その笑みも、数秒と続かなかった。

指先に強烈な痛みが広がる。

 

「ぐっ、あががっ…」

 

先ほどのレオン・ラッセルのような髭の男が、蓮田の指先を踏みつけていた。

 

「なに笑ってやがる! 舐めてんのか!」

「ぐぎゃっ!!」

 

蓮田は大声を上げた。

ひときわ鋭い痛みが走った。

靴のかかとで指をつぶされたらしかった。

蓮田はこの日、20歳の誕生日だった。

そのことに思い当たると、とめどなく涙がこぼれた。

17歳からバンドを始めて。

3年もかけて俺は、こんな路上にいる。

こんな路上に転がされ、痛めつけられている。

何が、オン・ザ・ロードだ。

畜生。

俺はこんなことを体験したいわけじゃない……。

そのうちに、意識が朦朧としてきた。

 

 

気がつくと、病室のベッドだった。

医者が、指の骨が割れてしまっていると言った。

それに、神経もおかしくなってしまっている。

動かせるようにはなるだろうけど、前みたいに自由には動かせないと思うよ。

蓮田は泣いた。

泣きまくった。

美砂は毎日お見舞いに来てくれた。

彼女は、自分が蓮田の出番が終わった時点で帰ってしまったことを悔やんでいた。

 

「最後まで待っていて、一緒に帰ればよかった」

 

と、泣きながら言った。

だが、蓮田の後には、3バンド分の演奏があった。

そんなに遅くまで待たせるわけにはいかなかったし、あの夜、美砂が一緒にいたところでどうにもならなかっただろう。

むしろ、もっとひどい目に合っていたかもしれない。

 

 

指の怪我を機に、蓮田はギターを弾くことをやめた。

潮時だと思った。

それはあの夜、強烈に感じたことだった。

たった一度殴られただけで。

たった一度、路上にのそべっただけで。

俺は音楽を否定した。

こんなのは俺の人生じゃないと思ってしまった。

その時点で負けだと感じたのだ。

俺には、音楽を続けていくだけの胆力が備わっていない。

蓮田は、しかしそれでも音楽を愛していた。

今はもう、弾くことではなく、聴くことの方をより愛していた。

父親のジャズのレコードから始まった蓮田の音楽の旅路は、プログレッシヴ・ロックだけではなく、ありとあらゆるジャンルへと広がっていた。

まだインターネットのない時代だ。

口コミや、店主の采配によるレコードの収集・紹介は、大きな影響力を持つ。

自分の知識を生かしたいと思った。

蓮田は、自宅の一階を改造してレコード店を始めた。

金はそこら中からかき集めた。

美砂や美砂の両親まで金を工面してくれた。

いちばん意外なのは自身の母親だった。

絶対に反対すると思っていたのだが、すんなりと同意してくれた。

拍子抜けした蓮田は、恐る恐る尋ねた。

 

「あの、母さん。怒んないの?」

「いまさら何やったって怒らないわよ。今までの生活よりもよほど地に足がついてるじゃないの。お店を持つんだからね」

 

彼女はあっけらかんとしていた。

そして言った。

 

「私が、いちばん好きな曲は、ビートルズのオブラディ・オブラダよ。ジャズ狂いのお父さんの手前では、口が裂けても言えなかったけどね」

 

人生はなるがままというわけか。

蓮田は笑った。

自宅で笑ったのは、ずいぶんと久しぶりかもしれなかった。

 

続く

 


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