辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

75 / 100
75 高田の過去

「俺たちは二人とも、関西で生まれ育ったんだ」

 

高田が、いかにもつまらない事実だというようにつぶやく。

 

「俺は大阪北東部の街、篠崎は兵庫県南東部の街で育った。芦屋って知っているか?」

「ええ、なんとなくは……」

 

それは、関西屈指の高級住宅街だったはずだ。

 

「たぶんお前は今、山手の高級住宅街を思い浮かべているんだろう? 芦屋といってもピンきりだ。篠崎の家は、香露園のあたりさ。海側なんだ。

途中からはたしか、魚崎のあたりに引っ越した。これも海側だ。それでも、俺が暮らしていたところよりはずっとマシだ。北河内に行ったことがあるか?」

 

名前ぐらいしか知らなかったので僕は首を振った。

 

「ろくでもないところさ。動脈みたいに国道一号線が走っていてな。いつでも五月蠅くて、排気ガス臭い。

南に行けば工場地帯だ。喧嘩っ早い男が多い。高度成長期に一気に宅地化されたから、住宅密度も凄い。狭苦しくて、息苦しいんだ」

 

その言葉には、幾分高田の主観が含まれていたような気がした。

彼はどうにも、故郷に恨みがあるようだ。

 

「淀川っていうでかい河があってな。その河を渡れば、向こうは北摂だ。大阪の高級住宅地なんだ。

俺はいつも、淀川から対岸を見つめていた。向こう側に行きたいと思っていた」

 

僕の脳裏に、川べりに佇む少年時代の高田が思い浮かんだ。

その顔は黒く塗りつぶされていたが。

 

「でもな、行けないんだよ。俺の父親は、地元で荒物屋をやっていた。地元密着なんだ。その土地を離れることなんてできやしない」

 

高田が悔しそうに唇をかむ。

その表情から、当時の想いが汲み取れるようだった。

 

「幼いころ、俺は何度か、篠崎の家に遊びに行ったことがある。裕福な家庭だった。

なんというか、空気感が違うんだ。俺の家とは。余裕があり、すべてが豊かなんだ。あくせくとしていないんだ」

 

言いながら、コーヒーカップを強く握る。

 

「篠崎は俺よりも5歳年上だった。彼はどことなく気風が良くてな。俺を弟みたいに可愛がってくれたよ。

でもな、どこか、鼻に着く部分があるんだ。俺を見下しているような。そんな感じが。俺を見下して、それで優しくしているように感じるんだ」

 

それは明らかに、高田の劣等感から生まれた妄想のように思われた。

 

「俺は篠崎家に遊びに行った帰りに、母親を責めたよ。どうして、父さんなんかと結婚したんだ?ってね。

あんな荒物屋のつまらないオヤジと。篠崎家はあんなに金持ちなのに、と」

 

それは残酷な言葉だ。

僕は首を振った。

 

「母親は困ったように微笑むだけだったよ。親父のことが好きだったんだ。

俺は……篠崎家には二度と行くまいと幼心に誓った。勉強して、偉くなって金持ちになってやろうと思った」

 

その物語は、少しだけ僕の幼い頃とも似ていた。

僕は父親のようになりたくなかったから、勉強して役人になろうとしたのだ。

 

「俺は勉強して、中学受験で上本町にある進学校に入学した。そこそこ有名な中高一貫校だ。そこでトップレベルになれば東大や京大に行ける。

俺は合格通知を握りしめて飛び跳ねた。俺だってやればできるんだ、と思った。だがな、運命ってのは数奇なもんだぜ。高等部に、篠崎が先輩として在校していたんだ」

 

「そんなまさか?」

 

僕は思わず問いかけた。

 

「関西は東京と比べりゃ、狭い。進学校の数だって限られてくる。たまたまヒットしたんだ」

 

高田が自嘲気味に笑った。

 

「篠崎はその高校で、優等生として通っていた。俺はそのことに反発を覚えてね。なんだかどうでもよくなってしまった。

それからは、中高とやんちゃし放題さ。もう勉強する気をなくしちまった。髪を染めたり、ケンカしたり。

何度も停学になったぜ。カトリックの学校なんだ。停学になると懺悔室で懺悔させられる」

 

僕はコーヒーカップを口に運ぶ。

いつの間にかコーヒーは空になっていた。

 

「で、ろくに勉強しなかったんで、大学は関関同立だ。あとから訊いたら、篠崎は早稲田に行ったらしかった。そのことを聞いた時、俺は、また悔しさがこみ上げてきた。

俺のもともとの夢は、関西から這い出して東京に行くことだったんだ。それが、俺はいまだできずにいるのに。篠崎の奴は、のうのうと東京の大学に行きやがった」

 

高田が舌打ちをする。

 

「俺は目が覚めたよ。なんとしてでも東京に出る。そして、いい職についてやる。そう思った。それで大学では猛烈に勉強して。誰にも無理だと言われていたが、官僚になったんだ」

 

「そう……だったんですね」

 

僕は嘆息した。

ようやくこれで、高田の抱えていたコンプレックスに合点がいった。

 

「でもな。省庁に勤務して篠崎が議員になっていることを知って驚いたよ。俺はまた負けた、と思った」

 

高田が悲しげに首を振った。

 

「そんな時、俺を諭してくれたのが中さん……中津さんだったんだ」

 

中津さん。

それは懐かしい名だった。

 

「お前も親しくしていただろう? 中さんが、俺に言ったんだ。

『議員なんて、所詮は選挙次第で身分を失う人間だ。人から常に批判の目にさらされているし、選挙だのなんだので、金だってどんどん消えていく。役人になった君の勝ちだよ。きっと最終的にはね』とな」

 

中津さんの声が思い出された。

考えてみれば、中津さんは出世レースから早い時期にリタイヤした人間だった。

その言葉は、自分に言い聞かせる言葉でもあったのではないだろうか。

 

「俺は、その言葉をよりどころに、篠崎に怒りを露わにせず、そこそこの付き合いをやってきた。

せめてもの、自分の矜持として、彼との親類関係をちらつかせて出世レースに利用することだけはすまい、と心に誓ったんだ」

 

「それで、高田さんは、篠崎代議士との関係を黙っていたんですね」

「そういうことだ」

 

高田が唐突に手を挙げた。

近くにいたウェイトレスがやってくると、コーヒーのお替りを注文した。

 

「もっとも、彼からしたら、俺のその態度は、評価が高かったらしい。皮肉なもんだよ。

30年ほど前、たまたま議員会館ですれ違った時に、声をかけられた。『昔は荒れていたが、ずいぶんと男らしくなったな』と。俺は返す言葉がなかった」

 

それは確かに、若い頃の篠崎代議士が言いそうな言葉だった。

 

「ま、俺の話はそんなもんだ。思ったよりも長話になっちまった」

 

やれやれ、というように高田が笑う。

 

「そろそろ、本題に入ろうか」

 

続く






やっと3話ぐらいで書いておいた伏線が回収できました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。