翌日、省庁に出勤すると、部下たちの態度に変化を感じた。
微妙に僕と距離をとっているものが多いようだ。
なるほど。
僕の失態はすでに知れ渡っているということだ。
自分の面子のために、少女たちとの約束を反故にし、そのうえでもう一度負けた男。
僕の信頼は失墜しているというわけだ。
誰もがはっきりと口には出さないが、僕を軽蔑した目で見ているように感じられる。
もしかしたら僕も被害妄想というパラノイアに取りつかれ始めているのだろうか。
まるでかつて故郷を憎んでいた高田のように……。
僕は誰とも話さず、まっすぐ局長室に向かった。
木製の扉を開け、灯りをつけ、遮光カーテンを開放する。
朝の光が部屋に満たされると、やっとほっとした。
いつものソファに腰掛ける。
新聞が机の上に置いてあった。
篠崎代議士の射殺が大きく報じられている。
犯人の足取りは全くわからないということだった。
また、小さな記事に、野党が学園艦統廃合法案に対し、廃案も含めた修正案提出の動きとあった。
僕は新聞を床に放り投げた。
すると、ドアをノックする音が聞こえた。
僕が許可を出さないうちに、倉橋という40代前半の職員が入ってきた。
彼は部屋に入ってくるとき、お辞儀すらしなかった。
これまではそういう態度の男ではなかった。
「局長。土山議員がいらっしゃっています」
倉橋は薄ら笑いをうかべていた。
不遜な態度だ。
僕が窮地に立たされているのが面白いのだ。
これまでは立場上僕に低身なポーズを見せていただけということか。
これが彼の本性なのだろう。
「そうですか。お入れしてください」
僕は淡々と答えた。
その態度が気に入らなかったのか、倉橋は大仰に回れ右して、後姿のまま
「では呼んできます」
と言って出て行った。
しばらくして土山が入ってきた。
倉橋以上に不遜な態度だった。
相変わらず派手な色のシャツを着ていた。
白地だが、下品な太い赤のストライプが入っていた。
「よぉ。辻。篠崎のおっさん、死んでもぉたなぁ」
土山も薄ら笑いを口元に浮かべていた。
どうやらこの連中は薄ら笑いがブームらしい。
僕は頷いた。
「左様ですね。お亡くなりになられました」
「ふざけんなや」
土山が僕の座っていたソファを蹴り上げる。
「議員が来とんのに、なに座ったまま話しとんじゃ」
僕は椅子ごと蹴られ、地面に転がった。
床に打ち付けた頬をさすりながら立ち上がる。
眼鏡が少し歪んでしまっていた。
「申し訳ありません」
僕は頭を下げる。
悔しさがこみ上げた。
「今日は……どのようなご用件で?」
「お前に引導渡しに来たんや」
土山が僕を見つめた。
ひどく冷たい目つきだった。
「ええか。俺らは10月からの臨時国会で修正案を提出する。学園艦の統廃合案の再検証や。それとなぁ、お前を直接つるし上げたるわ。証人喚問じゃ。徹底的にやるで」
まるで野党のような言い草だった。
僕を責めるのがうれしくてたまらないというように土山はニヤついていた。
「俺をこけにしたツケ、きっちり返してもらうからなぁ。覚悟しとけよ」
言い終えると床に唾を吐いた。
※
土山が去った後、僕は教育長に電話を入れた。
教育長は15分後に会うと言ってくれた。
指定された時刻に応接室へと向かう。
扉を開けると、教育長が不機嫌な顔つきで腕を組んで立っていた。
僕は思わず、深く頭を下げた。
僕が何かを言う前に、先に教育長が口を開いた。
「辻君、今回の件は残念だったね」
その口調は穏やかで、僕は幾分救われた思いがした。
だが、そんなものは幻想だった。
「本当に残念だ。君は、責任をとらなきゃいけないよ」
「う、ぁ……」
責任。
その単語が重くのしかかってくる。
「その。どういう形で……」
「座りなさい」
促され、お互いソファに腰掛ける。
「おそらく、与党は、今回の件を君の暴走として処理する方向に舵を切るだろう」
僕の暴走。
「野党が攻めの姿勢を見せ始めている。それを避けたいんだよ。与党が悪いのではないく、君の暴走だったのだ、という形に持っていきたいんだ」
「ということは、僕はスケープゴートにされるのですか?」
「なにを言っている!?」
穏やかだった教育長の声音が変わった。
「スケープゴートも何も、今回の件は実際に君の暴走ではないのか?」
僕は返す言葉がなかった。
少なくとも大洗女子の件については、完全に僕の暴走だ……。
だが、しかし、この統廃合案を推し進めたのは、僕の意思ではないのに……。
「篠崎議員も死んだ。この件は、君と篠崎が共謀して何らかの利権にありつこうとしたのではないか、と、そう言う形になるだろう」
「は?」
僕は耳を疑った。
共謀?
利権?
何を言ってるんだ、教育長は。
それはむしろ、逆ではないのか。
僕たちは熱政連の利権を崩そうともがいていたのに。
「情報が入ってきている。近いうち、ある雑誌にそういった疑惑が掲載されるようだ」
「雑誌? どういうことです? どの雑誌ですか?」
教育長が口に出した雑誌名は、篠崎議員が買収して学園艦危険説をあおらせたはずの雑誌だった。
僕はめまいを感じた。
つまり、その雑誌は、熱政連とも接触していたということか。
篠崎代議士が死に、僕たちの力がなくなると、今度は熱政連についたんだ。
僕は、裏切りだ、と叫びたかった。
だが、叫べなかった。
もともと、雑誌買収という汚い手を使っていたのは僕たちでもなるのだ。
裏切りも何も、同じ穴のムジナだ……。
僕はうなだれ、つぶやいた。
「そんな……。僕たちは、そんな、利権など……」
「死人に口無しなんだよね」
教育長があっさりとつぶやく。
「篠崎議員は死んでしまった以上、なにを言われても反論できない。ここから先は言われたい放題になっていくはずだ。憶測の域を出ない記事がわんさか飛び出してくるだろう」
そしてそれらの記事は、世論を巧みに誘導していくのだろう。
「我々は君を守ってやることはできない。もうすぐ臨時国会だ。修正案が与党内から提出され、君は戦犯として調査対象になるだろう」
※
応接間を出て、局長室へと歩きながら、審議の折の土山たちの質問を思い出した。
彼らは、要望項目として、
・生徒へのヒヤリング
と
・時期を見ての再検証
をねじ込んできた。
僕は、生徒へのヒヤリングの一環で角谷杏と会い、泥沼に落ちてしまった。
そして今、再検証の名目で、修正案が与党内から出されようとしている。
学園艦統廃合案は、公布されただけで、施行前だから、修正は可能だ。
ともすれば廃案も可能だろう。
やられた。
あの無意味に思われた質問項目が、このような力を持っていたとは。
土山たちの方が一枚も二枚も上手だったのか。
僕は、法案が通った日、土山が「あとで吠えずらをかくなよ」と言ったのを思い出した。
あれは、悔し紛れではなく予告だったのだ。
くそっ!
僕は唇を噛んだ。
口の中に、少しだけ血の味がした。