「ん?」
僕の声に、後姿が振り向いた。
芹澤だった。
「おぉ、これはこれは」
嫌らしく芹澤が微笑んだ。
齢をとったせいだろうか。
以前のやや高い声のトーンは鳴りを潜めていた。
あるいは、付き合いの酒の飲みすぎなのか。
「お久しぶりです」
僕は頭を下げた。
「そうだな。実に久しぶりだな。何年ぶりだ? 10年ぐらい経つのか?」
「そうですね」
僕は冷たく答えた。
その声のトーンが伝わったのか伝わらなかったのか、芹澤がこめかみをピクリと動かした。
「どうしてだい? ずっと大洗には帰ってこなかったじゃないか」
「もう実家はなくなりましたので」
「そうらしいね。ご母堂も亡くなられたんだって? お葬式に呼んでくれればよかったのに。家族葬のような小さいものしかしなかったと聞いて驚いていたんだ」
白々しい。
僕が母の葬式を小さなものにしたのは、父の時のように芹澤の宣伝の場にしたくなかったからだった。
僕が黙っていると、取り繕うように芹澤が相好を崩した。
「それにしても、廉太君。良い顔つきになったじゃないか」
「良い顔つき?」
「ああ。その頬。やっと大人の顔になった」
僕は自分の頬を触った。
「ああ。そうだ。頬がぎゅっと締まっている。それに、その眼つき。冷たい雰囲気がするぞ。良い目つきだな」
何を馬鹿なことを。
「俺はな、廉太君。実のところ、君が嫌いだったんだ」
唐突につぶやく。
「親に可愛がられて育ち、大人になっても甘えていてナイーブな雰囲気の坊やだったからな。ぶっ潰してやりたいと思っていたよ」
目の前で指を握りしめる。
「それが、今はやっと俺と同じような目になっているじゃないか。ええ? 嫌なことを体験してきたんだろうな?」
僕は黙って芹澤を睨んだ。
「おっと、怖い顔をするなよ。その表情……いいぜ。若い頃からその表情ができるぐらいなら、俺と仲良くなれたかもな」
そう言い放つと、くるりと背を向けた。
「待てよ」
僕は思わずその肩をつかむ。
「言いたいことだけ言って、どこへ行くつもりだ。芹澤、あんたは県議会議員だろう。国会議員会館に何の用だ!?」
芹澤が僕の手を払い、振り向く。
鬼のような形相をしていた。
「何の用、だと? ふざけるなよ」
掃き捨てるようにつぶやく。
「お前ら、国が学園艦統廃合案を推し進めているんだろうが!まだ法案として挙がっていないようだが、大体の情報は入ってきているぞ。大洗も廃艦になるんだろうが。クソがっ。俺の地盤を荒らしやがって! 地元じゃ大騒ぎだ!」
「それじゃあ、今日は」
「陳情だ。何とか大洗の学園艦を存続させてほしい、とな。 あそこは今、俺の票田なんだ!」
もう一度、クソがっ!と、つぶやき、芹澤は廊下を歩いて行った。
遠くで、どこかの議員の部屋をノックして、部屋の中に消えていった。
「は、ははは……」
僕は思わず、頭を掻いた。
なんてこった。
なんてこった。
図らずも。
僕はこの施策を推し進めることで、芹澤に打撃を与えていたのか。
それは不思議な快感だった。
思わぬジャブが相手の痛いところに入ったようだ。
偶然の産物とはいえ、ほんの少しだけ父と母の敵をとれたような気がした。
大洗学園艦。
あれは今、芹澤の票田なのか。
……潰してやる。
僕は口の中でつぶやいた。
続く