辻さんの人には言えない事情   作:忍者小僧

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74 喫茶ノーブル

通夜が終わり、人々が大方掃け、親類のみが残される時間帯。

その時間帯まで待っていると、携帯電話が鳴った。

高田だった。

僕が着信をとると、彼は、今から降りると言った。

葬儀場の一階ホールで待っていると、高田が下りてきた。

 

「待たせたな。少し外に出よう。24時間やっている喫茶店がある。そこに行こう」

 

僕は頷いた。

もう真っ暗になった夜の街を二人連れ立って歩く。

高田が煩わしそうに首元のネクタイを緩めた。

右手でネクタイをさし抜きながらつぶやく。

 

「あぁ、葬式の黒いネクタイは大嫌いだ。気分が憂鬱になる」

 

僕は同意して、自分もネクタイを抜いた。

 

「この、葬儀用のスーツというやつも嫌いだ。生地が固くて息苦しい」

 

見ると、高田はいかにもフォーマルなピークドラペルのダブルを着こんでいた。

 

「俺はいつもイタリア生地の柔らかいスーツを着ているんだ」

 

その気取った言い方が少し可笑しかった。

僕は、彼がそういうキザなこだわりの好きな男だったことを思い出した。

関西出身だというのに、決して関西弁をおくびにも出さない男。

自尊心の塊のような男。

僕はなんだか懐かしいような気分になった。

若い頃、三司馬で一緒に飲んだことを想い出す。

あの頃はえぐみのある苦手なタイプだと思ったものだが、今となっては微笑ましくも感じられた。

無意識に笑っていたらしい。

高田が、

 

「なにがおかしいんだ?」

 

と問いかけてきた。

 

「いや、なんでもないんです」

 

と僕は首を振った。

 

「まぁいい。ほら、そこの雑居ビルの2階だ」

 

高田が指差す先に、昭和に建てられたような古臭いビルがあり、その二階に『喫茶 ノーブル』という看板があった。

二人して、エレベーターに乗り込む。

扉が開くと、赤茶けた蛍光灯の灯りに照らされた店内が目に飛び込んできた。

入り口付近に立っていたウェイトレスが、禁煙か喫煙かを問いかける。

僕は煙草を吸わないが、高田がどうなのかわからない。

彼の顔を見ると、

 

「吸ってもいいか?」

 

と問いかけられたので、僕は頷いた。

すると、ウェイトレスは奥の喫煙席に僕たちを案内した。

古びてスプリングのきしんだ座席に腰掛けるなり、高田は煙草を取り出して火をつけた。

キャメルだった。

僕は、同じ名前のプログレッシヴ・ロックバンドがあることを思い出した。

そして、そこから当然、篠崎代議士のことに連想がいった。

彼はプログレが大好きだった。

 

「ぼんやりしていないで、早く注文を決めろよ」

 

高田の声で我に返った。

 

「申し訳ない」

 

僕はあわててメニュー表に目をやる。

ゴシック体で『香りで魅せる純喫茶 ノーブル』と書いてある。

ブレンドには3種類あり、ハイ・ブレンド530円、マイルド・ブレンド480円、オリジナル・ブレンド460円となっていた。

それぞれの味の説明はなかった。

僕はオリジナル・ブレンドを、高田はマイルド・ブレンドを注文した。

 

「ここのコーヒーは濃いんだ。深夜はマイルドの方が良い」

 

それを先に言ってくれと思ったが、口には出さなかった。

 

「父がイノダのコーヒーが好きだったんです。濃いのは慣れていますから」

 

せめてそう言い換えした。

コーヒーが運ばれてくるまでの間、高田は黙って煙草を吸っていた。

2本吸い終えたところで、コーヒーが運ばれてきた。

コーヒーカップに指をかけながら、高田が僕に問いかけた。

 

「俺が親類で、驚いたか?」

 

僕は素直に頷く。

 

「もちろん。思ってもいないことでした。これまで、そんなそぶりもなかったのですから」

 

「そうだな。議員の親類だということはほとんど誰にも言っていないからな。

省庁の人間が何人も、今日は驚いた顔をしていたよ。

俺の存在が他人にあんなに刺激を与えられたのは多分、生まれて初めてだ」

 

言いながら、コーヒーをぐいと口に含む。

 

「でも、高田さんは確か、関西出身ですよね? 遠縁か何かにあたるのですか?」

「違うよ。結構近しいんだ」

 

高田が首を振った。

 

「俺の母親が、篠崎代議士の父親の妹だ」

 

少し驚いた。

それは確かに、近しい親類といえる。

ただ、苗字が違うことには合点がいった。

 

「それにそもそも。篠崎は関西出身だ。彼が東京に出たのは大学からだ」

「え?」

 

それは僕の知らない事実だった。

 

続く

 


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