日曜日の早朝、ベッドサイドに置いていた携帯電話のベルがけたたましく鳴った。
危機管理局からだった。
僕は驚いてタップする。
あわてたような声が聞こえた。
「もしもし。学園艦教育局長の辻さんですか!?」
「はい。そうですが」
「わたくし、危機管理局危機管理課課長の西脇と申します。緊急のご連絡です」
危機管理から教育の僕に緊急の連絡だと?
どういうことだ?
「日本時間で本日午前6時ごろ、フィリピンのダブラス海峡で学園艦の沈没事故がありました」
「それは、日本の艦ですか!?」
「違います。フィリピン国籍です。日本人が乗っているかどうかは現在、調査中です」
「沈没の原因は? 追突か何かですか?」
「いいえ、まだ詳細はわかっておりませんが、漁船やタンカーなどとの追突ではないとのことです。詳細が判明し次第ご連絡申し上げます」
「わかりました」
「所管はもちろん危機管理ですし、海外の出来事ではありますが、学園艦の事ですので、辻さんにご報告するべきであると判断いたしまして」
「ありがとうございます」
僕はすぐに部署の人間に連絡し、できる限り学園艦局の者は登庁するようにと伝えた。
他国での事故とはいえ、庁内には緊張が走っていた。
学園艦が一つ沈没したとすれば、それは大変な事故だ。
日本としても、何らかのメッセージやアクションが必要になってくるであろうし、もしも日本人が巻き込まれていれば、対応が必要になるだろう。
フィリピンの方でも情報は錯綜しているようだった。
なにしろ海上の事故だ。
即座に被害を詳細把握することは難しい。
臨時ニュースのヘッドラインはめまぐるしく変化する。
もちろん悪い方向へだ。
行方不明者数、死者数は膨れ上がっていく。
フィリピンでは海上保安庁や軍、民間ダイバーも募って現状把握や救出作業、遺体回収を急いでいた。
だが、海流に救出員が流されて行方不明という事態まで起こっているようだった。
その日の夕刻の発表では行方不明者はおよそ2000人ということだった。
夜遅くに携帯電話が鳴った。
篠崎代議士からだった。
「辻君。大変なことになったな」
開口一番、彼はそう言った。
「はい。信じられないような大事故です。2万人規模の学園艦の沈没だなんて信じられません」
「そうだな。死者・行方不明者の数はどんどん跳ね上がるだろう。日本としても援助策を打つと思う」
「はい」
「ところで、この件で辻君は忙しいか?」
「と、おっしゃいますと?」
「君の立場として、だよ。少し、人のいないところで話がしたい。時間を作れないか?」
「そうですね……不可能ではありません」
学園艦の事故であるとはいえ、僕は危機管理や海上保安庁の職員ではない。
常時待機をすることが仕事ではない。
「よかった。人に聞かれたくない話だ。俺の家に来てくれ」
「家ですか?」
「ああ。議員会館とは別に、個人の物件がある。今から住所を伝える」
「はい」
篠崎議員が言う住所をメモする。
シャイン・エステート・セガミ、西1115室。
それは杉並区のマンションの一室のようだった。
僕はタクシーに乗り、そこへと向かった。
マンションは15階建ての高級な作りだった。
ファサードが美しくデザインされ、見る者を圧倒する。
入り口のセキュリティ・システムで1115室をプッシュする。
「辻君か」
「はい」
インターフォン越しに聞こえた篠崎代議士の声に答えると、自動ドアが開いた。
棟内に入る。
大理石調の壁にはめ込まれたエレベーターに乗り込み、11階へと上昇する。
1115室の前に篠崎代議士が立っていた。
「さ、入ってくれ」
「失礼いたします」
ドアをくぐると、広々とした部屋があった。
窓が大きくとられていて、夜景が一望できる。
明らかにファミリー向けの物件だ。
「驚いたか?」
「はい。でも、普段暮らしておられるようには感じられませんね」
いらぬ詮索かと思ったが、呟いてしまった。
それぐらいに生活感がなかった。
広々とした部屋に、ソファとステレオ装置が置いてあるぐらいだ。
「ここはね、俺の知人から引き受けたものなんだよ」
「と言いますと?」
「バブルの頃に投資目的で購入したものの、売り時を逃がして値が落ちてどうしようもなくなったのさ。高い金で買って損をした物件ということだ。その知人は自身の経営していた会社がうまくいかなくなって倒産した。この物件も、固定資産税や管理費を考えると無用の長物だ。そこで俺が譲り受けたというわけさ。もちろん、金銭のやり取りでな」
それで、こうやってほったらかしにしているのか?
誰かに貸すわけでもなく?
今一つよくわからない話だ。
「ま、いろいろ使用方法は考えたんだが、今は俺の瞑想部屋だよ。嫌なことやややこしいことがあるとここに来るんだ」
僕はもう一度ステレオ装置に視線を動かした。
「お好きな音楽を聴きながらですか?」
「ああ、そうさ。君を待っている間は、久しぶりにアート・ペッパーを聴いていた。再復帰した後のアルバムだ。ジャズはあまり聴かないが、若い頃からアート・ペッパーとリー・コニッツだけは聴きつづけている」
「左様でございますか」
「まぁ、座ってくれよ」
「はい」
僕は篠崎代議士の対面となるソファに腰掛けた。
「話というのはな、例の海難事故についてだ」
「はい」
「これは近年稀にみる大規模な事故になると思う。学園艦の歴史に刻まれるような事故だ」
「私もそう思います」
「俺の聞いた情報によると、他の船との衝突や座礁ではないらしい」
「いまだ情報は錯綜しておりますが……」
「かなり確かな筋だ。おそらく間違いない。ということはだな、これは、レーダーの不備や、運転時の人的ミスではないということになる。と、なるとだ」
篠崎代議士がじろりと僕を見た。
「沈没した学園艦にもともと何らかの欠陥があった可能性がある。調べたところによると、沈没した学園艦はタガログ語で『正しい教育』という意味の名前を持つらしい。フィリピンか学園艦を行政に導入したごく初期のモデルだ」
「ということは、かなり古いモデルということですか?」
「まだ詳細はわからんが、自前で造った船かどうか怪しいな。他国の学園艦を買い取り、運用していた可能性もある。ともすれば、元は日本製だという可能性も出てくる」
「もしそうだとすると、責任問題に発展しませんか?」
僕は冷や汗をかいた。
だが、篠崎代議士は笑った。
「そんな、責任になどなりはしないさ。もしそうだとしても、買い取られたのはずっと昔の話だ」
僕は胸をなでおろした。
篠崎代議士が、顔を乗り出した。
「俺はな、辻君。今回の事件は、チャンスだと思っているんだ」
続く