男が鍵を手に外に出るのに従う。
話したりしているうちに、もうすっかり暗くなっていた。
時計を見ると20時を回っている。
男は蛇腹状になっているシャッターの正面の鍵穴に鍵を差し込み回した。
かちりという音がした。
鍵を抜くとそれをポケットに入れ、かがみこんでシャッターと地面との隙間に両手を差し込んだ。
掛け声をあげながら、シャッターを持ち上げる。
シャッターの奥にガラスの扉があり、それを開けて、僕を手招きした。
※
男が照明をつけると、ステレオ・ジャックの店内の姿が目に飛び込んできた。
今は殆ど無くなってしまった、昔ながらの個人経営のレコード・CDショップだ。
マニアックな輸入レコードを中心に扱っていたのだろう。
なかなか店舗は広く、ロックやジャズという分け方だけではなく、かなり細かくジャンル分けがしてあった。
サイケデリック、ブリティッシュ・ビート、クラウトロック、カンタベリーロック、フィリーソウル。
ビッグバンド、モダンジャズ、フリージャズ、フュージョン、ボーカリーズ。
中でも圧巻なのは、《各種プログレッシブロック》のコーナーだ。
英米に限らず、イタリア、スペイン、フランス、オランダ、日本、と各国のプログレッシブロックが並べられている。
壁面には、ムーディーブルースの『童夢』のアルバムジャケットが誇らしげに飾ってあった。
これは確かに、篠崎代議士が好みそうな店だ。
僕は思わず感嘆の声を上げた。
「これは・・・すごいな」
すると男が、嬉しさと自虐が入り混じったような声で答えた。
「そう言っていたいただけると嬉しいですが。見ての通り、開店休業ですよ」
「どうしてまた?」
「妻が死んだんです。私と妻は、もともと隣同士の家でね。妻の家は昔からケーキ屋でした。結婚したあと、妻はそのまま実家のあとを継ぎ、私は趣味が高じて、レコード店を始めたんです。ずっとそうしてやってきたのですが。妻が亡くなった時、どちらかの店を閉めなきゃならないと思った。人手が足りませんから。悩んだのですが、レコード店を閉めました」
「もったいないですね」
「そんなことはないですよ。今どき、もうレコードなんで売れない。そもそもダウンロード文化になってきたから、実店舗自体、商売が成り立たない。それに比べりゃケーキ屋はマシです。食物はダウンロード出来ませんから」
言いながら、棚のレコード盤の背中を愛おしそうに撫でた。
「それに、ケーキ屋さんもやってみりゃ、愛着が湧いてきました。実はね、うちのケーキ、私が作ってるんですよ」
「え!? そうなんですか?」
「似合わないでしょう」
男が笑う。
「ケーキ屋をやるのに資格はいらないんです。妻が亡くなったあと、レコード店を続けながら夜間の料理学校に通って、必死に修行したんです。大変だったなぁ。お金も使い果たしちゃった」
僕は、訪問時、男が寝ていたことに納得がいった。
朝から仕込みをして、昼から寝ているのだ。
僕は最初、男の風采から、仕事をしていないのではないのかと勘ぐってしまった。
心の中で、そんな自分を恥じた。
そして、男の努力が尋常ではないと感じた。
男は、レコード店よりもケーキ屋のほうが今どきマシだという言い方をしたが、それだけの理由には思えなかった。
「まぁ、私の話は置いときましょうや」
男がそう言いながら、レジの奥の段ボール箱を探る。
一枚のレコードを取り出してきた。
真っ暗な舞台に一筋のライトがさしこみ、舞台に立つギターを抱えた男を照らしている、そんな表紙だ。
上面にゴシック体のフォントで英語で、スティーブ・ハケット ロスト・トウキョウ・モーメンツ ア・ライブ・エクスペリメント と銘打たれてある。
「篠崎くんの置き土産だね」
男が言った。
「亡くなったことはご存知なんですね」
「そりゃね。あれだけニュースになってたら否応なしに知りますよ」
男は俯いた。
「私はこれまで知らなかったんですがね、彼は議員さんだったらしいですね」
「知らなかったんですか?」
「彼はこれまで、なにも言いませんでしたから。ニュースで見て本当に驚きました」
「それでは、お二人はどんな関係だったのですか?」
「どんな関係というと・・・」
男が目を閉じる。
懐かしそうな表情をした。
「そうですね。一言で表現するならば、ロック仲間ですよ」
感慨深げに呟いた。
続く