また、ご評価くださりありがとうございます!
原作部分は通り過ぎましたが、もう少しだけ続きます。
クライマックスまでお読みいただければありがたいです!
深夜の街をフラフラと歩き、バー・ムーンバーンへとたどり着いた。
そこに山下がいる可能性は低かった。
だが、どうしてもこの店で一息つきたかった。
いつもの非常階段を上り、扉を開ける。
外との温度差のためか、むわっとした大気が僕の眼鏡を曇らせた。
見渡すと、いつもと違って客で賑わっていた。
そして、音楽が鳴っていた。
僕は少し混乱した。
いつもはこんなに大きい音で音楽が鳴っていただろうか?
思いだせない。
鳴っている音楽は、アラン・パーソンズ・プロジェクトの『ドント・アンサー・ミー』だった。
美しくて物悲しげな、アメリカン・オールディーズへの手向けの花束のような曲だ。
『何も答えないでくれ』
そのタイトルが、今の僕に問いかけているようだった。
僕はカウンターに腰掛けた。
マスターと眼があった。
マスターは僕に声をかけず、小さく会釈するだけだった。
僕のことを忘れてしまったかのようだ。
僕は、大昔ここで飲んだホワイトホースの旧ラベルを思い出した。
そしてそれを注文したが、「もう旧ラベルはない」と言われた。
仕方がないので、グレングラントの12年を注文した。
声がうるさかった。
客たちの声だ。
彼らは、僕のことなどてんで無視するようにぺちゃくちゃとおしゃべりを続けていた。
そこに、大きな音で奏でられている音楽がまじりあう。
僕は頭を抱えた。
目の前に、グレングラントのグラスが差し出された。
何も指定しなかったためか、ロックになっていた。
僕はそれを一口飲んだ。
喉をアルコールが通った瞬間、猛烈な吐き気がした。
立ち上がり、トイレへと駆け込んだ。
吐瀉物はほとんどなかった。
何も食べていなかったためだ。
何も食べずにウィスキーを自宅でも飲み続けていたので、胃酸だけが口からはい降りてきた。
カウンターに戻ると、音楽は止まっていた。
僕がマスターを見上げると、申し訳なさそうに、
「ステレオセットの調子が悪いんです。音の調節ができないので、止めました」
と言った。
いつものマスターだ。
客たちの五月蠅いしゃべり声も幾分静かになっていた。
僕は首を振った。
そうだ。
ここはいつものムーン・バーンだ。
まるでさっき一瞬、ここと似た異世界に入り込んでしまったような錯覚にとらわれてしまったが。
と、その時、客の一人がマスターに声をかけた。
「ちょっと、テレビつけてよ、テレビ」
「え? はい、かしこまりました」
普段は使用していない、カウンターの奥に設置された小さなテレビをつける。
客の要望で、ニュースにチャンネルが合わせられた。
速報が流れる。
篠崎代議士が、射殺体で見つかったという速報だった。
僕は頭が真っ白になった。
いったい、何が起きているというのだ?
テレビをつけてほしいと注文を出した客の方を振り返る。
中年のサラリーマン風の男が、スマートフォンを片手にテレビに見入っている。
どうやら、スマホに入ってきた速報をニュースで流していないか確認しようとしたらしい。
「うわぁ。議員の先生が殺されちゃったんだぁ。こりゃなんか深い闇を感じるねぇ」
男が無神経につぶやく。
僕は立ち上がり、5000円札をカウンターに置いて店を出た。
続く
このバーの場面は描きたい場面でした。
昔、フィリップ・K・ディックの高い城の男という有名な小説がありまして、その中で、作中の《現実》が揺らぐ部分が僕は凄く好きでした。
それで、ずっと、もしも小説を書くなら、ほんの一瞬、現実が揺らぐ場面を書きたいと思っていました。
これまで、作中では、70年代の音楽を中心に出してきましたが、今回初めて80年代のヒット曲を出しました。
その辺も含めて、違和感を感じていただけたら幸いです!