辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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79 ひとときの休息

八王子駅に降り立つともう夕方の19時を回っていた。

インターネットで検索した折には、営業時間が出てこなかった。

ステレオ・ジャックは個人経営の小さなレコードショップだ。

もしかして早い時間に閉めてしまうかもしれない。

そう思い、僕は急ぎ足で店に向かった。

途中で小さな路地が連なっていて、正確な位置が良くわからなかった。

やっと、『ステレオ・ジャック』と書かれた小さな看板を見つけた時には20時に近い時間になっていた。

そして案の定、シャッターが下りていた。

シャッターには、歯並びの悪い鼠が描かれ、左手にはチーズ、右手にはレコードを持っていた。

彼はどちらを選ぶべきか思案しているのかもしれない。

僕はため息をついた。

これでは無駄足だ。

シャッターには営業時間も記されていた。

12時~19時30分。

ほんの20分ほど間に合わなかったというわけだ。

営業時間の下に記されている電話番号に携帯でコールをしたが、誰も出なかった。

レコードショップの隣には、個人経営らしき小さなケーキ屋があった。

ここまで歩いてきたことに対してせめてもの報酬が欲しくなった。

僕はケーキ屋ののれんをくぐった。

 

「いらっしゃいませっ」

 

二十歳そこそこぐらいの髪の長い、ふわっとした雰囲気の女の子がカウンターで出迎えてくれた。

少し可愛かった。

不意を突かれたような気分になり、僕は少し鼻白んだ。

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

女の子が鈴の鳴るような声で尋ねる。

つい入ってしまったが僕は甘いものを食べる習慣があまりない。

回答に困った。

 

「なにか、その、あっさりしたものを」

「え?」

 

女の子が少し戸惑ったように言った。

 

「あっさりしたケーキ……甘いものはお嫌いですか?」

「その。少し用事があってここまで来たんだけど、用事がなくなってしまったんだ。それでつい、ここに入った。ケーキに詳しくないんだ」

「そうですか」

 

女の子が、人差し指を顎に当て、ん~、と思案顔をする。

 

「でしたら、あまりごてごてしていないイチゴのショートケーキと、ご一緒にコーヒーはいかがですか? 苦いコーヒーと一緒に食べれば、程よい甘さになりますよ」

「ここでコーヒーを飲めるの?」

 

女の子が頷く。

 

「はい。ひと席しかありませんけど。ほら、そちらの壁際に」

 

見ると、奥の壁際に小さな藤編のテーブルと椅子があった。

壁際には窓があり、小さなランプ細工が備え付けられていた。

 

「いかがです?」

「そうだね、それじゃそうするよ」

「ありがとうございます!」

 

女の子が嬉しそうに微笑む。

僕はつい、商売上手だね、と言いそうになって、口を押えた。

思考回路が皮肉的になりすぎている。

藤編みの椅子に腰かけると、独特のきしみがして、心地よさを感じた。

店内には小さな音でクラシックが流れている。

窓からは、夜の街並みが見えた。

郊外の都市らしく、道が広く、そして丁寧に舗装されていた。

こじゃれたデザインの街燈が見える。

ひどく落ち着いた気分になった。

このところずっと忙しくて、こんな気持ちそのものを忘れていた。

 

「はいっ。どうぞ」

 

女の子の声で我に返る。

机の上に、良い匂いのする暖かいコーヒーが差し出された。

続いて、上品な雰囲気のショートケーキ。

 

「ゆっくりしていってくださいね」

 

そう言い残して、女の子はカウンターへと戻っていった。

僕は、しばらくぼんやりとコーヒーカップとケーキを見つめていた。

コーヒーカップからたつ深みのある香りが心を解きほぐすようだった。

僕はそれを飲んでしまうのが惜しいとさえ思った。

 

 

コーヒーとショートケーキのセットは美味しかった。

僕はそれらを食べ終えると、立ち上がり、カウンターで会計を尋ねた。

すると女の子は、ショートケーキの値段だけを口にした。

 

「コーヒーとのセットだよ?」

 

僕は尋ねた。

 

「ああ、それは……」

 

女の子がはにかんだように微笑む。

 

「サービスですよ。お客様が、甘いものがお好きではなさそうだったので、自宅のコーヒーを入れて出しただけなんです」

「え? それじゃ、あの席は?」

「あそこは本当は、混んだ時や、ご提供に時間がかかる時の待合用の椅子なんです」

 

まぁ、うちは混むことなんてないんですけど。

少し自嘲気味にそう付け加えた。

 

 

僕は礼を言って、ケーキ屋を出た。

久しぶりに胸が温かい気持ちになっていた。

と同時に、自虐の念が胸を襲った。

僕は、人に優しくされるほどの資格のある人間だろうか。

僕は齢だけを重ねた、子供のような大人で。

学園艦の件で、子供たち相手に約束を反故にしたりもした。

そのことを知っていても、あの子は僕に優しくするだろうか?

そんなことを考えながら、駅までの道を歩いた。

 

続く

 


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