戦車道と、高坂の関係?
そんな歴史は知らなかった。
考えてみれば、僕がかつて戦車道をよく見ていた時、僕の興味は、戦車道の現在のみだった。
現在のスター選手、現在の試合カード。
そういったことにしか目が向いていなかった。
それがどのような歴史を持っているのかを気にしたことがなかった。
「彼らは、自分たちが懇意にしている某財閥傘下の研究所に、着弾しても怪我を負わない特殊なカーボンの開発を命じ、その開発に成功した。それで一気に戦車道の人気が復活したんだ」
「戦車道が怪我をしないスポーツになったのは戦後なのですか!?」
「当たり前じゃないか。戦前の戦車道は普通に大けがを負うリスクを負ったスポーツだったんだ。だから、危険だから実践試合なんてほとんどなかった。どちらかというと、戦車に乗る訓練を通じて規律正しい婦人を作るというようなスポーツだったんだ。薙刀なんかと同じさ」
そんなことも知らなかったのかというように篠崎代議士は笑った。
「学生運動が盛んだった頃、『反抗する学生』ではなく、『社会規律を守る品格ある学生』の代表として、盛んに戦車道が喧伝されたんだ。機動隊とともに、彼女たちが乗り込んだ戦車がバリケードを破ったり、火炎瓶の投げ込みに対して壁になって街を守ったりした姿は、新聞や雑誌で大いに取り上げられた」
「そうやって戦車道は市民権を得ていったのですか……」
僕は首を振った。
生臭い話だ。
「人気を背景に、戦車道向けの弾や装甲を生産する工場も増えた。そういった企業からの寄付金が、高坂氏やその周辺の政治的グループの資金になっていったんだ」
「なんてこった……」
僕は思わず呟く。
「そんなに落ち込んだ顔をするなよ。戦車道が悪いと言っているわけじゃない。あれはあれでちゃんとしたスポーツだ。俺は以前はあまり好きじゃなかったがな。
今はもうどうでもいいさ。軍産企業からの資金援助だって、別に悪いことじゃない。政治をするにはとにかく金がかかる。俺たちは選挙に落ちたらただの人になっちまう。金を集めなきゃどうしようもない」
篠崎代議士が自嘲気味にグラスを揺らす。
ズブロッカはほとんどなくなっていた。
「ただし、高坂氏は、その過程でおかしな連中との付き合いにはまりすぎたんだ。彼自身は、反社会的な組織に対して、自分が強い発言力を持っていると信じ込んでいたのだと思う。だが、傍から見れば逆だ。彼は、反社会的組織に絡め取られ、操られていた」
篠崎代議士が手を挙げてウェイターを呼び、ズブロッカをもう一杯、と言った。
「向こうは高坂氏をさも大切な友人のように扱ったのだろう。ヤバい連中ほどそういう付き合い方をするんだ。無理やり脅したりなんてしない。相手が『俺はこんなに危険な連中と親しくしている』と自慢したくさせるような付き合いをするんだ」
その言葉には妙な実感がこもっていた。
彼にもまた、そういった経験があったのもしれない。
「いずれにせよ、俺が政治の世界に入った時には、もう高坂氏は反社会的な勢力の『ひも付き』だった。ホテルのドアみたいなもんだ。彼を介して、そう言った連中の意向が政界に出たり入ったりするんだ」
篠崎代議士はため息をついた。
「芹澤君は、いつも心配していたよ。高坂氏のことを。このままでいいのだろうか、と。国会の食堂で何度か話したことがある。
彼は本当に悩んでいた。自分を拾って秘書にしてくれた高坂氏には恩がある。だからこそ、状況を改善したい。だが、当の高坂氏が、自分の状況をおかしいと思わないんだ」
「芹澤……さんが、そんな悩みを」
「俺も代わりに、彼に悩みを愚痴ったものさ」
僕は目を閉じて、芹澤のことを想った。
彼もまた、政治の世界の中でもがき泳ぐうちに、あのような人格へと変貌してしまったというのか?
わからない。
この話もまた、篠崎代議士の一義的な視点に過ぎないのだから。
だが、僕の頭の中に、食堂で向かい合って互いの悩みを打ち明けあう若き日の篠崎代議士と芹澤の映像がぼんやりと浮かんで消えなくなってしまった。
「芹澤君は、悩んだ末に高坂氏の秘書をやめた。その時、お世話になったと俺にあいさつに来た。親戚だか何だかを頼って大洗に引っ越すと言っていた。だから俺は、大洗という地名に聞き覚えがあったんだ。覚えているか?」
篠崎代議士が僕の目を覗き込む。
「三司馬で初めて飲んだ時のことだ。俺は、君の故郷が大洗だと聞いて、少し反応しただろう? 芹澤君が行った土地だと思って感慨深くなったんだ」
そういうと、もう、20数年前になるのだろうか。
高田に誘われて三司馬に行き、篠崎代議士と飲み。
あの時、僕が大洗出身だということに篠崎代議士が反応して。
そして僕は大洗に帰郷する気になったのだ。
さらに、篠崎代議士は知らないだろうが、結果的に今度は僕が芹澤と出会うことになり……。
なんて不思議なんだろう。
細い糸でつながっているかのようだ。
だが。
その糸が今はもつれにもつれ、僕はこんな訳の分らないところにいる。
それとも、それが所詮人生ということなのか。
僕は、グラスに口をつけながら、壁の絵画を見た。
ナイト・ホーク。
絵の中にはバー・カウンターに佇む男のさびしげな背中があった。
彼もまた、訳の分からない場所にいるのだろうか。
続く